第四十話 貴族のパーティー2
「少し休んでいらっしゃい」
母に小声でそう言われたのは、挨拶回りが一段落した頃だった。
大広間の端、壁際に設けられた椅子に腰を下ろした。
給仕から飲み物を受け取り、一口飲む。冷たくて、少し甘かった。
ふぅっと、息を吐いた。笑顔を保つのをやめると、頬がじんわりと緩んだ。
こんなに表情筋を使ったのは初めてかもしれない。
――魔力で笑顔を固定できたりしないかな……。
そんなことを考えながら視線を上げると、ダンスの輪が大広間の中央で緩やかに回っていた。
色とりどりのドレスが、灯りの中で揺れている。遠くで見ている分には、綺麗だと思った。
「ユミナ」
ダンスに見惚れていると、声がした。
アルデリックが立っていた。銀の縁取りの衣装が、燭台の光を受けて光っている。
姿勢が良く、にこやかな笑みを浮かべていた。
「こういった場は、得意ではないのかな」
そう言いながら、すでに隣に座っていた。許可を求めた様子はなかった。
悪意がないのは分かったが、断るタイミングも与えられなかった。
「……少し、慣れなくて」
「そうか、無理もない」
アルデリックが静かに、しかし確信を持った声で言った。
「でも、心配しなくていい。これから場数を踏めば、自然と身につく。……僕が、教えてあげよう」
僕が、という部分に、力があった。
「ご親切に、ありがとうございます」
「遠慮しなくていい」
遠慮ではないのだけれど、と思いながら、愛想笑いを返した。
「……やはり、恥ずかしがりなんだね」
アルデリックが微笑んだ。
――恥ずかしいというより、困っているのだけれど。
その違いを説明する言葉が、うまく見つからなかった。
「その髪飾り、よく似合っているよ」
アルデリックが言った。
「ありがとうございます。母が作ってくれたものなんです」
「お母上が」
アルデリックがわずかに目を細めた。白い小花を、しばらく黙って眺めていた。
腕を組んだかと思えばすぐに解いた。そして、片手で顎を支えた。
「……赤い宝石は、派手だったかな」
「え?」
そう言われて思い出した。魔力回路の練習に使っている、アルデリックからプレゼントされたペンダントの事を。
「ユミナにはこういう、自然なものの方が……いや、でも宝石は……」
アルデリックはまた腕を組んだ。
「あの、ペンダントは大切に使っております」
「……本当に?」
「はい」
嘘はついていなかった。けれど、アルデリックが想像しているような使い方ではない気がした。
「そうか、よかった。実は……」
アルデリックが改まった声を出した。
「後で渡したい物があってね」
――やっぱり、きたわね……。
招待状が届いた日から、予測はしていた。
パーティーがある。アルデリックがいる。前回プレゼントがあった。
ならば今回もある。論理的な帰結だった。
街に来る前に、断りの言葉を考えていた。練習もした。
ロベルトを相手に試したら「なんか感じ悪い」と言われたので修正もした。準備は万全だった。
頭の中で、用意していた言葉を取り出した。
「ありがたいのですが……」
「今回は、魔導具なのだが」
「っ! どのような物ですか」
用意していた言葉が、すとんと頭から落ちた。
アルデリックが少し目を丸くした。それからゆっくりと、満足そうに微笑んだ。
「やはり興味があるのだね」
「あ、いえ、その……」
取り繕おうとしたが、遅かった。
「護身用の魔導具なのだが、細工が丁寧で、ノックスのような危険な場所で暮らすユミナにはピッタリだと思ってね」
「ノックスは危険な場所では……」
「あぁ、すまない。ユミナの故郷を悪く言うつもりはないんだ。ただ、心配でね」
「……ありがとうございます」
愛想笑いを返した。魔導具への興味と、この会話をどう切り上げるかが頭の中で同時に渦巻いていた。
アルデリックが立ち上がり、当然のように手を差し伸べた。
「せっかくだから、一曲どうかな。続きはその後で」
「……はい」
魔導具の話を人質に取られた気がした。
アルデリックに手を取られ、引っ張られる。
歩幅を合わせる間もなく、大広間の中央へ連れて行かれた。
「では」
向き直った姿勢の良さは、さすがだった。
音楽に合わせて最初の一歩を踏み出す……合わなかった。
踏み出しが思っていたより大きく、慌てて歩幅を広げた。
――大丈夫、リズムは分かってる。
動きが早く、遅れそうになって、つま先に力を入れた。
「力が入りすぎだよ」
彼は涼しい顔だった。
「す、すみません」
笑顔を作りながら、足元に意識を向けた。リザの声が頭の中に蘇った。
視線は相手の目へ。背筋は伸ばして。つま先まで意識を。
視線を上げた。パートナーはすでに次の動きに入っていたので、私は必死についていく。
アルデリックのダンスは、確かに上手と思えた。
動きに迷いがなく、自信に溢れていた。
ただ、それはアルデリック一人の話だった。相手がどこにいるかは、あまり関係がないようだった。
「慣れていないんだね」
「……少し」
笑顔を保ちながら、ひたすら足を動かし続けた。頬の内側を少し噛んだ。
なんとか、ダンスと言えるのかよく分からないことをやり遂げた。
――疲れた……
体の疲れはそうでもないのだけれど、精神的にぐったりしていた。
一曲の間、ずっと誰かの動きを必死に読み続けた結果だった。
リザの練習とは、種類の違う消耗だった。
「あぁ、すまない。疲れさせてしまったようだね」
アルデリックの顔は、言葉ほど申し訳なさそうではなかった。
どちらかといえば、満足そうだった。
「い、いえ、私が不慣れなだけなので」
「そうだね」
フォローした意味がなかった。
「でも、大丈夫。僕がいつでも教えてあげるから」
胸を張るアルデリックの姿は、呆れを通り越して清々しい程だった。
ただ、これだけ迷いなく生きられるのは、それはそれで一つの才能なのかもしれないとは思った。
「……ありがとうございます」
笑顔だけは、まだ作れた。
「そうだ。テラスがあるからそこで風に当たっていれば、少し楽になる。その間に贈り物を取ってこよう」
言われるがままに外に出た。室内の熱気が嘘のように夜風が涼しかった。
「はぁ~……」
ベンチに腰を下ろした瞬間、大きなため息が出てしまった。出てから、少し恥ずかしくなった。
――まぁ、誰もいないからいいよね……
「はは、災難だったね」
「ひぇっ」
心臓が跳ね上がった。掴むものを探して、ベンチの端を両手で握った。
声のした方に、人が立っていた。
薄い金髪のショートヘア、飾り気のない上着。年はアルデリックと同じくらいの青年に見えた。
パーティーの参加者だとは思えたのだけれど、少し質素な恰好だった。
それなのに、妙に存在感があった。
その人物がこちらに向き直り、軽く会釈をした。
「すまないね。そんなに驚くとは思わなかったよ」
少し楽しそうだった。
「いえ、こちらこそすいません。あの、ずっとここに?」
「うん。中が少し、賑やかすぎてね」
手すりに寄りかかり、室内を眺めている青年。その横顔が少し気になった。
遠くを見るような目だった。煌びやかな場所と、自分の間に、透明な壁でもあるような。
「アルデリックは悪い奴じゃないんだが、少し……自分のペースが強いところがあってね」
「……知り合いなのですか?」
「そうだね」
嘘をついているようには見えなかった。
「君はどこかのご令嬢かな?」
答えようとした瞬間、挨拶回りのときに向けられた視線が、頭をよぎった。
「……は、はい。ノックス領のユミナ・エルデガルドです」
「あぁ、確か隣の……。ここからどれぐらいかかるんだい?」
嫌悪の色はなかった。それだけで、少し肩の力が抜けた。
「え、あっ……馬車で二時間ほどです」
「意外と近いな。帰りに立ち寄ってみるのも、いいかもしれないな」
「え?」
思わず聞き返した。
「えっと、何もないところですよ。宿も、この街に比べると、その……」
興味を持ってもらえたこと自体は嬉しかった。
ただ、村に人をもてなせる環境があるかと言われると、話は別だった。
――フェリシアには、あの宿に泊まってもらったんだよね。本当はどう思っていたのかな。
今までは、質素とは分かっていても、それほど変わらないと思っていた。街で本物の宿を知るまでは。
「今、新しい宿を建てているところなので……完成してからの方が、きっと良いと思います」
せっかく興味を持ってもらったのに、ガッカリしてほしくなかった。
「……そうか。なら、そうさせてもらおうかな」
青年が笑った。
「あ、はい……」
愛想笑いを返した。返してから、なぜか落ち着かない気持ちになった。
笑顔は穏やかだった。言葉も柔らかかった。嫌な人だとは思わない。
――なんだろう、この感じ。
うまく言葉にできなかった。ただ、この笑顔をどこかで知っているような、
そういう既視感だけがあった。
「ユミナ、待たせたね」
しばらくして、アルデリックが小箱を手に現れた。
こちらに向かって歩いてくる足が、途中で止まり、視線が青年に向いた。
「……カイル」
名前を呼んだというより、確認するような言い方だった。
「やあ、アルデリック。久しぶりだね」
カイルが軽く手を上げた。
「招待状は出したはずだが、返事がなかったぞ」
「アルデリックを驚かせたくてね」
「まったく、君は……」
アルデリックが珍しく歯切れが悪かった。
「父に挨拶はしてくれるのだろう」
「もちろんさ」
カイルが軽く答えた。
「ユミナ、これを。すまないね、また今度ゆっくり話をしよう」
「あ、はい」
小箱を両手で受け取ると、二人は連れ立って室内へ戻っていった。
――アルデリック様の知り合いっていうのは本当みたいだけど、なんだか少し困惑していたような……。
仲の良い親友という感じには見えなかった。
――まぁ、深く考えても仕方なかな。
私は立ち上がり、ひと息入れてから笑顔を作り直した。室内に入ると、熱気が戻ってきた。
両親を探して人の波を抜けると、すぐに見つかった。
奥の方でカイルが子爵に向かって会釈をしている様子が見えた。
子爵の顔が、さっきとは別人だった。さっきまでの尊大な様子はどこへやら、落ち着きなく周囲に目を配り、何度も頭を下げていた。
その様子は、教会のとある偉い人を思い起こさせた。
――あの人が、あんなに……。カイル様って身分が高い人なのかな。
「お疲れ様」
母が小声で言った。
「い、いえ」
「先に宿に戻っていなさい。子爵閣下には私から伝えておくから」
「はい、分かりました」
父の言葉に嬉しさが爆発して笑顔が崩れそうになったけれど、冷静を装った。
小箱を胸に抱え、外に出ようとすると、会場が少し騒がしくなった気がした。
私の意識は既に宿に向いていたので、気にせずに足を進めた。
「エルデガルド嬢」
広場を出ようとすると声をかけられた。振り返ると、落ち着いた佇まいの女性が立っていた。
年は母より少し若いくらいだろうか。控えめな、しかし整った身なりだった。
「お一人でお帰りでしょうか」
「あ、はい。両親が……」
「存じております。よろしければ、宿までお供いたします」
穏やかな声だった。断る雰囲気でもなかった。
「あ、ありがとうございます」
女性が自然に半歩後ろについた。余計なことは何も言わなかった。ただ、静かにそこにいた。
歩きながら、すれ違った門番に思わず会釈をした。門番が少し面食らった顔をした。
女性の口もとが、かすかに動いた気がした。
「……あの、可笑しかったですか?」
「いいえ」
間髪入れずに答えが返ってきた。
「……でも、笑っていませんでしたか?」
少し間があった。
「失礼いたしました」
可笑しかったようだ。
夜の街は王都ほどではないけれど、明るく人通りもあった。
ふと、足を止め、宿とは違う方向を見てしまう。
――あの通りの向こう側……魔導具のお店があったよね。
女性は相変わらず何も言わずに待っていてくれる。
――「行きたい」って言ったら、迷惑かな……。
思いを振り切り、宿へと歩みを進めた。
「あの、本当に申し訳ないです。お手を煩わせてしまって」
「いいえ」
女性が静かに首を振った。当然のことをしているだけ、という顔だった。
――これが普通なのかな。
フェリシアにはシエルがいた。ヴィンター伯爵の屋敷でも、気づけば誰かが近くにいた。
王宮でも、廊下を歩くたびに人の気配があった。
村では、夜道を一人で歩いても誰も気にしなかった。ルナがいることもあったけれど、それはまた別の話だった。
誰かに付き添ってもらえることが、当たり前だと思える日が自分に来るのだろうか。今のところ、全く想像がつかなかった。
宿に着くと、女性が深く会釈をした。
「お気をつけて」
「ありがとうございました」
頭を下げた。女性がまた、かすかに微笑んだ気がした。
宿の中は静かだった。喧騒も、視線も、何もなかった。
扉を開けて部屋に入り、小箱を抱えたまま椅子に腰を下ろした。
――帰ってきた。
それだけで、大きなため息が出た。
作品を読んでいただきありがとうございました。少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。




