第五十七話 赴任
村に近づいてくる馬車が見えた。
日の光を受けて白く輝く馬車。何度か村を訪れたことのある教会の馬車だった。
私は両親と共に、その到着をじっと待っていた。ルナはといえば、厩舎の近くに座りこちらを見ていた。
――ちょっと緊張して来たかも……。
儀式や調査団のときとは違って、今日は村人全員でのお出迎えではない。それでも気になったのか、数人がそっと顔を出していた。
リィナたちやアレンたちは気づいたら村に溶け込んでいたから、こうして誰かを正式に迎えるのは初めてのことで、どうにも落ち着かなかった。
馬車がゆっくりと速度を落としていく。
――確か、お母様の知らない人なのよね。
村に赴任するシスターは教会からの手紙で事前に名前がニナと知らされていたが、母も知らない名前のようだった。
母は、普段から近況をやり取りしているセレナに手紙で聞いてみたようだったけれど、返事はニナの話もそこそこに教会への愚痴へと脱線してしまい、肝心なことはほとんど分からなかったらしい。
そっと両親の顔色をうかがうと、父は相変わらずというか緊張の色が見えた。一方、母は……いつも通りだった。
ふと、母のことを考えてしまった。王都へ行った時も、グレイモント子爵のパーティーに参加した時も、母は普段と変わらなかった。私や父と違ってその場の空気に慣れているような雰囲気だった。
――お母様って、本当はもっと身分の高いお家の生まれだったのかな?
日々の生活が大変だったり、私が積極的に聞いてこなかったこともあって、母の過去については、教会のシスターだったということ以外はあまり知らなかった。
――そういえば、お父様のことも……。
二人が出会ったきっかけについては聞いたことがあったけれど、その時の父の答えは「まぁ、偶然な……」だった。
もう少し聞いておけばよかったと、過去の自分に少し後悔していると、馬車の扉が開いた。
姿を見せた女性は、茶色の髪が腰のあたりまでさらりと伸びていた。身に纏っている紺色の修道服は、以前見たことがあるものよりも明らかに品のあるものだった。
――あれ?
誰かに似ていた。
「セレナさん!」
思わず声が出た。てっきり知らない人が降りてくると思っていたのに、知っている人だった。
「あ、ユミナちゃん。それにエミリアも。久しぶり」
セレナはにこにこと手を振りながら走ってきた。
「セレナ……?」
隣でこっそり顔を見上げると、母もまじまじとセレナを見ている。
「ふふ、ビックリした?」
品格のある修道服を着ていても、笑顔は以前と変わらない気さくなものだった。
「……えぇ」
母は穏やかながらもじとっとした目をセレナに向けていた。
「おぉ、セレナ殿。お久しぶりです。もしかしてセレナ殿が村に?」
「そうです!」
父の言葉に、セレナは胸を張ってドヤ顔で答えた。
「え!?」
思わず声が出た。
「違うでしょ」
母は溜息をつくでもなく、ごく自然にそう言った。
「バレちゃった?」
ペロっと舌を出しておどけるセレナ。
「セレナさんって司祭になられたんですよね?」
私はセレナの様子を見て、どうしても確認したくなった。
「えぇ、そうよ。この姿を見なさいっ」
言うが早いか、セレナはその場でくるりと一回転してみせた。刺繍の入った修道服の裾がふわりと広がる。
「どう!? 似合ってるでしょ!」
満面の笑みで両手を広げるセレナに、私は思わず笑ってしまった。
――教会の司祭様って、大丈夫なのかな……。
私が知っている司祭と呼ばれる人は、目の前にいるセレナとポンディウス司祭だけだったので少し不安になってしまった。
「あ、でも、この村の責任者っていうのは本当なのよ」
「え?」
母の声が、今度こそ本当に驚いた色をしていた。さっきのセレナへの呆れとは違う、素の反応だった。
「ふふ、手紙で言っちゃったら驚かせられないでしょ?」
したり顔のセレナに、母は毒気を抜かれたように小さく息を吐いた。
「私のことよりもまずは、紹介しないといけない子がいるんだけど……」
セレナが白い馬車を見た。
「出てこないわね……、ちょっと待ってて、今連れてくるからっ」
馬車に走っていくセレナの後ろ姿見る母の目が、いつもと違って見えた。
「ちょっと、いつまで中にいるつもり」
「ひぃ、い、あ……、あのっ、まだ心の準備がっ」
セレナが紺の修道服をきた女性を馬車から引っ張り出した。
ぐいっと引かれて姿を現したのは、黄緑色の髪を二つに結った、小柄な女性だった。まとめられた髪が、両肩の前に垂れている。前髪の下には眼鏡が掛けられていて、その奥の瞳は不安げに揺れていた。
「あ、あの……は、はじめまして……」
声は小さく、消え入りそうだった。視線はせわしなく地面と私たちの間を行き来して、なかなか定まらない。両手はぎゅっと修道服の裾を握りしめている。
――この人が、ニナさん……?
「ほら、ちゃんと自己紹介しないとダメでしょ」
セレナがドンと背中を押した。
「ひゃっ……」
油断していたのか、シスターの体がぐらりと前に傾いだ。慌てて足を踏ん張ろうとするものの、間に合わず、つんのめるようにして数歩よろける。
「うわわわっ……!」
なんとか転ばずに踏みとどまったものの、ずれた眼鏡を慌てて押し上げる手は、まだ少し震えていた。
「し、失礼しました……、お見苦しいところを……」
セレナはそんな様子をまったく気にした風もなく、にこにこと見守っていた。
シスターは深呼吸を一つすると、ぎこちなく姿勢を正した。
「あ、あの……。ニナ・ミルズと申します。このたび、こちらの村に赴任することになりました。よりょっ……、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる。眼鏡がずり落ちそうになり、慌てて指で押さえた。
父が一歩前に出た。
「ノックス領を治めております、マグナ・エルデガルドです。これからよろしくお願いします、ニナ殿」
父は緊張していたニナを見て安心したのか朗らかだった。
ニナは小さく頷きながら父の顔を食い入るように見つめていた。
続いて、母が一歩前に出る。
「エミリアです。よろしくね、ニナさん」
穏やかな声だった。なのに、ニナの肩がびくっと跳ねた。
「ひゃ、はい……! エ、エミリアさ……いえ、エミリア様……っ」
声が完全に裏返っている。両手をぎゅっと胸の前で握りしめ、視線が宙をさまよっていた。
ニナがおずおずと続ける。
「あ、あの、教会の修道院にいた時、エミリア様のお噂はよく耳にしていて……っ、治癒の腕も、薬草学の知識も素晴らしいって……、論文も全部読ませていただきましたっ」
私はニナの言葉に少し驚いた。
――教会に居たことは知っていたけど、論文? そういえば、ルーメナの話をしていた時も面白いって……。
ほんの少しだけど、母の過去を知れた気がした。
「ふふ、それは嬉しいけれど……、どうしてそんなに怯えて……」
「そ、それは……」
ニナの視線がちらりとセレナのほうへ泳いだ。
母の眉がぴくりと動き、ゆっくりとセレナへと顔を向ける。
「セレナ」
いつもと同じ穏やかな声色なはずなのに、背筋がすっと冷えた。
「あ、あはは……、ほ、ほら、ユミナちゃん! 自己紹介、自己紹介!」
露骨に話を逸らし、助けを求めるようにこちらを見てくるセレナ。仕方ないと思いつつ、私は一歩前に出た。
「ユミナ・エルデガルドです。よろしくお願いします、ニナさん」
ぺこりと頭を下げると、ニナも我に返ったように、慌てて頭を下げ返してきた。
「よ、よろしくお願いいたします、ユミナお嬢様」
「そして、私がこの辺り一帯担当の巡回司祭になったのよ!」
横から割り込んできたセレナが、腰に手を当てて胸を張った。
「……巡回司祭ですか?」
首をかしげる私に、母が小さく笑った。
「ニナさんのような村付きの修道者が日々の務めを担って、巡回司祭はその上で地域全体を見て回る、という形ね」
「なるほど」
――つまり……セレナさんは偉い人なのね。
当の本人を見ると、静かにうなずいていたのだけれど、失礼ながら大丈夫かなと思ってしまった。
「あなた、ニナさんの案内をお願いしますね」
「ん? あぁ、分かった」
父は少し目を見開き、それから小さく頷いた。
「私はセレナ司祭とお話をしてから参りますから」
そう言って、にっこりとセレナに微笑む母……。完璧に作られた笑顔だった。
「え!? あっ、エ、エミリア……」
後ずさりしようとするが、母はセレナの腕をがっしりと捕らえて逃がさない。
「あの、ニナが緊張してたみたいだから……」
じりじりと視線を泳がせながら言葉を探すセレナだったが、母の微笑みが一向に揺らがないのを見て、みるみる顔が青くなっていく。
「ほ、ほらっ。私、よくエミリアに怒られてたじゃない。それで……、ちょっとエミリアが怖かったって言ったら……反応が面白くて……」
母の笑顔は崩れない。それがかえって怖かった。
「……あ、で、でも……、私も調子に乗って、少し……、いえ、結構大げさに言っちゃった……かも……」
――セレナさん、何も聞かれていないのに……。
どんどん小さくなっていくセレナと、ふと目が合った。合ってしまった。
その瞬間、セレナの目がぱっと輝いた。まるで暗闇の中に光を見つけたかのように。
私は思わず一歩後ずさった。
「ユミナ、行かないのか?」
どうしようか迷っていると父の声が聞こえた。振り向くと、父がニナと少し離れた場所からこちらを見ていた。
――……。
「あ、はい。今行きます」
――セレナさんごめんなさいっ。
心の中で手を合わせて謝りながら、私は父たちの元へと向かった。背後からセレナの「ちょ、ユミナちゃんっ……!」という声が聞こえた気がしたけれど、聞こえなかったことにした。
「セレナさん大丈夫でしょうか?」
「はは、大丈夫だろう。エミリアはちゃんと謝れば許してくれるからな」
父は腕を組みながら、うんうんと頷いていた。
「……お父様も経験があるのですね」
「んっ、ま、まぁ……それなりになっ」
どこか誤魔化すような父の言葉に、私は思わずジト目になってしまった。
「お父様……」
そんな私の様子がおかしかったのか、隣で小さく息を吐く音がした。
「……くすっ」
振り向くと、ニナが口元を手で押さえていた。それまでの強張った表情が嘘のように、目元が少しだけ緩んでいた。
けれど、それも一瞬のことだった。
「あ……、も、申し訳ありませんっ、わ、笑うつもりなんてっ……!」
はっとした様子で顔を青くし、慌てて頭を下げてくるニナ。
「大丈夫ですよ」
私はできるだけ柔らかく笑いかけた。
「私と父は、貴族っぽくない事には自信がありますから」
正直、自慢することではないのだけれど、変に緊張されるよりはいいと思った。
「うむっ、確かにその点だけならエミリアにも負けないな!」
お互いに笑い合う私たちを見て、ニナの強張っていた肩から、ふっと力が抜けた気がした。
「あの、ユミナお嬢様……」
「ユミナで大丈夫ですよ」
「え? で、ではっ、ユミナ、さん……、エルデガルド男爵。私、少しずつ、頑張りますので、改めてよろしくお願いします」
たどたどしいながらも、ニナは自分の言葉でそう紡いだ。
「私のこともマグナで良いのだがな」
「え!? あっ、はい。……努力してみます」
ニナが少し戸惑いながら答える姿を見て、自然と笑みがこぼれた。
と、そこへルナがてくてくと近づいてきた。
「……あれ、この子は?」
「あぁ、こいつはルナと言って我が家の一員です」
父はそう言って、ルナを少し雑に撫でた。
「見ての通り噛みついたりしないので、安心してください」
ルナは父の手から逃げるようにニナに近づく。ニナがしゃがみ手を伸ばすとルナは自然に体を預けた。
「ほんと、とてもおとなしいですね」
父の時と違いご満悦なルナ。
「エミリアぁ……、ほんとにごめんってばぁ……!」
背後では、まだ司祭様の悲鳴めいた声が続いていた。
――あれ? そういえば……
ふと、とあることに気が付いた。
――お父様、私が「貴族っぽくない」って言ったこと……否定してくれなかったような……。
考えたら負けと思った私は、考えることをやめた。




