第三十一話 村の遊び1
それから二日間、家の中はにぎやかだった。
翌日も、その次の日も朝食を食べ終える頃には、誰かが訪れてきていた。子供たちから話を聞いたのか、顔ぶれは少し違っていた。
最初はトーマスとレベッカだった。二人はまるで用事があるついでのような顔をして入ってきたけれど、ムルガが口を開いた途端、すっかり腰を落ち着けてしまっていた。次の日にはディックも来て、気づけば仕事の合間を縫った村人が入れ替わり立ち替わり顔を出すようになっていた。
ムルガは誰が来ても同じように話した。声の調子を少し変えながら、笑いあり、しんみりした間ありで、ゆったりと言葉を繰り出す。訪れた人たちは、それをうんうんと頷きながら聞いていた。フェリシアの話は、大人たちの耳にも新鮮だったらしく、父も母も、時間が許す限りそこにいた。
私も部屋の隅でこっそり聞いていた。ムルガが怖い話を始めそうな気配を感じるたびに、ルナを引き寄せながら。
そうして滞在四日目の朝がきた。今までとは違う静かな朝だった。
父は、今日も張り切って周辺の見回りに向かって行った。フェリシアたちが村に来る前から、村の警備隊と順番で見回ることはあったのだけれど、近頃はいつもと違うやる気に満ちていた。
母は、簡単な傷薬を用意するために自宅に向かって行った。
シエルとガストンは一緒に訓練場に、ムルガはいつも通り、家の前にいる。
家の中にいるのは、暖炉の前に転がっているルナを除けば私とフェリシアだけだった。
「フェリシア、疲れてない?」
「あら、そう見える?」
何となく聞いてみたけれど。全く疲れているようには見えなかった。私が首を振ると、誇らしげな笑顔を浮かべた。
「夢だったんです」
琥珀色の瞳がどこか遠くを見つめていた。
「私は……これでも王女なので、こんな風に自然に接してもらえることが少なくて。だから、今ここに居られることがすごく嬉しいんです。こんなこと言うとシエルに怒られちゃいそうですけどね」
フェリシアが少し儚げな笑顔を向けてくる。
「無事に王都に帰ったら、怒られちゃう?」
ぽつりと言ったら、フェリシアが少し目を見開いた。
「ふふ、怒られることは無いと思います。ただ……今回のようなお忍びでの外出は、もうできなくなりそうです」
「そう、だよね……」
王族が危険な目に遭う。それがどれほどのことか、私には本当のところは分からない。でも、フェリシアが望んだからといって、どうにかなる話でないことは、分かった。
――こういう時、何て声をかければいいのかな……
「私もお兄様みたいに、こっそり抜け出せればいいのですけど」
フェリシアがふと、独り言のようにそう言った。
「え?」
「お兄様は、良く一人でどこかに出かけてしまうんです」
膝の上で手を重ねたまま、どこか遠くを見るような目をしていた。羨ましいのか、呆れているのか、その両方なのか、よく分からない表情だった。
「それは……大丈夫なんですか?」
「いいえ、大丈夫じゃありませんよ」
あっさりと言って、それからくすりと笑った。
「でも、羨ましくて……」
その笑顔が少しだけ苦そうに見えた。
「……真似しないでくださいね」
「えぇ、私にそんな度胸はありませんから」
ひとまず安心した。もっとも、この村でのフェリシアしか知らない私は、その言葉をそのまま受け取る気にはなれなかったけれど。
「でも……」
フェリシアがニコニコしたまま、上目遣いでこちらを見てくる。嫌な予感がした。
「ユミナが連れ出してくれるなら……」
「しませんっ」
断固として首を振った。怒られるで済むならまだいい。でも、それだけで済まされないことは私でも理解できた。
フェリシアは不服そうに眉を下げたけれど、私の気持ちは一ミリも動かなかった。
「ユミナは、今いくつなのですか?」
話の流れとまるで関係のない言葉に、思わず瞬きした。
「え? 十二歳だけど……どうして?」
「まぁ!」
パンと両手を合わせて、フェリシアが目を丸くした。
「私もそうなのですよ」
年が近いとは思っていたけれど、同じだとは思っていなかった。
「えっと……それが何か」
ここ数日で学んだことがある。フェリシアがこの顔をする時は要注意ということを。
――この顔は、絶対何か企んでる。
「ふふ、秘密です」
ニコニコと微笑むフェリシアを、思わずじーっと見つめた。
「ユミナの秘密を教えてくれるなら、教えてあげますよ」
「え゛っ、わ、私には、そんな……」
フェリシアの真似をしてみようとした次の瞬間には、あっさり返り討ちにされて視線が行き場を失った。
「やっぱり……まだ何かあるのですね」
――ああぁぁぁ……また、やっちゃった。
「な、何もない、です……」
声まで裏返った。視線を合わせられないまま小さくなる。
――うぅ、もっと冷静で動じない人間になりたい……
「あのっ、少し外を歩いてみませんか?」
これ以上この話を続けてはいけない、という一心で口を開いた。
「えぇ、もちろん。でも……」
フェリシアが、ドアの向こうにいるであろうムルガに目を向けた。
「ダメと言われたら仕方ないです。でも、一度聞いてみましょう!」
「はい」
返事はすぐだった。でも、その笑顔がいつもと少し違った。王女らしい優雅さも、少し意地悪な悪戯っぽさも、どこかへ消えていた。ただ、嬉しそうに笑っていた。
外に出ると、ドアの横に立っていたムルガがこちらに顔を向けた。家の中でみんなに話をしていた時と違う精悍な顔つきだった。
――やっぱり、本当に騎士なんだ。
改めてよく見ると、着ている服が最初に出会った時の物だった。それが余計に、そんな印象を強めているのかもしれなかった。
「あの、ムルガさん。フェリシアと少し散歩したいのですけど、いいでしょうか?」
フェリシアの友達と言う立場ではあるけれど、今の状況を考えると難しいお願いをしていると、言ってから気が付いた。
「えぇ、構わないですよ。ただし、村の中だけで、私も同行させていただく、という条件になりますが」
ムルガは私を、そして背後のフェリシアを見てから答えた。
「え? いいのですか」
正直、断られると思っていたので驚いた。ムルガではなくシエルだったら……断固拒否される姿を想像してしまった。
「隊長からもそう言われていますからね」
ムルガが周囲を確認する。そして、少しだけ膝を折り上体を屈めた。
「それに、今は商人の娘ですので」
声を小さくして言った。
――シエルさん、ごめんなさい。
度量の広い隊長に、心の中で手を合わせた。
昨夜から明け方にかけて雨が降っていたので、少し地面がぬかるんでいた。
広場へ向かう道には、ところどころ水たまりができていた。私とムルガは慣れた足取りでそれを避けながら歩いた。フェリシアは私たちより少し後ろを、おそるおそる歩いていた。足元を見ながら一歩踏み出すたびに、靴が土に沈む感触を確かめるようにしている。
「……思ったより、ぬかるんでいるのですね」
「雨の後はいつもこんな感じで」
答えながら振り返ると、フェリシアが小さな水たまりの前で立ち止まっていた。どう避けようか測っているらしく、首を少し傾けている。そんなフェリシアをよそにルナがピョンと水たまりを飛び越えた。
思わずムルガと目が合った。ムルガは口元に笑みを浮かべたまま、何も言わなかった。
広場に着くと、レベッカが村の女性と並んで杖をふいていた。
「あら、ユミナちゃん、フェリシアちゃんも。ムルガさんまで、おはようございます」
「おはようございます」
ルナがするりと前に出た。レベッカたちと目が合うと、ゆっくり尻尾を揺らした。
「ルナもおはよう」
レベッカが目を細める。ルナは特に嬉しそうな様子もなく、ただもう一度だけ尻尾を動かした。
「あら、それは?」
フェリシアが二人の手元に目を向けた。丁寧に布で拭かれている杖を、不思議そうに見つめている。
私は、その杖こそがこの村唯一の見どころだと伝えた。
「えぇ、そうなの。この杖の加護があればきっと無事に帰れるわよ」
言葉が終わるより早く、レベッカは杖をフェリシアの前にすっと差し出した。どうぞ遠慮なく、と顔に書いてある。
――そんなものはありません。
心の中でこっそり訂正しながら、私はフェリシアの顔を眺めた。どう反応するんだろう、と少し意地悪な気持ちで。
フェリシアは一瞬だけ目を泳がせた。ほんの一瞬だけ。
「そ、そうなのですね……ありがとうございます」
にっこり笑って、両手で丁寧に杖に触れていた。
私には絶対できない笑顔だと思った。
「そういえば、フェリシアは浄化の儀式を見たことはあるの?」
杖を大事に小屋の中に飾りなおしているレベッカの背中を見ながら聞いてみた。
「いいえ。見てみたいのですけど、機会が無くて」
少し意外だった。フェリシアの行動を振り返るとそうしていてもおかしくないと思っていた。
――光の魔術には興味があるようだったけど、浄化の儀式はそうでもないのかな。それとも、王女様が汚染された大地の近くに行くこと自体が、危険だからとかなのかな。
改めてフェリシアの顔を見た。けれど、私には彼女が何を思っているのか、まるで分からなかった。
「ユミナ~、フェリシア~」
声のした方を向くと、リザが大きく手を振りながら走ってきた。水たまりなどまるで見えていないかのように、ためらいもなく踏み抜きながら。
「探してたのよ、家にいなかったから」
息を切らせながら私たちの前で止まった。
「今日はみんな来ないようだったから、フェリシアと散歩していたの」
「そうだったのね、実はみんなで準備してたのよ」
「準備?」
思わずリザの顔を見た。何かを隠しているような、でも早く言いたくてたまらないような、そういう顔だった。
リザは少しもったいぶるように一呼吸おいてから、得意げに胸を張った。
「そう、王様ごっこの」
王様ごっこ、というのはつまり、おままごとである。
王様、王妃、王子、王女、騎士、使用人、貴族。そういった役をみんなが演じる遊びなのだけれど、知識の出どころが村の大人たちから聞いた話である以上、正確さはあまり期待できない。みんな好き勝手に演じるので、気づけば間違いだらけになっている。それでも誰も気にしないのがこの遊びのいいところだった。
私は名目上とはいえ貴族なので、貴族らしい立ち居振る舞いならそれなりにできる。ただしそれ以外の役については、村のみんなと大して変わらない。
そして今、本物の王女様が目を輝かせている。
「フェリシアもやるでしょ?」
「もちろんです!」
隣でフェリシアが声を上げた。私が止める間もなかった。ムルガをこっそり見上げると、すでにこちらを見ていた。穏やかな顔で。
「フェ、フェリシア……」
「どうしたのですか?」
振り返ったフェリシアの顔は、完全に笑顔だった。
「……何でもないです」
止められる気がしなかった。
「フェリシアって、王都に行ったことがあるんでしょ?」
「え、えぇ」
――行ったことがあるというより、住んでますよね。
「じゃあ絶対詳しいわよね」
リザがぐいっと距離を詰めた。フェリシアが少し目を丸くする。
「じゃあ、王族とか貴族とか、実際に見たことは?」
「……まぁ、はい」
――見たことがあるどころか、あなたの目の前にいるんですけど。
視線でリザに訴えてみた。リザは私を見ていなかった。
「やっぱり!」
リザが振り返って私を見た。ほら見て、という顔だった。
「ユミナ、フェリシアに教えてもらいましょうよ。私たちの王様ごっこ、絶対おかしいもの」
――フェリシアに教えてもらう王様ごっこ。
何がどうなるのか、想像したくもなかった。
「王族や貴族のことなら多少はお役に立てると思うのですけど、騎士の事は……あ、でもムルガさんなら」
「お願いします!」
気づけばリザはもうムルガに詰め寄っていた。ムルガの表情は穏やかなままだったけれど、その目が一瞬だけ助けを求めるようにこちらを向いた気がした。
気がしただけかもしれない。
宿に戻ると、準備万端だった。
テーブルの上には、枯草で作った王冠、訓練場から持ち出した木製の剣や槍、マントと称している大人のコート。王様ごっこの時に使ういつもの小道具が並んでいた。
「……いつの間に」
「準備してたって言ったじゃない」
リザが満足そうに口の端を上げた。
マルクがこちらに一歩進み出て、背筋を伸ばした。
「みなさんのお越しをお待ちしておりました」
それらしい口調だった。後ろの子供たちがくすくす笑っている。
横を見ると、フェリシアが口元に手を当てていた。
「……可愛らしいですね」
フェリシアの笑顔を見て、もう止められないと悟った。




