第五十八話 赴任2
私たちは、教会に向かう前に集まっていた村人たちの元に向かった。
「みんな、本日よりこの村に赴任されるシスター、ニナ殿です」
集まっていた村人たちの視線がニナに集まる。
「よ、よろしくお願いいたします」
しっかりとした口調だった。
――ニナさん、落ち着いてる?
「なんだ、しっかりした人じゃないか」
「よろしくね。分からないことがあったらいつでも聞いてね」
ニナは次々と話しかけられていたけれど、一人一人丁寧に頭を下げていた。
「ねぇ、きょうかいって、何する所なの?」
女の子がニナに聞いた。
――お祈り?
私が真っ先に思い浮かんだのがそれだった。
――お母様の話だと、怪我や病気の治療を行っていたり……、あっ、そういえばヴィンター伯爵は教会と協力して学校を運営してるって……。浄化の儀式も教会よね。
記憶を辿ると、色々なことをやっていると思えたのだけれど、どういう場所なのかあまり理解できていなかった。
ニナはしゃがみ込んで女の子と目線を合わせた。
「えっと……、教会はですね、困っている人を助ける場所なの。怪我をした人や、病気の人を治したり、神様にお祈りをしたりするのよ」
「けがした人……」
女の子は考え込むように首を傾けた。
「それって、エミリア様みたい」
「はいっ、エミリア様のお手伝いをしに来たと、思ってもらって大丈夫ですよ」
ニナは眼鏡を押し上げて微笑んだ。
村の広場に差し掛かると、父はおもむろに振り返った。
「あぁ、ニナ殿。是非、紹介しておかないといけないものがありまして……」
父が、木造の質素な小屋の前まで歩いていき、両手を大きく広げた。少し芝居がかった仕草だった。
「これこそが、我が領地に浄化をもたらした杖様です!」
腹から声を絞り出すような、よく通る話し方だった。
「これが……」
ニナは少し屈んで小屋の中に飾られた杖を覗き込むように見た。
「この杖はもともと、教会の儀式で一度きり……」
――お父様、張り切ってる……。
村を訪れた人に杖のことを説明するのは、いつの間にか父の趣味になっていた。
最初はちょっとした世間話のようなものだった。けれど、話を聞いた人たちから「凄いですね」と言われるうちに、父の説明はどんどん熱を帯びていった。
「知らない人にも分かりやすく」という名目で台本を書き始め、身振り手振りを加えて練習を重ねた結果、いつしかそれは舞台の一幕のような代物になっていた。
そして……今、この瞬間こそ、その練習の成果を発揮する時だった。
「あっ……その件でしたら、セレナ様から詳しくお聞きしております」
ニナがおずおずと手を挙げながら言った。
「……えっ」
父の得意げな表情が、ぴしりと固まった。
「儀式で使われた杖が、ノックス領の特殊性と結びついて奇跡的な現象を起こしている、という話ですよね?」
「そ、そうです……。まさにそれです……」
しどろもどろにそう締めくくると、父はこっそりと肩を落として一歩後ろに下がった。
ニナはそんな父の様子に気づいていないのか、杖に向かって両手を合わせ、静かに祈りを捧げていた。
――お父様……。またいつか、練習の成果を見せるときは来るから……。
私は父の背中を見ながら、密かに苦笑いを浮かべた。
その後、しょんぼりしている父と、その父を不思議そうに見ているニナ、無頓着なルナと一緒に教会に足を進めた。
教会の扉を開けると、木の匂いがふわりと香った。決して大きくはないけれど、隅々まで丁寧に手入れが行き届いていた。
中央にはめ込まれた小さなステンドグラスは、本部から届けられたものだと父から聞いていた。ノックス領は決して裕福な土地ではないこともあり、送られてきたステンドグラスは、小ぶりなものだった。
そこでアレンとハンスは、中央の一枚を囲むようにガラス片を幾何学模様になるよう並べた。町の教会に比べれば劣るかもしれないけれど、完成した窓から差し込む光は暖かくて誇らしい光だった。
「わぁ……」
ニナが小さく声を漏らした。
「素敵なステンドグラスですね……。あれ、でも……中央のところだけ、少し雰囲気が違いますね」
「よくお気づきになりましたね」
父の様子が少しずつ元通りになってきた。
「本部から届いたのは、実は中央のあの一枚だけなんです。周りの部分は、職人たちが手を加えてくれまして」
「そうだったんですね……」
そう呟いたニナの指先が、壁の木材にそっと触れた。
「木の温もりが感じられて、とても心地よいです」
――気に入ってもらえて、よかった。……まぁ、私が作ったわけじゃないんだけど。
ニナの笑顔を見て、私も嬉しくなった。
そんな時、奥の扉が勢いよく開いた。
「おぉ、皆さんお揃いで」
アレンだった。
「どうも、こんにちは。あ、もしかしてそちらの方が?」
その後ろから、少し遅れてハンスが顔を出した。
「これはこれは、お二人とも」
父が二人に気づき、手を挙げて応えた。
「えぇ、そうです。この度、村の教会に赴任されました、ニナ殿です」
「よ、よろしくお願いします!」
「ニナ殿、こちらはギルドのアレンさんとハンスさんです。村で職人をしていただいていて、この教会もお二人に建ててもらいました」
父に紹介された二人は、少し照れたような表情を見せた。
「何か必要なものがあったら何でも言ってくれ、絶対に用意できるとは言えないが、努力はする」
アレンは腕を組み、余裕たっぷりに笑ってみせた。
「は、はいっ」
「ちょうど今、ステンドグラスの話をしていたところですよ」
「あぁ、あのままだと少し寂しかったからな。本当は、ちゃんと大きなステンドグラスを作れれば良かったんだが……」
そう言って、自分たちの作った窓を見るアレンは少し悔しそうだった。
小さなステンドグラスをどうしようか悩んでいたアレンに大きなものを作れないか聞いたことがあった。その時に教えてもらえたのが、教会の職人しか作れなくて、とてつもなく高価な物であるということだった。
「いえっ。こんな素敵な教会を建てていただいて、本当に感謝しています」
「そう言ってもらえると、頑張った甲斐があります。まぁ、あれは安いガラスを組み合わせただけなんですけどね」
ハンスが照れくさそうに頭を掻いた。
「うわぁ~、何これ。すごいじゃない!」
声の方向を向くと、入り口に目を輝かせるセレナと母が立っていた。
「ん? 一人だって聞いていたんだが、二人だったのか?」
アレンが父を見た。
「あっ、えぇ……」
「はじめまして、司祭でエミリアの唯一無二の親友、セレナ・リーゼスです」
父が紹介するよりも早くセレナが言った。
「ニナの教育係としてしばらくお世話になります。あっ、その後もちょくちょくお世話になる予定です!」
先程までの泣きそうな表情は影も形もなくなっていた。
「はは、元気な司祭様だな」
「えぇ、そこだけは、教会の中では負けたことはありませんからっ」
セレナが胸を張って、意気揚々と答えた。
「えっと……お二人は?」
父が小さく咳払いした。
「こちらの二人は……」
「俺がアレンで、こっちがハンス。この教会を建てた凄腕の職人よ!」
父の言葉を遮って、アレンがセレナに張り合うような勢いで名乗りを上げた。
「あ、兄さん……」
ハンスが困ったように苦笑いを浮かべる。
紹介の機会を奪われた父は、わずかに肩を落としていた。
――お父様、また……。
そんな父の様子に気づいたのか、母がくすりと笑った。
「新しく作られるって聞いてたけど……正直、想像以上だわ」
「そうだろう、そうだろう。男爵からも力を入れてほしいってお願いされたからな」
みんなの視線が父に集まった。
「え? あっ、そうだなっ」
父の表情がぱっと明るくなった。先程までのしょんぼりした空気はどこかへ消え去り、いつもの堂々とした男爵の顔へと戻っていく。
「この教会は、私にとっても特別な場所でしてね」
父はゆっくりと教会の中を見渡しながら、言葉を続けた。
「今の村があるのは、教会の皆さんのおかげです。浄化の儀式でセレナ殿やカタリナ殿、そしてポンティウス司教に助けていただけたからこそなのです」
そこで父は一度言葉を止め、少し照れくさそうに頬を掻いた。
「だからこそ、この教会には特に力を入れてほしいと、職人の皆さんにお願いしたんです。……感謝の気持ちを、形にできればと思いまして」
父が用意していた台本ではなかったけれど、その言葉にセレナとニナが目を丸くした。
「本部からもっと大きいステンドグラスを送って貰えていたら、さらに良くできたんだがな」
「え?」
セレナが近づいて確認した。
「確かに……よく見るとなんだか小さいわね」
「村だから小さいんじゃないんですか?」
私は少し気になって聞いてみた。
「ノックスよりも少し大きい村に行ったこともあるけど、流石にこれよりは大きかったわ」
「まぁ、これまで迷惑をかけてきたわけだから、送って貰えるだけでもありがたいというものだ」
父が苦笑いを浮かべながら、軽く肩をすくめた。
「うぅ、なんだかすいません」
「ニナが謝る必要はないわよ。私がしっかりと伝えておくから……ねっ」
セレナが、申し訳なさそうに眉を下げたニナの肩に手を置き、悪戯っぽくウインクした。
「お母様、あれって……」
「えぇ、良くないことを思いついた合図ね」
私と母は、互いに顔を見合わせ、ため息をついた。
その後、私たちはニナとセレナに教会の中を一通り紹介して、教会の裏手にある薬草園に向かった。
「わぁ……」
整然と区画された薬草園を目にしたニナの表情が、ぱっと明るくなった。
「こっちも凄いわね、エミリアが手入れしたの?」
セレナが薬草園を見渡しながら、感心したように目を細めた。
「えぇ、ユミナにも手伝ってもらったわ」
「なるほど。流石ね、ユミナちゃん」
母が、隣に立つ私の頭にそっと手を置くのを見て、セレナがからかうように私の顔を覗き込んだ。
「わ、私は水をあげていただけですけど……」
変に注目されて、私は思わず視線を逸らした。
「教会だけでなく、こんなに立派な薬草園まで……」
「ほんと……、街でもこんなに綺麗に整ってるところ、そうそう見ないわよ」
セレナがじとっとした半目で母を見つめた。母は何も知らないとばかりに、視線をふいっと逸らして口笛でも吹きそうな顔をした。
「……エミリア、絶対あなたが張り切ったでしょう」
「あら、何のことかしら。教会への感謝の気持ちよ」
母はそう言って、いつも通り穏やかに微笑んだ。とても誤魔化しているようには見えない、自然な表情だった。
――お母様、その顔で言われたら、誰も追及できないと思います……。
「あっ、あの白い花って……」
ニナが小走りで駆け寄っていく。私たちもその後を追った。
「やっぱり、ルーメナですよね?」
ニナがしゃがみ込み、白い花に顔を近づけて確信を持ったように尋ねた。
「えぇ、栽培してみたら上手くいったのよ」
「ニナさん、ルーメナのこと知っているんですか?」
私はニナの横から花を覗き込みながら、思わず尋ねた。
「はいっ。修道院には草花を研究する場所があって、そこで見せてもらったことがあるんです」
――研究……お母様が書いたっていう論文も、そこで書かれたものなのかな。
「でも、繁殖させようとしてもなかなか上手くいかないって聞いていました」
「そうなのね……」
母がニナの隣で膝を折り、根元の土をそっと指でつまんだ。
「そうなると、やっぱり土かしら……」
「はい、そうだと思います。ただ……」
ニナが眼鏡をくいっと押し上げた。その瞬間、眼鏡が輝いた。
「研究員の方は土と一緒にルーメナを持ち帰ってきていたので、ただ同じ土を使えばいいというわけではないのかもしれません」
「……どうして<豊穣の地>と呼ばれていたのかが鍵かもしれないわね。当然、魔力濃度の測定に異常は無かったのよね?」
「はい、何度測定しても普通だったと……」
二人の会話は、そこからどんどん専門的な方向へと加速していった。
「あらら……。エミリアのあの顔、久しぶりに見たわね」
セレナが腰に手を当てながら、どこか懐かしそうに、それでいて呆れたようにため息をついた。
「お母様って昔は薬草学の研究をされていたのですか?」
「えぇ、夜通し薬草の資料と睨めっこしてたこともあったんだから」
「そうだったんですね」
いつも穏やかで、落ち着いている母しか知らなかった私にとって、それは初めて見る顔だった。目を輝かせ、まるで少女のように夢中になっている母の姿は、どこか新鮮で、それでいて誇らしくもあった。




