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辺境の男爵令嬢に転生したのでほのぼの生きていこうと思います  作者: セルピア


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第五十六話 冬の日の出来事

水の入った木桶を薬草園に運んでいく。朝の空気はまだ薄く冷たく、吐く息が白くほどけて消えていく。それでも、コートがなければ困るほどではなかった。


――そろそろ春が来るのかな。


春が来るたびに思う。冬というのは、気づかないうちに終わっているものだと。

木桶を置いて、水まき壺を取りに行く。ついてきたルナは、白い花が咲く一角の前で座っていた。


水まき壺というのは、陶器でできた壺の底に小さな穴がたくさんついている物で、水がいっぱいになった状態で上部の穴を親指で塞ぐと、底の穴から水が落ちなくなるという仕組みだった。


王都などにはジョウロのような道具があると母から教えてもらったのだけれど、村にはまだなかった。

壺を水の中に沈めるとゴボゴボと音を立てて底の穴から水が入っていく。


私は壺を持って草花に水をかけていく。

冬の間に植えておいた種が芽吹き、薄い緑色の芽がいくつか顔を出していた。ちょこんと土を押しのけるようにして出てきたものや、もう少し伸びてひょろりと立っている姿が見えた。


壺の穴をふさぐ親指を緩めると、底からシャワーのように水が優しく降り注ぐ。

ルナの待っている白い一角にも水をかける。冬の間も変わらず咲いていたルーメナは、春になってさらに花の数が増えていた。


「おう、嬢ちゃん。今日も早いな」


「ユミナさん、おはようございます」


そう言って声をかけてくれたのはアレンとハンスだった。

二人は教会が完成した後も村に留まっていた。

厩舎や民家の修繕をお願いされたこともあり、いつの間にか自分たちの寝泊まりする小さな家まで作っていた。


ただ、家と言っても、それは奇妙なものだった。傾斜のある木の屋根の下に、テントが張られてた。

どうしてそんなことをしているかというと、冬の苦い経験が理由だった。


――あの時は大変だったな~……


* * *


それは、学園が休みに入り、リィナが久しぶりに村での日々を過ごしていた時のことだった。

その日、雪の降り方がいつもと違っていた。


私とリィナはルナを連れて雪が積もり始めた道を歩いて厩舎に向かった。作業中の二人にメリルからの伝言を伝えるためだった。


「アレンさん、ハンスさん、今日は雪がたくさん降りそうなので、今夜は宿を使ってくださいって、メリルさんが……」


アレンは手を止めずに顔だけこちらに向けた。


「おう、すまないな。でも大丈夫さ。この前の雪でも平気だったしな」


「でも、今日は前よりも降るみたいで……」


「ありがとうございます。でも、あのテント結構頑丈なので」


ハンスも気にせずに作業を続けている。トントンと木を叩く音が響いていた。


――まぁ、二人が大丈夫って言うのなら平気かな。


「雪に埋もれると窒息する可能性がありますよ」


リィナがさらりと言った。世間話でもするような軽さだったけれど、その声は確かに二人にも届いた。


「…………」「…………」


道具を持ったまま、二人は微動だにしない。風が吹いて、雪がひとひら、アレンの肩に落ちた。


「……ハンス」


「……せっかくのご厚意ですしね」


二人はゆっくりと顔を見合わせた。


「リィナ、ありがとう」


「王女殿下がお治めになるこの土地で、最初の犠牲者になるわけにはいきませんからね」


二人を心配しているというより、計算式の答えを読み上げているような声だった。



「ユミナちゃんもリィナちゃんも泊っていく?」


宿に戻るとメリルに声をかけられた。せっかくなので私たちもお世話になることになった。

翌朝、目を覚ますと、村は銀世界へと姿を変えていた。


「ほんと、真っ白」


リィナが窓の外に視線を向けていた。視線の先には、朝日の下で屋根の雪を下ろす村人の姿があった。


「手伝いに行きますか?」


「ううん、私たちが行っても作業の邪魔になっちゃうから」


「……そうですか、手伝えたらよかったんですけどね」


リィナが小さく言った。



リィナとルナと一緒に一階の暖炉の前でゆっくりしているとアレンとハンスが降りてきた。


「お二人さん、おはよう」


「おはようございます」


ゆっくり眠れたのか、二人は朝から元気だった。

「おはようございます」と私が返すと、リィナも暖炉から視線を上げて頭を下げた。


「ルナもおはよう。朝から暖かそうだな」


ルナは、アレンの言葉に尻尾を少し動かして挨拶を返した。


「アレンさん、結構積もってますけどテントは大丈夫そうですか?」


「ははっ、大丈夫だろう。心配なら見に行くか?」


私とリィナはお互いに顔を見合わせ頷いた。

宿の外に出ると、柔らかい雪が道をすっかり覆っていた。


ルナが雪をじっと見下ろしているのに気づいて、私は抱き上げてアレンたちの後に続いた。

雪の中を少し進むと、雪がこんもりと積もっているアレン達のテントが見えた。


「どうだ。雪ごときに負けるテントじゃない」


それを見たアレンが得意げに言った。


――流石、アレンさん達職人が作っただけあってしっかりしているのね。


「中も問題ないはずだ」


アレンはそう言い、積もった雪を手で払いながらテントの入り口に手をかけた。

ハンスも後ろから覗き込むように続く。

アレンがテントの入り口をくぐった。中央に一本の支柱があり天井を支えている。


テントの中は外よりわずかに温かく、人一人が寝転がれるほどの毛皮の敷物が広げられ、その傍らに手入れの行き届いた工具が整然と並んでいた。


「どうだ!」


アレンが振り返って言った。私とリィナは入り口から中を覗き込んだ。


「……それ、良い物ですね」


リィナが入り口から首を伸ばして、毛皮の敷物に視線を向けた。


「おっ、分かるか」


アレンの顔がぱっと明るくなった。


「兄さんは毛皮の感触が好きでして。それ、結構な品なんですよ」


ハンスが後ろから教えてくれた。


「街で見つけたんだ。なかなか高い買い物だったが、後悔はしていない」


話すうちに声に熱が入ってきたらしく、狭いテントの中にアレンの声がよく響いた。本人はまったく気にしていない様子だった。

その時だった。


ミシッ

小さいが、確かな音だった。腕の中のルナの耳がぴくりと動き、天井へと視線が向いた。


――あれ? 今音が……。


頭上から細かい雪の粉がぱらぱらと落ちてくる。リィナも何かを察知したのか一歩後ろに下がった。

自然と視線が上を向いた。


――……なんだか天井が近くなったような……。


「……兄さん、少し雪を下ろした方がいいかも。これだけ積もっていると凍ったら大変だし」


ハンスも上を見ていた。

一方、アレンはしみじみと毛皮をなでていた。


「ん? まぁ、それもそうだな」


立ち上がるアレンを見て、ハンスがホッとしたような表情を浮かべた。私も同じだった。


「だが、多少凍ったところでこいつは大丈夫だがな」


バンッ!

アレンが、ギリギリのところで踏みとどまっていた木の支柱を叩いた。

次の瞬間、ミシミシミシ……と音が連鎖した。


「あっ」


誰かの声が聞こえた気がした。アレンがようやく天井を見上げた時には、もう遅かった。


「ぬおぉぉぉ……」


アレンの情けない声を包み込むように、テントは内側へとゆっくり、しかし確実に崩れ落ちた。

地面がどすんと震え、雪煙とともに冷気が一気に押し寄せてきた。

鼻の奥がつんとするほど冷たい空気を吸い込んで、私は思わずむせてしまった。


しばらく、誰も何も言わなかった。

雪に埋もれたテントの残骸の中から、もぞもぞと動く気配がした。


「兄さんっ」


私たちは急いでアレンを引っ張り出した。


「ふぅ、酷い目にあった」


被った雪を掃いながらアレンは言った。


「雪って重いですから」


「いや、まったく。リィナ嬢ちゃんの言うとおりだなっ」


押しつぶされそうになったのにアレンは元気だった。


「次は雪の重さも考えないと……」


ハンスが独り言のように言った。失敗を失敗のままにしない、職人らしい言葉だと思った。



「あの、それ」


リィナがつぶれたテントから滑り落ちた雪を指さしていた。


「なんだ、何かあったのか?」


アレンが首を傾けて、リィナの指の先を目で追った。私とハンスも同じ方向を見た。


――雪の中に何かあるのかな?


「特に何もないような……」


ハンスが答えを求めるような目でリィナを見た。私とアレンも同じだった。


「その毛皮……」


――毛皮?


よく見るとテントがつぶれたせいで毛皮の敷物の上に雪が被さっていた。


「……それがどうしたんだ?」


アレンは顎に手を当てて、じっとそれを見つめた。考えているのか考えていないのか、アレンの頭の中には、大きな「?」が浮かんでいるようだった。


「雪が解けて皮に染み込む前に払わないと、ダメになります」


「は?」「え?」


二人の声が重なった。アレンの目が毛皮とリィナの間をせわしなく行き来している。私も思わずリィナを見た。


「……そうなの?」


「はい、毛が固まったり、皮がひび割れたり……」


寒さの中でもいつもと変わらなかったアレンの顔がしだいに青くなっていく。


「最悪、臭いやカビが発生する可能性も……」


「ハンスっ!! 急いで宿屋の暖炉にっ。乾かすぞ!!!」


アレンが軽く雪を払ってから、毛皮に飛びついた。ハンスも無言で反対側を掴む。


「あっ、待ってください」


リィナの声に二人の動きが止まった。


「暖炉の近くに置くのはダメです。皮が縮んでダメになります」


「……え」


アレンの手から力が抜けた。ゆっくりと振り返ったその顔は、今にも泣き出しそうだった。


「じゃあ……どうすれば」


普段の威勢はどこへやら、すがるような目でリィナを見ていた。


「まずは雪を叩き落としながら、毛皮を取り出しましょう」


「分かった」


アレンが真剣な顔で頷いた。

リィナの指示のもと、私たちは手分けして手早く作業を始めた。アレンとハンスが慎重に毛皮の端を持ち上げ、リィナが手のひらで雪を丁寧に叩き落としていく。私もルナを下ろして反対側から雪を払った。


「こっち側もまだ残ってます」


「ああ、ありがとう」


アレンの声は珍しく素直だった。


「では、宿の中へ」


「いや、しかし……」


暖炉のことが頭にあるのか、アレンが一瞬足を止めた。


「大丈夫です」


リィナは迷いなく言った。


「……分かった」


アレンが小さく頷いた。


「ハンス!」


「はいっ」


二人は毛皮の四隅をそれぞれ持ち、雪に触れないようにそっと広げた。私とリィナが先に扉を開けて道を作る。アレンとハンスが毛皮を掲げるようにして宿の中へと入った。


「ここに置いてください」


二人はリィナの指示通り、暖炉から離れたテーブルの上に毛皮を置いた。


「次に布で水分を吸い取りたいんですが……」


リィナが辺りをきょろきょろと見回した。


――布……部屋にあったかな。


私が部屋に確認しに行こうとすると、ぱさりと音がした。


「これでいいか?」


「……」


リィナが一瞬固まった。


「服でも大丈夫ですけど……本当にいいんですか?」


「大丈夫だ」


アレンは迷いなく言った。


「では、こすらずにそっと押さえるようにお願いします」


「ああ」


アレンが神妙な顔で頷いた。上着を手に、毛皮にそっと押し当てる。

私たちは、息を詰めながらその様子を眺めていた。聞こえるのは暖炉のぱちぱちという音だけだった。

しばらくして、リィナが口を開いた。


「……あとは、少し乾いてきた時に、ブラッシングしていけば大丈夫だと思います」


「そうか」


アレンの表情がわずかに緩んだ。


「それなら任せろ」


アレンはそのまま扉へと向かった。


「クシを取ってくる」


扉が開き、雪の冷気が一瞬流れ込んできた。


「アレンさん、大丈夫かな……」


「今日は大丈夫でしょ」


リィナは特に心配する様子もなく、毛皮の様子を確認している。


「ご迷惑をおかけしてすいません」


ハンスが静かに頭を下げた。その表情はどこか慣れているようだった。

クシを取って戻ってきたアレンの努力もあり、毛皮は無事だったけれど、アレン本人は数日体調を崩してしまった。


* * *


そんな苦い経験があったため、二人はテントを守るための屋根を作った。

気が付くと少し笑みがこぼれていた。


「嬢ちゃん?」


アレンの声で、我に返った。


「ははっ、朝から考え事か?」


「……内緒です」


アレンが肩をすくめた。隣でハンスが静かに口を開く。


「そういえば、明日、教会にシスターが赴任するんでしたっけ」


「はい、お昼ごろには到着されると思います」


私は教会の方へ視線を向けた。春の朝日の中に、まだ村に馴染んでいない教会が静かに建っていた。

作品を読んでいただきありがとうございました。少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

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