第五十二話 学校
休憩を終えた後、案内された少し広めの部屋の中には、既に何人かが敷物の上に座っている。
――もしかして、同じ講座を受ける人たちなのかな。
私たちも同じように座ると、タチアナがヴィセリアの学校について説明を始めた。
「ヴィセリアの学校は、長く通うものではなく、数か月単位で区切られた講座になっております」
タチアナの話によると、最初は基礎的な内容を幅広く学ぶ期間に当てられているようだった。読み書きや算術、礼法、この国の歴史といったものを一通り学んでから、自分の興味や適性に合わせて次の講座を選んでいく仕組みのようだった。
なお、剣術や魔術といった実践を中心とする講座は別枠で用意されているらしく、ロベルトはそちらに参加することになるとのことだった。
「俺、実践の方なんだ」
タチアナの説明を聞いたロベルトが、少し誇らしげに言った。
その後は街での暮らし方について簡単な説明を受け、タチアナに連れられて街を少し案内してもらった。通りに並ぶ店の様子や、他の講座が行われる場所を実際に歩いて確認するうちに、見慣れない景色も少しずつ馴染んでいくような気がした。
夕焼けに照らされるヴィセリアの街を眺めた後、屋敷に戻り夕食となった。
夕食を済ませ、共同浴場で湯に浸かったあと、リザと一緒に部屋へ戻った。
部屋に入るなり、リザが「ふぅ」と息をついて、そのままベッドに倒れ込んだ。
「リザ、大丈夫?」
「うん……ちょっと、気が抜けたみたい」
リザは仰向けになったまま、ぼんやりと天井を見つめている。いつもの澄ました様子はどこにもなく、髪もまだ少し湿っていた。
私はその横に腰を下ろした。
「今日、色々あったものね」
「そうね……。街も、お屋敷も……。全部、初めてのことばかりで……」
リザはぽつりぽつりと話し始めた。
「あの、お風呂もすごかったわよね。ほんとユミナの言ってた通りで……」
「信じてなかったの?」
「そういうわけじゃないけど……、想像できなかったし……」
リザの声が、少しずつ間延びしていく。
「街の人たちも……、タチアナさん……」
「リザ?」
隣を見ると、リザは目を閉じて、すうすうと小さな寝息を立てていた。話している途中で、そのまま眠ってしまったらしい。
「おやすみなさい」
私はリザにそっと布団をかけてあげた。
――私もそろそろ……あっ。
横になろうとした瞬間、本棚が目に入ってしまった。
部屋の中にはほんのりと光を放つ魔導具があるだけで、本を読めるほどの明るさではなかった。けれど、私は魔力で小さな光を作り出すことができる。
――時間的にはまだそんなに遅くないし……ちょっとだけなら。
足音を立てないようにそっと近づき、本棚から一冊の本を抜き取る。リザを起こさないように、ベッドに背を向けて壁際に座り、手のひらの上に小さな光を灯した。
――うん、これなら。
ページを開くと、文字と見慣れない図がぎっしりと並んでいる。教科書らしいその内容に、少しだけ気が引けたものの、好奇心の方が勝った。
私は本に没頭していった。
* * *
翌朝、私たちは食堂の長い机に並んで朝食をとっていた。
パンと、温かいスープ、それから卵料理。村とは少し違う味付けだけれど、どれもおいしい。
「……ふわ……」
スープを口に運んだところで、急に欠伸がこぼれた。慌てて手で押さえようとしたけれど、間に合わず、思いきり大きな欠伸になってしまう。
「あくびしすぎだろ」
向かいに座っていたロベルトが、呆れたように笑った。
「ご、ごめん……」
「ユミナ、もしかして楽しみすぎて眠れなかったの?」
「あはは……、まあ、そんなところ」
リザの言葉は核心をついていた。昨夜は、読書に夢中になりすぎてしまい寝るのがだいぶ遅くなってしまった。
――今日は気を付けよう。
パンをちぎって口に運びながら、少し反省した。
みんなが朝食を食べ終えた頃、部屋の入り口からメイド服を着た女性が姿を見せた。
「皆様、おはようございます。よくお休みになれましたか?」
「はい、とても」
そう答えるリザの隣で、私はまた小さく欠伸をしてしまう。今度は何とか手で隠せたものの、目には涙がにじんでいた。
「ふふっ」
メイドの女性は柔らかく微笑むと、すっと一歩前に出た。
「それでは、皆様にはこれから少し、屋敷の掃除をしていただきます」
「掃除、ですか?」
リザが少し驚いたように聞き返す。
「ええ。私どもも手伝いますが、ヴィセリアの学校に通われる方々には、身の回りのことを自分でできるようになっていただく、という方針がございまして。お部屋の片付けや、共有部分の掃き掃除などをお願いしております」
――なるほど、ただ知識を学ぶだけじゃなくて、そういうところもしっかりとしているのね。
「掃除用具はこちらに入っておりますので」
そう言って、メイド服の女性は私たちに箒や布、桶などを手渡してくれた。
「俺、こういうのやったことないんだけど」
ロベルトが箒を受け取りながら、ぼそりとつぶやく。
「えっ、村でも?」
「うち、姉ちゃんがやってくれてたから」
「……なるほど」
思い出してみると、ロベルトが家の掃除を……というよりも、自分の家の中でじっとしている姿を見たことがなかった。
まずは、自分たちの部屋からということで私たちは部屋に向かった。
私とリザは、それぞれ布と箒を持ち掃除を始めた。村でも普段からやっていることなので、特に難しいことではなかった。ただ、本棚のほこりだけはしっかりと払った。
部屋を出ると、マルクが小走りで動き回っていた。
「こっちは終わったから、手伝うね」
「ありがとう」
昨日出会ったばかりの他の生徒たちを自然と手伝うマルクを見て、流石だと思った。
一方、ロベルトはというと、床をゴシゴシこすっていた。
「……ロベルト、力入れすぎじゃない?」
「えっ、力を込めて拭いたほうがいいんじゃないのか?」
「それじゃあ、壊れちゃうでしょ」
リザが呆れながら呟いた。
「あ、ロベルト。こうやって、軽く撫でるみたいに動かすと、汚れが取れやすいよ」
マルクが駆け寄って来て、布の持ち方や力の入れ方を実演してみせた。
「お、おお……」
ロベルトがマルクの真似をしながら、ぎこちなく布を動かす。最初はうまくいかなかったものの、しばらくすると少しずつ動きが滑らかになっていった。
「……なんか、剣を振るのと違って疲れる」
「頭を使ってるからじゃない?」
様子を見ていたリザがさらりと言った。
「あぁ、なるほどなっ」
素直に納得するロベルトを見て、少し口元が緩んだ。
掃除を終えた後、私たちは剣術の講座に向かうロベルトを見送った。
「ロベルト、大丈夫かな」
ロベルトはやる気に満ち溢れていた。私は、そのやる気が暴走してしまわないか少し心配だった。
「まぁ、大人の言うことは一応聞くでしょ……」
「そうそう、ガストンさんの言葉はしっかり聞いてるし……」
三人で顔を見合わせて、何事もなく戻ってくることを祈ってから、講座が行われる部屋に移動した。
講座は机に向かって受けるものではなく、先生となる人物の近くに集まって話を聞くというものだった。
タチアナから聞いていた通り、まず教えられたのは文字の読み方や簡単な算術だった。
先生が、本に書かれた文字を順に示しながら、ゆっくりと読み方を説明していく。
――うん、これは知ってる。
読み書きは小さいころから母に教わっていて、本も読んでいるので読むことは得意だった。
ただ、文字を書く機会は、フェリシアと手紙のやり取りを始めるまでなかったので、未だに手が止まってしまうことがあった。
――読めるのに書けないのはどうしてなのかな?
講座の内容以外のことに気を取られるくらいの余裕があった。
続いて、簡単な算術の説明が始まった。
九九はもちろん、もっと複雑な計算を経験してきた私にとって、まったく苦にならなかった。基礎から教わるうちに、むしろ懐かしさすら覚えた。
「では、羊が五頭いて、オオカミが二頭の羊を食べてしまったら、残りの羊は何頭でしょうか?」
先生がとても簡単な問題を示す。
ふと隣を見ると、リザが眉間にぎゅっとしわを寄せていた。
「えっと、こっちの数とこっちの数を……?」
マルクも計算式と自分の指を交互に見ながら、首をかしげている。
私は二人の様子を見ながら、内心で少しだけ複雑な気持ちになった。
――昔の記憶がなかったら、私もきっと、二人みたいに苦戦してたんだろうな。
そう思うと、なんだか申し訳ないような気持ちになった。
午前の講座を終え、私たちは昼食のために食堂に集まった。
「はぁ……」
席に着くなり、リザが大きく息を吐いた。
「算術、苦手すぎる……」
「俺も、途中から何が何だか……」
マルクも疲れた様子でパンに手を伸ばす。
「ユミナは理解できた?」
リザが、ふと期待を込めた目でこちらを見る。
「うん、もちろん」
私は軽く頷いた。
「えっ」
「な、なんで……?」
二人が同時に声を上げ、私はその反応に少し笑ってしまった。
「お母様に教えてもらっていたから……」
「そっか、そうだよね」
リザがため息混じりに呟く。
――算数……、いい思い出はあまりないけど、よかったって思える日が来るなんて……。
「な、なんか今、ユミナ姉ちゃんがすごく遠い目してる……」
「えっ、あ、ごめん。ちょっと、昔のことを思い出して」
「昔のこと?」
リザとマルクは揃って首をかしげている。
「……うん、なんというか……、頑張ってよかったなぁ、って」
「あぁ、そっか。ユミナも最初は分からなかったのね」
うんうんと納得するリザ。
「うん、最初は……ほんとに最初の方は、苦手で……」
ほっとしたような表情を浮かべる二人を他所に、苦労していた昔のことを思い出してしまった。
午後は、礼法の基本から始まった。
これも問題なかった。
算術の講座で気が沈んでいたリザも、礼法と聞いた瞬間、元気を取り戻していた。
――学校って聞いて少し身構えていたけれど、これなら大丈夫そう。
母にしっかりと教えてもらったこともあり、私の中に余裕が生まれていた。
「次は、紋章学です」
先生がそう言うと、いくつもの紋章が描かれた紙が並べられていく。
聞き慣れない言葉に、少し身構えてしまう。
「貴族の家には、それぞれ家紋がございます。各地の領主や有力な家の紋章を覚えておくことは、社交の場で大変重要になります」
先生がそう言いながら、いくつかの紋章を指して説明を始める。
「こちらは、王家の紋章です。金の獅子に、光の模様が組み合わされています」
派手な紋章だった。金色の獅子はいかにも力強く、見る者を圧倒するようにデザインされている。
「こちらは、北部のある伯爵家の紋章で、雪の結晶と剣が組み合わされたものですね」
対照的に、こちらはすっきりとしていて綺麗だった。そういえば、エルデガルド家の紋章はどんなものだったろう。両親から教えてもらった記憶はあるのだけれど、盾のような形をしていたということしか浮かんでこなった。
最近まで、自分が貴族であるという実感すら薄かったのだから、無理もないのかもしれない。そう自分に言い聞かせながらも、心のどこかがざわついた。
「では、こちらの紋章は、どちらの家のものか分かる方は?」
先生が示したのは、青地に銀色の鳥が描かれた紋章だった。
「はい!」
リザがまっすぐ手を挙げる。
「それは、ヴィンター伯爵家の紋章です。誠実さと知性を表していると言われています」
「はい、正解です」
――す、すごい……。
「よく知ってたわね」
私は小さな声で言った。
「うん、お父さんに教えてもらったことがあるの。ユミナ、知らなかったの?」
リザが少し意外そうな顔をした。
「う、うん……」
「そ、そう……」
ヴィンター伯爵家といえば、隣の領地だ。せめてそのくらいは知っていて当然のはずなのに。申し訳なさが、じわりと胸の奥に広がっていく。
「では、こちらはどうでしょうか?」
別の紋章が示される。今度は、赤地に剣と炎が描かれたものだった。
――剣だから、戦う人よね……多分。
隣を見ると、リザも眉を寄せて考え込んでいる。それを見て、少しだけほっとしてしまう自分がいた。
「ユミナ姉ちゃん、分かる?」
マルクが小声で聞いてくる。
「ごめん、全然……」
答えながら、ふと気づいてしまった。
紋章どころか、この国のどこにどんな貴族がいるのかさえ、私はほとんど知らないことを。
今まで全く興味を持ってこなかった過去の自分を叱責したくなった。




