第五十四話 日進月歩
ヴィセリアの学校に通い始めて、一ヶ月ほどが経った。
週に三日は街で過ごし、残りの日は村で過ごす。そんな生活にも慣れてきた。
村に帰宅した時の父のお出迎えも最近では随分とマシになった。本当に……。
「ユミナお姉ちゃん、これで合ってる?」
村の女の子が地面に木の枝で自分の名前を書いた。
「えぇ、名前はもう完璧ね」
私がパチパチと拍手するのを見て、女の子は「やった~」と喜んだ。
少し離れた場所では、リザとマルクも同じように子供たちに文字の読み書きを教えていた。
きっかけは村に帰る馬車の中でマルクが言った言葉からだった。
「学校で教わったこと、子供たちにも伝えてあげられないかな?」
「いいわね、やりましょう」
リザはぱっと顔を上げ、両手を打ち合わせた。声には抑えきれない弾みがあった。
「もちろんユミナもいいわよね」
「え? あ、うん」
有無を言わさない目だった。
冬になると農作業も落ち着き、子供たちも自由な時間が多くなる。そんな時期にマルクの案はぴったりだった。
当の本人たちは、勉強していると言うよりも学校ごっこをして遊んでいる感じなのだけれど、楽しみな遊びの一つとして定着していった。
「それじゃあ、次は歴史のお話をしよっか」
「は~い」
子供たちがマルクの元に集まる。
「じゃあ、今日はお願いね」
リザがマルクに声をかける。
「うん、任せて」
読み書きについては私たち三人が先生になって教えていた。
礼法と紋章学はリザが担当し、それ以外のことはマルクが担当していた。
私も算術担当となっていたのだけれど、計算は子供たちにとってつまらないものだったので、お休みにしていた。
マルクは子供たちを連れて村の学校に向かって行った。
学校と言っても、私たちが勝手にそう呼んでいるだけで、宿として使われていた大きな民家なのだけど……。
マルクたちを見送ると、リザが伸びをしながら口を開いた。
「私はメリルさんのところに行こうと思うんだけど、ユミナはどうする?」
「私はレベッカさんのところかな。お願いしていた物が届くみたいだから、それを受け取ってから向かうね」
「そう。じゃあ、また後で」
リザが軽く手を振りながら、食堂の方へと歩き出した。
「うん」
私も小さく手を振り返し、完成した交易所へと足を向けた。
歩いていくと、天秤の上にとまった鳥を模ったマークの立派な看板が見えてきた。
しっかりとした角材で組まれた骨組み、丁寧に磨かれた木の壁、大きく取られた窓。
木の板を組んだだけの村の家と比べると、街からそこだけ切り取ったような存在感を放っている。
――いつ見ても立派だなぁ……。
「目立つように」というギルバートの依頼を受けて、アレンたちが気合を入れた結果、この立派すぎる交易所が完成したのだ。
扉を開けると、木の香りがまだ新しい交易所の中に、ギルバートとレベッカの姿があった。
「いらっしゃい。あら、ユミナちゃんじゃない」
レベッカが手招きをした。
「こんにちは。ギルバートさん、お願いしていた物はありますか?」
「あぁ、もちろんさ」
棚を整理していたギルバートが手を止めて、店の奥に入っていった。
店の中を見渡すと、棚にはまだそれほど多くの品物が並んでいるわけではなかった。
農具の替えの刃や、丈夫な布、保存の効く調味料といった、村の暮らしに直結する品々だけだった。
「ギルバートさんが、一つ一つ吟味して揃えてくれた物よ」
棚の商品を眺めていると、レベッカが教えてくれた。
「まぁ、まだユミナお嬢さんが気に入りそうなものは無いのだけれどね。どうぞ、ご依頼の品です」
戻ってきたギルバートが一冊の本を差し出した。
「ありがとうございますっ」
代金と引き換えに受け取った本の表紙を見ると、確かに頼んでいたものに間違いなかった。
「ユミナちゃん、頑張ったのね」
「はいっ。と言っても、頑張るのはこれからなんですけど……」
「あら、そうなの?」
「はい……、父に少し出してもらったので……、これからお手伝いを頑張ることに」
実は、ギルバートが村の皆に必要な物を聞いて回っていた時、私は本と答えた。けれど本は安くない。村の手伝いやアレンの魔導具への魔力補給の報酬で貯めていたお金だけでは足りず、結局、父に前借りすることになったのだった。
「そうだったのね、なら店のお手伝いもお願いしちゃおうかしら」
「あ、はい」
「ユミナちゃん、算術が得意なんでしょ?」
「はい、簡単な計算なら大丈夫だと思います」
街の学校で教わる算術は、難しくても二桁の足し引きで私にとっては簡単だった。
「へぇ、それは頼もしいな」
ギルバートが感心したような顔をした。
「計算のお手伝いですか?」
「えぇ、それもあるけど、ギルバートさんが街から持ってきてくれた物と、帳簿が合っているかの確認ね」
「確認……、それぐらいでいいなら、いつでも手伝います」
「ふふ、それじゃあ、今度からお願いね」
「はいっ」
私は、店の手伝いを約束して外へ出た。
購入した本を抱きしめ自宅に向かっていると、ロベルトが馬に乗ってゆっくりと歩いている姿が見えた。
「ロベルト、だいぶ慣れてきたんじゃない?」
声をかけると、ロベルトは手綱を軽く手前に引き、馬を止めた。
「へへっ、そうだろう」
馬の上でドヤ顔をするロベルト。そんなロベルトとは対照的に、馬はまぶたが垂れ下がった目で私をぼんやりと見つめていた。
――今日もロベルトに付き合ってくれてありがとう。
私はルナのように伝えることはできないけれど、心の中でそう伝えた。
「馬に乗れなくてもいい!」と強がっていたロベルトだったけれど、街で騎士に馬は必須と聞いてからは、時間を見つけては乗馬の練習を始めていた。
そして、その練習の相棒となっているのが、このちょっと頼りない顔の馬だった。
村の馬の世話を担当しているディックが、「こいつは、村で一番の老馬であまり走らないんだが、今のロベルトには丁度いいだろう」と言って勧めたのがこの子だった。
「えぇ~、じいさん馬かよ」
最初は不満を口にしていたロベルトだったけど、驚くほどすんなりと乗せてもらえた。
「この調子で他の馬も乗りこなしてやるぜ」
「う、うん。頑張ってね……」
――確か、先週もそんなこと言っていたけど、まだ他の子に言うことを聞いてもらえないのね……。
「あぁ! よし、行けっ。ハイパーマッハジェット号!」
ロベルトは威勢よく声を上げ、軽く馬の腹を蹴り、馬を走らせる。
ハイパーマッハジェット号と呼ばれて迷惑そうな老馬は、その声に応えるようにパカ、パカパカ、と小走りになる……と思ったのも束の間、三歩ほど進むとのんびりとした歩調に戻ってしまった。
それでもロベルトは、自分の意志に応えてくれたことに対し、満足そうな表情を浮かべていた。
――あの子……もしかしてロベルトの扱い方を知り尽くしてる!?
揺れる尻尾、左右に傾く尻、そしてのんびりと運ばれる四本の脚。急ぐ様子は微塵もなく、その歩みはどこまでも一定だった。
私はそんな老馬の後ろ姿を少し眺めた後、家に向かった。
* * *
数日後、ギルバートから購入した本を見ながら、宝石の付いたペンダントに魔導回路を刻んでいた。
「よし、これなら」
完成した回路を見て、私は頷いた。
――やっと、ここまで来た。
ヴィセリアの学校に通うことになって、日課にしていた浄化を行えないことが増えてきた。数日程度であればまとめてやることもできるけれど、今後、村を長く離れる可能性もあった。そこで、魔導具で浄化することができないか、考え始めた。
ルナからは『そこまで考える必要はあるのか?』と言われたこともあった。けれど、王都から定期的に派遣される調査団によって浄化の進み具合が観測されている以上、急にペースを変えるわけにもいかず、一日の範囲を自分の中で決めて続けてきていた。
みんなのことを考えれば、できる限りやっていったほうがいいとは思っていたけれど、今まで続けてきたこともあり、少し意固地になっている自分がいた。
魔石に込めた魔力を放出する方法は、入門書に書かれていてすぐに出来た。ただ、その方法では魔力を放出するだけで浄化に使うには加減ができなかった。
木材を乾燥させる魔導具を作ったアレンなら、放出の加減を知っていると思い聞きに行ったのだけれど……。
「加減か。簡単だぞ、こう、スゥーっとやってから、フワァだ!」
アレンは快く身振り手振りを交えて説明してくれた。
「……スゥーっと、フワァ、ですか?」
アレンの説明は感覚に頼りすぎていた。そこで、私は隣で作業していたハンスにアレンの意図の説明を求めた。
しかし、ハンスは魔導回路には関わっていなかったようで返ってきた言葉は「ごめんなさい」というものだった。
「一度分解して見せてほしい」と、喉まで出かかったけれど、忙しそうに次の作業に戻るアレンを見て、言葉を飲み込んだ。
そこで、ギルバートに子爵領の街から魔導具の本を仕入れてもらうことにした。
魔導具を起動してみると、風属性の魔力がふぅ~っと息を吹くように放出される。
暖炉近くで裏返っているルナにそっと近づけると、銀色の毛がふわりと舞い上がる。同時に頭だけがこちらを向いた。
「あ、ごめんなさい」
言葉こそなかったが、その目が『何をする』と言っていた。魔導具をルナから離すと、ルナは再び温かさを満喫しはじめた。
――後は宝石の魔力を変えれば、ゆっくりと浄化してくれるはず。
自動で土地を浄化する魔導具としては、まだまだ課題は残っているけれど、ひとまず一歩前進することができた。
ガチャ。
扉が開くと、冷たい風と一緒に母が荷物を手に戻ってきた。
「おかえりなさい」
「ただいま。ユミナ、王女殿下からよ」
「ありがとうございます」
私は母から手紙と小包を受け取った。
「運び屋の方、村に泊まるみたいだから、届け物は明日の朝までに渡してくれれば大丈夫みたいよ」
母は手に持っていた手紙をテーブルにそっと置いて、暖かい飲み物の準備をしながら教えてくれた。
「はい、分かりました」
私は手紙の封を開けた。その瞬間ふわりと花の香りが立ちのぼった。以前教えてもらったフェリシアお気に入りの香水の香りだった。
「お手紙を頂けなくて悲しかったです」
――……。
いつもと同じ綺麗な字に、いつもと違う書き出しだった。
先月運び屋が村に来た時、私はヴィセリアの街に居た。そのため手紙を出すことが出来なかったのだ。
――確か……お母様が、そのことを伝える手紙を出してくれてたはずだから……多分、わざとね。
拗ねた振りをして微笑むフェリシアの顔が容易に想像できた。
「ユミナと出会って一年ほどになりますね。冬の支度はもう済みましたか? 少しの間だけですが、村での生活を経験したので大変なことは理解していますから、困ったことがあればいつでも頼ってくださいね」
――ありがとう。
王都と比べてノックス領の冬は確かに冷え込むけれど、毎年のことなので備えはできていた。それでも、こうして気にかけてくれるのは素直に嬉しかった。
「今回、送らせていただいた本は、最近お兄様が買ってきてくれた物なのですけど、面白くてユミナにも少し関係があるかもしれないと思い、それにさせていただきました」
――私に関係? 何だろ……。
「言葉を話す魔物との掛け合いが面白くて。ルナは話せないですけど、そういう風に思っているのかなと考えてしまって……」
――言葉を話す魔物……。
そう、確かに面白かった。フェリシアから送られてきた本を読んでいないのに、話の流れが頭の中に再生された。
――もしかして……。
包みを開けて、本のタイトルを見る。
<その魔物が話す理由>、カイルと一緒に街で買った本だった。
自分が面白いと思っていた本を、同じように面白いと言ってもらえた喜び。
新しい物語と出会えなかった悲しみ。
送られてきた本を握りしめながら、二つの気持ちがぶつかっていた。
手紙の続きには王都での近況が綴られており、こう続いていた。
「実は最近、お父様に無理を言って、あるお願いを聞いていただきました。詳しくはまだ内緒にしておきますね。……もったいぶるのも、たまには悪くないでしょう?」
悪戯っぽい字の跳ね方に、フェリシアの得意げな顔が目に浮かんだ。
そして、最後の一文にはこう書かれていた。
「来年の春、正式にノックスを訪れることになりました。また会える日を楽しみにしています」
「え!?」
思わず声が出てしまい、母と目が合う。
母も手紙を手にしながら、少し困った表情を浮かべていた。
「あらあら、これは大変ね」
「どうしましょう……」
私と母は、父をどう驚かせないように伝えるか相談を始めた。




