第六十話 これでも司祭
セレナとニナが村に来てから一週間が経った。
ニナはマルクと協力して学校を開いたり、トーマスやディックの相談に乗るようになっていた。
私は、教会を病院のようなものと考えていたのだけれど、実際には幅広く色んなことを研究している場所のようだった。
セレナ曰く、ニナは修道院で薬草学や農耕について学んでいて、村にはピッタリな人材とのことだった。
そんな優秀なニナの上司でもある司祭様はというと……。
「ユミナ、セレナを起こしてきてくれる」
母が朝食の準備をする手を止めずに、私に声をかけてきた。
ちなみに、この朝食は私たちのためではない。私たちの朝食は随分と前に終わっているからである。
「分かりました」
セレナの起床時間は村で一番遅かった。
部屋の扉を開けると、案の定セレナはベッドの上で丸まっていた。毛布から覗く茶色い髪がくしゃくしゃに乱れている。
その様子は……本当に失礼ながら私のイメージする司祭からは遠く離れていた。
――ま、まぁ……寝ている時までしっかりしないとダメなんて言わないけど……。
仮にも浄化の儀式を通して村を救ってくれた恩人の一人なので、ちょっぴり残念な気持ちになった。
少し不安になってニナに話を聞いてみると、教会にいるときのセレナは、魔術も書類仕事も的確にこなす、それはもう頼れる先輩だということだった。
「セレナ司祭様は本当にすごい方なんですよ。巡回のご予定も全部頭に入っていて、困っている人がいたらすぐに駆けつけて……」
ニナが尊敬のまなざしで語っていたことを思い出すたびに、今の毛布にくるまった塊と同一人物だとは信じがたくなった。
なお、ニナにも、浄化の儀式を通して村を救ってくれた恩人と思っている村のみんなにもこのことは秘密にしている。
朝の光がカーテンの隙間から差し込んでいたけれど、セレナの部屋はまだ薄暗かった。空気はひんやりとしていて、鳥の声だけがやけに大きく聞こえた。
セレナを起こすのは私の役目になったのだけど、これがなかなか手強かった。大声を出してみたり、ルナを上に置いてみたりしたけれど全く効果がなかった。それでも数日色々なことを試した結果、私は答えにたどり着いていた。
「セレナさん、朝ご飯ですよ」
声をかけると、ベッドの上の塊がもぞもぞと動き、毛布から片目だけが覗いた。
「早くしないと冷めちゃいますよ」
「んぁ……、ごはん……」
セレナはそう呟いたきり、しばらく動かなかった。頭はまだ夢の中にいるはずなのに、体だけはむくりと起き上がり、目を閉じたままベッドから抜け出してくる。
「はい、こっちですよ」
手を取って歩き出すと、セレナは素直についてきた。まるで、頭より先に体が「ごはん」という言葉に答えを出してしまったみたいだった。
まだ少し寝ぼけていてふらふらしているセレナを居間まで引っ張っていくと、朝食を並べていた母がセレナに気づいて顔を上げた。
「おはよう、セレナ」
「ふぉふぁよ~、エふぃリア。ふぁ~~」
欠伸をしたセレナは、目を半分閉じたまま自分の朝食が用意された席に着いた。
「ルナもおはよ。あ、ユミナちゃんも」
「お、おはようございます……」
少しセレナに言いたいこともあったけれど、連日のことなのでもう諦めていた。
「セレナ、ニナが用があるみたいだったから、食べ終わったら行ってあげてね」
「んんっ」
パンを頬張りながらセレナは頷いた。
「んぐっ……、ユミナちゃんも一緒に行く?」
「あ、はい」
――って、流れで返事しちゃったけど、私、特に用事なかったよね……?
心の中で首をかしげつつも、断るタイミングを逃してしまった以上、今更「やっぱりやめます」とも言い出しにくい。結局、そのままセレナについていくことになった。
セレナが朝食を終え、身支度をすませるのを待った後、ルナを連れて教会へ向かっていると、トーマスが木の桶を抱えてニナと話していた。
「おはようございます」
私が声をかけると、二人がこちらを向いた。
「おぉ、ユミナちゃんにセレナ様、それにルナもおはよう」
「おはようございます」
「トーマスさん、それは……炭の粉ですか?」
トーマスの持つ桶の中に黒い粉のようなものが見えた。
「いや、これは普通の灰だよ。畑のことを話してたら、ニナさんから炭だけでなく灰も混ぜるといいって聞いてね」
「そうなんですね」
ニナを見ると、少し照れたように眼鏡に手を当てた。
「はい、炭を砕いたものだけでも、土の間に隙間が出来て空気が通りやすくなったり、水や栄養を蓄えてくれたりしていいのですが、そこに木の灰を加えて栄養を与えることで……」
「つまり作物が育ちやすくなる! のよね?」
ニナの解説が長くなりそうになったところで、セレナが簡潔にまとめた。
「あ、はいっ。そうなんです」
「これから灰を撒くんですよね、手伝いましょうか?」
「いや、大丈夫だ。それにセレナ様を灰で汚しちまったら、みんなに怒られちゃうからな」
「あはは、大丈夫ですよ。エミリアが綺麗に洗濯してくれるので」
――自分で綺麗にするんじゃないのね……。
セレナの母頼りはもはや清々しかった。
「ははっ、人手が足りなくなったら頼りにさせてもらうよ」
「えぇ、いつでも。こう見えて結構得意なので」
トーマスは桶を抱え直すと、軽く手を上げて畑の方へ歩いていった。その後ろ姿を見送りながら、ニナが小さく息をつく。
「灰を混ぜるのは今の時期がちょうどいいので……うまくいくといいんですけど」
「こればっかりは、やってみないとね」
「はい」
セレナがのんびりとした調子で言うと、ニナは少し安心したように微笑んだ。
「ニナさんは修道院で学んだって聞いたんですけど、セレナさんもそうなんですか?」
私が尋ねると、セレナは少し考えるように顎に手を当てた。
「う~ん、学んだっていうより……食べたかったら育てるしかなかった、っていうのが正しいかも」
「そういう意味では、この村と修道院は似ているかもしれませんね」
ニナがそう言うと、セレナは合点がいったように笑った。
「あぁ、だからこんなに居心地がいいのね」
――いや、セレナさんの場合、それだけが理由じゃない気もするけど……。
ニナは修道院での経験と重ねて納得しているようだったけれど、私の頭に浮かんだのは、母に世話を焼かれてご機嫌なセレナの姿だった。
「あっ、そういえば、私に何か用があったの?」
「はい、足りない物のリストが出来たので一度見てもらおうと思って」
「なるほど。じゃあ、教会に行きましょうか」
* * *
「違う違う! そこはもっと胸を張って、こうだ!」
教会の前でロベルトが仁王立ちになっていた。その視線の先では、マルクや村の子供たちが並んで、ぎこちなく頭を下げている。
「ロベルトさん、気合入ってますね」
ニナが少し驚いたように言った。
「う、うん……」
フェリシアが村に来る日が近づいてきたことで、ノックス騎士団は挨拶の練習を始めていたのだけれど、冬の間ヴィセリアで騎士の人たちと話すことが増えたこともあり、ロベルトはやる気に満ちていた。
――まぁ、騎士団って言っても、ロベルトだけが勝手に言ってるだけなんだけど……。
「お、ユミナ! 見てくれ。いい感じになってきたんだ!」
ロベルトが得意げに振り返り、子供たちに合図を送った。
「よーし、みんな、さっきの通りにやるぞ!」
「はい!」
子供たちの返事は綺麗にそろっていた。
「それでは……礼!」
ロベルトの合図で、一斉に頭が下がる……はずだった。
一人の男の子はすごい勢いで直角に頭を下げ、その反動でよろけて隣の子にぶつかった。別の女の子はゆっくりゆっくり下げすぎて、途中で止まったまま固まっている。小さい子に至っては、礼をするタイミングを完全に逃して、みんなが頭を下げ終わった頃になってから慌てて追いついた。
そんな中、マルクだけがしっかりとできていた。
「どうだ!」
お世辞にもまとまっていたとは言えなかったけれど、ロベルトは鼻を鳴らして満足そうに胸を張った。
「わぁ、すごいっ」
セレナがパチパチと手を叩いて褒めると、子供たちは満面の笑みを浮かべた。
「ほんとかっ」
そして、ロベルトは子供たちよりも嬉しそうに飛び上がって喜んでいた。
「えぇ、王女殿下を歓迎する気持ちが伝わってきたわ」
「だよなっ、やっぱり気持ちは大事だからな」
ロベルトが腕を組んでしみじみと頷いていた。
「騎士の兄ちゃんから、一人一人を見ればトップがどんな人物か分かるって言われてて……、頑張ってよかったぜ」
――あれ?
ロベルトが言っていることは分かる気がした。
――上に立つ人が優秀なら、下の人も自然と見習うようになる、そういうことよね。
確かにセレナからみんなの気持ちについては褒められていたけれど、褒められていたのはそこだけで……。
喜ぶノックス騎士団団長。ちらりと隣を見るとニナと目が合った。
「あ、あの……」
「いいの、ロベルトはいつもあんな感じだから……」
私たちは互いの心中を察した。
「よしっ、それじゃあ俺は見回りに行ってくるから、マルク、後はよろしくな」
「あ、うん。分かったよ」
「兄ちゃん頑張ってね~」
「おうっ」
男の子の声に片手をあげて答えたロベルトは、意気揚々と村の外れに向かって走っていった。
「マルクも大変ね……」
私が思わず呟くと、マルクが困ったように笑った。
「あはは」
その様子を見ていたセレナが、ぽんと手を打った。
「それじゃあ、私たちもマルク君を手伝ってあげましょうか」
「え? でも……」
「やった~、セレナ様もいっしょにやるの?」
マルクが申し訳なさそうにしているところに、女の子の声が聞こえた。
「えぇ、私だけじゃなくてユミナやニナも一緒よ」
セレナがにっこり笑ってそう答えた。
それからしばらく、みんなで順番に王子様、お姫様役を決めながら挨拶の練習をした。とはいっても周りから見ればただ楽しく遊んでいるようにしか見えなかったと思うけれど……。
しばらくして、お昼が近づいてきたこともありいったん解散となった。
子供たちを見送った後、ニナが少し困ったように口を開いた。
「やっぱり、みんなでそろってっていうのは難しいですね」
「ふふ、大丈夫。王女殿下はそんなこと気にする人じゃないわよ」
セレナが軽く笑いながら答えた。
「セレナさん、フェリシアと会ったことがあるんですか?」
「えぇ!」
あっさりと返ってきた答えに、私は少し驚いた。
「やっぱり、教会の司祭ともなると違うんですね」
「って、言っても一度だけなんだけどね」
セレナがいたずらっぽく舌をのぞかせた。
「実は、司教様が陛下に挨拶に行くときに私とカタリナも付き合ったの。ほら、浄化の件もあったから……、で、その時に少しだけお話する機会があったってわけ」
「そうだったんですね……」
――今思えば、あの時から色々変わってきた気がする。
「ちなみにカタリナも司祭になっているわよ」
「え!? なら、もしかしてその司教様って……」
忘れていたけれどセレナとカタリナが村を訪れる時、もう一人いたことを思い出した。
「そう、ポンディウス司教。お調子者の狸よ」
「セ、セレナ様っ」
ニナが慌てたように声を上げ、キョロキョロと周りを見回した。
「司教様のことをそんな風に言ったら……」
「あら、事実じゃない。ニナだってあの人が何もしてないって知ってるでしょ」
声をひそめるニナに対して、セレナはどこ吹く風といった様子で、けろりと続けた。
「そ、それは……まぁ……」
どうやら、ニナにも思い当たる節があるようだった。
「やっぱり、村でだけじゃないんですね……」
セレナのこともあり実は教会では……と思ったけれど、そうではなさそうだった。
「それにあの人、司教になっただけじゃなく、宮廷補佐官になったのよ」
「宮廷補佐官……ですか?」
言葉の響きから、とても偉そうな役職に思えた。
「国王様の相談役の司教様がいるんだけど、その人のお手伝いをするって感じね」
「なるほど……」
――あの人が、王宮に……。
「あっ、今、大丈夫かな~って思ったでしょ」
気づくと、セレナがニヤニヤしながらこちらの顔を覗き込んでいた。
「い、いえっ。そんなこと思っていませんよ!」
嘘ではなかった。もう少しでそう思っちゃうところだったけれど……。
「あ、もしかして……フェリシアと一緒に村に来るなんてことは……」
「う~ん……ないでしょ」
セレナの言葉を聞いて私は少しほっとした。
「さっ、そんなことよりもお昼よ! ニナも一緒にどう?」
セレナが話を切り上げるように手を叩いた。
「え! でも……」
「大丈夫だと思いますよ」
「ほら、ユミナちゃんもこう言ってるわけだから」
「それなら……お邪魔させていただきます」
ニナは遠慮がちに、それでも嬉しそうに頷いた。
「あっ、ニナさん、そういえばセレナさんに用があったんじゃ……」
「あぁ、すっかり忘れてたわ」
セレナは特に慌てる様子もなく、うーんと伸びをしている。
「え、あ、そうでした! 少々お待ちください!」
一方のニナは眼鏡がずれるのも構わず、慌てて教会の中へ駆け込んでいった。
ニナがリストを持ってくるのを待ってから、私たちは家に向かった。
そのリストには薬草の種や、農作業に使う道具など、ニナが村のために教会から送ってほしい物が書かれていた。
ただ、教会からノックスに届いたステンドグラスがとても小さな物だったこともあり、今回もきちんと聞き入れてもらえるかどうか、少し不安だった。
「セレナ司祭に任せなさい!」
そう言ってドンと胸を叩くセレナは少し頼もしく見えた。




