第二十六話 再会2
「思っていた感じと大分違いますな」
「そう、だな……」
外に出たシエルとムルガは、厩舎の場所を求めて村人に場所を聞いた。
「あぁ、それならそこを曲がって進めば見えてくるよ。それにしても、あんたたち魔物に襲われたそうじゃないか、元気そうでよかったよ」
村人たちの顔に、不安の色はなかった。
食糧が底をつく冬を前にして、それは妙なことだった。思い返せば、今朝の食事もそうだった。王都で聞いていたノックス領の印象とは、何かが違っていた。
「おっ、あれですかな」
村の外れに建てられた厩舎は、王都のそれとは比べるべくもなかった。柱は細く、屋根の板は継ぎ接ぎだらけで、風が吹けば軋んだ音を立てた。壁の隙間には泥と藁が丁寧に詰められていた。雨風を凌ぐには心もとないが、少しでも寒さを防ごうとした跡が見てとれた。
馬たちは落ち着いた様子でそこに収まっていた。
ムルガは無言で中に入り、一頭一頭の状態を確認していた。しばらくして、ふと手を止めた。
「……よく見ると、床に藁が厚く敷いてありますな」
シエルは視線を落とした。確かに、丁寧に敷き詰められていた。
「柱の角も、削って丸くしてある。馬が体を擦っても怪我をしないように……ですかね」
ムルガは独り言のように続けた。その手が、柱をゆっくりとなぞった。
「作りは粗いですが……馬のことをよく考えて作ったんでしょうな」
シエルは何も言わず、厩舎を見回していた。
「おや、あんたたちは」
しばらくして、厩舎の入り口に人影が現れた。
二十代半ばほどの男だった。両手に干し草と、刻んだ根菜を混ぜたものを抱えていた。
「こんな物しかないんだけど……よかったかな?」
素朴な顔に、少し心配そうな色が浮かんでいた。
「十分ですよ」
ムルガは餌を一目見てから答えた。それを馬たちに近づけると、迷うことなく食べ始めた。
「よかった」
男の顔がほっとしたように緩んだ。それから、吸い寄せられるように馬へと視線が動いた。
「……良い馬だな」
それを聞いたムルガの表情が和らいだ。
「ハハ、ありがとうございます。あなたは村の世話係で?」
「ん? 世話係っていうほどじゃないと思うけど……一番馬の相手をしているのは俺かもしれないな」
二人はいつの間にか並んで馬の様子を眺めていた。
シエルは少し離れた場所からその様子を見ていた。
――この男……
素朴な身なりで、一見すると普通の農夫に見えるが、重心が低く自然に体の軸が整っている。農作業だけでは身につかない、積み重ねた訓練の跡がシエルの目には映っていた。
「隊長、私はしばらくここに居ようと思います」
「あぁ、分かった」
「隊長? ってことはあんた、警備……いや、あの嬢ちゃんの護衛か何かかい?」
――嬢ちゃん。
その言葉を聞いた瞬間、シエルの脳裏にフェリシアの顔が浮かんだ。本人が聞いたら笑うだろうか。それとも、案外気に入るだろうか。
――気に入りそうだな。
それが余計に頭を痛くさせた。
「あ、あぁ、そうだが」
「護衛か大変だな……っと、そろそろ時間だな。今日は村の中にいるから、何か必要なものがあったら言ってくれよ。誰かに聞けば見つかると思うから。まぁ、用意できるか分からないけどな……」
「何かあるのか?」
フェリシアの身を案じるシエルにとって、それがどんなに些細な事であっても、知らないままでいることはできなかった。
「毎朝、みんなで訓練をしているんだ。……本職の人から見たら、大したことないかもしれないけどな」
人差し指で、ぽりぽりと頬をかきながら答える男。
「私もついていっていいだろうか?」
思わず言葉が口をついて出ていた。フェリシアのためにこの村の戦力を知っておきたかったという気持ちもあったが、それ以上に、この男に見えた訓練の影が気になっていた。
「あぁ、もちろんさ。うちの先生、強いから。……見たら驚くと思うよ」
「ほう、それは楽しみだ」
馬の様子を確認していたムルガが、横目でシエルをちらりと見た。
「……お手柔らかに頼みますよ」
小さく息をついて口の中だけで呟いた。誰に向けた言葉なのかは、ムルガ自身にも分からなかった。
「そういや、自己紹介がまだだったな。俺はディック。よろしくな」
「シエルだ。ちなみにそいつはムルガだ」
ついでに紹介されたムルガが、ハハっと笑いながら手を頭に乗せた。
* * *
訓練場に着いたシエルは、思わず足を止めた。
――多い。
木製の剣や槍を構える者、素振りをする者、二人一組で打ち合っている者。老若男女、様々な人が思い思いに体を動かしていた。五、六人どころではなかった。ざっと見ただけで、その三倍はいるだろう。
「すごいだろ」
隣のディックが、少し誇らしげに言った。
「これが全員なのか?」
「今日は少ない方だよ。来たい人だけって感じでやってるから」
――少ない方。
子供から壮年まで、年齢も体格もばらばらだった。動きは洗練されているとは言えないが、どの顔にも真剣さがあった。
「みんな、毎朝やっているのか」
「雨の日以外はな。俺も最初から参加していたわけじゃないんだけど、いつの間にか日課になってたよ」
シエルは無言で頷いた。王都の衛兵たちも、訓練に手を抜くことはなかった。しかしそこにあるのは、どこか義務を果たすような空気だった。目の前の光景は、それとは何かが違った。
「先生は……まだいないみたいだ」
「そうか……しばらく見て……」
「おーいっ」
茶色い髪の少年が、木製の大剣を片手でブンブン振り回しながらこちらに走ってきた。
「すまん、ロベルト。少し馬のところに行ってたんだ」
「ディックさん、遅いっすよ~! って……誰ですか、その人」
「シエルさんだ、昨日の事、聞いているだろう」
「あぁ、この人が」
シエルは思わず、まじまじとロベルトを見た。
――無作法なやつだな。
挨拶より先に「誰ですか」とは。王都の貴族の子弟が聞いたら卒倒しそうな態度だった。
だが、木製とはいえ大剣と呼んで差し支えない得物を、少年は片手で振り回していた。力任せというわけでもなく、それが自然な事のように。そして、その立ち姿が気になった。
――似ている……
初めて剣を教わった日のことを、シエルは唐突に思い出した。何度断られても諦めなかった。今思えば、随分としつこかったと思う。それでもやっと頷いてもらえた時の嬉しさは、今でも覚えていた。
もっとも、先生はすぐにいなくなってしまったけれど。
――……今思うと、憧れ以上のものだったのかもしれないな。
そこまで考えて、シエルは小さく息をついた。我ながら、らしくない。目の前の無作法な少年のせいで、妙なことを思い出してしまった。
「シエルさん、俺と勝負してよ」
「は?」
シエルがディックの顔を見ると、「ごめん」と手を合わせていた。どうやら、護衛の役目をしていると聞いたようだ。
今はそのような状況ではないので、断ろうと思った。しかし、ロベルトの視線は記憶の中の自分に重なった。
――先生も、こんな気持ちだったのだろうな。
「少しだけだ」
「やったっ」
ロベルトが訓練場の真ん中に走っていく。
「これでいいかな?」
「十分だ」
ディックから渡された木製の剣を受け取る。
――しっかりした作りだ。
訓練用とはいえ、重さと握りのバランスが丁寧に整えられていた。辺境の村でこれほどのものが用意されているとは思っていなかった。思わず、刃の部分を指でなぞった。
「先生が作ったんだ。一本一本、全員分」
ディックが当然のように言った。
シエルは何も言わなかった。ただ、改めて訓練場を見回した。
動きは荒削りだった。型が崩れている者もいる。それでも、基本の所作がしっかりと体に入っていた。足の運び、重心の置き方、武器を構える角度。どれも、誰かが丁寧に教えた跡だった。
――基礎を疎かにしない指導者か。
華やかさはない。しかし、基礎というのは積み上げれば積み上げるほど、後になって効いてくるものだ。それを知っている人間でなければ、こういう教え方はできない。
シエルは木剣を静かに構えた。
――どんな人物なのだろうな。
ロベルトが剣を構えた。大剣を両手で握り、腰を落とす。その重心の取り方は、体格に対して得物が大きすぎるにもかかわらず、しっかりと安定していた。
――悪くない構えだ。
シエルは木剣を軽く前に出した。
ロベルトが踏み込んでくる。上段からの振り下ろし。速い。大剣の重さを殺さず、むしろ乗せるように振り抜いてくる。
シエルは半歩横にずれ、剣の腹で受け流した。
――力の使い方を分かっている。
体格だけで振っているわけではなかった。重心の移動、踏み込みのタイミング。基本がしっかりと体に入っている証拠だった。王都の兵相手でも、十分に通用するだろう。
ロベルトが間合いを取り直す。今度は横薙ぎ。シエルは身を沈めてそれをやり過ごし、懐に入ろうとした。
その瞬間、ロベルトの動きが止まった。
――なぜそこで溜める必要がある。
次の一手に繋げればいい場面だった。その一瞬の間が致命的だった。シエルは踏み込んだ。剣先がロベルトの木剣の根元を捉え、手首のスナップを利かせて弾く。
乾いた音が訓練場に響いた。
ロベルトの木剣が宙を舞い、地面に落ちた。シエルの剣先がロベルトの喉元で止まった。
しばらく、沈黙が続いた。周囲の訓練の動きが、いつの間にか止まっていた。
「……っ、もう一回!」
ロベルトが転がった木剣を拾い上げる。その目には、悔しさよりも先に火が灯っていた。
「もう一回!」
「……一回だけだ」
渋々木剣を構え直したシエルに、ロベルトが再び向かってきた。
今度は慎重だった。一戦目より踏み込みが深く、角度を変えながら間合いを詰めてくる。学習している。それは素直に感心した。だが、結果は変わらなかった。
横薙ぎから縦への切り返し。その繋ぎの一瞬、またロベルトの動きが止まった。同じ癖だった。
シエルは迷わず踏み込んだ。今度は剣を弾くのではなく、手首を軽く払う。ロベルトの木剣が再び地面に落ちた。
「くそっ……」
ロベルトが悔しげに木剣を拾い上げる。
「もう一回!」
「何度やってもその人には通用しない。お前の無駄な溜めは意味がないと、何度言えばわかる」
低く、静かな声が訓練場に響いた。
「先生っ、でも絶対カッコいいんですよ!」
「その瞬間に次の一手を繋げていれば、もう少しは相手になっていただろうな」
「え!? 本当ですか!」
先生と呼ばれた者の見立ては正しかった。そして、聞き覚えがあった。長い歳月の中に埋もれていたはずのその声が。
シエルはゆっくりと振り返った。
記憶の中より、少し老けていた。頬には無精ひげが伸びている。しかしその立ち姿は、シエルが何度も思い描いてきたままだった。
声が出なかった。
「……迷惑をかけたな」
「ぁ、いえ……」
シエルの視線が、自然とガストンから逸れた。
恥ずかしさもあった。しかしそれより、もっと直視できない理由があった。
――もし、覚えていなかったら。
その答えを、今すぐ聞きたくなかった。
その後、シエルはディックに剣を返し、少し離れた位置で訓練の様子を眺めていた。ディックやロベルトからは「一緒に」と言われたが、「借り物の服を汚してしまっては」と今更な理由をつけて断った。
容姿こそ少し変わったが、指導するその様は記憶の中と同じだった。
やがて、訓練を終え村人たちがそれぞれの場所へ戻っていった。フェリシアのため、村の安全性を確かめるために外に出たはずだったシエルは、結局最後までその場に留まっていた。
――何をやってるのだ、私は。
「もう体は大丈夫なのか?」
「え!?」
気が付くと目の前に片づけを終えたガストンが居た。シエルの知っているガストンは口数が少なく、どちらかというと近寄りがたい人間だったので驚いた。
――先生も変わられたのだな。
それが嬉しくもあり、寂しかった。ただ、今なら言えると思った。
「あのっ、私はシエルと言います。十年以上前に……あなたに、剣を教わりました……」
それだけ言って、シエルは口を閉じた。続きはガストンに委ねるしかなかった。
「……」
シエルはガストンの目から視線を逸らさなかった。奥歯を噛んで、こみ上げてくるものを押さえ込む。
「……シエル」
少しの間があった。
「……髪の長い、あの子か。面影がある」
そう言われてシエルは思い出した。当時の自分の髪が今と違って長かったことを。
――よかった……
嬉しさで泣きそうになる。
「……毎日うちの前で待っていたな。雨の日も」
「そ、それは……っ」
「一週間だったか」
「あ、あれは、先生が……」
涙は、完全に引っ込んでいた。
「良い剣だった」
ガストンの手が一瞬だけ宙で止まった。それからゆっくりとシエルの肩に置かれた。
シエルは前を向いたまま、ゆっくりと口元を緩めた。
「……はい」




