第六十五話 師匠VS弟子
ガストンは静かに息を吐くと、右半身を大きく引き、大剣の身を自らの頭上を覆う屋根のように斜めに傾けて構えた。
対するヴィクトールは、大剣を低く沈めるようにして構えた。切っ先を地面すれすれまで下げている。
――対照的……。
春の陽射しが、訓練場に穏やかに降り注ぎ、柔らかな風が頬を撫で、遠くでは小鳥のさえずりさえ聞こえる。
けれど、構え合う二人を中心にした空間だけは、まるで別世界のように張り詰めていた。
風が、ふと止んだ。木々のざわめきも、鳥の声さえも、耳に届かなくなる。
先に動いたのはガストンだった。
「ッ……!!」
上段に構えた大剣が、まるで稲妻のように振り下ろされる。
ヴィクトールはそれを、下段からすくい上げるようにして迎え撃つ。
ガキィィィィンッッ!!!
重く鈍い音が空気を震わせ、衝撃波にも似た風圧が周囲に吹き荒れる。
「うわっ!?」
近くにいたロベルトが、思わず腕で顔を庇った。訓練場に打ち込まれていた訓練用の木の棒が、その衝撃だけで数本宙を舞った。
弾かれたかに見えたガストンの体が、地を蹴った瞬間には、もう次の間合いに入っていた。
体勢を崩すどころか、その反動すら利用し、大剣を逆手に持ち替え次の攻撃を繰り出す。
キンッ、と軽く硬質な音が弾ける。ヴィクトールが受けたそばから、次がすでに迫っていた。
下からすくい上げるような一撃、返す刀での横薙ぎ、そして踏み込みながらの突き……まるで一つの流れるような舞のように、剣が途切れることなく繋がっていく。
ガストンの連撃を、ヴィクトールは最小限の動きで捌き続けていた。けれど、ただ防いでいるだけではなかった。
攻撃を弾いた刃が、そのままガストンの脇を掠めるように滑り込む。
ガストンは咄嗟に体をひねってそれを躱した。
「……っ、嘘だろ!」
思わずといった様子で、ヘクターが声を漏らした。
打ち合いが激しさを増すたび、地面が抉れ、砂埃が舞い上がる。大剣がぶつかるたびに生まれる衝撃波が、周囲の草を大きく波打たせた。
ヴィクトールの一撃が、ガストンの剣を弾き飛ばさんばかりの勢いで叩き込まれる。剣と剣がぶつかり合い、火花が散る。
受け止めたガストンの足元が、めり込むように地面に沈む。
ガストンは沈み込んだ体勢から一気に踏ん張り、渾身の力でヴィクトールの剣を弾き返した。
ゴンッ!
重い金属音とともに火花が散り、双方の体が同時に後方へと跳ねる。
大剣を構え直したまま、二人の間に数メートルの間合いが生まれた。
その一瞬が、やけに長く感じた。
打ち合いで舞い上がった砂埃が、ゆっくりと風に流されていく。
――息一つ、乱れていない。
あれほどの打ち合いを経てなお、二人の呼吸は静かなままだった。額に浮かんだ汗だけが、今の攻防が決して生易しいものではなかったことを物語っていた。
「お、おい、ロベルト。あの人は何者なんだ?」
肘でつつきながら尋ねるヘクターに、ロベルトは反応すら返さない。
「うおおおっ、今の受け方!」
「……聞いちゃいねぇ」
ヘクターがため息をつきながら、隣のケビンへと視線を移す。ケビンも小さく肩をすくめるだけだった。
「あの方は、かつて騎士団の討伐隊で腕を振るっていたお方だ」
シエルがガストンを見据えたまま、少し声のトーンを落として言った。
「それって、団長と同じ」
「……そうだ」
そう答えたシエルの表情が、ふと陰った。
「あの、討伐隊っていうのは……」
私が尋ねると、シエルは表情を切り替えるようにして答えてくれた。
「簡単に言うと、魔物を討伐する部隊です」
「エルデガルド嬢はご存じないかもしれませんが、国境付近では頻繁に出没しますので」
ケビンが横から補足するように付け加えてくれた。
「そうなんですね……」
隣に立つフェリシアを見ると、こくりと頷いていた。
ノックス領でも魔物が現れることはある。けれど、それは決して頻繁と呼べるものではなく、ガストン一人でも十分に対処できる程度のものだった。
――ガストンさん、魔物退治の専門家だったのね。
「元討伐隊とはいえ、まさか団長と互角だとは……」
ケビンが驚きを隠せずに声を漏らした。
「……いや」
シエルが、ぽつりと呟く。
「ヴィクトールは、まだ魔力を使っていない」
その一言には、悔しさが滲んでいた。
ヴィクトールを視ると、赤い色の魔力が体の周りを漂っているだけだった。
――魔力を使えば、力を増大させられる。でも、ガストンさんは無属性だから……
改めて、騎士団長の地位にいる人の凄さが分かった気がした。
「ふぅ……」
ガストンが息を吐いた瞬間、張り詰めていた構えが崩れる。大剣の重みに引かれるように、切っ先がだらりと地面へ向いた。
その様子に、ヴィクトールもすっと構えを解いた。
「師匠?」
「その地位にいても、鍛錬は続けているようだな」
「その言葉、そのままお返ししますよ」
二人の短いやり取りの中に、互いへの敬意が滲んでいた。
言葉は少なくとも、その笑みだけで、二人が確かに認め合っていることが伝わってくる気がした。
「……王女殿下の御前だ。せめてお前に本気を出させないと、この地を守る者として示しがつかないな」
そう言って、ガストンは再び大剣を構えた。
両足を肩幅に開き、腰をわずかに落として重心を沈める。背筋は伸ばしたまま、脇を締めて両手で柄を握り、大剣の切っ先はヴィクトールの喉元へと真っ直ぐに向けられている。
私がガストンに剣を教わり始めた頃、最初に教えてもらった基本の構えだった。もっとも、剣の長さは全く違ったけれど。
その姿には、これまでとは比べ物にならない気迫が満ちていた。
ヴィクトールは、大剣を斜めに立てるようにして構えた。
辺りの空気が、一段と張り詰めていく。誰も、声を発することができなかった。唾を飲み込む音さえ、はばかられるほどだった。
一秒、また一秒。
永遠にも感じられるほどの静止の中、私は瞬きすらためらった。
ガストンの右足に一筋の魔力が視えた。
――え!?
ドンッ!!
踏み込んだ地面が、鈍い音とともに放射状にひび割れ、砕けた地面の破片が飛び散る。
ヴィクトールとの間合いが消えると同時に、振りかぶるガストンの姿が見えた。
「……っ!」
ヴィクトールの両腕、両足に赤い色の魔力が集まる。ガストンの一撃が振り下ろされるのと同時に、ヴィクトールが大剣を合わせた。
ドンッ、と鈍い衝撃が空気を叩き、見ていただけの私の骨の奥まで震わせる。一拍遅れて、ようやく甲高い金属音が耳に届いた。
二人の体が同時に弾かれるように後退する。
「なっ、んっ……」
ロベルトが声を失ったまま、目だけを大きく見開いていた。
「お、おい……、今……」
ヘクターの驚きの混じった声が聞こえた。
ガストンが構え直し、静かに息を吸った。
大剣が空を裂く軌跡が、光の尾を引くようにヴィクトールに迫る。
ヴィクトールはそれを受けなかった。斬撃の来る場所が、まるで最初から見えていたかのように、最小限に体をひねって躱す。
と同時に、返す刀での反撃。
ガストンがそれに剣を合わせたのは、反撃が振り抜かれるより一瞬早かった。
またしても、音が遅れて追いついてくる。
超高速で振るわれる二振りの大剣が、陽の光を受けて幾筋もの残像を残した。
それはまるで……。
「光の剣……」
ぶつかり合う轟音の中、シエルがぼそりと呟いた。けれど、私にははっきりと聞こえていた。
二人の剣筋を目で追うと同時に、私はガストンの魔力を視ていた。
無属性の魔力が、ガストンの動きに合わせて腕や足に集まる。
それは、ヴィクトールのように全体を覆うのではなく、内部に一瞬だけ集まる動き……私が筋力を補助する時に行う魔力の操作に似ていた。不完全ではあるものの、とても似ていた。
――……あ、あれ……? ガストンさん、もしかして……。
さっきまでは肌を優しく撫でていたはずの心地よい春風が、急に冷たく感じられた。
二人の立ち回りは基礎しか知らなかった私にとって、とても参考になった。なのだけど……頭の中には別の思考が居座っていた。
――そういえば、いつもガストンさんに見られていたような……。いやいや、流石にそれは考えすぎよね。昔、騎士団にいた頃からできた可能性だってあるわけだし……。
シエルの顔色をうかがうと、目を見開いたまま立ち尽くしていたので、私はそっと視線を戻した。
――ま、まぁ、仮に村に来てから、できるようになっていたとしても、それはガストンさんの努力の結果の可能性もあるわけで……。
頭の中で「技は見て盗むものだ」という言葉が顔を出そうとしていたが、丁重におかえりいただいた。
――でも、よく考えて私。そもそもガストンさんは、自分に魔力があるとは思っていない。つまり、私の魔力操作を真似しているわけじゃないはず……たぶん。
私が、あれやこれやと考えている間も、二人の戦いは続いていた。
* * *
「はぁ……。今、何者かがフェリシア様を狙ってきたらどうするのですか、団長」
訓練場に座り込むヴィクトールに向かってシエルが詰め寄った。
「は、ははっ、優秀な副隊長がいるのだから……、大丈夫、だろう」
荒い息の合間に笑い声を漏らしながらヴィクトールが軽口を返すと、シエルは額に手を当ててため息をついた。
ヴィクトールの隣では同じようにガストンが腰を下ろし、珍しく肩で息をしていた。
二人の戦いはひとまず終わったのだけれど、訓練場は囲いの柵がほとんど吹き飛ばされ、地面は荒れ果てていた。
「違う違う! そこは、こうだっただろっ」
「いや、団長は外側に躱していたぞ」
ロベルトたちは、周りで見ていた騎士や村人たちと何やら熱い会話を繰り広げていた。
「ふふ、これだけ強い方がおられるのなら村も安心ですね。ヴィクトール」
フェリシアに声をかけられたヴィクトールの顔が、一瞬ぴたりと固まった。
「んっ……。あっ、えぇ、その通りですね!」
ぱっと表情が明るくなり、笑顔で頷いた。
――ヴィクトールさん……、絶対忘れてたわね。
「でも、ガストン様は魔力が無いとお聞きしていたのですが、凄いですね」
フェリシアが、何気ない調子でそうこぼした。
ドクン。
心臓が、小さく跳ねた。
ただの素朴な感想。それはわかっていた。
私は鼓動が早くなるのを感じながら、必死で表情を取り繕っていると、ヴィクトールとシエルが、ほとんど同時にガストンへと視線を向けた。待ってました、と言わんばかりの目だった。
「……ええ、フェリシア様の仰る通りです」
ヴィクトールが口の端をわずかに上げた。その表情には、これまでの真剣な打ち合いの空気とは違う、何かを楽しんでいるようだった。
「あの動きは明らかに魔力を……、いや。魔力があったとしても……」
「私もそう思いますっ」
ヴィクトールの言葉が終わるより早く、シエルが喰らいつくように割って入った。普段の冷静さはそのままに、けれど声には隠しきれない好奇心が滲んでいた。
三人の視線が、まっすぐガストンに注がれる。一方、私はガストンの方を向きつつも視線を合わせないように遠くを見ていた。
心の中で祈りながら……。
「ふむ……」
ガストンは、少し困ったように眉を寄せた。初めて見た表情だった。
「何となく……、だな」
ヴィクトールが小さく噴き出した。シエルもあっけにとられた表情だった。
「俺も上手く言葉で説明できん。ただ……」
ガストンは、ゆっくりと顔を上げる。その目は誰を見るでも、どこか遠くを見ているようだった。
「毎日剣を振っていたら、いつの間にか動けるようになっていた。それだけだ」
一瞬、本当に一瞬、ガストンがこちらを見た気がした……。いや、やっぱり気がしただけだった。私が気にしすぎているからそう感じただけ。間違いなく気のせいだった。
「まったく……、やっと並べたと思っていたのに、まだ先は遠そうです」
ため息交じりの言葉とは裏腹に、ヴィクトールの顔には隠しきれない笑みが浮かんでいた。
「私なんて、まだ背中すら見えません」
シエルの声にも落ち込んだ様子はまるでなかった。むしろ、どこか弾んでいるようにさえ聞こえた。
「二人とも随分と嬉しそうですね」
フェリシアが小さな声で、どこか楽しそうに私に向かって言った。
にこやかな笑顔の奥に、意地の悪い色がちらついた。まるで何か言いたいことをこらえているかのように。
「そ、そうですね」
私は、日が沈みかけている空を眺めながら、フェリシアが滞在する間は朝の訓練が中止になっていたことを思い出し、ひそかに安堵していた。




