第三十九話 貴族のパーティー1
冬の間、村は静かに、しかし着実に動いていた。
フェリシアを受け入れるために、まず宿と道を整備しようとなった。村に帰ってきた翌日、父はギルバートに相談するために町へ出向いた。話し合いの結果、職人の手配まで申し出てくれていた。父が「ギルバートは話が早くて助かる」と何度も言っていた。
整地が始まり、木材が積まれ、村の空気が少しずつ変わっていった。村人たちのやる気はすさまじかった。宿をより良くしようと、あちこちから知識を持ち寄り、気づけば最初の計画からどんどん話が膨らんでいた。止めたのは母だった。何を言ったのかは分からなかったが、その後村人たちは大人しく最初の計画に戻っていた。
雪が解け、春の気配が漂い始めた頃、使者が村を訪れた。
正式な通達だった。ノックス領が王女直轄領となることが、改めて告げられた。村人たちは静かに、しかし確かな顔でそれを受け取った。冬の間ずっと準備を続けてきた甲斐があったと、皆が思っていたに違いない。
使者と共に、ヴィンター伯爵も姿を見せた。村を一通り見回った伯爵は、父と少し話をした後、静かに口を開いた。
「私達も協力いたしましょう。ああ、それから、街から貴殿の村まで、直接つなぐ街道を整備してはどうでしょうか」
現状はバルトロメウス子爵領を経由しなければならないため、どうしても時間がかかる。それを解消するという申し出だった。父が目を丸くしていた。
* * *
ノックス村に初夏の風が吹き始めた頃、私はダンスの練習に追われていた。
というのも、グレイモント子爵のパーティーへの参加するためだった。
「直轄領になった以上、ユミナも貴族としての場が増えるでしょうから、慣れていきましょうね」
母の言うとおりだった。それはその通りなのだけど、アルデリックの顔が脳裏をよぎるたびに気分が沈んだ。
しかし、パーティーが終わったら本屋に寄っていいと母に言われていた。それがあったから、なんとか頑張れた。現金なものだと思う。
「ユミナ、また間違えてるわ」
母を相手に練習をしている私に、リザが細かく指摘してくる。
ダンスの練習をしているという話は、あっという間に村中に広まった。そうなればリザが飛びついてくるのは当然の流れで……
無理やりマルクを連れてきて、練習に加わるのが日常になってしまった。
リザにとってダンスは遊びではなく、本気の勉強らしく吸収する速さが恐ろしかった。そして、母よりずっと厳しかった。
「いい、よく見ていて」
リザがマルクを相手に実演してみせる。マルクは、慣れた様子で手を差し伸べていた。
「いち、に、さん」
リザの掛け声に合わせて、二人の動きが揃う。つま先まで意識の行き届いた、見事な動きだった。
「はい、ユミナの番よ」
「は、はいっ」
――大丈夫、動きは分かってる。姿勢を正して、視線は母の目へ。
リザの手拍子に合わせて、足を踏み出す。最初の二拍は完璧だった。三拍目で重心が遅れた。修正しようとするほど体がちぐはぐになり……
「やり直し」
容赦のない一言が部屋の中に響く。
「ユミナ姉ちゃん頑張って」
子供たちの明るい声援が、なぜか胸に刺さった。
「考えすぎているのよ、きっと」
母が穏やかに言う。
「まだ時間はあるから、焦らなくて大丈夫よ」
「は、はい……」
リズムに合わせて体を動かすのは得意ではなかった。剣の扱いはずっと続けてきたこともあり、基本の動きなら何も考えずにできる。けれど、それはあくまで反復で染み込ませたものであって、音楽に乗って優雅に、というのとはまるで別の話だった。
――フェリシアを助けた時も、魔力を使っていただけだし……
練習を続ければいつかは自然に動けるようになる気はしていた。問題は、そのいつかが来月には間に合わない可能性が高いことだった。
アルデリックが自分に好意を持っているのは知っていた。子爵主催のパーティーで、その息子のダンスの相手をする。どれだけ目立ちたくないと思っていても、注目を集めるのは避けられないだろう。
――でも、自信を持たなくちゃ……
フェリシアの言葉を思い出して、背筋を伸ばす。姿勢を正し、母の目をまっすぐに見た。その瞬間、足が止まった。
「はい、やり直し」
「……はい」
前途多難だった。
窓際に目をやると、ルナは腹を出して転がっていた。風通しが良く夏場の定位置になっていた。
「……羨ましい」
誰に言うともなく呟いた。
* * *
練習を続けたことで、完璧とは言いがたいけれどリズムに合わせて踊れるようになった。
「まあ、及第点ね」
リザにそう言われて、少し自信を持てた。
ディックが御者を務める新しい馬車は、ガタガタと揺れながら子爵の街へ続く道を進んでいた。向かいに座る父はなんだか落ち着かない様子でちらちらとこちらを見ている。隣の母は窓の外を穏やかに眺めていた。
子爵の街は以前来た時よりも賑やかになっていた。新しい建物が増え、王都で見かけた街灯のような魔導具も見えた。行き交う人も多い。
子爵から用意された宿の一室に荷物を運んだあと、ディックは「それじゃあ、また明日の朝迎えに来ます」と言って村に帰っていった。
母が選んでくれたドレスを着て、鏡の前に立つ。ドレスを着た自分というものに、まだ慣れていなかった。
深い緑色の生地のドレスは、光の角度によってわずかに色が変わる。派手ではないけれど、安物には出せない落ち着いた艶があった。袖口と裾にだけ、細いレースが控えめに縫い付けられている。それ以外の装飾はなかった。
髪には小さな白い花の髪飾りをつけている。ルーメナの花を母が摘んで形にしてくれた物だった。
ちなみに、パーティーへの参加をフェリシアに手紙で知らせると、「ドレスを贈ります」と返事が来たので、丁重にお断りしていた。
宿を出て子爵の屋敷へと向かった。その豪邸が見えてきたとき、私は思わず息を呑んだ。正面には、着飾った人々が列をなしていたのだ。
色とりどりのドレス、きらびやかな装飾品、笑い声と話し声が重なり合って、遠くからでも熱気が伝わってくる。
――こ、これは……
王宮を訪れた時とは、また違う種類の圧だった。王宮は静かな緊張感があった。でも、ここはにぎやかで華やかで、その中に自分が混ざらなければならないという圧迫感があった。
――あぁ、もう帰りたい……だめだめっ、嘘でもいいから自信を持って、堂々と。
横目に見た父の顔が、私より緊張しているように見えて少し気が楽になった。
燭台が壁沿いにずらりと並び、天井からは大ぶりの装飾が下がっている。金色、深紅、濃い紫、色も形もばらばらな調度品が所狭しと飾られていて、それぞれが「私を見ろ」と主張しているようだった。
一つ一つは確かに高価なものなのだと思ったけれど、全部を一度に見ると少し目が痛かった。
ヴィンター伯爵の屋敷は落ち着いた色でまとめられていた。王宮は広さそのものが威圧感だった。でも、ここは賑やかだった。とにかく、賑やかだった。
「毎年どんどんすごくなるわね」
母が静かに言った。褒めているのか、そうでないのか、判断のつかない言い方だった。
視線が集まるのを感じた。辺境の男爵家が来た、と思われているのか、それとも別の理由なのかは分からない。できるだけ気にしないふりをして前を向いた。
背筋を伸ばして、歩幅を一定に保つ。表情は穏やかに、視線は正面に。笑顔を絶やさない友達を思い浮かべ、母に倣って大広間へ続く廊下を進んだ。
煌びやかな大広間では、招待客たちが思い思いに談笑し、給仕が飲み物を運んでいた。その中を、私たちは奥へと進んだ。
バルトロメウス・グレイモント子爵はすぐに分かった。
部屋の中央より少し奥、他の客よりも一段高い位置に立つようにして、客たちの挨拶を受けていた。金糸が幾重にも刺繍された濃い赤紫の上着は、遠くからでも目を引いた。胸元の飾りが燭台の光を受けてきらきらと光っている。丸みを帯びた体躯には、その衣装がどこか窮屈そうだった。
その隣に、アルデリックがいた。
白地に銀の縁取りが施された衣装は、父親ほど過剰ではないものの、やはり目を引く仕立てだった。整った顔立ちに似合っているとは思ったが、少し眩しすぎる気もした。それでも堂々としていた。視線を集めることを、当然のこととして受け取っている。素直に、すごいと思った。
目が合った瞬間、アルデリックが静かに目礼をした。それだけだった。ただ、その視線がどこか熱を持っている気がした。
――何だろ。
考えかけて、やめた。今は口角を下げないことの方が大事だ。視線を外し、表情を整えた。
父が一歩前に出た。
「バルトロメウス・グレイモント子爵閣下、本日はお招きいただき光栄に存じます。マグナ・エルデガルドでございます」
「おお、エルデガルド男爵」
子爵が両手を広げた。声は大きく、周囲にも聞こえる。
「よく来てくれた。毎年律儀なことだ」
そこに一拍の間があった。
「このたびは直轄領への昇格、まことにめでたい。王女殿下のご寵愛まで賜るとは、いやはや、ノックス領も変わったものだ」
言葉は祝辞の形をしていた。しかし言葉の端々に、「信じられない」という色がにじんでいた。
父は微笑を崩さなかった。
「おかげさまで。子爵閣下のご見識あるご招待で、このような場を経験させていただいたことも、今日に至る糧でございます」
「は、はは……そうかそうか」
子爵がわずかに間を外した。父の返しには、嫌みへの反論は一切なかった。ただ、自然に感謝を述べただけだった。
母が静かに会釈した。
「奥方も相変わらずお美しい。教会出身とは思えぬほど、よくこの場に馴染んでおられる」
母は穏やかに微笑んだ。
「ありがとうございます。このような素晴らしい会に毎年お招きいただけることで、場の勉強をさせていただいております」
子爵がふたたび、返す言葉を探すように口を閉じた。
二人ともさすがだった。私はただ、口角を下げないことに全神経を使っていた。
子爵の視線がこちらに向いた。
上から下へ、ゆっくりと。ドレスの生地を確かめるような、値踏みするような目だった。
「これがご令嬢か」
「はい。ユミナ・エルデガルドと申します。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
声が震えないように、丁寧に言葉を選んだ。
「ふうむ」
子爵がもう一度、じろりとこちらを見た。
「直轄領の令嬢ともなれば、王都へ出る機会も増えよう。それはよかった。この辺境では、釣り合う縁談の一つも見つかりますまい」
「おっしゃる通りでございます」
母がすっと言葉を引き取った。
「これからは娘も、様々な場で経験を積んでまいります」
子爵が鼻から小さく息を抜いた。それきり、視線はすでに次の客へと向いていた。
「うむ、ゆっくりしていきなさい」
子爵から離れたところで、私は穏やかな表情を保ったまま、ゆっくりと息を吐いた。
「お疲れ様」
母が小声で言った。
「……あの方は、いつもこんな感じなんですか」
「そうね」
母は前を向いたまま、静かに微笑んだ。
その後の挨拶回りは、想像していた通りだった。
父が名を告げるたびに、相手の表情が微妙に動く。愛想よく返してくれる人もいた。けれどその笑顔の奥に、値踏みするような色があった。直轄領になったとはいえ、所詮は辺境の貧乏男爵家、という空気は隠しきれていなかった。
父は気にした様子もなく丁寧に挨拶を続けた。母も穏やかな笑顔を崩さなかった。
私も笑顔を保った。保ち続けた。頬の内側を少し噛みながら。
――気にしない、気にしない。
「エルデガルド男爵」
不意に、落ち着いた声が届いた。
振り返ると、ヨーグ・ヴィンター伯爵が静かにこちらへ歩いてきていた。先日屋敷に泊めていただいた時と変わらない、穏やかな顔だった。
「これはヴィンター伯爵閣下。先日は大変お世話になりました」
「いや、こちらこそ。街道の件は順調です。あとはお互い、気長に待ちましょう」
二人が言葉を交わし始めた瞬間、周囲の空気が、変わった。
さりげなく視線を動かすと、近くで談笑していた人々がこちらに目を向けていた。露骨ではない。けれど確かに、意識が向いていた。先ほどまでの冷ややかな視線とは、質が違った。
――ヴィンター伯爵と話しているから、かな。
伯爵が父との会話の途中で、自然にこちらへ視線を移した。
「ご令嬢も、遠路よくいらした」
「ありがとうございます。先日はお世話になりました」
「ノックス領のことは、私も関心を持っております。これからも、よろしくお願いしますね」
穏やかな言葉だった。特別なことは何も言っていない。それでも、伯爵の口からその言葉が出たことには、重さがあった。
「はい。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
伯爵がわずかに目を細めた。
伯爵は父ともう少し言葉を交わした後、静かに会釈をして人の波の中へ戻っていった。




