第六十八話 成長
家の中に入ると、横になっていたルナがこちらへ近寄ってきた。
「ただいま、ルナ」
声をかけると、ルナはふさふさの尻尾を小さく揺らして応えた。
「あら」
その様子を見て、フェリシアが目を細めた。
「見かけないと思っていたら……お留守番していたのね」
しゃがみ込み、そっとルナに触れるフェリシア。
「えぇ。沢山の騎士の人が来るかもしれないと思ったから、今日は家で待っていてもらったの」
「そうだったのね」
フェリシアに撫でられるルナは、ひっくり返ってお腹を見せていた。
――フェリシアのこと、忘れてるかもしれないと思ったけど、そんなことなさそう。
「ヴィクトール殿、家のベッドは空けておきますので、ご自由にお使いください」
「助かります」
父はそう言い残すと、一礼してから宿へと戻っていった。
「フェリシア様、私たちは部屋の外に控えておりますので」
シエルがそう告げ、部屋の前に立つ。
その隣で、ヴィクトールが家の中を一通り見回していた。窓の位置、扉の造り、廊下への動線、一つひとつを確かめるようなその視線が、ふと扉のところで止まった。
何を考えているのか、表情からは読み取れない。
ヴィクトールがシエルの肩を軽くたたくと、シエルは意図を汲み取ったかのように、ヴィクトールと共に居間の方へ足を向けた。
部屋の扉に手をかけた瞬間、ふと思った。
――あっ、そういえば、私の部屋……。
今日は朝起きてから部屋には戻っていない。
フェリシアが部屋を見たいという可能性は、実のところ想定していたので前日に掃除もしていた。泊まることまでは、さすがに思っていなかったけれど。
――大丈夫。本もしまってあるし。……って、普段もそんなに散らかってないからっ。
心の中で言い訳のように呟きながら、扉のノブを握る手に力を込めた。
ガチャ。
それなりに片づけられた、いつも通りの自分の部屋だった。机の上に父渾身の花瓶が、やけに存在感を放って鎮座していたこと以外は……。
入り口で立ち尽くし、思わずその花瓶を見つめる私とフェリシア。二人してしばし無言になっていると、ルナだけは気にする様子もなく、するりと部屋の中へと入っていった。
「お父様、フェリシアに褒めてもらえたことが、すごく嬉しかったみたい……ね」
「ふふ、そうみたいですね」
顔を見合わせ、ふっと肩の力を抜くように笑い合った。
ルナも花瓶が気が付いたのか、ぴょんと机の上に飛び乗り、興味深そうに顔を近づけていた。
こんもりと盛られた緑の塊に、何かを思い出したような顔をこちらに向けた。
『これはサラダか?』
――そんなわけないでしょ!
思わず心の中で全力の突っ込みを入れた。
「……ここが、ユミナのお部屋なのですね」
フェリシアは両手をきゅっと合わせ、感激した様子で部屋の中を見回していた。その瞳は、まるで宝物庫にでも足を踏み入れたかのように輝いていた。
「あはは……何もないでしょ?」
気恥ずかしさに、つい毛先をくるくると指に巻きつけてしまう。
部屋にあるのは、質素な机とベッド、そこまで本の入っていない本棚、そして衣服をしまった木箱がひとつ。王女の部屋とは比べ物にならないほど、何の変哲もない光景のはずだった。
「ふふ、そう謙遜しないでください」
フェリシアは、興味深そうに本棚や木箱へと視線を巡らせ、やがてベッドの前で足を止めた。
「……これなら二人で寝ることができそうですね」
フェリシアの顔がふわりと綻んだ。
「結構ぎりぎりだけど、なんとか……」
自分のベッドとフェリシアの姿を交互に見比べると、少し不安になった。
「座ってもいいですか?」
「えぇ、もちろん」
フェリシアはそっとベッドに腰を下ろした。ふかふかとまではいかないけれど、そこそこの弾力に、少し驚いたような表情を見せた。
私もその隣に座ると、当然のようにルナも机から飛び降り、するりと二人の間に割り込んできた。
「あら、ルナも一緒なのね」
フェリシアが嬉しそうに笑いながら、ルナの背中をそっと撫でる。ルナは満更でもなさそうに、されるがままになっていた。
ルナを撫で終えたフェリシアが、ふぅ~っと大きく息を吐き出した。疲れているというよりも、どこか満ち足りたような、力の抜けた吐息だった。
「大丈夫? 疲れちゃった?」
「いえ、大丈夫です。……なんだか、安心しちゃって」
「安心?」
小首を傾げると、フェリシアは少し照れくさそうに笑った。
「実は、久しぶりだったので……、少し心配していたのです。ユミナも、村のみんなも、すっかり変わってしまっているのではないかって……」
そう言うと、私の顔を確かめるようにゆっくりと見た。
「でも、こうして来てみたら、あの時と変わらなくて。……ふふ、なんだかほっとしてしまいました」
にこやかにそう告げるフェリシアの言葉に、私はぱぁっと顔を輝かせかけて……すぐに、動きを止めた。
――んっ? 変わってない……?
嬉しいはずのその一言が、じわじわと別の意味を帯びて胸に刺さってくる。
――それはつまり、成長、してない……ってこと……?
内心で密かに動揺しながらも、表面上は笑顔を保つことに全力を注いだ。
「そ、そう? ふふ、変わってないなら良かった……のかな?」
語尾がわずかに揺れてしまったのは、きっと気のせいということにしておきたかった。
「あ……、そういう意味ではなくてっ」
私の微妙な顔に気づいたのか、フェリシアが慌てて手を振る。
「その、内面が、という意味で……。背は、伸びました……よね?」
自信なさげなそのフォローに、余計に肩を落とすことになった。
『安心しろ、魔力は確かに増えている』
――それ、別に嬉しくないから!
ジト目でルナを睨むと、素知らぬ顔で尻尾を振り返された。
ほんの少し気まずくなった空気を吹き飛ばすように、フェリシアがぱっと表情を明るくした。
「あ、そうだ。ユミナに見せたいものがあるんです」
声を少し落として言うと、いたずらっぽい笑みを浮かべる。何だろうと顔を上げると、フェリシアは小さく息を整え、手のひらの上にふわりと光の球を創ってみせた。
「あっ……」
思わず声が漏れた。以前、私が教えた時よりも輪郭がずっとなめらかでくっきりとしている。綺麗な球体だった。
「見ていてくださいね」
得意げに言うと、フェリシアは光の球をゆっくりと変形させていく。完璧な形とまではいかないけれど、たしかに三角、そして四角へと姿を変えていった。
――すごい……!
フェリシアに教えたのは、たしかに私自身。けれど、きちんと伝えられていた自信はなかった。実際にやっていたのは、ただ体験してもらうことが中心だった。それにもかかわらず、フェリシアはそれをきちんと再現できていた。
驚く私を見て、嬉しそうにはにかんだあと、今度はきゅっと表情を引き締めた。
「次はこれです」
そう言って、光の塊を消した後、フェリシアはじっと手のひらを見つめた。
すると、手のひらの上に淡い白銀の球が現れた。
球というにはあまりに小さく、蛍の光ほどのささやかな明滅にすぎないけれど、私の目にはそこに込められた魔力の流れが……丁寧に、慎重に紡がれた操作の跡が、はっきりと視えていた。
「どうですか? あれからもこっそり練習して、なんとかここまでできるようになったんですけど」
問いかける声に、隠しきれない誇らしさが滲んでいる。それでいて、どこか不安げに私の反応を窺うような視線だった。
「うんうん、ばっちり!」
自然と声が大きくなってしまい、慌てて口を抑えた。
ルナも白銀の光に見とれていた。かと思うと、迷いなく前足を伸ばした。
「あっ」
フェリシアが声を上げると同時に、ルナの前足が光に触れ……ふっ、と消えてしまった。
「もう、ルナったら」
困ったように眉を下げながらルナの頭を撫でるフェリシア。
「まだ、集中していないと維持できないですけど……」
「そ、そんなことないですよっ。後は繰り返して、慣れていけば大丈夫、です」
答える声が、自分でも分かるほど上ずっていた。
――今、食べたわね。
光が消えたのは、フェリシアの集中が切れたからではない。ルナが食べてしまったのだ。
ルナは白銀の魔力を食べる、といっても口を使うわけではなく、体から直接取り込む。そして、魔力は毎日必要なわけでもなく、一月に一度あれば十分すぎるほどだとルナ本人から聞いていた。
ルナはフェリシアの膝の上で満足そうに毛づくろいを始めていた。
――もしかして……、忘れちゃった記憶と似ていたから、欲しくなった……とか?
フェリシアが聖女様の生まれ変わりだと気づいた私は、王都から帰って来てルナに確認したことがあった。ただ、その時のルナの答えは『分からない』だったのだけど……。
――いつもより、とろ~んってしてるように見える。そんな気がする……。
「ユミナはどれぐらい続けているのですか?」
「……えっ、えっと……小さいころからずっと……かな」
反応が一テンポ遅れた。
「小さいころから……!」
フェリシアが目を丸くした。口元だけがわずかに開いたまま、動きを止めていた。
想像以上の反応に、内心ぎくりとした。けれど、表情には出さないよう努める。
「ほら、私が言うのもなんだけど、村ってなにもないでしょ。本も少なかったからよく魔力で遊んでいたの」
できるだけ何でもないことのように、軽い調子で言ってのけた。
実際、嘘を言っているわけではなかった。フェリシアの言う「小さいころ」と、私の言う「小さいころ」が、たぶん、かなりずれていること以外は……。
「なるほど……、私も地道に追いかけないと……」
両手をぎゅっと握りしめるフェリシア。私は笑顔の形だけを、なんとか保っていた。
ふと、フェリシアが何かを思い出したように顔を上げた。
「そういえば、ユミナはヴィクトールとガストン様の戦いはどうでした?」
こちらを真っ直ぐ見つめながら聞いてきた。
「え?」
顎に指をあてた私は、記憶を辿るように視線を彷徨わせた。
「えっと……二人とも見たことない動きで……」
そう答えながら視線を戻すと、フェリシアがこちらをじっと見ていた。それはもう、とても楽しそうに。
――あれ? これ、もしかして……。
背筋にひやりとしたものが走る。部屋の空気が、心なしか一段階重くなった気がした。
「あっ、私、小さいころからガストンさんに剣を教わっていたから」
慌てて付け加える。うそ偽りなく伝えているはずなのに、なぜだろう……まるで言い訳でもしているかのような口調になってしまった。
「確かに、助けてもらった時のユミナも凄かったですね」
「そ、そんなことない、ですよ。私はガストンさんたちと違って基本的な動きしかできないので……」
思わず早口になってしまう。
「それでも、ちゃんと見えていたんですよね?」
「うん、それは、まぁ……」
コトン、と風で窓が鳴った。いつもは気にならないはずなのに、今はその音がとても大きく聞こえた。
「ふふ、私は全く見えませんでした」
「…………」
にこにこと笑うフェリシアの顔を、私はただ見つめ返すことしかできなかった。




