第三十話 楽しい?お話
翌日。
朝食をとり、後片付けを終えると、皆はそれぞれのやる事のために外に出ていった。
いつもなら訓練場にいる時間だけれど、今日は家の中でフェリシアと向かい合って座っていた。
シエルの「フードの人物に憧れている」と言う話を聞いてしまったせいで、剣を振っている姿を見られたくない気持ちがあった。休む口実ができたことは、正直なところ助かっていた。
「昨日はよく眠れた?」
「えぇ、ルナがとても暖かくて」
「……それ、すごくわかる」
頷いてから、昨日の寒かったベッドを思い出した。
――いつの間にか、ルナがそこにいることが当たり前になっていたみたい。寂しかった、なんて、認めたくはないけれど。
当の本人は、暖炉の前でひっくり返っていた。
「あれは、ルナの癖……みたいなものなの?」
「え、えぇ……たぶん、暖かいのが好きなんじゃないかな」
耳をピクリとさせるが、恥じる様子もなく、相変わらず情けない姿を晒し続けていた。少しの間、暖炉の前のルナを眺めながら二人で笑っていた。
やがてフェリシアが、思い出したように口を開いた。
「昨日からずっと気になっていたのだけど」
フェリシアが急に真剣な顔になった。
「私たちを助けてくれた時の光の魔術も、ユミナが?」
外ではムルガが見張りをしてくれているようなので、声を小さくして聞いてきた。
――光の魔術? 剣を光で纏っていたけど……あっ!
「あっ……はい」
あの時は無意識だったせいで、言われるまですっかり忘れていた。同じように声を小さくして答える。
「やっぱり。私もできるようになるかしら? それともやっぱり秘密?」
「えっ、えっと……たぶん、できるはず、です」
そう答えながら、必死で記憶を手繰り寄せた。
――たしか……とにかく視界から消えてほしくて、魔力をいっぱい込めていたはず。で、何をイメージしたんだったかな……そうだ!
「そうっ、槍。あれは、槍をイメージしたの!」
――覚えていてよかった。
「槍……ですか?」
フェリシアが首をかしげながら自分の手のひらを見つめる。
「光の球ではなく、槍の形にして……」
「はい」
「……それだけですか?」
フェリシアが昨日と同じ顔をしていた。口に手を当てて、目を丸くしている。
「……形を変えただけで、あれほどの」
言葉が途切れていた。
「あ、魔力をいっぱい込めていたと思います。あの時は無我夢中だったので、どれくらいかは正直わからないのですが」
「私は、あれ程の魔術を見たことがありませんでした」
「え!?」
姿勢を正したフェリシアが真っ直ぐに見つめてくる。
「私が師事している魔術の先生でも……もしかしたら私は、とてもすごい人とお友達になったのかもしれませんね」
意地悪なフェリシアの顔になっていた。
――……また余計なことを言っちゃったかも。
「え、えっと……王都には、もっと凄い魔術師の方がいますよね。……います、よね?」
自分でも情けないくらい、声が小さくなっていた。
「……」
沈黙が痛かった。
「秘密にしておきますね」
にっこりと、とても良い笑顔だった。なぜだか、少し不安になった。
『もっと、自信をもっていいぞ』
ルナからの追撃だった。
褒めてくれているのはわかる。わかるのだけれど。その自信とやらは今すぐ窓の外に投げ捨てたかった。
外がにわかに騒がしくなったと思ったら、勢いよく扉が叩かれた。
扉を開けると、リザとマルク、それから何人かの子供たちが、少しもじもじしながら立っていた。
「あの……お客さんに会いに来ました」
マルクが代表するように言う。フェリシアが私の隣に立つと、子供たちの目が一斉に向いた。
「会いに来てくれたの? 嬉しいわ」
その言葉に、子供たちの顔がぱっと明るくなった。
「さあ、外は寒かったでしょう。中へ入って」
フェリシアの言葉を受けて、冷たい外気とともに子供たちが室内へ流れ込んできた。
「あ、ルナもいる」
その声を合図にするように、子供たちが暖炉の前へ駆け寄った。
「わあ、暖かい」
「もふもふ」
あっという間にルナの周りを囲んで、気づけば子供たちがルナにもたれかかっていた。
「あら、人気者なのね」
フェリシアが微笑ましそうに言った。
ルナは耳をぺたりと伏せたが、逃げる様子もなく、ただ深くため息をついた。
『……なぜこうなる』
誰にも聞こえないその呟きに、私だけがこっそり笑った。
「あの、フェリシアさん? これ、どうぞ」
「まあ、なにかしら」
フェリシアが包みを開けると、乾燥させた木の実と蜂蜜を絡めた素朴な菓子が出てきた。
「母が、元気が出るって、言ってて……」
リザが少し照れたように視線を逸らした。
「ありがとう、嬉しいわ」
フェリシアが一つ口に運ぶと、その顔がほどけるように柔らかくなった。
「甘くて、美味しい」
リザの頬が、じわりと赤くなった。
「それで、みんなでどうしたの?」
みんなの顔を見回しながら聞いてみた。
「フェリシアさんって、いろんな街を訪れているんでしょ。体調が良くないって聞いたのだけど、その……話が聞きたくて……」
リザが答えると、他の子供たちもこくこくと頷いた。フェリシアが、少し嬉しそうな顔をした。
確かに、この村の外を知る人はそう多くない。思い返せば、父や母の元にも聞きに来ていたことがあった。
――私も、グレイモント子爵領の街ぐらいしか知らないのよね……
「フェリシア、お願いしてもいいかしら?」
気づけばフェリシアに視線を向けていた。
「えぇ、もちろん」
フェリシアはわずかに姿勢を正し、昔を思い出すように目を細めた。
「お隣のヴィンター伯爵領のヴィセリアは、落ち着いた街よ。華やかではないけれど、石畳の道が続いていて、街全体がゆったりしているの。それと、夕暮れ時の石畳がとても綺麗だったの」
グレイモント子爵領とは、また違う雰囲気なのだろうか。私は静かに耳を傾けた。
「王都は? 王都ってすごいんでしょ」
リザが身を乗り出した。
「王都はね、何もかもが大きくて眩しいわ。建物も、道も。人の数もたくさん。それに、魔導具のおかげで夜でも明るいの」
しんと静かになった。
「……夜でも、明るいの?」
リザがぽつりと聞いた。この村の夜は暗い。月のない晩などは手元すら見えないくらいだ。
「そう。夜でもこの家の中ぐらいの明るさのままなの」
子供たちが顔を見合わせた。想像がうまくできないのだろう、なんとも言えない顔をしていた。
想像はできた。でも、この村の夜しか知らない私には、どこか遠い話だった。
――王都っていうぐらいだから、発展してるとは思っていたけど……ここは、本当に貧乏だったのね。
「正直、最初は少し疲れてしまうくらい」
「フェリシアさんでも?」
マルクが意外そうに聞く。
「私でも、よ」
それから、フェリシアの顔がほころんだ。
「でも、一番驚いたのはリヴィエール王国かもしれないわ。街の中に水路が走っていて、道の代わりに船で移動するの」
「……船で、街を?」
思わず声に出ていた。フェリシアがこちらを見て、楽しそうに笑った。
「そう。窓を開けると、すぐそこに水面が広がっているのよ」
――それは、見てみたい。
本では見たことがある光景。あの時はそれだけで満足していたはずなのに、そう思った。
「水路って畑の横にあるものよね? それが川ぐらいの広さ……」
リザが頭を悩ませていた。
母が昼食の準備を知らせに顔を出すまで、フェリシアは延々と質問攻めにあい続けた。
昼食でいったん解散になったものの、みんなが食べ終わるのはあっという間だったらしい。気づけばまた全員が揃っていた。
フェリシアは少し疲れた顔をしながらも、穏やかに笑っていた。
「みなさん、ムルガさんのお話も聞いてみませんか? 私よりも色々なことを知っているんですよ」
少しだけ必死な顔だった。
「聞きたい!」
「ムルガさんも来て!」
あっという間に子供たちの興味がムルガへ向いた。フェリシアがほっとした顔でムルガの元へ向かった。
「突然で申し訳ないのですが、お願いできますか?」
「ええ、私の話でよろしければ」
のんびりとお茶を飲んでいたムルガは、のんびりとした口調で言いながら、腰を上げた。
「では、私は外に居ますので」
シエルはさっと立ち上がり、外に出ようとしていた。
「あら、ゆっくりしていてもいいのですよ」
「いえっ」
フェリシアの言葉に振り返ることもなく外に出ていくシエル。真面目な……というよりは、どこか逃げるような感じだった。
「じゃあ、一つ話しましょうかな」
ムルガが静かに切り出すと、自然と皆が耳を傾けた。
「王都にな、どんな錠前も開けられる鍵師がいたんだが――その男、自分の家の鍵だけはどうしても開けられなかったそうだ」
「なんで?」
「鍵を、いつも家の中に忘れてくるからだ」
子供たちがくすくすと笑い始めた。話し終えると、また次の話が始まった。
ムルガの話は、フェリシアのそれとは少し違った。
フェリシアが街の景色や人々の様子を丁寧に描くとすれば、ムルガの話はまるで昔話の語り部のようだった。声の緩急、間の取り方、どこかおかしみのある締めくくり。気づけば子供たちだけでなく、私もリザも、じっと耳を傾けていた。
「とある街にな、鏡を売る老婆がいたそうだ」
声のトーンが少し落ちた。
「その鏡を買った者は、翌朝から自分の顔が少しずつ変わっていくのに気づく。最初は気のせいだと思う。だが、三日後には鏡の中の顔が、まったく知らない誰かになっていたそうだ」
――あれ……もしかして、この流れって……
「それで、どうなったの?」
子供たちは身を乗り出して、一言も聞き漏らすまいとムルガを見ていた。
「その者は慌てて老婆を探したが、もう見つからなかった。そして七日後……」
ムルガが少し間を置いた。
「街の人間が、その者の家を訪ねると、中には見知らぬ顔の人間が住んでいたそうだ。自分の名前を名乗りながらな」
――う、うん……そういう誰かに変身する魔導具があってもおかしくないわね。
輝くみんなの瞳とは対照的に、私は少しうつむきながら、ぎゅっと手を握りしめていた。
ムルガが話を続ける。
「王都の外れにな、古い宿屋があったそうだ。そこの一室だけ、いつも空いていた」
「なんで?」
「泊まった客が、必ず同じことを言うからだ。夜中に目が覚めると、部屋の隅に人が立っている、とな」
私はいつの間にか、横にあったフワフワしたものを抱きかかえていた。
「怖くなった宿の主人が、その部屋を封じようとした。だが、扉に釘を打った翌朝……」
「翌朝、どうなったの?」
「封じたはずの部屋の中から、コンコン、と音がしたそうだ」
「誰かが中に隠れていたの?」
「……主人もそう考えて、釘を外して扉を開けて部屋の中を確認したんだ……中には誰もいなかった」
――ネ、ネズミねっ。そうじゃなくても、猫とか……
「幽霊?」
マルクの言葉に体が硬直してしまう。
ムルガが意味深な笑みを浮かべながら少し間を置いた。子供たちが固唾を呑んで待っている。
「正体は……」
コンコン!
「ひゃぃ!」
私は変な叫び声を上げ、モフモフを抱きしめていた。
「皆、すまない。手伝ってほしいことがあるそうなのだが」
シエルの声が聞こえた。
「おっと、続きは次の機会にしたほうがよいですかな」
ムルガはのんびりとした口調に戻っていた。
「えぇ~」
全員が不満そうな顔をしていた。中には名残惜しそうにムルガを見つめたまま動かない子もいた。
「続きが気になるのはわかるけど、行くよ」
リザが呆れたように言いながら、一人ずつ立たせていく。
「マルク、そっちもお願い」
「はーい。ほら、行くよ」
マルクが子供たちを出口へ誘導しながら、振り返ってムルガに頭を下げた。
「では、私も馬の様子を見てきますかな」
みんなを見送った後、ムルガも外に出ていった。家の中に静寂が訪れた。
『ユミナ』
声が頭に響いた。私は立ち上がり、慌てて家の中を確認したけれど、私とフェリシア以外誰もいなかった……
「えっと、ユミナ。その……」
フェリシアが何かを見ていた。視線を下げると、私に締め付けられているルナがいた。
「……あ、ごめんなさい」
腕の力を緩めると、ルナは抜け出しブルブルと体を振った。
座りなおすと、フェリシアがそっと距離を詰めてきた。
「ユミナ……怖い話は苦手?」
聞きながら、もう笑っていた。答えを待っているわけではないらしい。
「そ、そんなことないです。だって……」
世界に幽霊なんて言う存在がいるわけない。それは常識……だった。
――あれ、ちょっと待って。魔力があるのだから、幽霊がいることも別に不思議じゃ……
背筋がすっと冷たくなった。
「あら、そうなの」
フェリシアは何かを考えているようだった。間違いなく、良くないことを。
「それなら、こんな話を聞いたことがあるのですけれど」
今すぐ耳を塞ぎたかった。塞げばよかった。
その夜、布団の中で目をつぶるたびにムルガとフェリシアの話が蘇ってきた。結局、朝になるまでろくに眠れなかったのは言うまでもない。




