第二十七話 再会3
「おはようございます、お母様」
「おはよう、今日は少し遅かったわね。昨日のことで疲れたのかしら?」
目をこすりながらテーブルに着くと母が、温めておいたポタージュを出してくれた。湯気が顔にかかって、少し目が覚めた気がした。
いつもならまだ家にいるはずの父の姿が見えなかった。そのためルナは、堂々と暖炉の前に陣取っていた。
「あれ、お父様は?」
「ガストンさんと村の周辺を見回って来るって、早くに出かけたわ」
――そっか、ルナに近くに魔物が出たって伝えてもらったから……
せめて私も手伝いたかったけれど、断られるのが目に見えていた。
「それはそうと、ユミナに手伝ってほしいことがあるのだけれど、いいかしら?」
「あ、はい」
今回の事は、私が原因でもあるので何でもやろうと思った……もちろん、できる範囲で。
「それじゃあ、食べ終わったら出かける支度をしてくれる?」
「わかりました」
――薬草を探しに行くのかな?
スプーンを持つ手が少しだけ早くなった。
「ふふ」
顔を上げると母はただ微笑んでいた。いつもの穏やかな笑顔のはずなのに、どこか違う気がした。
「……お母様?」
「なんでもないわ。慌てなくて大丈夫よ」
薬草集めにしては、なんだか楽しそうに見えた。
――何かあるのかな。
スプーンを持つ手が少しだけ遅くなった。
外に出ると、冷たい空気が頬を刺した。
昨夜の雨は上がっていた。地面には水たまりが点々と残り、踏むたびに靴の底が濡れた土を踏む感触がした。木々の枝先に残った雨粒が、朝の光を受けてきらりと光っている。
「寒くない?」
「はい、大丈夫です」
コートを着ていなかったため寒さが直に伝わってきた。それでも、歩いているうちに体が温まってくるだろうと思った。母が少し心配そうにこちらを見たので、私は小さく笑って見せた。
ルナは二人の少し前で、水たまりをひょいと避けながら歩いていた。
――どこに向かうんだろう。
白い息を吐きながら、私は母の横顔をそっとうかがった。
「昨日、魔物に襲われた金髪の子のことは覚えているかしら?」
「はい」
もちろん覚えていた。自分が助けたのだから……
「あの子、少し落ち込んでいるみたいで、話し相手になってあげてくれないかしら?」
「はい」
返事だけは立派に出た。しかしその直後、頭の中に昨夜の記憶がよみがえった。フードが落ちた瞬間、雨の中で向けられたあの視線。
――そういえば、顔を見られたんだった。
息が震えた。
――ど、どどど、どうしよう……お、落ち着いて。顔を見られただけで、私だとは分からないかもしれないし。銀色の髪は珍しいけれど、雨も降っていたし……いや、珍しいのはダメじゃない!?
頭を抱えたかった。ルナの優雅な後ろ姿が『諦めろ』と言っているようだった。
――……せめて、覚えていない可能性に賭けるしかない。一瞬だったし……いや、結構しっかりと目が合っていた気がする……人違いですって言い張れば、何とか……
遠ざかる平穏に涙が出そうだった。
記憶の図書館を必死に走り回った。確かにあった。正体がばれそうになる場面、うまく切り抜ける場面。本棚から引っ張り出して開いてみる。
――あれ。
肝心なページが、白紙だった。司書さんに視線を向けると、困り顔で肩をすくめていた。
本は好きだった。読んだ数には自信があった。しかし読んだことと、細部まで覚えていることは、別の話だった。
村の宿、もとい大きな民家の前に差し掛かると、ドアの横に見覚えのある顔があった。昨日、街道に倒れていた男性の一人だった。
「おはようございます、体の調子は大丈夫ですか?」
男性がこちらに気づき、姿勢を正した。
「おはようございます。えぇ、問題ありません。……もしかして、治療してくださった方ですか?」
「ええ、そうです」
「そうでしたか。お目にかかれてよかったです。おかげさまで、こうして立っていられます」
男性は深く頭を下げた。
「お元気そうで何よりです。実は……お連れの方が気を落とされているように見えたので、話し相手になればと思いまして。娘のユミナを連れてきたのですけれど、よかったかしら?」
男性は少し表情を和らげてから、静かに頷いた。
「……願ってもないことです。ぜひ、お願いできますか」
コンコンとドアをノックし母が声をかけると、中から返事が聞こえた。
ドアがゆっくりと開いた。母の後ろから息を詰めて覗くと、金髪の少女がこちらを見ていた。質素な部屋の中で、その子だけ違う場所から来たように見えた。昨夜の、あの子だった。雨と泥で汚れていたあの時とは違う。それでも、間違いなかった。
「あら、もしかして緊張しているのかしら?」
母の声が、どこか遠くに聞こえた。
「い、いえっ。だい、じょうぶ……ですっ」
全然、大丈夫ではなかった。背中にそっと押されて、前に出るしかなくなった。
目が合った。琥珀色の瞳が、まっすぐにこちらを見ていた。
――落ち着いて、落ち着いて。まず、挨拶。
体が先に動いた。膝を折ってから、名前を言っていないことに気がついた。顔を上げると、自分の頬が熱くなるのが分かった。
「ユミナ・エルデガルドと申します。えっと……お、お目にかかれて……光栄です」
言い終えてから、もう一度膝を折った。
――うぅ、順番がめちゃくちゃ……
心の中で頭を抱えながら顔を上げると、少女は口に手を当てて、目を丸くしていた。
――あぁ……
頭の中が、すうっと冷えた。遠ざかる平穏が、手を振っている気がした。視界の端ではルナの尻尾が左右に揺れていた。
「あっ、は、はじめまして。フェリシア・アンバルと申します」
「ふふ、二人とも同じなのね」
フェリシアの口元は笑っていた。けれど、その琥珀色の瞳が、まだ何かを探しているように見えた。
「それじゃあ、私は行くわね」
「あ、はい……え!?」
母は椅子の上に置いてあった泥の付いた服を手に取り表に出た。
『頑張れ』
そう言い残して、ルナも母について出ていった。
ドアが閉まった。助けを求める相手は、もうどこにもいなかった。
向かい合って座った。
――何か言わないと。
「あのっ」
「あのっ」
二人の声が重なった。
「どうぞ」
「どうぞ」
また重なった。
しばらく、沈黙が戻った。それから、どちらからともなく小さく笑った。
「えっと……体の調子は大丈夫ですか?」
フェリシアは少しの間、私の顔を見つめた。何かを確かめるように、静かに。それから、ゆっくりと目を細めた。
「……えぇ、おかげさまで。本当に、ありがとうございました」
先ほどと違う柔らかい声だった。私は思わず視線を逸らした。
――別人って言って逃げるのは……もう無理そう。それならっ。
「昨日の事……二人だけの秘密にしてくれませんかっ」
テーブルに額をぶつけそうな勢いで頭を下げて、お願いした。「二人だけの秘密」という部分を強調して。
「頭を上げてください」
フェリシアはしばらくユミナの顔を見ていた。それから、何かを決めたように口を開いた。
「秘密にする代わりに、一つお願いがあります」
「な、なんでしょう……」
「お友達になってください」
「え? それは……」
私としては、それぐらいの事で秘密を守ってもらえるのなら願ってもない事だった。
「実は……お友達というものに、憧れていまして」
フェリシアの視線が僅かに下を向いた。
――裕福そうだったけど、そのせいで……なのかな。
改めてフェリシアを見た。整った顔立ち。自然と背筋の伸びた佇まい。そして、着ている服。
――あれ、これ……私の服じゃない?
見覚えがあった。そして良く似合っていた。同じ服のはずなのに、彼女が着ると胸のふくらみのせいで別の衣装に見える……
それにしても、裕福で、魔術も凄くて、容姿も完璧で……近寄りがたいと思われてしまうのも、何となく分かる気がした。
「ぜひ、お願いします」
フェリシアの顔がぱっと明るくなった。花が咲いたような、という言葉がこれほど似合う笑顔を、私は見たことがなかった。
「でしたら、私の事はフェリシアと呼んでください。私もユミナと呼びますから」
「あ、はい。……えっと、よろしくお願いします、フェリシア」
「こちらこそ、ユミナ」
素直に可愛いと思った
――私じゃなくても友達になってくれそうな気がするけど……こんなに可愛かったら、嫉妬されちゃうのかな。
「それで……確認なのですけれど」
フェリシアの顔が、少しだけ近づいてきた。琥珀色の瞳が、真剣な色を帯びていた。
「昨日の方は、ユミナで間違いないですよね?」
「……そう、です」
今にも消えそうな声で認めた。フェリシアは驚かなかった。むしろ、ずっと抱えていた何かが解けたような顔をした。
「改めて、ありがとう。ユミナのおかげでシエルを助けられました」
少し間があった。
「……でも、あれはどうやったのですか?」
「えっと、フェリシアは二つの属性を持っていて、魔術を使うとき両方を使おうとしてました。なので、魔力の流れを制御して混じり合わないように……しました」
言葉に出してみると、説明が上手くないことに気が付いた。
――今までしたことなかったし……する予定もなかったし。
「二つ……でも、属性測定ではそんなことは……ユミナはそんなことまで分かるのね」
――ぁ……しまった。言いすぎた……
「そ、そうなのっ、私……魔力を感じるのが得意でっ」
フェリシアは口元に手を添えて、こぼれそうな笑みをそっとおさめた。
「そうだったのね。でも、そう……」
自分の魔力を確認するように自分の手を見るフェリシア。
「それは、私にもできるかしら?」
その言葉とは裏腹に、琥珀色の瞳から強い意志を感じた。魔力を視ると、あの時ほどではないけれど、確かに白銀の色が視えた。
私は小さく頷いてから、隣に座りなおした。
――ち、近すぎたかな……
フェリシアの手を下から添えるようにして持ち上げた。フェリシアの手は、思っていたより少し冷たかった。
「力を抜いて……魔力を手のひらに集めるイメージで」
フェリシアの魔力が動き始めるのを感じた。私が普段やっているように、そっと流れを整えてやると、詠唱なしに金色の球がふわりと浮かび上がった。
「えっ?」
フェリシアの息が、小さく止まった。金色の光が二人の顔を照らす。近い距離で視線が交わった。
「この感じ、どうかな?」
「はい……」
「じゃあ、次は」
金色の魔力の中に、白銀はほんのわずかしかなかった。見落としてしまいそうなほどの量を、一粒ずつ拾い集めるように手のひらへ導いていく。金色の球より時間がかかった。
やがて浮かび上がった白銀の球は、金色のそれと比べると、ひどく小さかった。
手を離すと何もなかったかのように消えていった。
「どう……かな?」
どう説明すればいいか分からなかったので、体で感じてもらった方が早いと思った。
口を小さく開けたまま固まっているフェリシア。
――あぁぁ、こういうのってどうやって伝えれば……
「やってみます」
魔力が手のひらに集まり、金色の球に……ならなかった。
「うぅぅ……、もう一度いいですか?」
私は頷いた。
何度目かの挑戦で、ほんの一瞬だけ光が生まれた。すぐに消えてしまったけれど、フェリシアの笑顔はそれより長く続いた。
「もう一つの方は無理そう……でも、少しわかった気がします」
フェリシアは小さく肩を落としたけれど、全く諦めている顔をしていなかった。
「おそらく、あの時シエルさんを助けたいという気持ちが強かったから、もう一つの属性が強くなったのかなと……」
「気持ち……」
ゆっくりと目を閉じたフェリシア。自分自身の記憶を確認しているようだった。
「ユミナ」
その声を聞いた瞬間、なぜか背筋がすっと冷えた。声は穏やかだった。笑顔も変わらない。それなのに、部屋の空気だけがわずかに変わった気がした。
「もう少し、この村に居てユミナと話したいのだけれど、何かいい案は無いかしら?」
フェリシアはニコニコしたまま、こちらをじっと見ていた。
――その顔をやめてほしい。断れなくなる。
「え、え~っと……」
私が頭を悩ませれば悩ませるほど、フェリシアの顔は楽しそうになっていった。




