第六十四話 弟子VS弟子
「殿下、折り入ってお願いがございます」
ヴィクトールが右手を胸に、左足を引いて深く頭を垂れた。
その一連の動きに、私は思わず目を見張った。先ほどまでの豪快な様子からは想像もつかないほど、無駄のない、洗練された一礼だった。
フェリシアも少し驚いたように目を丸くしながら、視線を向けた。
「あら、改まって……何かしら?」
「此度、ノックス領は殿下の直轄領となりました。であれば、その警備の要となる者の力量を、この目で確かめておくのも団長としての務めかと」
淀みなく紡がれた言葉には、一切の隙がなかった。けれど、私はその視線がちらりとガストンへと向いたのを、見逃さなかった。
――絶対、それだけが理由じゃないですよね……?
「僭越ながら、この村の警備を預かるガストン殿と、一手交えさせていただきたく」
「は?」「え!?」
同時に声を上げたのは、ロベルトとシエルだった。二人とも目を見開いてヴィクトールとガストンを交互に見比べている。
そんな二人をよそに、フェリシアは口元に手を当てて小さく喉を鳴らした。
「まぁ……、もちろん構いませんけど、随分と立派な理由ね」
その一言に、ヴィクトールの表情がほんの一瞬だけ固まった。けれどすぐに何事もなかったかのように、にやりと笑みを浮かべた。
「もちろん、それだけではございませんが」
素直に頷いたヴィクトールに、フェリシアの口元が緩み、くすくすと笑いが漏れた。
「団長! ……いえ、隊長」
シエルがヴィクトールに詰め寄る。普段の冷静さはどこへやら、その声はわずかに上ずっていた。
「なんだ?」
「その……、なんでもありません」
シエルは何かを言いかけて、口をつぐんだ。
「っと、いうわけで、よろしいですか? ガストン殿」
当のガストンは少し目を閉じた後、小さく息を吐いた。
「……仕方ないやつだな」
「おぉ……!」
ヴィクトールが、喜びを抑えきれないといった様子で口の端を上げた。
――ヴィクトールさん……、なんだかロベルトに似ているような。
王国騎士団団長とノックス騎士団団長、その違いは天と地ほどもあるはずなのに、その表情に二人を重ねてしまった。
それを見ていたケビンとヘクターは、状況が呑み込めずに顔を見合わせていた。
「……なぁ、隊長、嬉しそうなんだが……村の警備隊長だよな? 確かに実力はありそうだけど……」
「あぁ……」
そんな二人の戸惑いをよそに、ヴィクトールは待ちきれないとばかりに、背中の大剣へと手をかけようとした。
「ただし、条件がある」
不敵な声で、ガストンがそう言葉を挟んだ。
ヴィクトールの手がぴたりと止まる。みんなの視線がガストンへと向かった。
ガストンがにやりと笑った。
――ガストンさんが、あんな顔するの、初めて見た……。
それは、まるで大の大人が子供との遊びを心から楽しんでいるような、悪戯っぽい笑みだった。
「俺は村の警備を任されてはいるが、一人でやってるわけじゃない。ここにいるロベルトを含め、村の皆と協力してやっている。村の力を測ると言うなら、まずはこいつの実力を確かめてもらいたい」
その言葉に、ヴィクトールは呆気にとられた。けれど、それ以上に驚いていたのは、ガストンにぽんっと肩を叩かれたロベルトだった。
「へ? 俺……?」
ぽかんと口を開けて固まっていたロベルトへ、ガストンが淡々と続ける。
「なんだ、実力を試したいんじゃなかったのか?」
その一言で、固まっていたロベルトの顔つきがみるみる輝いていった。
「や、やるやる! よっしゃああぁぁ!!」
拳を握りしめ、飛び上がらんばかりに喜ぶロベルト。
「むぅ……」
想定外の展開に、ヴィクトールは腕を組み、納得しきれないといった顔で唸った。
「ガストン殿の言う通りですよ、隊長殿」
シエルの声はどこか楽しげで、先程の仕返しとでも言いたげな響きが混じっていた。
「ロベルト、木の剣を持ってこい」
「分かった!」
元気よく返事をすると、ロベルトは駆け足で物置小屋に向かった。
ヴィクトールは、そんなロベルトの背中を釈然としない顔で見ていた。
「そんな顔をするな、あいつは俺の弟子だ」
「師匠の……」
その一言に、ヴィクトールの目の色がわずかに変わった気がした。腕を組んでいた姿勢を解き、まっすぐにロベルトを見据えていた。
やがて、木製の大剣を二本抱えたロベルトが、息を弾ませながら戻ってきた。
ロベルトは一本を自分の手に残し、もう一本をガストンに手渡す。ガストンはそれを一瞥すると、そのままヴィクトールへと差し出した。
「なるほど……」
受け取ったヴィクトールが、剣を見て小さく目を見張った。
「中心に鉄の棒を仕込んである。使えなくなった農具の軸を使って、職人に作ってもらったものだ」
ヴィクトールは木剣を受け取ると、片手でひょいと持ち上げた。
ひゅっ。
まるで羽根のように、軽々と剣を振ってみせた。
――あれ、結構重かったんだけど……。
一度、私も持たせてもらったことがあるけれど、持ち上げるだけで精一杯で、とても振り回せるものではなかった。
「……見た目以上に、本物に近い」
ヴィクトールの呟きに、私は改めてその腕力に驚かされた。
ロベルトが木剣を両手でしっかりと握り、腰を落として構えた。何度も見てきたはずのその構えが、今日はいつもより様になって見えた。
その姿を見た瞬間、ヴィクトールの口元に小さな笑みが浮かんだ。
隣に立つシエルの表情が、わずかに強張った。
「……随分、変わったな」
ケビンが小さく呟くのが聞こえた。
「ああ。あの時とは、纏ってる空気が違う」
ヘクターも同意するように頷いた。
ヴィクトールは木剣を握り直し、ゆっくりと腰を落とした。大柄な体躯からは想像もつかないほど滑らかな動きで、重心が沈む。
私は思わず息を呑んだ。ヴィクトールが取った構えは、ロベルトのものと寸分違わなかった。いや、寸分どころか、足の角度、剣先の高さ、視線の置き方まで同じだった。
――全く同じ構え。だけど……。
ヴィクトールの姿が何倍も大きく見えた。体格の差は確かにあった。けれど、それだけでは説明できないほどの圧倒的な重圧。
まるで城壁そのものが眼前に立ちはだかっているかのように思え、いつの間にか拳を握り締めていた。
ロベルトの剣先が僅かに動いた。と、同時に大きく息を吸い込むと、地面を蹴った。
「うおおおっ!!」
気合とともに振り下ろされた一撃は、いつも見ているロベルトの動きよりも、明らかに鋭かった。
ヴィクトールは表情ひとつ変えず、その一撃を軽く受け流す。木剣同士がぶつかり合う、乾いた音が訓練場に響いた。
けれど、ロベルトはそこで止まらなかった。受け流された勢いのまま体を捻り、間髪入れずに二撃目を繰り出す。さらに三撃目、四撃目と、息をつく間もなく攻めたてていく。
「速いな……」
思わずといった様子で、ケビンが呟いた。
ロベルトの猛攻を、ヴィクトールは危なげなく受け続けている。それでも、足がわずかに動き、体勢を整え直していた。
やがて、防戦一方だったヴィクトールの木剣が動いた。
「いっ……」
ロベルトが慌てて剣を立てて防ぐ。けれど、受け止めきれず体ごと吹き飛ばされた。
「おいおい……」
ヘクターが、信じられないといった様子で目を見開いた。
「ロベルトさん凄いですね!」
フェリシアの声は、いつもの優雅な話し方からは想像もつかないほど弾んでいた。両手を握りしめたまま、目を輝かせている。
「あはは……、いつもガストンさんにしごかれてるから……」
そう答えながらも、私の目には、子猫が虎に挑んでいるようにしか見えていなかった。
ロベルトは崩れかけた体勢を素早く立て直し、再び木剣を構え直した。その目に諦めの色はなかった。
――何か狙ってる……?
そう思った次の瞬間、ロベルトが再び地面を蹴った。
最初の一撃とは角度を変えた攻撃だったけれど、当然のように受け流される。
少し変化をつけているように見えた二撃目、三撃目も同じ。
四撃目。ロベルトの動きにはわずかな間があった。剣を振りかぶる直前、ほんの一瞬だけ体の軸に力が溜まる。
それに気づいたのは、私だけではなかった。
「……っ」
隣に立つシエルが、微かに顔をしかめたのが見えた。
当然、ヴィクトールがその隙を見逃すはずもなかった。
ロベルトに木剣が迫る中、ロベルトの体がぐっと沈んだ。
――受け止めるつもり?
先程は受けきることが出来なかった一撃。けれど、ロベルトは吹き飛ばされなかった。
渾身の力で、その威力を真正面から受け止めるのではなく、自身の軸の回転へと変換してみせたのだ。体がコマのように回る。
「うおおっ!!」
回転の勢いを乗せた一撃が、鋭く振り抜かれる。
切っ先が、城壁のようなヴィクトールに届くかと思われた。その瞬間……ヴィクトールの木剣が、ほんの僅かにその軌道を変えた。
がきん、と乾いた音が響き、ロベルトの渾身の一撃が逸れた。
「くっ……」
体勢を崩したロベルトへ、ヴィクトールの木剣が容赦なく叩き込まれた。
「ぐへっ!」
短い声とともに、ロベルトの体が地面に転がる。
ロベルトは仰向けに倒れたまま、動こうとしなかった。
「くっそ~、ダメか~」
口ではそう言いながら、口元は緩んでいた。
その様子に、ヴィクトールが小さく笑いながら歩み寄る。地面に転がったままのロベルトの前に立つと、大きな手をすっと差し出した。
「面白い発想だが、ずいぶんと無茶をするな」
その一言に、ロベルトが一瞬きょとんとした顔をした。差し出された手を掴み、勢いよく立ち上がるロベルト。
「俺の力じゃどれだけ打ち込んでも無理だから……でもダメだっ。やっぱ、騎士団長ってつえ~んだな!」
打ちのめされたというのにロベルトの顔には悔しさのかけらもなかった。
「ロベルトさん、負けたのにすごく嬉しそうですね」
フェリシアが小首を傾げながら、こちらを見た。
「うん、そこは良いところだと思うけど……」
少し言葉を濁しながら、私は苦笑した。
「ただ、しつこいのよね……。とっても」
シエルたちが、示し合わせたように苦笑を浮かべたのが分かった。
「今はフェリシアの護衛が一番大切って分かってるから、そんなに無理は言わないはずだけど……」
そう言いながらふと視線を感じて辺りを見回すと、いつの間にか訓練場の周りに、少し人だかりができていた。
村人たちに交じって、騎士団の姿も見えた。
「副隊長、どうしましょう?」
ヘクターが人だかりを横目で気にしながら、小声でシエルに尋ねた。
シエルが深いため息をついた。
「…はぁ、ここで止めろと言って聞く人じゃないのは知っているだろ」
当のヴィクトールはなにやらロベルトと楽しそうに話していた。
そんな二人をよそに、ガストンが訓練場の端に立てかけてあった大剣へと歩み寄り、静かに手に取った。
肩に担ぐようにしてそれを持ち、ガストンはゆっくりとヴィクトールの元へと向かっていく。
その頃には、ヴィクトールとの話を終えたらしいロベルトが、二本の木剣を抱えたままこちらへと駆け戻ってきた。
「大丈夫ですか?」
フェリシアが心配そうに声をかけた。
「あぁっ、いつものことだから」
ロベルトはけろりとした顔で笑った。そして、ガストンたちの方へと視線を向け、どこか嬉しそうに続けた。
「それより、久しぶりにガストンさんが本気で戦うところが見れるかもしれない」
「普段は、違うのですか?」
フェリシアが不思議そうに首を傾げる。
「うん。俺じゃあまだまだ相手にもならないから……。シエルさんと戦った時しか、見たことがないんだ」
「あの時の先生は、まだ全力ではなかった」
そう口を挟んだのはシエルだった。どこか誇らしげな、それでいて楽しみを隠しきれないような声音だった。
ヴィクトールが背中に手を回した。かちり、と小さな音を立てて鞘の留め具が外れる。抜き放たれた大剣の刀身が、陽光を受けて鈍く光った。
構えるでもなく、ヴィクトールとガストンはただ大剣を手に、無言で向かい合っている。それだけで、周囲の空気が変わったように感じた。
「……フェリシア様、少しお下がりください」
シエルが静かに、けれどはっきりとした声で促す。促されるまま、私たちは少しずつ後ろへと下がった。
気のせいか、周りの人が増えているような気がした。




