第四十六話 美味しい食べ物
夏の暑さが続いているある日の昼時、私は村で採れた野菜をアレンたち職人の元に運んでいた。
アレンとハンスは更地の一角にテントを張って寝泊りしている。宿の空きはあったのだけれど「この方がいい」と言って、そこで生活していた。
建築中の宿はほぼ完成しており、最後の仕上げを残すのみとなっていた。建築予定の交易所と教会については、交易所の基礎工事が終わり、骨組みが始まったところだった。
テントが見えてくると、他の職人たちも集まっていた。そしてそこには、ガストンとロベルトの姿もあった。
村では木材や炭など、木の伐採はガストンが主に担っていた。必要に応じて他の誰かがやることもあったけれど、ガストンに任せることが多かった。
ガストンが大剣で木を斬る姿を見たハンスが「この村は色々凄いですね……」と苦笑していたのが印象的だった。
そんな縁もあって、木材の調達を手伝ううちにガストンはアレンたちとすっかり仲良くなっていた。そして、ガストンについて回ることの多いロベルトも、自然と輪に加わっていた。
「あの、これ差し入れです」
「あぁ、いつもありがとう」
野菜の詰まった籠をハンスに手渡した。
「わるいな」
そう言いながらアレンが近づいてくる。
「ほれ、ルナ」
干し肉をルナに差し出した。ルナはちらりとこちらを見てから、仕方なさそうにそれを食べた。
気がつけば、ルナはアレンと会う度に何かを貰うようになっていた。
アレンはルナが食べ終わるのを確認してから、体に手を伸ばす。ぎこちなさは残るものの、出会った頃と比べると随分ましになっていた。
――アレンさん、慣れてきたのかな。
「お、嬢ちゃんも来てたか」
振り返るとギルドの職人が包みを抱えながらやってきた。
「なんか美味そうな匂いがする!」
ロベルトが飛び上がる。確かに、食欲をそそる匂いが漂ってきた。
「仕入れのついでに買ってきたんだ。有名な料理屋のパイだ」
包みの中には、きつね色に焼かれたパイが並んでいた。冷めているはずなのに、香辛料の香りはしっかりと残っていた。
「なんだこれ、すごい匂いだ」
ロベルトが身を乗り出した。
「はは、多めに買ってきて正解だったな」
「これだけ買うと、結構な値段になりますよね。少し出しましょうか?」
ハンスが申し訳なさそうに言った。
「いや、大丈夫だ。実はな、ギルバートさんに出してもらったんだ」
「出させたんじゃないのか?」
職人仲間の一人がニヤニヤしながら言った。
「そんなことするかっ。どうやら村の野菜と炭の評判が相当いいらしくてな」
――そうなのね……、どれぐらい儲かってるんだろう。
父はギルバートからお金の代わりに鶏や豚、馬を貰っていた。知らぬが仏という言葉が頭をよぎり、私からその話題を振ることはなかった。
「だから、嬢ちゃんたちも遠慮しないでくれ」
パイを一切れ渡してもらった。
――いい香り。
フェリシアと一緒に食べた料理もいい香りで美味しかったけれど、それとはまた別の香りだった。
「これ、鶏を使ったパイなんです」
ハンスが教えてくれた。
「うめぇ~」
ロベルトはすでに半分ほど食べていた。
私も一口食べてみた。サクサクとした生地の奥から、鶏肉の旨味と香辛料の香りが混ざり合って広がってくる。
――あ、美味しい。
村でも生活に余裕が出てきて肉を食べる機会は増えた。でも、こんな味ではない。香辛料がいくつも重なって、素材の味がまるで別の料理のように変わっていた。
「美味いだろ」
職人が満足げに言った。
「はい。村で食べる物と全然違います」
「この料理屋は香辛料の使い方が上手いんだ」
――料理屋……。
街に出た時のことを思い出した。食堂や露店が立ち並んで、歩いているだけで色々な匂いが漂ってくる。あの賑やかさは、村にはないものだった。
村の宿に泊まった人の食事は、母や村の誰かが担当したり、おすそ分けとして持ってきたりしていた。村で採れる野菜は確かに美味しい。でも、そのまま食べるか、茹でるか、煮込むかぐらいだった。
――これから人が増えるならそういう場所がないと困っちゃうよね。それに……。
大事に味わいながら食べ進めていたパイに視線を落とす。
――毎日……までとはいかなくても、たまに食べられたら嬉しいし。
後者の方が本音だった。
「なんだ、ユミナ。いらないなら俺が食べるぞ」
食べかけのパイに手を伸ばしてくるロベルトを、さっと体を引いて躱した。リザとのダンス特訓の成果が思わぬところで実を結んでいた。
「ロベルトはもう食べたでしょ」
残りを口に運んで、しっかり味わった。
* * *
「あの、少し聞いてもいいですか」
夕食の席で私は口を開いた。
「どうした?」
父が顔を上げて、こちらを見た。
「村に、食堂のような場所を用意することはできませんか?」
母と父が、ちらりと目を合わせた。
「食堂か、実は、私たちもそれを考えていたんだ」
「え?」
「人が増えれば、おすそ分けだけでは対応しきれなくなる。宿の一階を使えばいいとは思っているんだが、料理人をどう確保するか、食材の仕入れをどうするか、そこで止まっていてな」
「私も同じところで詰まっていました」
思わず苦笑いが出た。
「しっかりと考えていたのね」
母がふふっと笑った。
「でも、分からないことが多くて。ギルバートさんに相談するのはどうでしょう。街のことも詳しいですし、人を紹介してもらえるかもしれませんし」
「そうだな、今度ギルバートが来た時に話してみよう」
父はどこか満足そうな顔だった。
――お父様も、お母様も考えていてくれたのね。良かった。
安堵した私は、できあがってもいない食堂のことを考えていた。
街から仕入れた様々な食材。提供される色とりどりの料理。今日はどれにしようかと迷いながら、ゆっくりと席に着く。
――あぁ、楽しみ。
ただ、食材が毎日使いきれるとは限らない。余る日ももちろん出てくるはず。
――そうだ、その時は少し安く譲ってもらって、お母様に何か作ってもらうのもいいわね。私が作るのは……まだ少し先の話として。
どんどん都合のいい方向に話が進んでいく。
――村のためとか言っておいて、私は……。
苦笑いしながら、母の作った野菜のスープを口に運んだ。
――あぁ、美味しい。
これはこれで、十分幸せだった。
* * *
食堂の件をギルバートに相談する日は思いのほか早く訪れた。
その日、ギルバートは二人の女性を連れて家を訪れた。
「やあ、ユミナお嬢さん。紹介しよう、妻のメリルと娘のリィナだ」
「はじめまして、メリル・ラドクリフです。ギルバートがいつもお世話になっています」
明るい声だった。ギルバートと並んで立つと、確かに夫婦だと分かる雰囲気があった。
「……はじめまして、リィナ・ラドクリフです」
隣の娘さんが丁寧に頭を下げた。私より少し背が高く、母であるメリルよりも黒みがかった茶髪だった。落ち着いた物腰で、どこか様子を窺うような目をしていた。
「あ、初めまして。ユミナ・エルデガルドです」
私も慌てて頭を下げた。
「まあまあ、立ち話もなんですから中へどうぞ」
母が二人を招き入れる。メリルさんと母は初対面ではないらしく、自然な会話が始まっていた。
みんなが居間でゆっくりとしていると、ふいにドアが開いた。
「ギルバート。急にどうしたんだ?」
父が帰ってきた。息が少し上がっているように見えた。
「あなた、ちょうどよかったわ」
「あぁ、ディックが教えてくれてな」
父は息を整えてから、ギルバートの隣に腰を下ろした。
「あぁ、リィナが夏休みでね。宿はほぼ完成していると職人から聞いていてね、下見がてら連れてきたんだ」
――夏休み……ということは、リィナさんは学生?
「実際に暮らす前に、メリルにも村を見てもらいたかったから、いいタイミングだと思ってな」
「え!?」
「暮らす」という言葉に反応して声がでてしまう。皆の視線が集まり、いたたまれなくなった。
「ぁ、えっと……。暮らすって?」
声を絞り出した。
「なんだ、言ってなかったのか?」
ギルバートが父を見た。
「ん? そういえば……、言ってなかったかもしれん」
父がバツの悪そうな顔で頭をかいた。
――聞いてません。
眉をひそめて父を見ると、父は視線を逸らした。
話を聞くと、ギルバートたちは交易所を営むために、村に引っ越してくるということらしい。今回はその一環として、村の下見に来たようだった。
「そういうことなら、村を案内がてら皆で新しい宿に行こうか。実際に過ごしてみてほしいと言われたんだ」
――みんなでお泊まり……。
村の中を移動するだけのはずなのに、ウキウキしている自分に気づいて少し恥ずかしくなった。
「それはいいな。領主様自らの案内付きとは、至れり尽くせりだな」
ギルバートが笑うと、父もつられて笑った。
皆が外へ出ていく。私とルナも後ろについていった。
「あれ、その子、何?」
小さいけれど、はっきりとしたリィナの声が聞こえた。
「あ、この子はルナって言います。家で飼っている子で」
「ルナ、ちゃん」
リィナがルナに目線を合わせるように、その場にしゃがみ込んだ。
ルナはごく自然にリィナにすり寄っていく。迷いのない、慣れた動きだった。
――ルナの初めての人に対する挨拶みたいになっちゃったけど、誰でも構わずにやってる気が……。
「狼……、でも少し違う。似た魔物の子供?」
「あっ、えっと。ルナは昔とある旅人から譲ってもらった子で」
私は、用意してある嘘を説明した。
「昔……ならこの大きさが成体なのかな。図鑑でも見たことがない、帝国に生息している魔物かな……。あっ」
何かに気づいたのかリィナは急に立ち上がった。
「ご、ごめんなさい。つい……」
そして、小さく謝った。
「い、いえ。リィナさんは魔物に詳しいんですか?」
「……本をよく読むので。それで」
「そうなんですかっ、私もそうなんです」
――と、言っても私の場合、同じ本なんだけど。
フェリシアから本を借りられるようになってからはましになったけれど、それ以前は内容を覚えた本を何度も読み返していた。読むというより、文字を見るという行為になっていたけれど、それでも気持ちが落ち着いた。
「びんぼっ……いえっ、生活が大変なのに、本を買えるのですか?」
――今、貧乏と言おうとしたわね。
一瞬リィナの表情が固まった。実際その通りではあったけれど、私は現状に満足していたので特に気にならなかった。
「あまり買えないですね。なので、同じ本を何度も。文字を見ていると落ち着くので」
「あ、それ、わかりますっ」
自分で言っておきながら変な癖だと思っていたので、共感してもらえて素直に嬉しかった。
「……」
リィナが何か言いかけて、口をつぐんだ。言葉を選んでいるのか、視線が少し下に落ちた。
――内気な性格なのかな。
私も人見知りだったので、その気持ちが何となく分かる気がした。でも、さっきまでの話し方は内気というより、むしろはっきりしていた。
――少し不思議な人だけど、ここは私がリードしてあげないとっ。
私は貴族の令嬢としてそれなりに色々と経験してきた。それに、もしかしたら村の住人になってくれるかもしれないと思うと、妙なやる気が湧いてきた。
「私たちも、そろそろ行きましょうか」
フェリシアを思い浮かべて、それっぽく言ってみた。
――ふふ、なかなかいい感じで言えたわ。
「はい」
先に行ってしまった父たちを追って、私たちも宿に向かった。
「街と比べると、何もなくてびっくりしてしまうでしょう?」
「はい、本当に何もないんです……ね」
村の様子を眺めていたかと思えば、リィナの視線がすっと下がった。少しの間、沈黙が続いた。
――なるほど、正直なのね。でも、自分の言葉を気にしている感じだし、悪い人ではなさそう。
これまでのやり取りで、リィナのことが少し分かった気がした。けれど、分かったからといってどう接すればいいか、その答えを持っているほど私は人付き合いが得意ではなかった。
――仲良くなって、色々と話してみたいけど、こういう時どうしたら……。
頭の中の記憶の図書館を探してみた。該当するものは、当然見つからなかった。
――フェリシアならきっと上手くやるんだろうけど。
リードするつもりが、完全に手詰まりになっていた。




