第四十八話 看板メニュー
料理が出来上がるまで時間があったので、私とリィナは宿の二階の部屋を見て回った。
二階には扉がいくつか並んでいた。
「こっちが小部屋で、奥が大部屋かな」
扉を開けると、隠れ家的な部屋が広がっていた。窓から外が見える。ベッドが二つと小さなテーブルだけのシンプルな造りだった。
「泊まるだけなら十分ですね」
「うん。むしろ、私はこれぐらいのほうが好みかも」
私の言葉にリィナは、一瞬きょとんとした顔で私を見つめ、それから可笑しそうに吹き出した。
――え? 何か変なこと言っちゃったかな。
「確かに、一人で本を読むには丁度良さそうです」
――あ、それはそうかも。
私は何度も首を縦に振った。
――自分の部屋で落ち着いて読むのもいいけど、違う環境で読むのもいいのよね。後でお父様に空いている時は使ってもいいか聞いてみようかな。
そんなことを考えながら、隣の部屋も覗いてみた。ほとんど同じ造りだった。
大部屋は広さが全然違った。ベッドがいくつも並んでいて、隊商や旅の一行が泊まるのにちょうど良さそうだった。
「これなら、ある程度の人は受け入れられそう」
リィナがどこか感心したように言った。
窓から外を眺めると、継ぎ足された板の色がまちまちな屋根や苔に半分覆われた屋根が見えた。
「……すごいですね、この村の人たち」
リィナはじっと窓の外を見つめてからそう言った。
「うん、私もそう思います」
村の外を知る機会があまり無いとはいえ、毎日を懸命に過ごしている村の皆のことを私は素直に尊敬していた。
リィナがこちらを不思議そうな顔で見た。
「……ユミナもその内の一人なのですけど」
「え! あっ、あぁ、そうですかっ。ありがとうございます」
慌てて頭を下げた。
「くすっ」
またリィナに笑われた。
二階からの眺めをもう少し楽しんでから、私たちは階段を降りた。一階に戻ると、まだ父たちの議論は続いていた。
足を踏み入れた瞬間、熱のこもった声が飛び込んでくる。どうやら、私たちがいない間にさらに話が膨らんでしまったらしい。
母とギルバートは半ば呆れながらその話を聞いていた。
ルナはといえば、大人たちの議論などどこ吹く風といった様子で、部屋の隅で丸まっていた。
しばらくして、野菜のスープが出来上がった。せっかくなので、皆で食べようということになった。
いつも通りのスープを口に運ぶ。
――うん、美味しい。
「美味しい……」
リィナの声がはっきりと聞こえた。
「う~む、確かに。こう味わってみると、凄く美味いな」
器の中のスープをじっくり見つめながらアレンが言った。
「ですね、街で食べられるなら通いたくなりますね」
ハンスがすかさず続けた。他の職人たちも口をそろえて頷いていた。
――村の外の人にも、美味しいと思ってもらえるんだ。
リィナがスープに浸したパンを口に運んだ。
「……うん、これなら」
リィナは目を閉じてしっかりと味わっているようだった。
「……あ、そうだっ」
急に立ち上がったリィナは室内を見渡した。
「お父さん、私の荷物は?」
「ん? あぁ、そこに運んでおいたぞ」
ギルバートが指さした方へ駆けていき、カバンをゴソゴソとあさりはじめた。
「えっと、これじゃなくて……、これでもなくて」
次々と床に小さなビンが置かれていく。
――あれは、何だろう……。ハーブかな?
ビンの中には緑色の葉や液体が見えた。
「あ、これだっ」
リィナが赤い粉末のようなものが入ったビンをもって帰ってきた。
「リィナ、それは?」
「炎の種を乾燥させて細かくした物です。遠くの国から来た物なんだけど、良いアクセントになるかなと思って」
そう言って、新しい器を取りに行くリィナ。
――炎の種、赤い粉……
見たことも聞いたこともなかった。それなのに、なぜか辛いものというイメージが頭をよぎった。
戻ってきたリィナが、新しい器にスープを分けて赤い粉末をほんの少し入れると、刺激的な香りが漂ってきた。
リィナは、赤い粉末を入れたスープを口に運んだ。
「……うん」
とても満足そうな表情だった。
――美味しそう。食べてみたい。
思わずじっと見つめてしまっていたらしい。
「……食べてみますか?」
リィナが少し迷うような間を置いてから言った。
「はいっ」
「結構刺激が強いのですが、たぶん大丈夫です」
「……たぶん?」
「人によって違うので」
リィナが少し申し訳なさそうな顔をしながら、器を渡してくれた。
おそるおそる口に運ぶと、ピリッとした鋭い辛みが舌を突き抜けた。
――あ、辛い。でも……。
その後、スープに溶けだした野菜の鮮やかな甘味が口の中に広がった。
「どうですか?」
リィナが心配そうにこちらを見ていた。
「……すごく、美味しいです」
リィナの表情が、ふっと和らいだ。
「リィナってすごいんですねっ」
思わずリィナの手を両手で握っていた。
「私は、ただ香辛料を集めるのが趣味なだけで……」
視線を逸らしたリィナの顔は、辛い物を食べたせいか少し赤かった。
「お、おい、嬢ちゃん。俺も試してみてもいいか?」
アレンが、器を持ったまま席を立って近づいてきた。
「俺も、いいかな?」
気づけば他の職人たちも、器を手に席を立ちかけていた。
「わ、私もよければ……」
――お父様……。
父も同じだった。
「あ、はい」
リィナは差し出された器にビンの粉末を少しずつ入れていく。
アレンがゆっくりと一口飲んだ。それから、じわじわと表情が変わっていった。
「おぉぉぉ、これは凄いなっ」
「この粉を入れるだけでこんなに変わるのか」
スープを飲んだ皆が、驚きの声を上げていた。その様子を見ていたリィナは少し嬉しそうだった。
「もっと入れたら、もっと美味くなるんじゃないか!?」
誰かの声が聞こえた。
「確かに!」
父までそれに賛同した。
――あ、それはやめたほうが良いんじゃないかな……。
「あ、沢山入れるのは止めた方が……」
リィナがビンに手を伸ばすよりも早く、アレンがビンを取ってしまった。赤い粉末がサラサラとスープに入っていく。
「あ、あのっ、それ結構……」
リィナが情けない声を上げた。母とメリルは顔を見合わせると、何も言わずに厨房へと向かっていくのが見えた。
「この香り、凄いな!」
スープが真っ赤になっていた。
――危険な色……。
「俺、なんだか泣けてきましたよ」
「あの、皆さん。止めたほうが良いと思います」
私の声が届くよりも早く、器を持った大人たちは真っ赤なスープをグイッと飲んだ。
「ふごぉぶぅっ!!」
アレンが意味をなさない声を上げながら、テーブルを叩いた。
「辛い、辛いっ、カライ!!」
父は呪文のように同じ言葉を繰り返しながら、どこへ行くともなく歩き回っている。
涙をぽろぽろ流している者もいた。
隣を見ると、リィナが静かにお茶を飲んでいた。
無知とは本当に恐ろしいものだと思った。
「これ、手に入りにくいのに」
リィナがビンを見ながら呟いた。咳き込む大人たちは、もちろん聞いていなかった。
「……後で代金を支払ってもらえばいいかな」
リィナの顔はすっきりしていた。悲しむより先に算盤が動くあたり、流石はギルバートさんの娘だと思った。
「お、お茶っ、お茶だ!」
その存在に気が付いた父が、真っ赤な顔で叫びながら、助けを求めるようにお茶の入った器に手を伸ばした。それを見ていたアレンも他の職人も父に倣う。
ごくごくと飲み干すと、一瞬静かになった。
――あれ? 確か、辛い物は……。
「……あ」
誰かが小さく声を上げた。次の瞬間、また一斉に顔をしかめた。
「な、なんでだっ」
「またきたっ」
――……そうですよね。
「それでは収まりません」
リィナが淡々と言った。
「じゃあ、どうすれば」
「これを口の中で転がしてみてください」
母が父たちにチーズを手渡しながら言った。
「それと、ハチミツも用意しましたよ」
メリルがハチミツの入ったビンとスプーンをテーブルに置いた。
――二人とも、最初から分かってたのね。
ふと目をやると、ルナはさっきと同じ場所で大人たちの騒ぎを眺めていた。その目はどこか呆れているようにも、楽しんでいるようにも見えた。
* * *
やがて、咳き込んでいた大人たちは平静を取り戻した。
「いや~、酷い目にあった」
父がテーブルに突っ伏しそうな勢いで言った。
しんとした室内に、誰かがふっと息を吐く音がした。それからじわじわと笑いが広がって、さっきまでの騒ぎが嘘のように空気がほぐれていった。
「はは、良い経験になっただろ」
ギルバートがからかうように父に言った。
「全く、人の話は最後まで聞いてくださいね」
母はにっこりと微笑んでいた。
――お母様。笑顔なのに怖いです。
「そ、そうだな。本当に面目ない」
父はリィナに頭を下げた。
「いえ、大丈夫です。代金は請求しますので」
ビンの中身を惜しんでいた面影は、もうどこにもなかった。
「あ、あぁ……もちろんだ」
父が妙に堂々と胸を張った。
――お父様、そこは胸を張るところじゃないです……。
「もちろんアレンさんたちの分もギルドに請求しておきますので」
「お、おう。そうしてくれ」
腕を組んで頷くアレンは、反省しているのかしていないのか、いまいち分からなかった。
「まぁ、ひとまず、このスープを看板メニューにしていいだろう」
「はい、いいと思います」
ギルバートとリィナが自然に話をまとめていく。
「あの、辛いスープはどうするんですか? 高価な物っぽいので、村で提供するには高くなりすぎますか?」
「一人分の量なら、ほんの少し高くなるぐらい。ただ……」
リィナがギルバートを見た。
「そうだな、国内では流通していないから、隣国のリヴィエール経由で取り寄せることになる。だから、すぐに用意するというのは難しいな」
「そうなのですね」
「見てわかる通り、扱いが難しい物でね。好んで使う人も少ないんだ」
ギルバートの言葉を聞いた父やアレン達が、少し小さくなった気がした。
――確かに。なかなか悲惨な状況だったし。
炎の種を知っているリィナがいたからこそ、あの味の真価を知ることができた。けれど、知らない人が父たちと同じように口にした場合、ただ危険なだけの粉にしか思われないのは目に見えていた。
「私たちも初めて口にした時、大変だったよ」
「ほんと、悲劇でした」
リィナの睨みつけるような視線を受けたギルバートは、苦笑しながら頭をかいた。
――リィナたちも経験済みだったのね。
「おそらく、早くても冬が始まる頃になってしまうだろう。それと、まとまった量を確保できるかも分からないな」
遠くの国からの物だから、時間もかかるし、調達できる量も読めない。安定して提供できないとなれば、それを目当てに来た人をがっかりさせてしまう。
――……でも、それだけを理由に諦めてしまうのは、もったいない気がする。
なにより、またあの味が食べたかった。
「それなら、限定メニューにしてみてはどうでしょう」
皆の視線が集まった。
「冬の間だけとか、数量限定だと最初から伝えておけば、わざわざ来てくれた人にも納得してもらいやすいと思うんですけど」
――そして、余った時は村で食べれば……。
「なるほど、仕入れられた分だけ……か」
少し間を置いて、ギルバートが頷いた。
「足りなければ次の仕入れを増やす、余ってても保存できるので調整できる。いい案ですね」
「はいっ」
――あれ……?
反応で答えたものの少し予想と違っている気がした。限定メニューにして余った分は……という考えは、どうやら最初から読まれていたらしい。
「無理に食べる必要はないですよ、ユミナ」
「……あ、いえ、私はっ」
リィナがじっとこちらの顔を見ていた。視線を逸らすと、皆もこちらを見てどこか楽しそうな顔をしていた。
「涎が出てますよ」
「え!?」
現実と妄想の区別がつかなくなってきたかと思い、慌てて口元を押さえた。
「嘘です」
――……
笑い声が室内に響いた。
「リィナ!!」
色々とあったけれど、普通の野菜スープを看板メニューとして、辛い野菜スープは冬の間だけという形に落ち着いた。それ以外のメニューは、メリルさんがその日の状況を見ながら決めていこうということになった。
「最初は、お客さんもアレンさんたちぐらいだから、様子を見ながらやっていきましょう」
そう言うメリルの目は、どこか楽しそうに輝いていた。
「はは、任せておけ。明日も来るからな」
さっそく常連客になりそうなアレンだった。
忙しくなった場合、母や私も手伝うことになった。
――リザにもお願いしてみようかな、喜んでやってくれそうだし。
こうして、村の宿屋兼食堂の運営が始まった。




