第五十一話 ヴィセリアへ
翌日、朝の訓練を終えた後、私はロベルト、リザ、マルクにヴィンター伯爵から聞いた学校の話をしてみた。
「ヴィンター伯爵から、ヴィセリアの学校に来てみないかって話があって……」
かいつまんで説明すると、三人はしばらく黙っていた。
――やっぱり、村を離れるってなると考えちゃうよね。
冬の間とはいえ、週に三日も村を空けるのだ。迷うのは当然だと思った。少し間を置いてから、そっと三人の顔を見た。
「行く」「行くわ」
「僕も行きたい」
全員、即答だった。
「……え」
「村の外の奴らとどれくらいやれるか試したかったんだよな。ちょうどいい」
ロベルトが拳を握った。迷った様子が欠片もない。
「街での生活、ずっと気になってたの」
リザはもう目が輝いていた。
「僕もリィナさんと話してから、ずっと気になってたんだ」
マルクが少し照れたように笑った。
三人とも、私が話し終わるより先に答えが出ていたんじゃないかと思うくらい、迷いがなかった。
――もしかして、迷ってるのって私だけ……。
何となく釈然としない気持ちを抱えながら、私はもう少し考えてみることにした。
週に三日もいなくなると、村で困ることが出てくるかもしれない。
冬場の村、農作業はほとんどなかった。
農具の手入れや衣服の修繕を両親が行っていたけれど、私が手伝うことはあまりなかった。
そんな私が何をしていたかと言うと、時間のできた母から魔術教わったり、読み終えた本をもう一度読んだり、アルデリックにプレゼントしてもらったペンダントに魔力回路を刻んでみたり……後はリザたちと遊んでいるぐらいだった。
――うん、そうよね。毎年この時期ってそうなのよ……、あ、そうだっ、炭。
地味に大変な炭作りを忘れていた。父から、今年から張り切って作るという話を聞いていたのを思い出した。
みんなが嫌がる煙の問題は、魔力で解決できるものの、だからと言って本を読んでいてもいいということはなかった。煙の色と臭いを監視しながら、空気を入れる隙間を調整しなければならない。
村の生活のためなので、当番を断る人はいないのだけれど、好んでやる人もいなかった。
――……学校に行っていたほうが、それを理由にやらなくてすむわよね。
気がついたら、むしろ都合が良いことに気づいてしまった。
――……でも、食堂。最近は毎日手伝っているし、週に三日抜けるのは迷惑になっちゃう?
私は、学校について盛り上がる三人と別れて、メリルの元に向かった。
「心配しなくていいわよ。エミリアさんや村のみんなで協力して何とかするから。むしろ、色々知ってきてほしい気持ちの方が強いかな」
メリルも特に問題なさそうで、私一人だけが色々と考えていたようだった。拍子抜けして家に戻ると、父がいつもの椅子に座り、珍しくルナを膝の上に載せていた。
「お父様、学校の話なんですけど、リザ、ロベルト、マルクも行きたいって言っていて、私も……」
「……そうか」
話し終わる前に父が小さく頷いた。
「寂しくなるな」
「……お父様?」
「いや、行ってくるといい。ユミナが色々なことを学んでくるのは、きっと良いことだ……。うん、わかってる」
わかってる、と言いながら、全然わかってなさそうな顔をしていた。
父の様子に思わず苦笑いしてしまったけれど、それが何だかとても温かく思えた。
『さっきから、ずっとこの調子だ』
父に抱かれたルナは少し迷惑そうな顔でこちらを見ていた。
* * *
数日後、私はヴィンター伯爵領の街、ヴィセリアにある学校に向かうため、馬車の中にいた。隣のリザは、膝の上で両手をきちんと揃えながらも、視線だけが落ち着かなくあちこちを向いていた。
時々、口元が緩んだかと思えば、慌てたように引き締めていた。
――街の様子を想像してるのかな。
「リザ、なんだか楽しそうね」
「うっ……だって、こんな機会、滅多にないもの」
開き直ったように言うと、リザはまた窓の外を見て、口元を緩めていた。
マルクはディックに教えてもらいながら、慣れない様子で手綱を握っている。
ロベルトはといえば、護衛だと言って馬車の横を走っていた。
「ロベルト、大丈夫かな?」
「体力だけはあるから大丈夫でしょ。それに、護衛してるってことで浮かれてるわよ、あいつ」
街のことで浮かれていたはずのリザが、急に冷静な顔で言った。
みんなで街に向かう際、ディックが護衛を兼ねて馬車で送ってくれることになったのだけど、ロベルトが「俺も護衛をやる」と言い出した。
実際、剣の腕は本物で、ガストンも「まぁ、任せても大丈夫だろう」と太鼓判を押していた。
問題は、ロベルトが馬に乗れなかったことだった。
出発前に練習はしていた。けれど、乗るたびに振り落とされ、なんとか乗れても馬が全く動かない、という日々が続いた。
様子を見ていたルナが『力が入りすぎている。馬は怖がっている』と教えてくれたので、ロベルトにそのまま伝えてみた。けれど、効果はなかったようだった。
「馬車の中にいて、何かあったら対応するのでもいいんじゃないかな」
「外で守ってる感じがいいんだよ!」
私の提案は、ロベルトにあっさり却下された。
本人なりのに変なだわりがあるようだった。
――知らない人がこれを見たら、護衛だなんて思うのかな。
どう考えても、馬車に乗れなかった人が仕方なく走っている、という光景にしか見えなかった。
しばらく走り続けていたロベルトだったが、街道がなだらかな上り坂に差し掛かったあたりで、少し遅れ始めた。
馬車の窓から顔を出すと息が上がり始めているのが見えた。
「ロベルト、乗る?」
「……いい」
強がってはいるものの、声に張りがなかった。リザが小さくため息をついた。
「少し中で休みなさいよ。いざって時に疲れていて戦えなかったら護衛失格でしょ」
「……」
観念したのかロベルトが馬車に乗り込んできた。どさっと私の向かいに腰を下ろして、しばらく荒い息をついていた。
「疲れた~」
「当たり前でしょ」
リザが涼しい顔で答えた。
それからしばらく、馬車の中は穏やかだった。窓の外に見える景色は、村の周りとは違って、ところどころに石を積んだ低い塀があり、畑の区画もずっと広かった。
「何で石を積んでるんだ」
外を眺めていたロベルトがふと口にした。
「へ?」
リザが人差し指を頬に当てながら、石垣に視線を向けた。
「……やっぱり、綺麗に見えるからじゃない?」
――た、確かに、綺麗に並べてあるけど……
「ははは、実はちゃんとした理由があるんだ」
前の方からディックの声がした。
「どこからどこまでが誰の畑かをはっきりさせるために、地面から出た石を並べてるのさ。俺たちの村じゃ畑はみんなの物だから、そんなことしないけど、他の場所ではそうはいかないんだ」
「へぇ~、何か大変そうだな」
「街には、村にはない決まりもあるだろうから、好き勝手やるんじゃないぞ。ロベルト」
「俺だって子供じゃないんだから、それぐらいわかってるよ!」
腕を組み、そう言い放つロベルトに対し、私とリザは目を合わせ、揃って小さくため息をついた。
「ほんと、頼むわよ」
「任せとけっ」
自信満々のロベルトだったが、その笑顔がかえって不安をかき立てた。
前方に建物の屋根が見え始めたのは、それから少し経った頃だった。
「おっ、あれが街か」
ロベルトが身を乗り出した。
「どれ!」
リザがロベルトを押しのけて身を乗り出した。
石造りの建物が並ぶ街並み、石畳の道は村とは明らかに違っていた。大通りには人の往来があり、荷を積んだ馬車が行き交っている。
石畳を叩く蹄の音、荷車の軋み、行商人の呼び声が幾重にも重なって、村では聞いたことのない賑わいが耳に流れ込んできた。
通りの両側には小さな店が並んでいて、看板が風に揺れ、どこかで鐘のような音が鳴った。
――前に来た時よりも、賑やかな感じ。
ガタガタという揺れが収まり、馬車が止まる。一歩外に降りると、石畳の硬さが足の裏から伝わってきた。
「これが……街」
リザが静かに言った。声は落ち着いていたけれど、ぎゅっと手を握っているのが見えた。ロベルトもマルクも口が半開きになっていた。
私は三人の様子を見て、少し笑ってしまった。初めて見るものに目を輝かせている姿を見ているのは、なんだか楽しかった。
「お待ちしておりました。エルデガルド男爵令嬢様」
声のした方を向くと、メイド服を着た落ち着いた佇まいの女性が頭を下げていた。
――あれ? この人どこかで……
どこかで会ったことがある気がした。その身なりから伯爵家の使用人だろうと思い、フェリシアと共に屋敷を訪れた時のことを思い出してみたけれど、必死で母の真似をして食事をしていたことと、お風呂が広かったということしか思い出せなかった。
――……う~ん、もっと最近会った気がするんだけど……。
最近の記憶から徐々に過去へとさかのぼっていく。
――伯爵が学校のことを話しに来てくれた時には……見かけなかったわよね。見かけるとしたら街にいた時だと思うけど、ヴィセリアに来るのはこれで三度目。でも、その時は……、街……あっ。
「もしかして、パーティーの時の?」
女性の口もとが、かすかに動いた。
「はい。タチアナと申します。不都合がございましたら、何でもお申し付けくださいませ」
タチアナがもう一度頭を下げた。
「ロベルト様、リザ様、マルク様。ようこそ、ヴィセリアへ。見慣れない景色に驚かれたかもしれませんが、心配はいりませんよ」
――三人の名前まで知っているのね。
私が少し驚いていると、見透かしたようにタチアナが微笑んだ。
「ヴィンター伯爵様より、皆様のことはうかがっております。さっそくお部屋にご案内いたします」
タチアナに案内され、私たちは街の石畳の上を進んだ。
当然のことながら、ロベルトとマルクは、街の建物を見上げて目を白黒させている。リザでさえきょろきょろと辺りを見回していた。
案内された立派な屋敷の中に入ると、外観以上に内装が整っていた。
屋敷の廊下を進みながら、リザが小声で聞いた。
「お部屋って、みんな一緒なんですか?」
「いいえ、お二人ずつでございます」
タチアナが振り返らずに答えた。
「ロベルト様とマルク様、リザ様とユミナ様、という組み合わせになっております」
その言葉に、ロベルトとマルクが顔を見合わせた。
「俺たち一緒の部屋かよ」
「あはは、お泊り会みたいだね」
タチアナに案内された部屋は、大きなベッドが二つ並んでいて、窓際には小さなテーブルと椅子。壁には花の刺繍が施されたタペストリーが掛けられている。そして本棚が見えた。
――あ、あれ……。なんだか村の宿より立派な気が……。
一晩過ごすための部屋というよりずっとここで暮らす、そんな空気を感じた。
「す、すごい……」
リザが小さく呟いた。声には、隠しきれない興奮が滲んでいた。そして、それは私も同じだった。
「お気に召していただけたなら、幸いです」
タチアナは、私たちの反応を見て、わずかに目を細めた。
「何かご用がございましたら、廊下の呼び鈴をお使いください。ただいま温かいお茶と、お菓子をご用意いたします。どうぞこちらでおくつろぎになって、お待ちくださいませ」
「あ、あのっ、タチアナさん」
私は、部屋を出ようとするタチアナを呼び止めた。どうしても確認しておかなければならないことがあったからだ。
「この本棚の本は……」
ぎっしりと本の詰まった本棚だった。
「学校の講座で使う物になります」
タチアナが短く答えた。
「これ、全部ですか?」
「はい、各講座ごとに使う本をお持ちいただく形になっております」
――なるほど、教科書みたいなものかな。
「あ、あのっ、この本って読んでもいいのでしょうか?」
タチアナの表情にほんの一瞬、驚きが浮かんだ。
「はい、もちろん構いません」
――やったっ。
内心では飛び上がって喜びたかったが、令嬢らしく振る舞おうと、なんとか平静を装った。
「では、失礼いたします」
タチアナが一礼して扉を閉めると、部屋の中には私とリザだけが残された。
リザがベッドに近づき、そっと布団に触れた。
「ふわぁ……」
リザが座ったかと思うと、そのまま後ろに倒れ込んで横になった。そんなリザを横目に、私は宝の山のような本棚の前で足を止めた。
不安はまだあったけれど、目の前の本棚を見ていたら、それより大きな期待で胸がいっぱいになった。




