第三十二話 村の遊び2
宿に戻った私たちはさっそく準備を始めた。みんなで協力して長テーブルをどかして、できたスペースに王様が座る椅子を置く。実にシンプルだった。
「それじゃあ、まずは最初の王様を決めましょ」
リザが長さの違う数本の麦わらを手に持ち、みんなが一本ずつ取っていく。フェリシアもワクワクしながら手を伸ばしていた。
「一番長い人が王様ね」
比べた結果、マルクが王様となった。
「やったっ」
マルクが枯草の王冠を頭にのせて、背中を伸ばして王様専用の椅子に座る。なんとも言えない真剣さだった。ルナは暖炉の前から興味なさそうにこちらを眺めている。
「よし、じゃあ最初は挨拶からね。まずは、私から」
リザが一歩前に進み出た。スカートの裾を持って、礼のつもりらしい動きをする。それなりに様になっている。
リザは、よく私と一緒に母から礼節を教えてもらっていた。貴族の社会には興味がなさそうだったけれど、優雅な立ち居振る舞いには憧れており、村では一番勉強熱心だった。
「マルク陛下、リザ・ブライトと申します。本日はこうしてお目通りを賜り、誠に恐悦至極に存じます」
「……きょうえつしごく?」
マルクが首を傾けた。
「ポンティウス司祭様が教えてくれたの」
「あぁ……」
あの司祭が深く頭を下げている様子が簡単に想像できてしまった。
次は年下の子供たちの番だった。一番小さな男の子が進み出る。
「王様、おれ、白いパンがたべたいです。よろしくお願いします」
そう言いながら、両ひざをついて頭を深く、深く下げた。
――こ、これは……
ほとんど土下座だった。
「何なのそれ」
リザが静かに突っ込んだ。
「父ちゃんが母ちゃんにやってんのを見たんだ。これをやると怒ってた母ちゃんが怒らなくなるんだ。きっと貴族のすごい挨拶なんだよ」
――すごい挨拶……ま、まぁ。間違っていないのかも。
「へぇ~、そうなのね。私もお母さんにやってみようかな」
後で、リザを止めようと思った。チラっとムルガさんを見ると少し困った様子で顎をかいていた。
「王様、おねがいします~」
「……うむ、考えておこう」
もう一度頭を下げる男の子を見てマルクが言った。それらしい返答だと思ってしまった。
次の女の子が前に出た。
前に出た瞬間から、様子がちょっと違った。
背筋がまっすぐすぎる。手の位置が決まりすぎている。スカートの裾をつまむ指先に、じわっと力が入っているのが遠目にも分かった。
女の子はマルクの前でいったん止まった。小さく息を吸う音が聞こえた気がした。
膝がきちんと折れた。頭が下がった。形は悪くなかった。
「……マルク、陛下に、ご、ご挨拶、申し上げます」
少し詰まっていたけれど、言葉は最後まで出ていた。顔を上げた瞬間、女の子はまっすぐマルクを見た。
「できた?」
「うん」
「やった」
ぱっと笑顔になって、小走りでリザの元に戻っていった。
「良い感じだったわ」
どうやら練習していたようだった。
私の番は思ったより緊張した。別に間違えてもいいのに、フェリシアが見ているせいかもしれなかった。
「男爵家の長女、ユミナ・エルデガルドにございます。陛下におかれましては、本日は拝謁の栄を賜り、心より感謝申し上げます」
「うむ、くるしゅうない、おもてをあげよ」
棒読みの王だったけど、それらしい感じがしていた。
「わぁ~、すごい」
拍手と共に、子供たちが褒めてくれる。いつもならここで胸を張っていたのだけれど……盗み見るようにフェリシアに目を向けた。目が合うと小さく頷いてくれた。
――とりあえず、大丈夫だったのかな。
「それじゃあ……」
みんなの視線がフェリシアに集まる。
「じゃあ、フェリシアの番。お願いします」
「はい」
リザの言葉を聞いて、フェリシアが前に進み出た。それまでの穏やかな雰囲気が、すっと変わった気がした。
ふわりとスカートの裾を持って、優雅に一礼する。背が伸びたように見えた。
「マルク陛下、フェリシアと申します」
声が違う。普段と同じ声のはずなのに、響き方が少し違う。
「このたびは御目通りを賜りましたこと、心よりお礼申し上げます。陛下のご治世が、民にとって実り豊かなものでありますよう……」
ふと視線を上げて、マルクの目をまっすぐ見た。その目がほんのわずかに細くなり、柔らかな笑みを浮かべる。
「……心よりお慕い申し上げております」
しんと静まった。
マルクはぽかんと口を開けていた。それから、耳まで赤くなった。
「……すごい」
リザが素直に言った。一呼吸遅れて、子供たちも声を上げた。
「いかがでしたか、少し王女様っぽくしてみたのですが」
フェリシアが振り返り、にっこりと笑い元の位置に戻ってきた。
「ふふ。王女の挨拶は少し、詩的になるのですよ」
隣に並ぶと、楽しそうに目を細めながら、小声で教えてくれた。
「すごい、すごいわ……」
リザの瞳は宝物を見つけたかのように輝いていた。
「ねぇ、フェリシア。王様ってどういうことをするのか、知っているかしら?」
フェリシアが少し目を丸くした。それから、考えるように少しだけ視線を上に向けた。
「そうですね……私も聞いただけ、なのですけど」
「うんうん、もちろんそれでかまわないわ」
リザが身を乗り出す。フェリシアは少し笑って、言葉を選ぶように続けた。
「まず、毎日たくさんの書類に目を通して、署名するそうです。領地のこと、税のこと、他の国からの手紙のこと」
「書類……」
リザが微妙な顔をした。
「それから、貴族たちと話し合いをするそうです。何かを決める時には、一人で決めるのではなく、みんなの意見を聞くようで」
「でも、最後は王様が決めるんでしょ?」
「ええ。だから、それがとても難しいそうです」
フェリシアの声が、少しだけ穏やかになった。
「正しいことが何か、すぐには分からない時もあります。それでも決めなければいけない」
リザがしばらく黙った。それから、ぽつりと言った。
「大変そうね」
「ふふ、そうですね」
フェリシアが柔らかく笑った。
「他には……そうですね、悪いことをした人が本当にそうなのか見極める、と聞いたことがあります」
「あ、それ気になる」
マルクが少し前のめりになった。
「村でもたまにそういう事があって……」
確かにあった。村の大人たちが何か問題を起こしたという話は聞いたことがないけれど、子供たちの間では実際に何度かあった。そういう時、話を聞いてうまくまとめてくれるのはいつもマルクだった。本来なら、領主の娘である私がやるべきことなのかもしれない、と思いながら、いつもマルクに任せてしまっていた。
「どんな感じか興味あるわ」
リザが期待まじりの眼差しをフェリシアに向けた。
「ふふ、ごめんなさい。そういう話があると聞いたことがあるだけなので、詳しい話は知らないのです」
「そうなんだ、残念」
そう言いつつリザの眼差しはムルガに向いていた。
「そうですな、私もあまり詳しくは知らないのですがそれでも良ければ」
「はい!」「はい」
リザとマルクの声が重なった。ムルガがみんなに取り囲まれながら説明していた。
「実は、少し苦手なのです」
歩み寄ってきたフェリシアが、みんなに聞こえないようにそっと呟いた。
「よかった」
気がついたら、口から出ていた。
「え?」
フェリシアが小さく目を丸くした。慌てて続ける。
「あ、えっと……なんか、その……」
言葉が出てこなかった。よかった、と思ったのは本当だった。でもどうしてそう思ったのか、うまく説明できなかった。
「……フェリシアにも、そういうことがあるんだなって」
それだけ言って、口をつぐんだ。
「そうですね」
フェリシアは、ただ嬉しそうだった。
苦手だと打ち明けたことへの照れも、王女としての取り繕いも、どこにもなかった。ただ、嬉しそうに笑っていた。
王様はその後、何度か交代した。
リザが王様になった時、フェリシアに何かを聞いた。本物の王様はどこを見るのか、声はどのくらい出すのか、退屈な時はどんな顔をするのか。フェリシアはその都度、少し楽しそうに答えた。
ひとしきり騒いで、子供たちが疲れてそれぞれ好きな場所に転がり始めた頃。
コンコン
「失礼します」
宿のドアがノックされ、シエルが入ってきた。後ろに泥だらけのロベルトを連れていた。
「うわ、どうしたのよ」
「ちょっと、訓練中にこけただけだよ」
みんなの視線を集めたロベルトが、少し恥ずかしそうに視線を逸らした。
「みんな集まって何してたんだ?」
「王様ごっこよ。フェリシアとムルガさんはすごいんだから」
何故かリザが腰に手を当てて胸を張っている。
「ふ~ん」
ロベルトは興味なさそうに部屋の隅の椅子に腰を下ろした。ただ、完全に興味がないわけでもないらしく、横を向いたまま耳だけこちらに向けているのが分かった。
リザがそれを見逃すはずがなかった。
「ねぇフェリシア、騎士が膝をついて誓うやつは知っている?」
わざとロベルトに聞こえるくらいの声で言った。
ロベルトの肩が、ぴくっと動いた。
「え、えぇ。知っていますよ」
「それに、ムルガさんも騎士のことすごく詳しいって言ってたわよね」
リザがムルガに目を向けた。ムルガが静かに頷く。
次の瞬間には、ロベルトはもう立ち上がっていた。
マント代わりのコートを羽織って、木剣を手に取って、それっぽい姿勢を取ってみせる。
「ロベルト兄ちゃんの騎士様だ~」
男の子におだてられて、ロベルトがさらに胸を張った。ムルガとシエルがそれを眺めていた。二人とも表情は穏やかだったが、目が笑っていなかった。
――いろいろ間違っているんだろうな。
「騎士に憧れてるのよ、あいつ」
リザがフェリシアに耳打ちした。
「別にいいだろっ」
耳打ちの声量ではなかった。ロベルトが赤い顔で言い返す。
フェリシアはロベルトをしばらく眺めてから、柔らかく笑った。
「叙任式なら、見たことがあります。やってみましょうか?」
「ほんとか、お願いします!」
フェリシアが椅子に座り直し目を閉じた。
一呼吸置いた後、ゆっくりと目を開き背筋を伸ばす。表情が変わった。さっきまでと同じ枯草の王冠なのに、さっきまでと違う空気になった。
「では、始めましょう」
ロベルトがフェリシアの前に進み出た。木剣を持ったまま、それなりに真剣な顔をしていた。
「片膝をついてください」
フェリシアが静かに言った。
ロベルトが片膝をついた。絵本の中の騎士のように、切っ先を上に向けて胸の前に構えていた。
「あなたはこの国のために剣を振るうことを誓いますか」
「誓います」
声だけは立派だった。
「あなたはいかなる時も主君に忠義を尽くすことを誓いますか」
「誓います」
「あなたは弱き者を守ることを……」
「ダメだ」
声が飛んできた。
部屋の隅で腕を組んで壁にもたれていたシエルが、すっと背を起こしていた。
「シエル?」
フェリシアが小さく首を傾けた。シエルはフェリシアに一礼してから、ロベルトに向き直った。
「剣の持ち方が違う。叙任式で剣を持つ時は切っ先を下に向けて柄を胸の前に置く。十字架に見立てるためだ」
「あ、そうなのか」
ロベルトは素直に持ち直した。
「膝のつき方も違う。右膝をつく。左膝ではない」
「……なんで右なんだ」
「右膝は服従を、左膝は戦闘の準備を意味するからだ。左膝をついたままでは、まるで戦いを挑んでいるように見える」
ロベルトが黙って膝を変えた。
シエルがロベルトの周りをゆっくり一周した。視線が頭のてっぺんから足先まで動いている。
「目線が高い。頭はもう少し下げろ。国王の前だ」
「……こうか」
「そうだ」
シエルが一歩引いた。それからフェリシアに向き直り、深く一礼した。
「フェリシア様、続きをどうぞ」
フェリシアが少し目を細めた。それからロベルトに向き直り、また真剣な顔に戻った。
「では、続けましょう」
ロベルトは今度は黙って頷いた。さっきより背が低くなっていたけれど、なんとなくさっきより騎士らしく見えた。
部屋の隅で子供たちが固唾を呑んで見守っていた。リザも、珍しく何も言わずに見ていた。
「これで俺も騎士だな」
ロベルトが立ち上がりながら言った。木剣を腰に差して、満足そうに胸を張っている。
「遊びよ」
リザが即座に言った。
「分かってるよ」
分かっているのかどうか、その顔からはよく分からなかった。でも、嬉しそうなのは本当だった。
私はその様子を見ながら、ふと考えていた。
――これって、どうなんだろう。
フェリシアは本物の王女だ。叙任式を見たことがあると言っていたけれど、おそらくそれだけではない。作法も言葉も、本物と同じだったはずだ。
ということは、今のロベルトへの任命も、もしかして……
――でも、リザの言う通り遊びだし。
でも本物の王女がやったのだとしたら……
――どうなんだろう。
考えれば考えるほど、よく分からなくなってきた。
「どうかしましたか?」
国王から商人の娘に戻ったフェリシアが、そっと隣に来た。
「あ、えっと……」
聞いていいのか少し迷ったけれど、口に出してしまっていた。
「さっきの叙任式、本物と同じだったりするの?」
フェリシアが少し目を丸くした。それから、ふふっと笑った。
「さぁ、どうでしょう」
「どうでしょう、って……」
「遊びですから」
にっこりと笑ったまま、それ以上は何も言わなかった。
私はロベルトを見た。ロベルトはまだ嬉しそうに木剣を眺めていた。
――まぁ、どっちでもいいのかな。
本物かどうかより、ロベルトが喜んでいる方が大事な気がした。たぶん。
「あの、フェリシアさん。僕もお願いできますか?」
マルクが一歩前に出た。その後ろで、他の子供たちも期待を込めた目でフェリシアを見ていた。
「もちろんです」
こうして叙任式は続いた。みんなが順番に膝をついてはフェリシアの前に並んだ。シエルはその都度、無言で作法を直し続けた。
全員が終わった頃、ロベルトが腕を組んで言った。
「じゃあ、俺が隊長な」
「なんで」
「最初だから」
リザが呆れた顔をしたが、誰も本気で反論しなかった。こうして、ノックス騎士団が誕生した。
「では、騎士団への最初の任務です」
シエルが静かに口を開いた。全員がシエルを見る。
「今から、正しい礼の仕方を覚えてもらいます」
ロベルトが固まった。
「え、それって……」
「叙任を受けた以上、作法は必要です」
有無を言わさない声だった。
子供たちが一斉にロベルトを見た。ロベルトは観念したように息を吐いた。
騎士団の最初の任務は、思いのほか長かった。




