第四十七話 野菜のスープ
「ユミナねえちゃん」
リィナと宿に向かっていると、元気な声がした。声の方を向くとマルクが子供たちと一緒にいた。
「あら、こんにちは。みんなはこれから畑に?」
「あぁ、野菜はバッチリ守ってやるぜ」
男の子が木の棒をブンブンと振り回す。
「危ないから、振り回しちゃだめだよ」
マルクは身をかがめて、男の子の手に手を伸ばした。
「は~い」
やんちゃで聞き分けのない子でも、マルクの言葉だけはすんなりと聞いてくれる。そのため、村の子供たちの子守りは、主にマルクが任されていた。
リィナがその様子をじっと見ていた。
「……大変そう」
ぽつりと言った声が聞こえた。
「確かに大変だね。でも、みんな元気いっぱいだから楽しいよ」
マルクが笑いながら言った。リィナが少し目を丸くした。
「あ、ユミナ姉ちゃん、お客様?」
「えぇ、こちらはリィナさん、ギルバートさんのお嬢さんよ。今、村を案内しているところなの」
「そうだったんだ、僕はマルクって言います。よろしく」
「ぁ……、はい」
「ほら、みんなもリィナさんに挨拶して」
子供たちが次々に挨拶していく、リィナは少しぎこちなくも、一人一人の挨拶に丁寧に応えていた。
「姉ちゃんたちも一緒にやろうぜ」
「ダメよ、リィナさんはお客様なのよ」
「えぇ~、おきゃくさまでもいいだろ。空を飛ぶ魔物と戦ったり、虫と戦うんだ。楽しいぜ!」
――小鳥を追い払ったり、芋虫を取る地味な戦いなんだけどね……。
「ユミナお嬢様は、いつもそういうことをやっているのですか?」
リィナの目に、すっと興味の色が灯った。
「あ、はい。人手が足りないので、皆で協力しています」
「ユミナ姉ちゃんは、畑の守護者なんだっ」
男の子の言葉に周りの子供たちも、うんうんと頷く。リィナも興味深そうに私を見た。
「お姉ちゃんが畑に居ると鳥が寄ってこないの。すごいの」
女の子がすかさず続けた。
――魔力で風の壁を作っているだけなんです……。
もちろん、口には出せないので。精一杯の笑顔を貼り付けておく。
「ユミナお嬢様って、貴族じゃないみたい……」
リィナがぽつりとこぼした。聞かせるつもりはなかったのかもしれない。でも、聞こえた。
――ま、まぁ、畑で鳥を追い払ったり、虫を取る貴族って……。
自分の想像の中にいる貴族からは、かけ離れているのは理解していた。そして、こっち方が自分に合っているということも。
――でも、最近は少し貴族っぽくなってきた気がするしっ。
「あはは、僕もそう思うよ」
「え゛!?」
マルクによる予想外の追い打ちに、貴族らしくない声が出てしまった。
「で、でもっ。最近は……結構貴族っぽいと思うのだけど……」
急に辺りが静まり返った。さっきまであんなに鳴いていた虫はどこへ行ったのか。空だけが、のんきに青かった。
「貴族って、ヴィンター伯爵やフェリシアさんとかエミリア様みたいな人だし」
真夏の入道雲が、そのまま頭の上に落ちてきた気がした。
「ユミナ姉ちゃんは、ユミナ姉ちゃんだな」
他の子たちまで「そうそう」と言い始めた。
「くすっ」
リィナにまで笑われた。
「リィナさんまでっ」
「へ? あ、ごめんなさい」
リィナの目はまだ笑っていた。ただ、その表情はさっきまでとは違っていた。
「……もうっ、早く畑に行きなさい」
「は~い」
子供たちがわいわいと畑へ向かっていく。
「それじゃあ、リィナさん、またね」
マルクも軽く会釈した後、子供たちを追って行く。賑やかだった声が遠ざかっていった。
リィナは、その後ろ姿をしばらく見つめていた。
「誰も、怒らないんですね」
リィナが言った。さっきの独り言とは違い、ちゃんとこちらに向けた言葉だった。
「怒る?」
――あぁ、言葉のことかな。でも、本当のことだし……。
「私、学園ではいつも怒られていて」
「あぁ……」
リィナがふと口にした言葉を聞いた誰かが怒る、その状況が容易に想像できてしまった。
「まぁ、でも、事実ですし……」
――本当のことだとしても、それを言われて怒る人の気持ちもわかるけど……。
「そうですよねっ、……ぁ、気を付けようと思ってるんですけど、なかなか難しくて」
リィナが少し苦笑いするように言った。
「無理に気を付けなくてもいい気はしますけど」
思ったことがそのまま口から出た。リィナが少し目を丸くした。
「えっと、その学園は貴族の方が多いのですか?」
「あ、はい、王立レガリア学園といって、そういう人たちしかいない感じです」
「王立……」
言葉の響きだけで、貴族の子息子女たちがひしめき合う光景が浮かんだ。
「それは……大変そう」
本音がこぼれた。
グレイモント子爵のパーティーですら嫌な気持ちになったのに、王立ともなれば国中から高貴な身分の人が集まるはずだ。そんな舞台に、辺境で貧乏な……まして、よく思われていないであろうノックス領の人間が立つ。
想像しただけで、気が沈んでいくのを感じた。
「本当に大変なんです。私、闇属性なのもあって……友達もいなくて、図書館で本を読む毎日で……」
「闇属性!? 図書館!!?」
思わず反応してしまう情報が、一度に二つも出てきた。次の瞬間にはリィナを視ていた。
――あ。
思わず息をのんだ。
その色は、光を拒絶するただの黒ではなかった。汚染された魔力の澱んだ黒紫色とも違う。どこまでも深く、澄んだ夜空を切り取ったかのような、息をのむほど綺麗な黒だった。
「……すごい」
「え?」
「あ、いえ、何でもないです」
つい、口に出してしまい慌てて取り繕った。
「図書館というのは……学園に図書館があるのですか?」
「はい、それはもう広くて。古い文献から魔術書まで、何でも揃っていて」
「何でも……」
――古い文献。魔術書。
思わず前のめりになっていた。
「王立レガリア学園、ですよね」
「は、はい」
「その……図書館は、在校生しか入れないのでしょうか」
気づけば、気が沈んでいたはずなのに学園への興味が、じわじわと浮かび上がってきた。
「そうですね、王族の方も在籍されているので、警備は厳重なはずです」
――……王族。
図書館への期待と、じわじわと押し寄せる不安が頭の中でせめぎ合った。王族がいるというのなら、間違いなく国内でもトップクラスの場所だ。そのような場所で、フェリシアやカイルから気軽に挨拶でもされようものなら……。
――あ、なんだかお腹が痛いような。
私はお腹をそっとさすった。
――でも、だからこそ図書館も凄そう……。
溢れんばかりの本を想像すると、自然と顔がにやけてきた。
「本、好きなんですか?」
「えっ、えぇ……」
現実に戻ると、リィナに笑われていた。
「笑わないでください」
ジト―っとした目でリィナを見る。
「ごめんなさい。でも、ユミナお嬢様、分かりやすくて……好きです」
そう言ってもらえて嬉しかった。嬉しかったのだけれど、素直に喜んでいいか少し考えてしまった。
「ユミナでいいですよ。私も自分が貴族っぽくないと思っていますから」
「……はい、ユミナ」
照れたように視線をそらしながら、リィナが言った。
私は、笑顔のリィナに学園の図書館のことを聞きながら宿に向かった。
* * *
宿の扉に手をかけると、整えられたばかりの室内が目に飛び込んできた。
「わぁ」
思わず声が出た。
入ってすぐのところに受付につかう小さなカウンターがあった。台の上には宿帳らしき冊子が置いてあった。まだ一度も使われていない、真っさらなものだった。
――すごい。
奥に進むと、食堂兼談話室が広がっていて、窓から柔らかな光が差し込んでいた。部屋の隅には暖炉があり、火は入っていないけれど、冬になれば旅人たちがここで暖を取るのだろうと自然に想像できた。
――お客さんがいない時、ここでゆっくりするのも良さそう。
テーブルと椅子がいくつか並んでいて、どれもまだ傷一つなかった。木の香りが、部屋全体にしっかりと残っていた。
リィナが小さく息を吸い込んだ。
「木の匂い……落ち着きますね」
食堂に隣接した厨房の方から、母とメリルさんの声が聞こえてきた。楽しそうに何かを話している。
奥の方では、父とギルバートがテーブルを挟んで向かい合っていた。アレンたち職人も椅子を引いて輪に加わっていた。
「おぉ、ユミナ。どうだ、なかなかいいだろう」
父が得意げに手を広げてみせた。アレンたちも負けじと満足げな表情を浮かべている。
「ええ。とても素敵です」
「二階にも部屋がいくつかあるから後で見てみるといい」
ギルバートが満足そうに言った。
――確か、小さい部屋と大きい部屋があって、用途で使い分けられるのよね。
思わず階段の方に目が向きかけた。けれど、今はそれより先に聞いておかないといけないことがあった。
「あの、ギルバートさん。実は……」
「食堂の件かな」
「あっ、はい」
父が小さく頷いた。
――お父様、もう話してくれていたのね。
「最初はメリルに任せようと思う。当分の間はお客になる人も少ないだろうから、村の人に協力してもらいながら様子を見るつもりだよ」
「メリルさんが」
メリルの方を見ると、にっこりと微笑んでいた
「大丈夫、お母さんの料理は人に出しても平気だから」
リィナの褒めているのか、よく分からない言葉が聞こえた。
「リィナちゃん、素直に美味しいって言って良いのよ」
「うん、美味しい」
メリルとリィナのやり取りを見ていたギルバートは笑っていた。
――これが、リィナたちの日常なのかな
「食器や調理道具はすぐに用意できるから、まずは提供する物を決めようと思ってね」
ギルバートの目の前には、既に色々と書かれた紙が置かれていた。
「ユミナちゃんもリィナちゃんも、欲しいものがあったら、どんどん提案してね」
「はいっ」
と言ったものの、特に何も思いつかなかった。街に出たことはほとんどないのだから、当然といえば当然だった。
――あの鶏肉のパイぐらいかな……。
「それじゃあ、香辛料を使った鶏肉のパイが……」
「あぁ、それはもう言っておきましたよ」
パイを買ってきてくれた職人が手を上げて言った。
「街で食べて美味かったやつは、もうほとんど出ているな」
アレンが付け加えてくれた。どうやら、相当意見が出ていたようだ。
「多すぎても、仕入れが大変になるからな。今、どうしようか話し合っていたんだ」
そう言うギルバートにリィナが近づいていく。
「お父さん、見せて」
「あぁ」
リィナがギルバートから紙を受け取り、すらすらと目を通していく。学園の話をしていた時とは、どこか違う顔だった。
「……種類を絞って、家畜を増やしていけば。でも……、街で食べられてるものばかりじゃ珍しくないかな。看板になる料理があれば……」
リィナが顔を上げて父を見た。
「この村でよく食べられているものって何ですか?」
「ん? この村で、か」
父が助けを求めるように母を見た。
――そっか……、私は街のパイを珍しい味って思ったけど、村の外から訪れる人からすると日常にあるものなのね。
村でしか食べられない料理。そういうものがあれば、それを求めて村に来てくれる人もいる……のかもしれない。
――でも……村で自慢できるものは野菜ぐらいだし。山盛りサラダとか!
目の前に出される野菜の山。想像すると少し顔が引きつった。
「そうね、やっぱり野菜のスープかしら」
母の言う通り、村の家には野菜のスープの入った鍋がある。毎日水を足し、野菜などを鍋に入れて何日も煮こみ続けたりする。家によっては、スープというよりはドロドロのお粥のようになっていたりする。
母の場合、長くても数日で新しく作っていた。
「それ、作ってもらえますか?」
「えぇ、もちろん」
「私も教えてもらおうかしら」
メリルの目がきらりと光った気がした。
「ただ、煮こんでいるだけなのだけど」
期待の眼差しを受けた母は、少し困った顔をしていた。
「それでも、この前のスープは美味かったぞ」
アレンがしみじみと言った。
「えぇ、本当に……」
ハンスが珍しく、うんうんと何度も頷いていた。
「やっぱり素材がいいからじゃないのか? 生で食べても美味かったしな」
「確かに」
職人たちがそれぞれ頷いた。
父が少し胸を張った。
――お父様、嬉しそう。
「私たちも手伝いに行きましょうか?」
「そうですね、私も興味があります」
二人で厨房に向かうと、母とメリルが楽しそうに話しながら野菜を切っていた。
「あら、来てくれたの。じゃあ、これをお願いできる?」
母が刻んだ野菜を差し出した。リィナと並んで鍋に野菜を入れていく。
父たちの話は、いつの間にか交易所や他の建築物の話に移っていた。声が弾んでいるところを見ると、話が盛り上がっているらしい。
「これで、後はしばらく煮こむだけで完成よ」
「普通ですね……」
リィナがぽつりと言った。
「ふふ、そうなのよ」
母が微笑んだ。鍋がことことと音を立て、甘い香りがゆっくりと広がっていった。




