第六十一話 懐かしい顔ぶれ
扉が静かに開いて閉まる音が聞こえて目を開けると、部屋の中はまだ薄暗かった。
――お父様……もう帰ってきたのかな。
セレナが家に泊まっているので、父は今も宿で寝泊まりをしていて、朝食のためにこうして帰ってきている。それはいつものことだったけれど、今日はいつもよりずっと早い。
二度寝しようと目を閉じたものの、すっかり目が冴えてしまい、私も起きることにした。
「おはようございます」
「あら、早いわね」
「おぉ、ユミナ。すまんな、起こしてしまったか」
「いえ、もう見回りを始めるのですか?」
村では自警団が毎日周辺を見回っている。とはいえ、これほど早く動き出すことは滅多にない。
「もちろんだ。今日は王女殿下がいらっしゃる日だからな。万が一のことがあれば一大事だ。今日は騎士の方々と協力してしっかりとな」
父はそう言うと、手早く朝食を済ませて出ていった。
父が出ていくのを見送りながら、私はこの数日のことを思い出していた。
先行の騎士たちが村にやって来たのは、フェリシアを迎える三日前のこと。最初はものものしい雰囲気で、村中がぴりぴりしていたのを覚えている。
宿や空き家の様子を確認し、村人たちに話を聞いて回る。井戸や食料の備蓄を数え、ガストンたちと一緒に見回りの経路を歩く……とにかく忙しそうだった。
けれど蓋を開けてみれば、騎士の方々は思いのほか気さくで、子供たちと軽口をかわしたり、食堂のスープをおかわりする人までいて、数日ですっかり村に溶け込んでいた。
「お父様、なんだか嬉しそう……」
「昔、騎士を目指していたことがあったみたいだから、舞い上がっているのね、きっと」
カップを口に運ぶ母の目は、どこか遠くを見ているようだった。
「え!? そうだったんですか?」
「えぇ……」
母は小さく笑って、それ以上は何も言わなかった。
朝食を済ませた後、私はいつものように居間で本を開いた。けれど、いつまで経っても同じ行を読み返しているだけで、内容はちっとも頭に入ってこなかった。
何度も窓の外を見ている自分に気づいて、思わず小さく笑ってしまった。
「お母様、少し外の空気を吸ってきますね」
「ふふ、そうしていらっしゃい」
母の声を背に、私は玄関へと向かった。
外に出ると、朝の空気の中にちらほらと村人の姿が見えた。
昨日はみんなで一日がかりで村中を掃除したばかりだった。それなのに、家の前をまた掃いている人、窓
を何度も磨いている人、すでに整えられた花壇を覗き込んでいる人。
どうやら、そわそわしていたのは私だけではなかったようで少し安心した。
村の入り口に差しかかると、アレンとハンスが大きな木の看板を抱えて、ああでもないこうでもないと言い合っているのが見えた。
「もう少し右、いや左か?」
「兄さん、少し傾いてる」
「おぉ、すまんな」
近づいてみると、看板には「歓迎・王女殿下」の文字と、王家の紋章、そしてエルデガルド家の紋章が彫られている。
よく見ると、エルデガルド家の紋章のまわりだけ、木の色が心なしか新しい。
「おはようございます、間に合ったんですね」
「おぉ、嬢ちゃん。もちろんさっ」
アレンが看板を支えたままニカっと笑った。
「おかげ様で少し寝不足ですけどね」
ハンスの目の下に少しくまが見えた。
元々この看板は、フェリシアたちを歓迎するために父がアレンたちに依頼した物だった。
しかし、母に確認してもらったところ、紋章の大きさは変えた方がいいと指摘を受けて急遽修正することになった。
「不敬に思われるよりいいだろ。そうだっ、嬢ちゃん。ちょっと向こうから見てくれるか?」
アレンに頼まれ、私は少し離れた場所まで下がって看板を見上げた。
「……大丈夫です、綺麗に見えます」
「よしっ、じゃあこのまま固定するぞ」
二人が杭を打ち込み、しっかりと看板を固定した。
「いい出来じゃないか」
アレンが満足そうに腕を組み、ハンスも隣で頷いた。私も三人並んで、しばらくその立派な看板を眺めていた。
そうしていると、遠くから馬の蹄の音が聞こえてきた。
先に到着していた騎士の人たちと似たような装備を身に着けた人が村に向かってきた。
私たちが道の端に寄ると、馬の速度を落としたあと、少し頭を下げて通り過ぎていった。
「ありゃあ、おそらく伝令だな」
「伝令ですか?」
「あぁ、王女殿下がもう近くまで来ているんだろう。ハンス、片付けるぞ」
「はいっ」
二人は道具をまとめ始めた。
通り過ぎていった伝令は厩舎にいたディックに馬を預けて村の中に走っていった。
――もう、近くまで……。
私は伝令が来た方向に少し視線を向けた後、二人の後について村に戻った。
伝令の声を合図に、村のあちこちから人々が入り口の方へと集まってきた。
集まってきた人たちは騎士の指示の下に道の両脇に並んでいく。
昨日まで慌ただしく準備をしていた村人たちが、今はみな同じ方向を向いて待っていた。
私は両親と並んで立っていた。すぐそばには、いつも通り静かに佇むガストンと、その隣で妙にそわそわしているロベルトの姿があった。
「ロベルト、緊張してるの?」
「悪いかよ!」
「別に悪くないけど……、珍しいなって」
「だって大勢の騎士が来るんだぜ、楽しみだろ!」
そう言うロベルトの目は、どこかギラギラと輝いていた。手はいつの間にか拳を握り込んでいて、まるで今にも剣を構えそうな雰囲気すら漂わせている。
――絶対「見たい」んじゃなくて「戦いたい」だけよね……、
「まさかとは思うけど、戦いを挑むつもりじゃ……」
「お、分かってんじゃんっ シエルさんとか、あのでかかった人とも戦ってみたいんだ!」
悪びれもせずそう言い放つロベルトに、私は思わずため息をついた。
「向こうも遊びに来るわけじゃないんだ」
「それは俺も分かってるさ。でも、一回だけならっ」
ガストンが呆れたようにたしなめるが、ロベルトは気にした様子もなく、うずうずと体を揺らしていた。
しばらくすると、道の向こうに小さな影がいくつも見え始めた。
「来た……!」
誰かが声を上げると、辺りは一気にざわめきに包まれた。列に並ぶ村人たちが背伸びをしたり、隣の人と
小声で言葉を交わしたりしている。
少しずつこちらに近づいてくるその姿に、私も思わず胸が高鳴る。けれど、目を凝らすうちに、小さな違和感が胸に広がっていった。
――あれ、思ったより人数が少ない?
前にフェリシアを迎えに来た一団は、馬車も護衛の数も、もっとずっと多かった。今、先に到着している
騎士たちを合わせても、目の前の一団はそれよりも明らかに小規模に見える。
「なんか、少なくね?」
ロベルトがぽつりと呟いた。
「う、うむ……。もしかすると本隊じゃないのかもしれんな」
父が顎に手を当てながら、少し歯切れの悪い調子で言った。
周りの村人たちも顔を見合わせ、小さくざわめき始める。
「本隊は、もう少し後から来るということですか?」
「あくまで私の予想だがな」
父はそう言って、それ以上は多くを語らなかった。
ふと、ガストンの方に目を向けると、何も言わず、ただじっと近づいてくる一団を見つめていた。何かを探るような目つきに、私は思わず息を呑んだ。
――ガストンさん、何か気づいてるのかな。
「いや、あの馬車に王女殿下が乗っているのは間違いない」
その一言に、周囲の空気が少し変わった。父も驚いたように眉を上げる。
「ガストン殿、それはどういう……」
あんなに少人数だと何かあった時に……そう思いかけたところで、ガストンがそう言った理由に気づいた。
――そっか……、フェリシアを狙っている人がいるなら父と同じように考える。だから、あえて裏をかい
て……。
「でも、街で偉い人の護衛はそれなりの人数が必要ってきいたんだけど」
ロベルトの言うことはもっともだった。
「ロベルト、あのね……」
「不要だからだ」
言いかけた私の言葉を、ガストンが即座に遮った。
「ん? 不要? 護衛がいらないってことならマグナさんの言った通りなんじゃ……」
「ふぅ……」
ガストンは何か言いかけて、結局それを呑み込むようにため息をついた。それはまるで長年つかえていた
ものがようやく緩んだかのような、そんなため息だった。
「あの人数でも陛下や、他の連中を納得させられる……」
「はぁ? 納得させるって、何を……」
ロベルトが腕を組み首を傾げて聞き返す。
「見ていれば分かる」
そう言ったきり、ガストンは再び一団の方へと視線を戻してしまった。
そんな様子を見ていた私は、自分の勘違いを披露しなくてよかったと胸をなでおろした。
やがて、豪華な装飾を施された馬車が、二人の騎士に先導されながらゆっくりと近づいてきた。
村人たちの間に、ひときわ大きなざわめきが広がる。
その先導する騎士の姿に、私は思わず目を見開いた。
――あれ? あの二人……。
記憶を辿るまでもなく、すぐに思い出した。フェリシアの護衛をしていたヘクターとケビンだった。
「あっ」
隣から小さな声が聞こえて振り向くと、ロベルトが慌てたように自分の口を両手で押さえていた。うっかり声を出してしまったことに気づいて、必死に静かにしようとしているらしい。
ヘクターとケビンの目が、一瞬だけこちらに動いた。
表情こそ変わらなかったけれど、ほんの少し目元が緩んだような気がした。
後方の馬車、手綱を握る御者にも見覚えがあった。恰幅のいいその姿は、髭が伸びていたけれどムルガだと分かった。
知った顔がいくつも並んでいるのを見て、緊張していた気持ちが少しだけほぐれていくのを感じた。
――あれ? シエルさんはいないのかな?
シエルはフェリシアの親衛隊長と言っていたので、今回も当然同行していると思っていたのだけれど、その姿は見えなかった。
――もしかして、馬車の中にいるのかな。
「移動中、一人ではつまらないのでシエルも中に居てください」
フェリシアならそう言いそうだった。
私がちょっぴり失礼なことを考えていると、馬車が村の入り口手前でゆっくりと止まった。
先導していたヘクターとケビン、そして馬車のすぐ近くにいた男性が、それぞれ静かに馬を下りる。
後方に控えていた他の騎士たちは、入り口の少し手前で足を止めたまま、馬に乗った姿勢を崩すことなく、辺りに視線を配っていた。
その動き一つひとつに、無駄がなかった。誰かが号令をかけたわけでもないのに、全員がまるで一つの生き物のようだった。
――こんなに揃うものなんだ。
数日前、ロベルトたちが挨拶の練習をしていた場面が頭をよぎった。
「一人一人を見ればトップがどんな人物か分かる」
挨拶の練習でバラバラで揃わなかったノックス騎士団の微笑ましい光景とはまるで違う、完成された統率だった。
そんな中、馬車の近くの男性に視線が吸い寄せられた。
――あの人が隊長さんかな……。
赤みがかった短髪に、銀の重厚な鎧。それでいて、纏う空気に重さは感じなかった。鋭い目つきのはずなのに、なぜか近寄りがたさはない。
男性が手綱を片手に、鞍に固定されていた長い物を手慣れた仕草で背負う。
――あれ……もしかして大剣?
ガストンが警備の時に担いでいるものに、どこか似ている気がした。
「ムルガ、頼む」
「はい」
手綱を渡すと、先に着いていた騎士の一人が足早に近づき、小声で何か耳打ちする。男性は小さく頷いた
だけだったけれど、その何気ない仕草一つが、他の騎士たちとは何か違って見えた。
騎士が離れた後、男性が馬車の扉に手をかけ、静かに開いた。
最初に降りてきたのはシエルさんだった。以前会った時よりも少しだけ髪が伸びていて、周囲に目を配りながら軽やかに地面に降り立つ。
続いて姿を見せたのは、控えめな色合いのドレスに身を包んだフェリシアだった。
村中の視線が一斉にその姿へと集まる。
馬車から降りたフェリシアはゆっくりと村の様子を見渡し、やがてこちらに目を留めた。
私と目が合った瞬間、フェリシアの顔にふわりと笑みが浮かんだ。
それは王女様の顔ではなく、二人きりの時に見せた笑顔だった。




