第七話 浄化の儀式
翌朝。
空は快晴だった。雲一つない青空が、ノックス領の大地を照らしている。
「行きましょう」
父の号令で、一行は汚染地域へと向かっていく。私と母も少し後ろをついていく。
村から出て森の近くを二十分ほど歩くと、景色が変わり始めた。それまで貧弱ながらも緑が生えていた大地が、徐々に色を失っていく。
そして……境界線を越えると、そこは完全に別世界だった。
大地は紫がかった灰色に変色し、汚染された魔力が、黒紫色の靄となって大地から立ち上っているのが見えていた。
無意識に繋いでいた手を、ぎゅっと握りしめていた。
「ユミナ、怖い?」
ギュッと力が入った私の手を、母はなだめるように柔らかく包み込んでくれた。
「いえ、大丈夫です」
私は首を横に振った。
怖いというより、圧倒されていた。
五百年前の戦いの痕跡が、今もこうして残っている事実に。
境界線から少し離れた安全な場所に、村人たちが集り、みんな期待と不安の入り混じった表情で、儀式の場所を見つめている。
「本当に浄化できるのかしら……」
「でも、教会の人たちがやってくれるんだから……」
「少しでも良くなれば……」
そんな声が、あちこちから聞こえてくる。
儀式の場所。汚染された土地とされていない土地の境界付近まで、カタリナとセレナが歩いていく。修道服が風に揺れ、裾が地面を撫でるように動く。
その後ろには、使者たちが大きな箱を抱えて続く。父も同行し、護衛として数人の兵士が警戒しながらついていく。
そして、汚染された土地の側では村の警備隊が、剣を構えて警戒していた。汚染地域から魔物が襲ってこないか、常に目を光らせている。その中にガストンの姿も見えた。いつもの厳しい表情で、周囲を見渡している。
一方、司祭は、
「ふう……」
安全な場所に用意された、立派な椅子に座っていた。
日傘まで用意されている。
――あの人は一体何をしに来たんだろう……
その行動も儀式の一環だと言わんとする堂々とした態度に、呆れを通り越して感心してしまい半笑いを浮かべてしまう。その笑いが自然と消えたのは、カタリナが境界線の前で足を止めた時だった。
「ここでいいわ」
使者の一人が、抱えていた箱を開ける。
中から取り出されたのは、長い杖状の魔導具だった。
全長は大人の背丈ほど。白銀の金属でできていて、先端には透明な宝石が埋め込まれている。その宝石が、太陽の光を受けて眩く輝いた。
「わあ……」
村人たちから、感嘆の声が上がる。
使者がその魔導具を、カタリナに手渡した。
「あの魔導具で、光の魔術を強化して浄化を行うのよ」
母が、私に小声で教えてくれた。
「お母様も、経験があるのですか?」
「ええ」
私が聞くと、母は少し懐かしそうに頷いた。
「私が教会にいた頃、何度か浄化の儀式を手伝ったことがあるわ」
「そうなんですね」
「でも……」
母が魔導具を見つめる。
「私がいた頃とは、少し形状が違うみたい。技術が進歩しているのかもしれないわね」
母の声には、少しだけ寂しさが混じっていた気がした。
カタリナが魔導具を両手で握り、汚染された大地に突き立てた。
ザクッ。
重い音が響く。
魔導具の先端が、灰色の土に深く刺さった。
そして、カタリナが目を閉じ、両手を魔導具に添えて詠唱を始めた。
「天上の輝き」
その声は、凛としていて、力強かった。魔力が漂い金色の髪が揺れる。
「昏き深淵の残滓を剥ぎ取れ」
呼応するように、魔導具に嵌め込まれた宝石が内側から淡く光り始める。
「大地を清め、理の欠片を呼び戻さん」
光は密度を増し、宝石の表面から零れ落ちる光の粒子は、まるで意思を持つように魔導具の周りを漂う。
「《セイクリッド・グロウ》!」
最後の言葉と共に、魔導具から衝撃波にも似た輝きがドーム状に広がった。
カタリナの詠唱に合わせるように、セレナがそっと手を添えた。
光の周りに、静かな青が滲み始める。
セレナの指先から紡がれた魔力が青い水流へと形を変え、魔導具を螺旋状に包み込んだ瞬間、宝石の光が変化した。
ただ白く輝いていたそれが、水を透過するように揺らいで、まるで水底から差し込む陽光のような、柔らかい輝きになった。
青い水流は、激しく渦巻くわけではなく、静かに魔導具を包んでいる。
水流がまるで長い眠りから起こすように、汚染された魔力をそっと剥がし取っていく。同時に魔導具が大地から何かを吸い上げ始めた。
汚染された魔力が、黒紫色の靄となって土から引き剥がされていく。
それが魔導具の宝石に集まり、光の中へ吸い込まれていく。そこに水の流れが絡みつき、靄はゆっくりと薄れ、やがて透明になった。まるで濁った水が、時間をかけて澄んでいくように。
「すごい……」
私は息を呑んだ。
光が汚染を引き剥がし、水がそれを優しく包んで運んでいく。
――なるほど。
魔力汚染の浄化、それは単純に光で焼き払うのではない。
汚染された魔力を『取り出し』、『ろ過し』、『戻す』という、繊細な作業だった。光属性で浄化し、水属性で循環させる。二つの属性が協力することで、初めて成り立つ魔術なのだ。
そう理解した瞬間も、目が離せなかった。
時間が経つにつれて、変化が現れ始めた。
魔導具の周りの土の色が変わっていく。少しずつ茶色に。
「おお……!」
村人たちから、驚きの声が上がる。
父も、目を見開いている。拳を強く握りしめ、唇を噛んでいた。
「はぁっ……はぁっ……」
カタリナの呼吸が、荒くなっていた。
額に、大粒の汗が浮かんでいる。一滴、また一滴と頬を伝って落ちる。それでも、彼女は歯を食いしばり魔術を行使し続けている。
セレナも同じく、苦しそうだった。肩で息をし、額の汗を腕で拭う。
――魔力を……使い果たしそうになってる
二人の魔力が、徐々に細くなっていくのが見える。
「これで……終わりよ」
カタリナが、力なく呟いた。
魔導具の光が消えると同時に、カタリナは膝から崩れ落ちそうになったが、セレナが支えた。
「お疲れ様、カタリナ」
「……ええ。あなたも、良い補助だったわ」
カタリナが珍しく褒め言葉を口にして、浄化された土地を見つめる。
浄化された範囲は、六畳くらいの広さだった。
ノックス領の汚染地域全体から見れば、ほんの一部にすぎない。
小さい。
それでも……
「浄化された!」
「本当に!」
「土の色が戻ってる!」
村人たちから、歓声が上がった。
父が浄化された土地に近づき、しゃがみ込んで手で土を掬い上げる。指の間から、茶色い土がさらさらと落ちる。その流れ落ちる土を、父はじっと見つめていた。
「……本物だ」
声が震えていた。
「確かに、浄化されている」
目尻に、光るものが見えた。




