第二十八話 お友達
フェリシアと、作戦会議……もとい、とりとめのないおしゃべりをしていると、ノックの音と共にドアが開いた。
シエルを先頭に、昨日助けた男性たち、そして父と母、ガストンまでが入ってきた。
「……そちらの方は?」
シエルの視線がこちらに向いた。
「ユミナです。今日、お友達になりました」
フェリシアが自然な動作で体を寄せてくる。シエルは寄り添う二人を交互に見てから、ごく小さく目を伏せた。その視線が「すまない」と言っているように見えた。
「今後の事を相談したく、集まっていただきました。まずは、改めて名乗らせていただきます」
シエルが一歩前に出た。その動作だけで、部屋の空気がわずかに引き締まった。
「私はシエル・ゼフィーラ。フェリシア様の親衛隊長を務めております」
続いて三人が順に名を告げた。ヘクター、ムルガ、ケビン。昨日とは打って変わって、三人とも背筋が伸びている。
シエルの視線が、フェリシアへ向いた。
「フェリシア様」
「……はい」
フェリシアは隣で小さく頷いてから、静かに立ち上がった。
「フェリシア・ルクス・レガリア。レガリア聖王国、第一王女です」
しん、と部屋が静まり返った。
――……え? 王女。
その二文字が、頭の中をゆっくりと落ちていった。落ちながら、いくつかのことが繋がっていった。
――「アンバル」と名乗っていたのは、本名を隠すため? ちょっと待って。私、王女様に……
フェリシアはこちらをちらりと見て、こっそりと微笑んだ。
――笑ってる場合じゃないと思うんですけど……
視線を前に戻すと、父が一歩前に出るところだった。
普段の父なら、こういう場面で真っ先に声を上げる。「娘が何かご迷惑を!」とか「どうかご容赦を!」とか、大げさに騒いで母になだめられるのが、いつものことだった。
けれど……父は静かだった。
――お父様が、慌てていない。
ゆっくりと、片膝をつこうとする父。あろうことか右手と右足が同時に前に出てしまい、あやうく前のめりに転びそうになる。その姿を見た母はそっと視線をそらしていた。
一瞬の静寂の後、父は何事もなかったかのように姿勢を整えた。
「ノックス領の領主、マグナ・エルデガルドです。何なりとお申し付けください」
立派な声だった。
「頭をお上げください、男爵。ここではただのフェリシアです。……ユミナにも、そう呼んでもらっていますので」
「はっ」
さっと立ち上がり母の横に腰を下ろす父。ぎこちない動きに、私もそっと視線をそらした。
少しの沈黙の後、シエルが静かに口を開いた。
「まず、状況を説明します」
視線が室内をゆっくりと見渡した。全員が聞く姿勢になったのを確認してから、続けた。
「馬四頭は無事です。しかし馬車は魔物に壊されたので使えません。王都への報告は急ぎですが、フェリシア様をこの状態で街道に出すわけにはいきません」
一度区切って、ヘクターとケビンに目を向けた。
「ヘクター、ケビン。お前たちには今日中に王都へ向かってもらう。護衛と馬車を手配し、戻ってきてほしい」
「了解です」
「承知しました」
二人が短く答えた。昨日あれだけ大変な目に遭ったはずなのに、その顔に迷いはなかった。
「私とムルガはフェリシア様とともに、こちらで迎えを待ちます」
シエルの視線が、今度は父へ向いた。
「ご迷惑をおかけすることになりますが、しばらくの間お世話になってもよろしいでしょうか、男爵」
「……承知しました。できる限りのことはいたします」
父は落ち着いているように見えた。
琥珀色の瞳がこちらをまっすぐに捉えていた。心なしか、嬉しそうに見えた。
「あの……差し出がましいようですが、隣のグレイモント子爵領であれば、より相応しい環境をご用意できるかと思います。皆で護衛し向かったほうが良いのではありませんか?」
私も父の意見に賛成だった。グレイモント子爵であれば護衛の兵の数も多く安全なのではないかと思えた。
一瞬、シエルがガストンを見た気がした。
「相手もそう考えるのが普通だろう」
ガストンの声が響いた。
「今回、魔物を馬車で運んで襲わせたようだ。同じような手を使われる可能性がある」
「なるほど……」
父は呟いてから、顔を上げた。
「だが、魔物、もしくは誰かが襲ってくる可能性があるのなら、事情を伝えて兵だけでも協力してもらったほうが良いんじゃないか?」
「それは、ここに王女殿下がいると教えることになる」
――なるほど……
そっと部屋を見回すと、父以外の全員がどこか似たような顔をしていた。「そうなりますよね」と書いてあるような顔だった。
「街にたどり着けたとして、誰が敵で誰が味方かの判断は難しい。だが、この村ならそれは容易い」
――あ、確かに……ノックス領の村に来る人なんてギルバートさんか、浄化の調査に来る人達ぐらい。その人達も事前に連絡はもらってるみたいだから。
「防壁も何もない村だが、異常があれば見つけやすい」
「小さな村の方が、守りやすいことがある」
ムルガはそう言って、腕を組んだまま静かに頷いた。
「それに、ここならせんせ……いえ、ガストン殿もおられますし……」
「今こうしていられるという事なら大丈夫だろう。それに……まぁ、なんとかなるだろう」
ガストンの視線が一瞬だけこちらに向いた気がした。気のせいかもしれないけれど……
「王都まで行くのはいいのですけど、できれば武器を貸してもらってもいいですかね?」
ヘクターが申し訳なさそうに頭を掻きながら苦笑いを浮かべていた。
「あぁ、それなら少しだけ待ってほしい。今、私たちが襲われた場所を確認しに行ってもらっている」
「さすが隊長。仕事が早いですね」
シエルはヘクターをちらりと見てから、何も言わずに視線を戻した。
「王都までとなると、色々と必要になりますね。着る物は……エミリア、頼めるか?」
「ええ」
母が静かに頷いた。
「食糧も必要でしょう。一度確認してもらえますか?」
「……ありがたいのですが、そこまでしていただくのは」
ケビンが少し困ったような顔で答えた。
「はは、大丈夫です。教会の方々のおかげで大分余裕ができていますので。それに、援助がなければ、この村は今頃どうなっていたか……。せめてこういう時くらい、お役に立てなければ領主の名折れというものです」
父はフェリシアに向き直った。
「……フェリシア様、毎月の援助、本当にありがとうございます。今日こうしてお返しできる機会をいただけたこと、むしろ感謝しております」
フェリシアは少し目を丸くしてから、静かに微笑んだ。その目が、一瞬だけ遠くを見ているように見えた。
「では、それぞれお願いします」
ヘクターとケビンが外に出ていく。ムルガが静かに続く。父と母も顔を見合わせてから腰を上げた。父の動きはぎこちないままだった。
「フェリシア様」
シエルがフェリシアに向き直った。
「くれぐれも、無断で外に出ないでください」
「……そんなに信用できませんか」
「はい」
「大丈夫です。今の状況は理解していますし、これ以上迷惑はかけたくないですから。それに……」
フェリシアの瞳からは「これから楽しみ」と伝わってくるようだった。
「ユミナ」
母に呼ばれて振り返った。
「フェリシアさんの着替えを持ってきてほしいのだけれど、あなたの服を何着か選んでくれる?」
「はい、分かりました」
返事をしながら、良いことを思いついた。
――そうだ、ルナ。
フェリシアがしばらく村に残る。ガストンもシエルもいるとはいえ、万が一の可能性もある。いざという時にはルナに元に戻って守ってもらおうと考えた。
――ルナの正体がばれちゃったら、大変じゃすまないかもしれないけど……ま、まぁ……そんな事にはならないよね、ならない、よね?
余計な考えはひとまず投げ捨てておいた。
「それじゃあ、フェリシア、また後で」
「はい、待っています」
フェリシアは嬉しそうに微笑んだ。その笑顔を見てしまうと、足が少し軽くなった。
外に出ると、冷たい空気が頬を刺した。足元の水たまりを避けながら、小走りで家に向かった。
* * *
「そういうわけで、お願いできないかな?」
私は暖炉の前でお腹を見せていたルナにフェリシアの事を話した。
『魔物なら分かるが、人が相手だと判断できないぞ』
座りなおしたルナが私を見上げてくる。
「ルナが危ないって感じたら、その時はお願い」
『それでいいのか?』
「うん」
『わかった、とりあえず殴っておこう』
「へ?」
――……殴る? あっ、そうだった、ルナは人の姿にもなれるんだった。人の姿の方がまだごまかしが利く……かもしれない。
銀狼の姿で守ってもらうことを想定していたので、少し気持ちが楽になった。
――……いや、だから……そんなことはないからっ!
ブンブン首を振る私。
『殴るのはダメなのか? それなら……』
「あ、違うの。殴って!」
それを聞いたルナの尻尾がいつもよりも早く動いてるように見えた。
フェリシアの着替えを両手で抱えながらルナと広場を通りかかるとシエルとガストンの声が聞こえてきた。
「……では先生の師弟に光の剣を使うような人はいないと」
光の剣、その言葉に心臓が跳ね上がり、物陰で足を止めた。
「ああ。それに、そんな奴がいるなら噂にでもなっているだろう」
「それは……そうですね」
シエルの声のトーンが落ちた。
「それに、そいつの剣の特徴が基本に忠実だったということは、俺が教えたことにはならないだろう。世界に目を向ければそんな奴がいてもおかしくはない」
「それは……。ですがっ、……いえ、そうですね」
シエルの声がますます沈んでいく。
――そう、世界には凄い人がいっぱいいますよっ。
シエルには申し訳ないと思いつつも、私はガストンを応援していた。
「それで、どうだった?」
「え?」
「興味があるんだろう、そいつに」
コン、と。風が戸を叩く音に、思わず肩が跳ねた。我ながら不審者もいいところだった。足元のルナは欠伸をしながら尻尾をゆっくり揺らしていた。この温度差はなんなのだろう……
「はい……フェリシア様を助けてくれた恩人なのでお礼を……」
そう言ってもらえるのは素直に嬉しかった。ただ結果的に助けられただけだったので、少し複雑だった。
――フェリシアは秘密を守ってくれそうだったし、シエルさんも……
「いえ、それは建前ですね。私はその人に憧れ……嫉妬しました」
――んっ?
「どうすればあの境地にたどり着けるのか……一度、手合わせをしてみたいのです」
――……うん。絶対秘密にしておこう。
私の誓いと共に、「フッ」とガストンの声が聞こえた気がした。
「そういえば、お前に剣を教えると言ったのに、途中になったままだったな。続きは必要か?」
「え、はいっ。あ……ですが安全の確認が……」
「今朝方、マグナと見回ったが何事もなかった。それに、宿までの距離は遠くはない」
「是非、お願いします!」
シエルの力強い声が聞こえた。
私は、足音を立てずにそっと、それでも急いでフェリシアの元に向かった。
宿の前には無駄に辺りを警戒している父が立っていた。フェリシアの護衛をしていることは分かったのだけれど、何故かその姿がロベルトと重なってしまった。
父にドアを開けてもらい中に入ると、金色の光が目に飛び込んできた。
フェリシアが両手を前に出したまま、こちらを振り返った。光が揺れて、すぐに消えた。
「ユミナ……びっくりした」
「あ、ご、ごめんなさい」
胸に抱えていた服が崩れそうになって、慌てて抱え直した。フェリシアは驚いた顔のまま、少しの間こちらを見ていた。それから、ふっと息を抜くように笑った。
「いえ……練習していたら、つい集中してしまって」
フェリシアは自分の手のひらを見つめた。さっきまで光があった場所に、今は何もない。
――そういえば、ノックしなかった。
今更ながら気がついた。実家では、母がいつも一声かけてからドアを開けてくれていた。でも、それは家族だからだと思っていたけれど……
――もしかして、非常識だったかも!?
背中がじわりと冷えた。
「あの……次からはノックします」
「ふふ、ありがとう」
フェリシアは特に気にした様子もなく微笑んだ。それがかえって、自分たちの育ってきた場所の違いを静かに実感させた。
着替えをテーブルの上に置いてから、ドアの方に振り返った。
「それと……もう一つ、連れてきた子がいて」
「?」
小さく手招きすると、ルナがゆっくりと近づいてきた。フェリシアの視線がルナに向いた。
「まぁ……」
フェリシアはその場にしゃがんで、ルナと目線を合わせた。ルナはしばらくフェリシアをじっと見てから、鼻をひくりと動かした。
「この子は、ユミナの……?」
「ルナといいます。とても賢い子なのでフェリシアを守ってもらおうと思って」
ルナはゆっくりと尻尾を一度だけ揺らした後、フェリシアが差し出した手にすり寄った。
「ふふ、お利口なのね。狼……の子供なのかしら?」
「えっと……私も譲り受けただけなので、分からないんです……」
フェリシアが上目遣いで見つめてくる。その瞳は母が時々向けてくるそれに似ていた。目をそらしたくなる気持ちをグッと我慢した。
「ユミナが守ってくれてもいいんですよ?」
「え゛!」
変な声が出た。
口に手を当てて楽しそうに笑うフェリシア、どうやら気の抜けない友達ができてしまったらしい。
『私もそう思うぞ』
恨みがましくルナを見つめると、しっかり目が合ったのに、そのまま気持ちよさそうに撫でられ続けていた。
「ふふ、よろしくね。ルナ」




