第四十二話 同行者2
私は、街を歩きながら迷っていた。
予定では魔導具の鑑賞会という名のひやかしだったのだけど、カイルを巻き込むことに後ろめたさを感じていたからである。
――魔導具は諦めて、市場の方に行ってみようかな。露店も多かったし……
迷いながら歩いていると、自然と速度が遅くなる。それでもカイルは特に気にする様子もなく、自然に歩幅を合わせてくれていた。
ふと、前方に人だかりを見つけた。
「あれは……何でしょう」
「行ってみるかい」
「はい」
近づくと、人だかりの中心に一人の男がいた。
「さぁ、見ててください。この石、今は何色でしょう」
男が灰色の石を手のひらに乗せて、にやりと笑う。どこにでもある小石に見えた。男が片方の手で石を覆い、掛け声と共になにやら大げさな動きをする。
次の瞬間、石が鮮やかな赤に染まり、どこからともなく歓声が上がった。
「では、今度は……」
青、緑、黄色と、次々と色が変わっていく。周囲の人々が目を輝かせて覗き込んでいた。
――あ、なるほど。
魔力を視るとすぐに理解できた。石のような物体が、男の魔石つきの指輪に触れると色が変わる。
指輪の魔石には、それぞれ違う属性の魔力が込められていた。その魔力が石の内側に浸透すると色が変わる仕組みに思えた。
――あの石が属性に反応しているのかな。それとも石の形をした魔導具なのかな。
「面白いね」
カイルが呟いた。石の変化に対してなのか、男の大げさな動きに対してなのか、両方なのか、私には判別がつかなかった。
「そうですね」
相槌を打ちながら、なんとなくカイルの方に視線を向けた。
――え。
魔力の色が、視えなかった。しっかりと集中して視ると、魔力が霧散しているのが分かった。
――この人、無属性。
その時、周囲から大きな拍手が起こった。男がパフォーマンスを終えて、大仰にお辞儀をしているところだった。私もつられて拍手をした。
拍手が収まると、男が手にした帽子を観衆に向けて差し出しながら歩き始めた。
周囲の人々が自然な様子で帽子に硬貨を入れていく。カイルもごく当たり前のように懐から硬貨を取り出した。
――あ、私もっ。
私も慌てて小袋に手を伸ばす。帽子がこちらに近づいてくる。どれぐらい入れればいいのか分からなくて、カイルが持っている硬貨を確認して、帽子の中に入れた。
「面白い魔導具だったね」
人混みから少し離れたところで、カイルが口を開いた。
「そうですね」
何気なく答えてから、気がついた。
――……あれ。この答え、ダメじゃない?
「よく分かったね」と聞かれたら終わりだ。魔力が視えたからとは答えられない。そうでなくても、男が魔導具を使っていたことをあっさり肯定してしまった。「魔導具に興味があるので」と言って乗り切ることも考えたけれど、あの指輪は一見すると普通の指輪にしか見えなかった。少し興味がある程度で気づけるものかと言われると、かなり怪しい。
じわじわと冷や汗が滲んでくる。
恐る恐るカイルの方を見ると、私の方を見ていなかった。
「あれは、おそらく公国製の物だね」
今度は答える前に少し考えた。
――どう返すのが自然だろう。
「詳しいんですね」
「少しね。王国製の物は実用性が重視されるから、ああいった遊び心がある物は多くないんだ」
こちらを向いて、穏やかな口調で説明してくれた。
「そう、なのですね」
「まぁ、憶測だけどね」
カイルはそれだけ言って、前を向いた。それ以上こちらに突っ込んでくる様子はなかった。
――よかった、気にされてなさそう。
胸をなでおろしながら、私は心の中で盛大にため息をついた。
「あんな風に人を笑顔にできるのはいいものだね」
独り言のような、静かな呟きだった。
横顔を見ると、いつもの穏やかな笑顔とは少しだけ違う表情をしていた。どこか遠くを見ているような、そんな目だった。
――あの目、昨日と同じ……。どうしてそんな顔をするんだろう。
聞いてみようかと思ったけれど、なんとなく聞いてはいけない気がして口を閉じた。
「エルデガルド嬢、甘いものは好きかな?」
「え。あっ、はい。好きです」
唐突に聞かれて、私は少し驚きながらも頷いた。
「なら、ちょうどいいものがある」
カイルはそう言って歩き出した。いつもの笑顔に戻っていた。
ついていくと、十人ほどの人が並んでいる露店が見えた。
「並ぶことになるけど、いいかな?」
「はい、大丈夫です」
列に加わりながら、前の方を覗き込んだ。露店の台の上には、色とりどりの果実が並んでいた。店主が何かを手際よく削り、小さな器に盛り付けている。それを受け取った子どもが嬉しそうに駆けていった。
――氷、かな?
白いものが積み重なっている。その上から赤や橙の液体がかけられていた。
順番が来て一歩前に進んだ時、露店の端にかけられた小さな木の板が目に入った。
――……え。
思わず二度見した。板に書かれた数字を、もう一度確認する。
――……結構高いのね。
想像していた値段よりも高かった。
「どれがいい? 色で選ぶといい」
カイルの声に、私はなんとか表情を取り繕った。
「えっと、あの橙色のを」
答えながら、頭の中で計算が始まっていた。
――お小遣い……さっきも使っちゃったし……。
「エルデガルド嬢?」
「あ、はい」
我に返ると、金属製の器を二つ持ったカイルがこちらを見ていた。
「どうぞ」
片方を差し出してくれた。
「え? あ……、ありがとうござい、ます……」
申し訳なく受け取りながら、私は内心でひそかに安堵していた。
――奢ってもらっちゃった……。今更、払いますって言うのは……。カイル様、ごめんなさい。
器の中には、削られた氷の上に小さい果実がのっていて、橙色の液体がたっぷりとかかっていた。冷気がふわりと漂ってくる。
――美味しそう。粒の凄く大きいかき氷、なのかな?
罪悪感は一旦頭の片隅に置いておいて、近くのベンチに二人で並んで腰を下ろした。
スプーンの上に氷と果実をのせる……丸い果実がコロンと器の中に落ちた。
もう一度、慎重に氷の上に果実をのせた。
――よしっ。
さっとスプーンを口に運ぶ。冷たい氷と甘い液体が口の中を満たす。果実は……器の中だった。
「……」
隣から、くっ、という小さな声が聞こえた。
視線を向けると、カイルが口元に拳を当てて肩を揺らしていた。私はじっとりとした目で彼を見た。
「ごめん、ごめん」
気持ちのこもっていない声だった。
果実だけをすくい、口に運ぶ。さっぱりとした酸味で美味しかった。
「……美味しいです」
「よかった」
カイルが満足そうに頷いた。
夏の日差しもあり氷はみるみる解けていき、最後は器を傾けてそのまま飲んだ。すっかりジュースになってしまったけれど、それでも甘すぎるということもなく、さっぱりと美味しかった。
――うん、満足。……なんだけど。
自然と視線が露店へ、否、露店の看板へと向いてしまう。
――この世界の食べ物って、案外高いのかも。
村では自分たちで育てたものを食べていた。王国からの物資も貰っていただけで、お金を払っていたわけではなかった。
実際に村の外で代金を支払って何かを食べるのは、今日が初めてだった。
――……待って。食べ物の価値が高いということは……、食べ物をたくさん作れば、本をいっぱい買えるってことじゃないっ。
当たり前だ。当たり前のことなのだけど、村の農作物が今まで以上に輝いて見えた。
馬車いっぱいに積まれた光輝く農作物が、次々と本に姿を変えていく光景が頭に浮かび、思わず変な笑みがこぼれてしまう。
「……何を考えているんだい」
我に返ると、カイルがこちらを見ていた。
「な、何でもないです」
「そうかい」
少し間があってから、カイルが口を開いた。
「それじゃあ、器を返しにいこうか」
「はい?」
ポカンとした私に、カイルが説明してくれた。器を返せば、代金の大半が戻ってくると。器の代金を差し引いた氷菓子の値段は、なるほど納得のいくものだった。つまり高かったのは器の分で、食べ物が特別高いわけじゃなかった。
馬車の中で山積みになっていた本が、空へ羽ばたいていく。私の野望が静かに幕を閉じた。
――ま、まぁ……村の農作物が増えれば、村が潤うのは事実だし。うん……。
自分で自分を慰めてみたけれど、あの馬車いっぱいの本はもう脳裏に焼きついて離れなかった。
* * *
氷菓子を食べ終えた私たちは、市場を散策していた。活気に満ちた市場は、その中にいるだけで元気をもらえる気がした。
「そいつを捕まえてくれ!!」
突然、前方の路地から鋭い声が響いた。
声の方に視線を向けると、顔を隠した人物が路地裏へ向かって走っていた。追いかけている人よりも、明らかに速い。
――あの人、もしかして魔力で筋力の補助を……?
咄嗟に視ると、逃げる人物の魔力の状態は普通と変わらなかった。ただ、足元、履いている靴に魔力の反応があった。
――魔導具の靴? 速さを上げる感じの物かな……。えっと、どうしよう……。あれぐらいなら追いつけるんだけど、流石にそれは……。魔力で壁を作ってみるのは……明らかに不自然だよね。
迷っている間に、カイルが駆け出していた。
人の隙間を縫うように進んでいく。動きに一切の迷いがなかった。それだけでも十分驚いたけれど、私が目を見張ったのは別のことだった。
――あの魔力の放出……
カイルの速度は、魔導具の靴を履いた逃走者を上回っていた。けれど彼は、魔力で筋力を補助しているわけではなかった。魔力を操作するのではなく、ただ纏って、霧散させながら走っていた。
――すぐに散ってしまう魔力を大量に放出して、疑似的に魔力を使っているんだ。
効率は、お世辞にもいいとは言えない。けれど確かに、その瞬間だけは魔力を纏っている。
やがてカイルが逃走者の腕を掴んで、追いかけていた人物に引き渡した。周囲から声が上がる。カイルは特に誇る様子もなく、軽く手を振るだけだった。
戻ってくる頃には、魔力の放出は元に戻っていた。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「あぁ、突然すまなかったね。驚かせてしまったかな」
――そっちじゃなくて……。
「い、いえ」
カイルは笑顔だった。けれど、さりげなく額を拭う仕草が目に入った。
――やっぱり、疲れたのかな。
その後しばらくして、約束の時間が来たので宿に戻ると、両親とディックはすでに到着していた。
「この度は、ありがとうございました」
「いえ、こちらも楽しませていただきました」
父の声はあいかわらずガチガチに固まっていた。それに対してカイルは、特に気負った様子もなく柔らかく返していた。
「エルデガルド嬢」
名前を呼ばれて視線を向けると、本が差し出された。
「ありがとうございました」
受け取って頭を下げると、カイルは軽く頷いた。
「では、またどこかで」
それだけ言って、人混みの中に歩いていった。見送りを待つでもなく、振り返るでもなく、自然に去っていく後ろ姿だった。
その背中が人混みに紛れて見えなくなってから、私は馬車に乗り込んだ。
ガタガタと馬車に揺られながら、無属性の使用人のことを思い出していた。
――ヴァリアント家の使用人、か。
初めて会った時の遠い目、魔力の本について聞いた時の反応。今考えれば、どちらも彼の無属性と関係していたように思えた。
彼が自分の魔力の存在に気づいていたかどうかは分からない。ただ一つ確かなのは、あの放出は一朝一夕で身につくものではないということだった。
魔力は誰の周りにも漂っているけれど、それを扱えるようになるまでには練習が必要だ。リザや村の人たちが魔術を学び始めた時も、この感覚をつかむまでが一番大変だった。
そして、その感覚をつかんだとしても、一度に扱える魔力の量という壁が待ち構えている。訓練を重ねれば少しずつ増やすことはできる。でも、それは決して簡単ではなかった。
――あの人の魔力、私でもあんなに一度に扱えるかどうか……。
赤ちゃんの頃から魔力で遊んでいた私は、それなりに多くの魔力を扱える。彼が、幼い頃から魔力の放出を続けてきた可能性は、十分にあった。
――自分のことを、どこまで知っているんだろう。
直接聞けば、無属性が視えることがばれてしまう。自然な言い回しも思いつかなくて、結局何も聞けなかった。
――来年のパーティーで、また会えるかな。
本屋に立ち寄れるという理由だけでパーティーに参加していたけれど、一つ理由ができた。




