第三十八話 光の剣
杖の話題で盛り上がっていたかと思えば、いつの間にか先日の王女来訪へと移っていた。
「え!? という事は、王女殿下は魔物に襲われたのかい?」
「あぁ、どうやらそうみたいだ」
村人の一人が声を潜めた。
「そんなことが……でも、王女殿下が無事だったってことは、護衛がしっかりしてたんだな」
「いや、王女様を助けたのは別の人物らしいんだ」
「フードを被った剣士だろ」
別の村人が言った。
「フードを……その人は村の人じゃないのか?」
男は静かに聞いた。
「あぁ、村にはいない人だったよ」
「……なるほど」
男が小さく頷いた。
「そういえば、昔もそんな人が来たことがあったわよね。ほら、一年ぐらい前に」
話を聞いていた女性が思い出したように口を開いた。
「あぁ~。そんな旅人がいたな」
「私は今回の人を見てないから同じ人かどうかは分からないけど、フード付きのコートを着ていたんでしょ?」
「あぁ、ディックが言うには少し変わった雰囲気だったって」
「変わった雰囲気……前に来た旅人もそんな感じだったわね。……実は、あの人不思議なことがあってね」
女性が少しじらすように続けた。
「汚染された大地の方から来たみたいなんだよ」
「はぁ?」
周りの村人が呆れた顔をした。男だけは、表情を変えなかった。
「道に迷って、たまたまそっち方面から来ただけだろう」
村人たちが笑った。
「……汚染された大地で思い出したけどよ。光の精霊の話、覚えているか」
「あぁ、懐かしいね~」
「光の精霊?」
男が前のめりになった。
「同じぐらいの時期だったかな、汚染された大地に向かう光の精霊を見たって人がいてね。ほら、あそこの人だよ」
視線の先には、瓶を抱きかかえているワドルの姿があった。
「最近、また見たとか言ってなかったか?」
「まぁ、ワドル爺さんの言う事だからな~」
再び笑い声が上がった。しかし一人が、少し真剣な顔で言った。
「でもよ……もし、その光の精霊がフードの剣士だったとしたら?」
笑っていた村人たちが黙った。視線がお互いの間を行き来する。
「大地を飛び回っていたっていう話も、浄化していたって考えれば」
「何言ってるんだい。浄化が続いているのは教会の方々と、お杖様のおかげ……」
しばらく沈黙が続いた。
「……待てよ」
誰かがぽつりと言った。
「お杖様って、もしかして……動けるんじゃないか?」
「は?」
「いや、聞いてくれ。お杖様は普段は杖の姿をしているけど、本当は姿を変えられるんじゃないか」
「…………」
「夜中に人の姿になって、汚染された大地を浄化して……」
「それが、光の精霊に見えた……」
「そうだ、そして王女様が危ない時には、助けに行った……」
「……そういうことか」
静寂の後、少し酔っぱらっている村人たちの顔が一斉に輝いた。
「全部繋がった!」
男は何も言わなかった。完全に間違った方向へ走り出した村人たちを、ただ静かに見ていた。
村人たちの声が宿の中で弾けていた。その喧騒の中で、男だけが静かに動いた。ルナはそれを見ていた。男がワドルの隣に腰を下ろす。周りの村人は誰も気づいていなかった。
「光の精霊の話、聞かせていただけませんか?」
「ん、なんじゃお前は? お前さんも商人なのか?」
「いえ、私は浄化の調査に参加させていただいている者です」
ワドルがビンを置き、腕を組んで目を細めた。
「話してやってもいいがの……見ての通り、この瓶の中身も底をついてきた。喉が潤えば、口も滑らかになるというものじゃ」
「……」
男が荷袋に手を入れた。取り出したのは、封の切れていないビンだった。ワドルの目が輝いた。
「これで、いかがですか」
「……話してやろう」
ワドルは大切そうに瓶を受け取った。
「あれはな、夜明け前のことじゃった」
ワドルが話し始めた。目が覚めて窓の外を何気なく見ると、光が森の奥へ向かっていったという。汚染された大地の方へ、吸い込まれるように。男はその話を相槌を打ちながら聞いていた。
「実はな、つい最近も見かけたんじゃよ」
「それは、もしかして……王女殿下がいらした日ですか?」
「よく分かったな、その通りじゃ」
男は腕を組んだ。黙ったまま、何かを考えていた。
「ワドルさん、何の話してるんだ?」
手に持った腸詰めをかじりながら、ロベルトが割り込んできた。
「光の精霊の話じゃよ、お前は信じとらんだろうがな」
ワドルが面倒くさそうに顔をそむけた。ロベルトは気にした様子もなく、今度は男の方を見た。
「あんたも街から来た商人なのか?」
「いや、私は王都の調査員だよ」
「ふ~ん」
ロベルトが少し間を置いた。それから、思い出したように口を開いた。
「なあ、あんた。光の剣って知ってるか?」
男の動きが、止まった。
「光の剣? なんじゃそれは?」
「シエルさんが話してたのを聞いたんだよ。それを持っていた剣士が、魔物を倒したって」
「ほぅ……」
ビンを膝の上に置いて、ワドルがロベルトの方へゆっくりと顔を向けた。
「さすがに王都でも聞いたことはないな……もう少し詳しいことは分かるかい?」
さっきまでと、声の温度が違った。
「いや、王都の人なら知っているかもしれないと思ったけど、ダメか~」
ロベルトが少し残念そうに言った。
「おそらくは光の魔術だろうから、教会の関係者の可能性が高いが……それぐらいしか」
「なあ、ワドルさんが最近見たっていう光、その光の剣じゃないかって思ったんだけど、何か覚えてないか?」
ロベルトがワドルに向き直った。ワドルは腕を組んで少し考えてから、首を横に振った。
「なるほど……じゃが、わしの見た光は恐ろしく速かった。その剣を持って馬に乗っていたとしてもあれ程は……」
光の剣について三人がしばらく話していた。ルナは暖炉の前からそれを見ていた。話の内容はよく分からなかったが、男が相槌を打ちながら丁寧に聞いている様子は分かった。
やがて、ギルバートが立ち上がった。
「そろそろ戻らないといけないな」
商人の男も名残惜しそうに村人たちに挨拶をして回っていた。二人が馬に乗って村の入り口を抜けていくのを、ルナは見送った。
もう一人の男は村に残った。村の宿に泊まっていたが、夜出歩くという事は無かった。
翌朝、男は村人に案内され、浄化された大地に向かった。ルナもその後ろを少し離れてついていった。
男はしばらくの間、黙ったまま大地を見ていた。何を思っているのかは分からなかった。
やがて男は村に戻り、静かに荷物をまとめた。村人に短く挨拶をして、馬に乗った。
村の入り口を抜けていく背中を、ルナは見ていた。その後いつもの場所に戻った。
* * *
「光の剣、か……」
シエルの前で深く腰を下ろしているエドワードが呟いた。
「はい」
ユミナたちが村に帰った日の夜、シエルは国王に今回の件について報告した。
「……申し訳ございません」
一通りの報告を終えたシエルは、深く頭を垂れた。
「フェリシア様を危険な目に遭わせてしまいました。護衛として、あるまじき失態です。どのような罰も、謹んでお受けいたします」
エドワードはしばらく無言だった。執務机の上で組んだ手に視線を落とし、何かを考えるように静かに息をついた。
「罰か……」
低い声が室内に響いた。
「今回の件は、護衛が王女を守り切ったということにする」
「……陛下」
シエルが顔を上げた。
「実際に、フェリシアは無事だ。それで十分だろう」
「しかし……」
「事実をそのまま公にすれば、混乱を招く」
エドワードの声は穏やかだったが、その言葉には有無を言わせない重さがあった。シエルは唇を引き結び、再び頭を下げた。
「……御意にございます」
「今回の魔物の件は、内密に調査を進める。不自然な点が多すぎる」
「はい」
「それと、シエル」
名を呼ばれ、シエルは顔を上げた。エドワードの琥珀色の瞳が、真っすぐにシエルを見ていた。
「これからも、フェリシアのことを頼む」
その言葉は命令ではなく、父親の声だった。シエルは一瞬だけ目を細め、深く礼をした。
「……必ず」
執務室を出たシエルは、騎士団の訓練場へ向かっていた。
夜の廊下は静かで、自分の足音だけが響いた。
エドワードに報告したことで、頭の中にあの場面が蘇っていた。
自分の力が魔物に通用しなかったのは事実で、悔しくないわけではなかった。だが、胸に浮かぶのは、燃えるような焦りではなく、もっと別の何かだった。
訓練場に足を踏み入れると、夜気が肌に触れた。明かりは入り口の燭台が一つきりで、広い場内のほとんどは闇に沈んでいた。
――こんな時間に来るのは久しぶりだ。
剣を抜く。手に馴染んだ重さが、少しだけ気持ちを落ち着かせた。
あの時の魔物を思い描きながら、剣を振る。自然と、村で稽古をつけてもらったガストンの動きが浮かんだ。
ガストンの剣は、特別なものではなかった。華やかな技も、複雑な型もない。ただ無駄がなく迷いがない、それだけだった。
そしてその動きは、あの剣士に重なった。
基本に忠実な動き。それなのに、自分の知っている剣術とはどこか根本が違う気がした。技の話ではない。もっと別の何かだ。それが何なのか、シエルにはまだ言葉にできなかった。
――まだ、届かない。
シエルは構えを取り直した。燭台の火が揺れ、影が伸びる。
悔しいはずだった。実際、悔しかった。それなのに、気づけば口元に笑みが浮かんでいた。
「随分と楽しそうだな」
聞き慣れた声に、シエルは剣を下ろした。
「騎士団の団長様がこんな時間に何の用ですか」
「こんな時間に剣を振り回しているのはどっちだ」
一人の男が苦笑しながら近づいてきた。
王国騎士団団長、ヴィクトール・ランバート。ガストンと同じく大剣を扱うが、体格も、口数も、雰囲気も違う。それでも剣を握れば、王国騎士団の頂点に立つだけのことはあった。
「陛下から話は聞いた。落ち込んでいると思っていたが、余計なお世話だったな」
「落ち込んでいますよ」
それは間違いなく本心だった。
「ただ、そうしていても誰も喜びませんから」
ヴィクトールが腕を組んだまま、シエルの手元に目を向けた。
「例の人物が関係しているのか?」
――この人は……。
ガストンとは似ても似つかないと、シエルはずっと思っていた。だが、こういうところだけは確かに受け継いでいる。見ているようで見ていない振りをして、全部見ている。
「……先生に会いました」
「……何!?」
壁に預けていた背中が離れた。腕が解かれる。シエルが初めて見る顔だった。普段どんな話を聞いても動じないこの男が、言葉を失っていた。
「ノックス領に……そうか」
沈黙があった。
「それで、どうだった?」
気づけばヴィクトールは壁から離れ、一歩前に出ていた。本人は無意識なのかもしれない。シエルはそれを見て、この男も師匠のことをずっと気にかけていたのだと思った。
「元気にされていましたよ。村人の指導まで引き受けていました」
「……先生が」
ヴィクトールが静かに繰り返した。
「俺が知っている先生は、自分から人に関わるような方じゃなかった。何かあったのか、あの地で」
独り言のような呟きだった。答えを求めているわけでもなさそうだった。
「それは、話してもらえませんでした。ただ……」
シエルは剣を握り直した。
「先生は、私が思っていたよりもずっと先にいました」
「はぁ、ランドバーグに任せるべきじゃなかったな……」
「陽動の可能性もありました、あなたが陛下の傍を離れてどうするのです」
「守るだけならあいつのほうが向いているだろう」
「……団長」
「なんだ」
「……なんでもありません」
ヴィクトールの横顔が微妙に拗ねているように見えて、シエルは小さくため息をついた。
* * *
帰路はのどかだった。ムルガたちに連れられて寄り道をしながら、村へと戻った。
途中で泊まった街の宿は、貴族のそれには及ばないものの十分に立派なものだった。父が「これぐらいの宿を用意しないとダメだな」と言いながら宿の造りをしげしげと観察している姿は、どこか楽しそうで、それがかえって不安だった。
馬車を下りると、懐かしい土と草の匂いがした。王都にはない、この村の匂いだった。
ルナと目が合った。尻尾をブンブン振る姿が見られるかもしれないと少し期待していたが、いつも通りの静かな足取りでこちらへ歩いてくる。それでも、心なしか早い……気がした。
「ただいま、ルナ」
思わず笑みがこぼれた。
護衛として同行していたヘクターとケビンを見つけたロベルトが、目を輝かせた。しかしすぐに発たなければならないと知ると、分かりやすく肩を落としていた。
父から直轄領化の可能性を聞いた村人たちのやる気は、ユミナの想像をはるかに上回っていた。それ自体は喜ばしいことのはずだった。ただ、この村のやる気が空回りした時の結果を、ユミナはいくつか知っていた。少し、心配だった。
久しぶりに、質素な自分の部屋でルナと二人きりになった。
「ルナ、寂しくなかった?」
ベッドの上で膝の上に乗せたルナに聞いてみた。
『サビシイ……他の者からも言われた。それは何なのだ?』
「え、っと……」
私は言葉に詰まった。寂しいという感情を説明しようとすると、意外と難しい。
「一人でいると、誰かに会いたくなる気持ち、かな」
『会いたくなる?』
ルナが静かに首を傾けた。
「そう。私に会いたいって思う……とか」
自分で口にして少し恥ずかしくなった。
『それが寂しいというものなら、寂しくはなかった』
こちらを見上げてそう言うルナを見て、少し複雑な気持ちになった。
――ルナはずっと一人だったわけだし、一週間ぐらい何ともないよね。
そう思いながら、それでも「寂しかった」と言ってほしかった自分がいることに気がついた。
『ユミナがここで待っていてほしいと、言ったのだろう。それに、戻ってくると言っただろう』
「……そう、よね」
私はそっとルナを抱きしめた。少しの間、ルナの温かさを満喫した。
「あ、そうだ。何か変わったことはなかった?」
『見たことのない人が二人来た。』
「え!? ほんとに?」
『あぁ。ユミナの言っていたような者が一人いた』
王都へ出発する前、私はルナに頼んでいた。フェリシアのことを調べようとする人物が来るかもしれないから、見張っていてほしいと。
――本の中ではよくある展開だけど、本当に来るなんて。
「でも、よく分かったわね」
『ディックがフェリシアの話をした時に、反応しない者がいた。話を聞いていると、魔物を倒した者に興味を持っているようだった』
「……なるほど」
私はルナから、その人物がどんな話をしていたかを聞いた。
――今回の件、やっぱり偶然じゃなさそう。
誰かが命を狙われる。そのこと自体は、世の中にあることだと思っていた。けれど、それはあくまでも自分とは関係のない話のはずだった。
――王都にいれば安全だとは思うけど……私にできることって、何かあるかな。
そんなことを考えながら、ベッドに横になった。ルナが隣で丸くなっていた。




