第八話 浄化の魔法
教会の一団が村を発つ日がやってきた。
村の入口には、村人たちが総出で集まっていた。
「ありがとうございました!」
「本当にありがとうございました!」
老人も、子供も、若者も。みんなが口々に感謝の言葉を述べている。
浄化された小さな土地は、今朝も確かにそこにあった。紫色の筋は消え、茶色の土が顔を覗かせている。
「ふむ。まあ、仕事だからな」
司祭がぶっきらぼうに答える。でも、その口元には満足げな笑みが浮かんでいた。昨夜の食事も美味しかったのだろう。
カタリナも無言で馬車に乗り込んだ。その表情は、来た時よりも少しだけ柔らかい気がした。
セレナは母と手を取り合い、別れを惜しんでいた。
「本当に、楽しかったわ。久しぶりにゆっくり話せて」
「私もよ、セレナ……また会えるかしら」
「もちろんよ、今までは忙しくて来ることができなかったけど……今度は無理にでも休みを取って、遊びに来るわ。約束する」
「本当?」
「ええ、本当よ。それに……」
セレナが私を見る。
「ユミナちゃんにも会いたいしね」
「はい、お待ちしています」
私が頭を下げると、セレナは嬉しそうに笑った。
その時……
「おい、聞いたか?」
村人たちの間で、ざわめきが起こった。
「浄化の杖は、村に奉納されるんだってよ」
「そうなのか?」
「ああ、ワドル爺さんが言ってた。教会の人がそう言ってたって」
私と母はセレナの顔を見た。
『そんな話聞いていない』とセレナの表情がそう語っている。
しかし、噂はあっという間に広がってしまう。
「浄化の杖が村のものになるんだって!」
「すごい! 村の宝物だ!」
「これで、いつでも浄化の奇跡を思い出せるな」
皆が期待に胸を膨らませている。
「いや、そんな話は……」
困惑した父が、慌てて否定しようとしたが……
「ありがとうございます!」
「教会と交渉してくださったんですね!」
村人たちの感謝の言葉に言葉を詰まらせている父。
「あなた……どうするの?」
母がそっと近づいてそっと耳打ちする。
「どうするって……」
見渡す限り、村人たちの期待に満ちた顔、顔、顔。
「……分かった」
意を決した父の足が、司祭の前で止まった。
「あの……司祭様」
「何だ?」
司祭が面倒くさそうに振り返る。
「実は……お願いがあるのですが」
深く下げられた父の頭。
「儀式に使われた魔導具を、村に譲っていただけないでしょうか」
「はっ?」
司祭の目が丸く見開かれた。
「村人たちが……あの杖を村の宝物にしたいと、強く望んでおりまして……あの魔導具があれば、我々はこの浄化の儀式を忘れることはありません。子々孫々まで、この日のことを語り継ぐことができます」
行き場をなくした司祭の視線が、困惑にさまよう。
「あー……その、だな」
実は、浄化の儀式で使われる魔導具は使い捨てなのだ。
一度に大量の汚染された魔力を通すことで、内部の魔力回路が劣化してしまう。そのため、魔導具としての価値は無くなる。
慣習では、街の教会に奉納され浄化という名の廃棄処分が行われる。
それ故、譲ること自体は問題がないのだが……
――ま、まぁ……あれはゴミ……いや、役目を終えた魔導具なのだから渡しても問題はない。ないのだが……仮にも教会の備品、それを勝手に渡してしまうなど……
司祭が額に手を当て、深いため息をつく。
「いいではありませんか」
使者の一人、昨日魔導具を運んでいた中年の男性が、にこやかに笑った。
「これほど村人に慕われている領主も珍しい。エルデガルド男爵がそこまで望むなら、差し上げても罰は当たりますまい」
「そ、そうか……そうだな」
司祭様がほっとした表情を浮かべる。
「ふむ。では、特別に許可しよう。持っていくがよい」
「ありがとうございます!」
使者が馬車から魔導具を取り出し、父に手渡した。
「大切になさってください」
「はい! 必ず、村の宝として大切にします」
両手で杖を受け取った父の口元には、引きつったような苦笑いが浮かんでいた。使い道のない魔導具を押し付けられた形になったのだから当然だ。けれど、村人たちの弾けるような笑顔に当てられて、次第にそれは柔らかなものへと変わっていった。
* * *
その夜。
私は寝室のベッドに横になっていたが、眠れなかった。
天井を見上げながら、目を閉じる。まぶたの裏に、儀式の光景が何度もよみがえる。カタリナの放った眩い白光。セレナの水魔術が大地を柔らかく包んでいく、あの流れるような動き。黒紫色の靄が少しずつ薄れ、茶色い土が顔をのぞかせた瞬間のこと。
「私にも……できるかな」
体を起こして、右手を前に伸ばす。
カタリナの魔力の色を思い描く。眩いほどの、純粋な光。それを自分の魔力に重ねると……手のひらの上に、小さな光の球がぽうっと灯った。
窓の外、月が雲に半分隠れている。広大な汚染地域は、あの暗がりの向こうにある。
「やってみよう」
音を立てないように外にでると、夜風が頬をなでる。月明かりを頼りに足を進め、儀式が行われた場所から少し離れた一角にしゃがみこむ。
手を伸ばし、恐る恐る大地に手を触れた。
「っ!」
ゾワリ、と背筋が寒くなる。悪意のある何かに指先を掴まれたような——そんな感覚に、反射的に手が離れた。
光属性の魔力を手のひらに集め、大地に流し込む。が、汚染された魔力は岩盤のように土に張り付いていて、びくともしない。
「……そっか。セレナさんは最初に、汚染を浮かせてたんだ」
水属性の魔力を紡ぎ、土の中へと送り込む。荒れ地に細い川を通すように——優しく、焦らず。じわじわと浸透していった水流に引かれて、張り付いていた汚染魔力がほんの少しだけ浮き上がった。
――これならっ。
しかし、属性を変えた瞬間、汚染魔力はするりと元の位置に戻ってしまう。
――すぐ戻っちゃう……
「……あっ、同時にやればいいんだ」
右手に光、左手に水。魔力の色が二色、手のひらの上で揺れる。
――うん、できる。
でも、問題はここからだった。片方の魔力を動かそうとすると逆の魔力も同じ動きをしてしまう。形を維持しようとすると動きが固まる。
――ちょ、ちょっと、光は止まってぇ~……
意識が分散して、制御が乱れる。
――集中よ、集中……集中っ。
水流で汚染を浮かし、浮いた瞬間を狙って光を放つ……が、それに触れた瞬間弾かれてしまう。
「あれ……?」
もう一度試してみるが、結果は同じ。
儀式でのカタリナの魔力は魔導具の魔石によって強化され……
「つまり、すごく強い光が必要?」
水の流れはそのままに、右手により多くの魔力を集め……放つっ!!
黒紫色の魔力が眩い光に包まれる……が、その色が変わることはなかった……
――それならっ。
魔力の形を変えてみる。刃のように切り裂く……ダメ。槍のように貫く……ダメッ。ハンマーのように叩きつける——ダメッ! もはや当たり散らしているだけでは、と自分でも思い始めた頃には、すっかり息が上がっていた。
「はぁぁ……」
近くにあった平らな岩の上にどさりと腰を下ろし、顔を両手で覆う。
「カタリナさんの魔力、すごく力強かったのに……それでも、魔導具の補助が必要だったんだよね」
目の前に広がる大地は、五百年前から変わらずそこにある。凄腕の聖職者が、精巧な魔導具を使って初めて少しだけ削れるほどの呪縛。
立ち上がりついてしまった土を払い落とす。
――うんっ、やれることはやってみた、……今日は出来なかったけど、いつかきっと……できるよね?
部屋に戻ろうときびすを返した、その時。
「待って……」
足が止まった。
――光で浄化できない魔力が、どうして……どうして、大地から引き離せたの?
おかしい。本当に強固なものなら、水でも動かないはずだ。
――光を当てたら、弾かれた。でも水を流したら……動いた。同じ汚染なのに……
頭の中で、儀式の映像が巻き戻っていく。セレナの紡いだ水流の動き。渦を巻かせるのではなく、包むように。
――排除しようとしたら、弾かれた。でも包み込んだら、動いた。まるで、こちらの意図を読んでいるみたいに……いや、そんなはずはない。ただの魔力汚染だ。でも、もしそうなら……
「……もう一度だけ」
しゃがみこんで、左手を大地に当てる。今度は光属性で。でも押しつけるんじゃなく、大切なものを両手でそっと持ち上げるように、汚染された魔力をゆっくりと包み込む。
――弾かれない……
絡まった糸を、切らずにほどくように。急かさず、力まず。じわじわと、光を染み込ませていく。
黒紫の色が、光の触れた端からじわりと薄れていく。透明に。綺麗に。
「……あっ?」
手のひらの下の土が、茶色く変わっていた。
手を離して、その土をじっと見つめる。月明かりが雲の切れ間から差し込んで、その小さな一角を静かに照らしている。黒紫色の靄はない。澄んだ、透明な魔力だけが漂っていた。
「私にも……できるんだ」
胸が、じわりと熱くなった。
「……でも」
浄化できたのは、手のひら一枚分にも満たない土だ。ノックス領の汚染地域の広さを思えば、これは砂漠に一粒の水を垂らしたようなものに過ぎない。毎日続けたとして、農地として使えるくらいの広さになるまで、いったい何年かかるのだろう。
「ぷっ」
思わず吹き出してしまった。
地味すぎる。あまりにも地味すぎて、逆に笑えてくる。
「……それでも、できるんだから」
もう一度、浄化された土を見下ろす。月明かりの下で、その小さな茶色は、ただそこにあった。
「やっていこう」
そう決めて、部屋に戻った。




