第六十三話 挨拶
フェリシアは一人ひとり丁寧に言葉をかけながら足を進めていった。久しぶりの再会に喜ぶ人、深々と頭を下げる人、反応は様々だったけれど、誰に対しても笑顔で応じていた。
私はふと足を止め、少し先で控えていた二人に目を向けた。
「フェリシア、こちらが村の交易所と宿を切り盛りしてくれているギルバートさんとメリルさん」
「お初にお目にかかります、殿下。ギルバート・ラドクリフと申します」
ギルバートが折り目正しく一礼する。
「メリルです、どうぞよろしくお願いします」
対照的に、メリルが明るい笑顔でひょいと頭を下げただけだった。
「メリルっ、殿下に対してそのような……」
ギルバートが眉を下げ、小声でメリルの袖を軽く引いた。
「あら、その殿下がそうしてほしいと言っていたのよ」
メリルはあっけらかんとそう返すと、悪びれもせずにフェリシアへ笑いかけた。フェリシアは一瞬きょとんとした後、堪えきれないというように小さく噴き出した。
「えぇ、その通りです」
その言葉に、ギルバートが肩を落とす一方、メリルは満足そうに胸を張っていた。
「お二人のことは、村の発展に大きく貢献してくださったと伺っています。おかげで、村がずいぶん賑わうようになったとか」
「もったいないお言葉です。私はただ、この村の可能性を信じただけですので」
「もうっ、相変わらず固いんだから、あなたは」
メリルがぽんっとギルバートの背中を軽く叩き、その様子にフェリシアがくすりと笑った。
一通りの挨拶を終えて、フェリシアは両腕を青空に向かって伸ばす。指先まで伸ばしきったところで「はぁ~」と少し気の抜けた声を漏らした。
他では決して見せないであろうその姿を見て、思わず笑ってしまった。
「少し休憩する?」
「いいえ、村を見て回りたいのだけどお願いできるかしら」
まるで遠足に来た子供のような即答だった。
「もちろん」
足元をそわそわさせているフェリシアの隣に並んで、村の中へ足を進めた。私たちの少し後ろに控えていたシエルとヴィクトールも、当然のように付き従ってきた。
まず案内したのは、とても立派で自己主張の強い交易所だった。
「ここが、さっき紹介したギルバートさんの交易所よ。村の物を買い取ってくれるだけじゃなくて、必要な物をお願いすると、仕入れてきてくれるの」
「まぁ……こんなに立派な建物が」
王都の建物を見慣れているはずのフェリシアが、手を口に当てて建物を見上げていた。周りの景色が違うと見え方も違って見えるのか、その様子は少し新鮮だった。
続いて訪れたのは宿だった。
「ここが新しくできた宿よ。メリルさんが食堂と一緒に切り盛りしてくれているの。全員が泊まれるか心配だったけど、前にフェリシアが泊まっていた場所と合わせれば大丈夫そう」
「ユミナが手紙で教えてくれた野菜スープは食べられるのかしら?」
辛い野菜スープが村で評判になっていることはフェリシアに伝えており、当時から「是非、食べたい」と言われていた。
「えぇ、ちゃんと準備してあるわ」
「ふふ、楽しみだわ」
フェリシアの声が弾んでいるのが分かって、私は少し落ち着かない気持ちになってしまった。
――そんなに期待されると、逆に緊張しちゃうんだけど……。
次は教会に向かおうとしたのだけれど、フェリシアがふと足を止めた。
「ユミナ、あれは何かしら……」
フェリシアの視線の先にあるのは、木の屋根の下に張られたテントだった。テントの周りには木材が積み上げられている。
「あはは……、あれはアレンさんとハンスさんの家なんだけど……」
私はそう言って、テントの方へと足を向けた。物音に気づいたのか、木材の陰から顔を出したのはハンスだった。
「あ、ユミナさん。それに……」
ハンスがフェリシアたちの姿に気づいて、慌てて姿勢を正す。
「ん? どうした?」
その後ろから、削りかけの木材を抱えたアレンも顔を出し、フェリシアたちを見た瞬間に固まった。
「フェリシア、この二人がアレンさんとハンスさん。村の色々な建物を建ててくれた職人で、入り口の看板も二人が作ってくれたの」
「まぁ、そうでしたのね。初めまして。フェリシアです」
フェリシアが柔らかく声をかけると、ハンスが慌てて頭を下げた。
「は、初めまして! ハンスと申します!」
その隣で、アレンは木材を抱えたまま、口をぱくぱくと動かすばかりで、言葉がうまく出てこないようだった。
「入り口の看板、とても素敵でした。丁寧に作っていただいて、ありがとうございます」
フェリシアがそう言って微笑むと、ハンスが照れくさそうに頭をかいた。
「そ、そんな……あれぐらい、どうってことありませんよ!」
褒められたのがよほど嬉しかったのか、アレンがこれでもかと胸を張った。抱えていた木材が、ぐらりと傾く。
「わっ、兄さん!」
慌ててハンスが支えた。
フェリシアはその光景に一瞬目を丸くした後、少し眉尻を下げた。
「ご、ごめんなさい……」
「大丈夫。アレンさんは嬉しいと、いつもああなるので」
「そ、そうなんです! これはいつものことなので!!」
ハンスが慌てて首を振り、その隣でアレンも、木材を抱え直しながらぶんぶんと頭を振っていた。
「そ、そうなの? それなら、良かったのだけれど……」
フェリシアはまだどこか気にした様子で、そっとアレンとハンスの方を見つめていた。
二人が作業に戻るのを見届けた後、私たちは教会へと向かった。
木の扉を開けて中に入ると、すでに待ち構えていたらしいセレナが、静かに一歩前へと進み出た。
「フェリシア殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう。此度は、私どもの教会にまでお越しいただき、恐悦至極に存じます」
すっと伸びた背筋、よどみなく紡がれる格式ばった言葉。その所作の一つひとつに、一切の隙がなかった。
――え……セレナさん、だよね……?
思わず、まじまじと見つめてしまう。母と冗談を言い合ったり、いつも起床がゆっくりな普段のセレナとはまるで別人のようで、まさに想像の中の司祭様そのものだった。
フェリシアは、セレナの顔をじっと見つめたまま、少し首をかしげていた。
「あら? あなたは……セレナさん?」
「はい。以前、王宮にて少しだけお言葉を交わさせていただきました」
セレナはそう言って一礼したけれど、その口の端が、ほんのわずかに緩んでいるのが分かった。
「確か……司教様の挨拶の後でしたね。まさかノックスで会えるなんて……。ここでならゆっくり話せそうですね」
「フェリシア様にそう言っていただけるなんて……嬉しいですね」
先ほどまでの格式ばった声色が消え、いつもの気安い調子に戻った。
フェリシアも、その空気の変化に気づいたのか、くすりと小さく笑った。
「ふふ、そちらの方が、セレナさんらしい気がするわ」
「偉大な先輩として、決めるべきところは決めておかないといけませんからっ」
セレナはそう言って、部屋の隅で小さくなっていたニナへと視線を向けた。
「こちらは教会からこの村に赴任してきた、ニナ・ミルズです」
名前を呼ばれた瞬間、ニナの肩がびくりと跳ねた。一歩……いや、半歩前に出るニナ。
「ニ、ニナ・ミルズです! その、薬草学と……あの、農学の知識を、少々……!」
ニナは両手をぎゅっと握りしめたまま、深々と頭を下げる。早口で、しかもところどころかみながらの自己紹介だった。
「まあ、丁寧にありがとう。よろしくね、ニナ」
フェリシアがゆっくりとニナに歩み寄り優しく手を取ると、ニナは顔を赤くして、こくこくと何度も頷いた。
「ニナはちょっと緊張しちゃうところがありますが、知識はありますから、何かあってもすぐに対応できるはずです」
「それは頼もしいですね」
朗らかに笑うセレナとフェリシア。
――い、いや……何かがあるのは流石にダメな気が……。
私と同じことを思ったのか、三人を見るシエルの口元がほんの少しだけ引きつっていた。
セレナとニナに見送られて教会を出ると、外の光がやけに眩しく感じられた。
「新しく出来た建物はこれぐらいかな」
私がそう言うと、フェリシアが「ありがとう」と、胸の前で両手を合わせて嬉しそうに微笑んだ。
「せっかくだから、もう少し村を見て回ってもいいかしら?」
その言葉は、私ではなくシエルに向けられたお願いのようなものだった。
「はい、それは構いませんが……」
シエルは小さく息をついたけれど、ヴィクトールは特に気にした様子もなく、涼しい顔で周囲に視線を巡らせていた。
「では、ユミナ、お願いしますね」
フェリシアはシエルの返事に満足したのか、くるりとこちらへ向き直った。その顔に疲れの色は全く見えなかった。
「はい」
私は苦笑いを浮かべながらも頷くと、フェリシアが隣に並んだ。
前に訪れた時と何かが変わったわけでもなかったけれど、フェリシアはその景色を楽しんでいるように目を輝かせていた。
村の外れにある訓練場までやってくると、ロベルトを中心に、ケビンとヘクター、ガストンが顔を揃えていた。
「あら?」
フェリシアが興味深そうに足を止める。
「あいつらっ……」
シエルはこめかみを軽く押さえながら、深いため息をついた。
「フェリシア様、少々失礼します」
そう断ると、有無を言わさぬ気配を纏って、ロベルトたちの方へと歩き出した。
いち早くシエルに気づいたケビンが、弾かれたように姿勢を正す。
「た、隊長……じゃなくて、副隊長!」
その隣で、ヘクターも慌てて背筋を伸ばした。
一人、事態が呑み込めていないのか、ロベルトだけが呑気な顔のままだった。
「お、シエルさんも来たのか!」
ロベルトの視線がふとシエルの後ろに移った瞬間、ぱっと表情が輝いた。
「あっ」
ロベルトの目線の先には、ヴィクトールの姿があった。
「初めまして! 俺、ロベルトって言います!」
勢いのまま頭を下げるロベルトに、ヴィクトールは一瞬きょとんとした後、笑みを浮かべた。
「あぁ、よろしくな」
「そんなことより、お前たち。見回りは終わったのか?」
シエルは腕を組み、じっとケビンとヘクターを見据えている。
「あ、はいっ。勿論です」
真っ先に答えたのはヘクターだった。
「悪いな、殿下の警護について少し話していたんだ」
低く落ち着いた声でガストンがそう言葉を添えると、張りつめそうになっていた空気が消えていった。
「そ、そうだったのですね……」
シエルはわずかに目を逸らしながら、口ごもるように言葉を返した。
「ユミナ、ここは……」
「一応、村の訓練所なの。ガストンさんが警備の傍らみんなを見てくれているの」
私がそう答えると、ガストンが静かに一歩前へ進み出た。多くを語ることなく、ただ深く頭を下げる。
それだけで、フェリシアも何かを察したように、小さく頷き返した。
フェリシアは物珍しそうに訓練場を眺めていた。
「やっぱり、こういう場所にはあまり行かないの?」
「そうね……」
フェリシアは少し考えるように視線を巡らせた後、どこか懐かしむような笑みを浮かべた。
「一度だけ、王宮の騎士団の訓練を見学させてもらったのだけど……」
そこまで言うと、フェリシアはちらりと隣に視線を向けた。釣られてそちらを見ると、シエルが何とも言えない顔でそっぽを向いている。
「それ以来シエルに止められてしまって……。それきりなの」
「フェリシア様が来られた時、皆がやる気を出しすぎて大変でしたので」
その言葉を聞いて、ヘクターがばつが悪そうに視線を泳がせ、こめかみのあたりを掻いた。
「あー……あの時は、ちょっと張り切りすぎたかもしれません」
ケビンも、何かを思い出したのか小さく咳払いをして、そっと目を逸らした。
――ケビンさんまで……?
普段の振る舞いからは想像もつかない反応に、私は少し意外に思いながらその横顔を見つめた。
「はっはっは! まぁ、仕方ないさ。フェリシア様の前だ、張り切らないわけにはいかないだろう」
ヴィクトールの言葉に、ヘクターとケビンが同時にがくりと肩を落とした。
「ふふ、ですから騎士の皆さまが剣や槍を振るう姿を拝見できるのは、御前試合ぐらいなの」
「御前試合、ですか……」
「えぇ。年に一度、騎士の方や腕に自信のある方が参加されるのだけど……」
そこまで言うと、フェリシアはくるりとこちらへ向き直り、悪戯っぽく目を細めた。
「ユミナも招待しましょうか?」
その笑顔に、隠しきれない何かを感じ取った私は、思わず一歩後ずさった。
「い、いえっ。大丈夫です!」
慌てて両手を振ってみせると、フェリシアはくすくすと笑い声を漏らした。その反応こそが期待通りだったと言わんばかりに。
そのやり取りを黙って聞いていたヴィクトールが、顎に手を当てて、ふと何かを思いついたような顔をした。
「ふむ、御前試合か……」
にやりと笑みを浮かべたヴィクトールは、突然フェリシアの前で片膝をつき、右手を左胸にあてて、頭を下げた。




