第四十九話 夏の一日
身を起こした瞬間、床で丸まっていたルナが頭を上げた。外はまだ薄暗く、鳥の声だけが静かに響いていた。
麦刈りの準備をしたり、野菜を収穫する時間だった。
「おはよう、ルナ」
ルナにだけ聞こえるような小さな声を出した。ルナは立ち上がり伸びをした。
隣のベッドではリィナが寝息を立てていた。ルナがちらりとリィナの方を見てから、私の後についてきた。
廊下に出ると、奥から歩いてくる母の姿が見えた。
「あら、おはよう」
「おはようございます」
「ゆっくり寝られた? 少し騒がしかったけど」
昨夜、リィナに学園の図書館のことを根掘り葉掘り聞いていると、父やアレンの声が壁越しに響いてきていた。
――そういえば、お父様たちの声が聞こえてたような……。
声は聞こえていたはずなのに、内容がまるで頭に入っていなかった。学園の書庫の話があまりにも面白くて、他のことが耳を素通りしていたらしい。
「はい、大丈夫でした」
「そう」
母は穏やかな笑みを浮かべた。
「私は、皆の朝食を用意してから向かうから」
「はい、分かりました」
一階に降りて宿の外に出ると、心地の良い空気に包まれていた。
* * *
「遅いぞ!」
野菜の収穫を終えて畑に向かうと、ロベルトはもう来ていた。大鎌を地面に突き立て、腕を組んで待ち構えるその姿は、本人なりに騎士らしく見せようとしているのだろうが、泥だらけの長靴がそれを台無しにしていた。
「おはよう、今日も早いわね」
「当たり前だろ」
ロベルトの顔はやる気に満ちていた。ただ、そのやる気は収穫に向けたものではなく、大鎌を振れることにあった。
去年までのロベルトは、「遅い」と言われる側だった。そんな遅刻の常習犯を変えたのは、麦の収穫を効率的に行うために街で購入した大鎌だった。
初めてそれを見た時のロベルトの目は輝いていた。それはもう、言葉にならないくらいに。
ガストンから扱い方を教わったロベルトはすぐにものにした。
それまでは、ガストンが大剣で麦を切っていた。もちろん誰にでもできることではないため、他の者は片手で使える小さい鎌を使っていた。
――私はこっそり、魔力を使って切っていたけど。
大鎌で麦を刈る速度は圧倒的だった。ただ、調子に乗ったロベルトが、麦を刈りすぎたり、勢いがありすぎて麦の実が飛び散ったりして、よく皆から怒られていた。
「張り切るのはいいけど、程々にね」
「分かってるって」
早く大鎌を振り回したくてうずうずしている様子は、隠しきれていなかった。
しばらくして、リザとマルクが紐を持ってやってくるのが見えた。
「遅いっ、遅~い!」
開口一番それである。
「あはは、ごめん」
「あんたが早すぎるのよ」
リザが呆れたように肩をすくめた。
「向こうを見てみろ、とっくに揃ってるぞ」
父とトーマスたちの姿が見えた。
麦の収穫は数人一組で行う。麦を刈る者、刈った麦を束ねる者、そして束ねた麦束を寄せ集めて乾燥用の小山を作る者、それぞれに役割があった。
私たちは四人で一組だった。
ただ収穫するだけなら特に急ぐ理由は無いのだけれど、問題は、一部の村人が作った小山の数を競っているということだった。
――まぁ、お父様とロベルトが競っているだけなのだけど……。
「あ、始まったわね。時間ピッタリじゃない」
リザが得意げな顔になった。
収穫を始める時間は父かトーマスさんが麦の乾燥具合を見て決めていて、父たちの組が刈り始めるのが開始の合図になっていた。
私達の役割はいつも通り、ロベルトが大鎌で麦を刈り、私とリザが束ねて、マルクが小山を作る。
「いくぜっ、おりゃ!」
掛け声と共にロベルトが大鎌を振った。ざっ、ざっ、と小気味よい音が響く。
「速い速い、ちゃんと揃えてよ」
リザが素早く麦を拾い集めながら言った。
「揃ってるだろ」
「揃ってない」
――毎回このやり取りを聞いてる気がする。
マルクは、二人のやり取りなどどこ吹く風で黙々と麦束を積み上げていた。ルナはといえば、邪魔にならない日陰に寝そべりながらこちらを見ていた。
陽が昇り、じわじわと暑さが増してきた頃、子供たちの声が聞こえてきた。
振り向くと、リィナを先頭に村の子供たちが、大きな籠を抱えてこちらへ向かってくるのが見えた。
「朝ごはん、持ってきました」
リィナが籠を掲げて見せた。
「やったー」
大鎌を置いたロベルトが、真っ先にリィナに駆け寄り籠を受け取った。
「ありがとう。もしかして、お母様に頼まれたの?」
「いえ、私がエミリア様に何か手伝えることがないか聞いただけなので。いつもこんなに朝早いんですか?」
「えぇ、収穫期はこれぐらいかな」
「……」
リィナが何か言いかけて、やめたように見えた。その代わりに、畑全体をゆっくりと見渡してから少しだけ笑った。
――「大変ですね」って言おうとしたわね、きっと。
「あれ? リィナさん」
マルクとリザが服をはたきながら歩いてきた。
「あ、おはようございます」
「おはよう」
リィナとマルクが自然に挨拶を交わすのを見て、リザは二人の顔を交互に見た。
「え? マルクもこの人と知り合いなの?」
「うん、昨日少しね」
「はじめまして、リィナ・ラドクリフです」
リィナが丁寧に頭を下げた。
「あ、は、はじめまして。リザ・ブライトです」
思いがけず丁寧な挨拶をされたリザが、慌てて姿勢を正した。
「リィナさんは、ギルバートさんの娘さんなんだって」
「ギルバートさんの? そうなると、街からよね? いいなぁ」
リザの目が輝いた。
――こういうところ、ロベルトと似ているのよね。本人に言ったら全力で否定されそうだけど。
「お~い、早く食おうぜ」
木陰に座り、手には食べかけのパンを持ったロベルトの声が聞こえた。
「何が、食おうぜ、よ。もう食べてるじゃない」
「あはは、でも僕もお腹すいてきちゃった。リィナさんも一緒にどうですか?」
「あ、はい」
さっきまでより少しだけ、リィナの声が明るかった。
「あぁ、あいつはロベルトね」
リザにあいつと呼ばれた男は、籠の中から次のパンを取り出していた。
――早くいかないと、無くなっちゃいそう……。
「えぇっ、この村に引っ越してくるの!?」
「食堂!?」
リィナの話を聞いたリザとロベルトが別々のところに食いついた。
「はい、私は学園を卒業した後になりますが」
「王都、学園……。あぁ、何て素敵な響き」
リザは手を組み、祈るような仕草で妄想に浸っていた。少しだらしない顔だった。
――……もしかして、私もこんな顔になってるのかな。……気を付けよう。
時々妄想してしまう自分を重ねて、少し反省した。
「あ、そうだ。リザ、食堂が忙しくなりそうだったら手伝ってほしいんだけど、大丈夫?」
「もちろんっ」
リザの返事は早かった。
「俺も手伝うぞ」
「あんた、何するか分かってるの?」
「う~ん……、食うっ」
呆れた顔でリザがロベルトを見た。
「なんだよ、リザは知ってるのか?」
「え、そうね……」
リザは口に指をあてて青空を見た。
「料理を……作る、とか?」
答えを確認するような視線でこちらを見てくるリザ。
「くすっ」
隣に座っていたリィナの笑い声が聞こえた。
「料理はメリルさんが……、リィナのお母様が作ってくれるから、私たちはそれをお客さんのところに持っていったり、片づけたりする感じかな」
――……で、間違ってないよね?
こっそりリィナを見ると、視線に気が付いたリィナが小さく頷いてくれた。
「お手伝いもですけど、まずは食堂がどういう場所か知ってもらいたいので、皆さんも是非いらしてください」
「飯が食えるんだろ? 行く行くっ」
「子供たちと一緒に行っても大丈夫なのかな?」
マルクが少し心配そうにリィナに聞いた。
「はい、もちろんです」
「はぁ~、村に食堂ができるなんて……」
しばらく夢見るような顔をしていたリザが、ふっと息をついてリィナを見た。
「でも、いいの? 街から村に来るなんて……」
リザの言いたいことは分かる気がした。村と街では、あまりにも違うことが多い。
「分かりません。でも、思っていた以上に面白くて、なんだか、羨ましいくらいです」
リィナはハッキリと、でも少し照れたように笑った。
「あ!」
急にロベルトが立ち上がった。
視線の先を見ると、収穫を再開している父の姿が見えた。
「おい、向こうはもうはじめてるぞ!」
立ち上がり、大鎌の元へ駆けていくロベルト。
私たちは朝食の残りを急いで食べた。
「一段落したら、行くから」
「リィナさん、またね」
リザとマルクが立ち上がりロベルトの後を追う。
「朝食ありがとう、また後で」
「あ、今日はこの後足りない物を揃えるために街に戻るので、帰ってくるのは明日になります」
「そうなのね。それなら、また明日」
「……はい」
籠を抱えて戻るリィナを見送りながら、私も皆の元へ向かった。リィナの言葉が、なんとなく頭の中に残っていた。
* * *
陽が高くなるにつれ、空気の重さが変わっていった。
短い昼食休憩を経て、麦刈りは続いていた。汗が頬を伝う。ロベルトやマルクは上着を脱ぎ棄てていた。
――暑いけど……今日も雨の心配もなさそうでよかった。
収穫中の麦にとって、雨は大敵だった。雨の気配がすると、皆が文字通り死に物狂いで畑に走り、降り出す前に麦束の小山を作るか、屋根の下に運び込まなければならない。初めてその光景を目にした時は、本当に驚いた。
――カビが生えちゃったら、それこそ村の生死に関わるから仕方ないのだけど。
両親にそのことを聞いてからは、私も天気を気にするようになった。とはいっても、私の天気予報はトーマスさんやマルクに比べると、いまいち頼りなかった。
「よっしゃ、もう少しで終わりだっ」
ロベルトはまだまだ元気だった。
一日の収穫範囲はある程度決められている。浄化を続けたことで使える土地は増えたけれど、人手がそれに比例して増えているわけではないので、無理しすぎないよう、父たちが話し合って調整していた。だからどれだけ手間取っても、夕方までかかることはない。
「どうだ!」
目標地点まで刈り終えたロベルトが、父たちの組を振り返った。父はすでに刈り終えていた。
「くっそ~」
悔しがるロベルトを放置して、私とリザは残りの麦を束ねた。
「はぁ~」
大きなため息をつきながらも、麦束を受け取って黙々と運ぶロベルト。勝負は好きでも、負けた時に誰かのせいにしないのが、彼のいいところだった。
今日の収穫を終えた私とリザは、ルナを連れて村に向かって歩いていた。
「ユミナ、さっそく食堂に行ってみない?」
「ごめんね、少し用事があって、それが終わったら行こうと思ってるの」
「そうなのね、じゃあ、先に行ってるね」
「うん、また後で」
村の入り口でリザと別れた私は、ルナと一緒に汚染された大地へ向かった。
この時期、収穫後のこの時間は皆疲れているため、出歩く人は少ない。それでも周囲を気にしながら、こっそりと進む。人の気配を探るのはルナの方が得意なので、「誰かいたらすぐに教えてね」とお願いしてあった。
村から少し距離はあるが、魔力を使って走ればさほど時間はかからない。最近は日中に時間を見つけて来るようになっていた。
今日もいつも通り浄化を済ませ、来た道を引き返す。劇的に景色が変わるわけではない。ただ、少しずつ確実に、土地は応えてくれていた。
「お疲れ様、ルナ」
ルナと共に食堂に向かった。
食堂に着いた頃には、すでにリザとレベッカがメリルと話し合っていた。
「あ、ユミナ。これ、もう食べた? すごく美味しいの」
リザたちの前には、炎の種の粉末の入った野菜スープが置かれていた。
「うん、昨日ね」
「私もハーブを入れることはあるのだけど、これは全く別物ね」
レベッカが感心していた。
「ふふ、ありがとうございます。考えたのは娘なんですけどね」
「リィナちゃんね、良い商人になりそうね」
「リィナのこと、ご存知なんですか?」
私は美味しそうにスープを食べているリザの隣に座った。
「えぇ。今朝、ギルバートさんが挨拶に来た時、一緒にいたの」
「挨拶?」
「ほら、ギルバートさん、交易所を始めるでしょ。私、お手伝いを頼まれちゃったの」
――そういえば、昔街に行った時に見たレベッカさん、すごかった。交易所の手伝いなら、確かに心強いかも。
数年前、父に街に連れて行ってもらった時、レベッカがギルバートに対して値上げ交渉をしていた様子が頭をよぎった。
「そうだったんですね」
「ふぅ~、ごちそうさまでした」
いつの間にか、リザは完食していた。
「炎の種、でしたっけ? それだけでこんなにも違う感じになるなんて、びっくりです」
「でしょ」
リザに美味しいと言ってもらえて嬉しかった。私が作ったわけではないのだけれど。
「でも、貴重な物だから手に入れるのが大変で、限定メニューにしようって、昨日決めたのよ」
メリルが、少し申し訳なさそうに説明した。
「こんなに美味しいのに、いつでも食べられないのは少し残念ね」
リザは空になった器を見つめていた。
「そうね~、みんなが欲しがれば、ギルバートさんだって本腰を入れて仕入れるようになるわ」
「そうなの?」
顔を上げたリザが、レベッカとメリルを交互に見た。
「確かに、売れる保証があるのなら……」
「メリルさん、この料理ってまだ作れます?」
リザが立ち上がった。
「もちろんです。最初から村の皆さんに食べてもらうつもりでいたので」
「私、みんなに伝えてくるわ!」
「そうだね、どうせ今頃、いつもの場所に集まって飲んでるだろうから、私も一言言ってくるよ」
レベッカも立ち上がり、リザと共に外に駆けていく。残されたのは、空になった器と静かになった食堂だった。
「……何て言うか、凄いですね、この村の人たち」
――……。
「昨日、リィナにも同じことを言われました」
メリルと顔を見合わせた後、お互いに笑いが込み上げた。




