第六十二話 再会
フェリシアと会うのは、一昨年の冬以来だった。
フェリシアの背丈は記憶よりもずいぶん伸びていたけれど、丁寧に結われた金色の髪型は記憶のままだった。変わらないその髪型が、私の知る彼女をそこに留めてくれているようで、気がつけば少しだけ口元が緩んでいた。
フェリシアがこちらに向かって歩み出すのを見て、隣に立つ母が、そっと父の背中を押した。
「あ……う、うむ!」
フェリシアの姿に見入ってすっかり気を抜いていたらしい父は、我に返ったように一歩前へ進み出ると、慌てて姿勢を正した。
「王女殿下におかれましては、ノックス領へようこそお越しくださいました。此度はこのような形でお迎えすることとなり、恐悦至極に存じます」
ぎこちなさの残る、それでもどうにか体裁を整えた挨拶だった。
フェリシアは私たちの前まで進み出ると、すっと背筋を伸ばし、片手をそっと胸に添えた。
「マグナ・エルデガルド男爵。此度は突然の訪問にもかかわらず、このように出迎えていただき、心より感謝申し上げます」
よそ行きの、完璧に整った声だった。ただ、フェリシアの目が少し笑っている気がした。
フェリシアは軽く頷くと、隣に立つ男性へと視線を移した。
「こちら、王国騎士団団長のヴィクトール・ランバートです。此度の護衛の指揮を執っていただいております」
「ヴィクトール・ランバートです。以後お見知りおきを」
ヴィクトールが、片手を胸に当てて律儀に一礼する。その所作には、一切の無駄がなかった。
――王国騎士団……、団長!?
以前フェリシアを迎えに来た際も半そでの副団長が付き添っていたのだから、団長が同行していても不思議ではない。それでもやはり驚きは隠せなかった。
――あれ? そういえばさっき、ガストンさんが「不要だからだ」って……。
思わずガストンさんの方に目を向ける。けれど、その表情はいつもと変わらず、静かで落ち着いたものだった。
けれど、その隣に立つロベルトは違った。口を大きく開けたまま、瞬きひとつせず固まっていた。
ほんの少しの沈黙の後、フェリシアはすっと伸ばしていた背筋を緩め、胸に添えていた手を下ろした。
「ふふっ、王女っぽいのはこれぐらいでいいかしら」
茶目っ気のある笑みを浮かべてこちらを見るフェリシアを前に、私は何と答えたらいいのか分からなくなった。
よそ行きの表情の下から、記憶の中のフェリシアの顔がひょっこりと覗いているようだった。少し垂れた目じり、悪戯っぽく持ち上がった口の端……それは、あの冬に何度も見た顔だった。
「フェリシア……」
久しぶりね、でもない。会いたかった、でもない。気の利いた言葉なんて、何一つ浮かんでこなかった。
けれど気がつけば、口が勝手に動いていた。
「……おかえりなさい」
――王女様に対して「おかえりなさい」はないんじゃない!?
口に出してから、後悔してしまった。けれどフェリシアは一瞬きょとんとした後、くしゃっと顔をほころばせた。
「はいっ……、ただいまっ、ユミナ」
その瞬間、張り詰めていた空気がふわりとほどけた。
それを口火にするかのように、並んで様子を窺っていた村人たちがわっと沸いた。
「王女様!」
「久しぶりです!」
「フェリシア様、おかえりなさい!」
誰かが叫んだ声を合図に、次々に皆が声を上げていく。
その勢いに、フェリシアも気圧されたように目を丸くしていたけれど、すぐに柔らかく目を細めて、村人たちに頷き返していた。
「も、申し訳ございませんっ。村の者たちが、その……」
父がフェリシアに向き直り、深々と頭を下げた。
「エルデガルド男爵、どうか頭を上げてください」
フェリシアはくすりと笑うと、少し声を落として続けた。
「それに、謝っていただくようなことは何もありません。むしろ……」
そこで一度言葉を切ると、フェリシアは村人たちを見渡してから、私と父に視線を戻した。
「どうかこの村にいる間だけは、王女ではなく、一人の友として扱ってください。それが、私の一番の願いですから」
よそ行きの声ではなく、けれど確かな芯のある声だった。父は驚いたように目を見開き、それから何度も頷いた。
「は……はい。承知いたしました」
隣で成り行きを見守っていたヴィクトールが、小さく笑みを浮かべる。
「ははっ、殿下がそう仰るなら仕方ありませんね」
ヴィクトールが快活に笑い声を上げた。それからわざとらしいほど大きな身振りで振り返ると、周りに控える騎士たちに向かって視線を送った。
「その動き、いらないでしょう」
呆れた様子で口にしたのはシエルだった。腕を組んで、半眼でヴィクトールを見上げていた。
騎士たちの周囲を窺う目や、腰の剣に添えられた手はそのままだったけれど、張り詰めていた肩の強張りがふっと抜けて、纏う雰囲気だけが柔らかくなったように感じた。
「まったく、殿下や団長に逆らえませんから仕方ありませんな」
そう言って笑ったのは、ムルガだった。その目は、村人たちの中に見知った顔を見つけたのか、ふっと懐かしそうに細められた。
ヴィクトールもまた村人たちの方へと目を向けた。というよりも、こちらの方を見ていた。先程までの快活な笑みは消え、どこか懐かしさと緊張が入り混じったような、そんな顔に見えた。ヴィクトールは私たちの近くまでゆっくりと歩み寄ると、迷いのない動作で深々と頭を下げた。
長く、深い一礼だった。
騎士たちが思わずといった様子で目を見開き、互いに顔を見合わせた。フェリシアも息を呑んで口元を押さえた。
先程とはまた別の沈黙が場を包む中、シエルだけが唇を尖らせていた。
ヴィクトールがゆっくりと顔を上げた。
「お久しぶりです……、師匠」
――先生!?
ガストンが王国騎士団にいたことは父から聞いて知っていた。そして、何か理由があって村に来たことも。
私やロベルト、村の人たちにとってもガストンは先生だった。ただ、そう呼ぶと「そんな立派なものじゃない」と言って顔を背けていた。
ガストンは、いつもと変わらない静かな表情のまま腕を組んで、ちらっとシエルを見た後、ヴィクトールに視線を移した。
「有事でもないのに、騎士団長が陛下の傍を離れてどうする」
「実は、フェリシア様から村に迷惑をかけないようになるべく少人数でと相談を受けましたので、それでは私がと……」
「はぁ……」
ガストンが小さくため息をつく。それだけで、ヴィクトールがぴくりと肩を揺らしたのが分かった。
「ははは、騎士団には優秀な副団長たちがいるのでご心配には及びません!」
ヴィクトールが、わざとらしいほど大きな声で笑った。
「その副団長たちの反対を無理やり押し切ったのはどこの誰ですか?」
すかさず口を挟んだのはシエルだった。腕を組んだまま、じとりとした目をヴィクトールに向けていた。
「むぅ……」
図星を突かれたのか、ヴィクトールが言葉に詰まって唸る。その様子に、私は思わず小さく笑ってしまいそうになった。
「ふふ。でも、ヴィクトールがいるならシエルも安心でしょ」
隣で成り行きを見守っていたフェリシアが、くすくすと笑いながらそう言った。
「はぁ……まぁ……」
シエルはそっぽを向きながらも否定はしない反応をみて、フェリシアがますます楽しそうに目を細めた。
「まぁ、そんなことよりも……お元気そうで何よりです」
ヴィクトールが改めてガストンさんに向き直った。先ほどまでのおどけた表情が、ふっと和らいだ穏やかなものに変わる。
「……お前もな」
ガストンはふっと組んでいた腕をほどき、短く言った。その一言にヴィクトールが目を細めて微笑んだ。
「ユミナ、みんなに、ちゃんと挨拶をしたいの。付いてきてもらえるかしら」
フェリシアがそっと私の袖を引いて、そう言った。
「あ、はい」
私は頷いて、フェリシアの隣に並んだ。
その瞬間、視線の高さが違うことに気づいて、少しだけ驚いてしまった。
以前会った時は、同じぐらいだったのに今はフェリシアの背丈が私よりも少し高かった。
それに、横顔の輪郭も、心なしか大人びて見える。すらりと伸びた首筋や、以前よりも丸みを帯びた体つきは、あどけなさの残る少女のものではなく、一人の女性としての柔らかな線を描いていた。
ふと視線を落としてしまった……。
――……ま、まぁ……フェリシアは王女様だし仕方ないわねっ。だ、大丈夫よ……私はこれからよ、これから!
私はちらっと母を見て自分を奮い立たせた。
そんな私の視線に気づいたのか、フェリシアがこちらを見て小さく首をかしげる。
「ユミナ?」
「な、何でもっ……。いえ。久しぶりだから緊張しちゃって……」
慌てて誤魔化しながら、私はフェリシアと歩き出した。
「ほら、行きますよ。護衛隊長殿」
シエルに急かされ、ヴィクトールも慌てて後に続いた。背後でようやく時間が動き出したロベルトの声が聞こえてきた。
最初に向かったのは、一番近くにいたリザとマルク、それに村の子供たちだった。
「フェリシアさま!」
「わあ、本当にフェリシア様だ!」
わっと駆け寄ってくる子供たちに、フェリシアは思わずといった様子で目を丸くしたけれど、すぐに嬉しそうに顔をほころばせた。
一生懸命……とは言えないまでもそれなりに練習していた挨拶は、すっかり忘れ去られていたけれど、それはそれでいいと思えた。
「また、いっしょに遊べるの?」
「俺、ロベルト兄ちゃんにすごいの教えてもらったんだ!」
口々に飛んでくる言葉に、フェリシアは目を細めながら、一人ひとりに丁寧に相槌を打っていた。
そんな子供たちが一段落したところで、リザとマルクが一歩前に進み出た。二人とも、心なしか背筋がぴんと伸びている。
「フェリシア様におかれましては、ご機嫌麗しく……」
「お目にかかれて光栄です。此度はノックス領へようこそお越しくださいました」
たどたどしいところはありつつも、リザとマルクは最後まで言い切った。そうして二人は少し得意げな顔でフェリシアを見上げた。
その様子に、フェリシアは一瞬だけ目を丸くしたけれど、すぐにすっと背筋を伸ばし、胸に手を添えた。
「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。皆様にお会いできて、私も大変嬉しく思います」
作られた、けれどどこか楽しそうな声だった。
三人は互いを見つめ合い、どちらからともなく笑みがこぼれた。
「え、えっと……久しぶり、フェリシアっ……で、いいのよね?」
リザが護衛の二人の顔色をうかがいながら尋ねた。
「はいっ、お久しぶりです」
ぱっと明るくなったフェリシアの笑顔に、リザが目を細めた。
「あの、僕たちちゃんとできていましたか?」
「ええ、ばっちりでしたよ」
マルクが少し照れたようにはにかむと、フェリシアは大きく頷いた。
「もしかして練習してくださったのですか?」
「うん、学校で教えてもらってて、せっかくならフェリシアに披露しようってリザと……」
「こらっ、そんなことまで言わなくていいの!」
「ふふ、そうだったのですね。でも、二人とも本当にしっかり……えぇ、初めて会ったユミナよりもしっかりできていましたよ」
「え!?」
みんなの視線が集まる。
――私!? 初めて……、初めてフェリシアに会った時……。
思い出そうにも、とっさに思い出せるような上等な頭はしていなかった。
「へぇ~、そうだったんだ……」
リザがニヤニヤと笑う。
「えぇ、色々と滅茶苦茶でしたよ」
フェリシアの、あの懐かしくも意地悪な笑顔を見て先が思いやられた。




