第二十話 調査団2
お祭り騒ぎが落ち着いたのは、太陽が少し傾き始めた頃だった。
「では、現地を見せていただけますか」
コーリウスが静かに言った。その一言で空気が切り替わった。手帳を開き、羽根ペンを構えている。
「もちろんです、ご案内しましょう」
父が前に出た。領主としての顔だった。
一行が歩き始める。父、コーリウス、ニック、ミラ、司祭、カタリナ、セレナ、ギルバート、護衛として二人の兵士、そこに母とトーマスが加わった。私も父に「興味があります」と半分本当のことを言い、同行の許可をもらった。ルナには留守番をお願いした。
道中、コーリウスは父に何かを確認するかのように話しかけながら歩いていた。そして、道端の草を指でつまんで観察したり、土を少しすくって匂いを嗅いだりしながら、手帳に何かを書き続けていた。
――あ、また何か……何を書いているのかな……
母とセレナと一緒に、少し後ろを歩いていた私は、コーリウスの一挙手一投足を追っていた。
ニックとミラは小声で話し合っていた。
「なんだか、聞いていた感じと全然違うな」
「噂なんてそんなものよ」
ギルバートとトーマスは意気投合したのか農作物について話しているようだった。時折、道端の土や草に目を落としながら。
「ユミナちゃん、ごめんね。今回は急で何も持ってこれなかったの」
不意にセレナに声をかけられ、危うく声を上げそうになった。
「い、いえ……」
実は、少し……ほんの少しだけ期待していた。
どうやらセレナたちは、突然「ノックス領の調査に同行してこい」と言われたらしい。
「まぁ、仕事で来れたのはラッキーだったわ」
「まったく、あなたは……」
にっこりと笑うセレナに、母は苦笑いしながらもどこか嬉しそうだった。
「でも、浄化の効果が続いているっていうのは聞いていたけど、本当なの?」
セレナが前回村を訪れたのは、村に浄化された土地が発見される前だったので、実際にその目で見ていなかった。母との手紙のやり取りでその事を知ったようだった。
「ふふ、えぇ、本当よ。きっと驚くわよ。」
母が茶目っ気たっぷりに笑う。私は普段あまり見ることのないその表情を見て、二人の仲の良さを再確認した。
「それにしても、コーリウス先生までいらっしゃるなんて思わなかったわ」
「私も久しぶりに会ってビックリしちゃった。あんなにもじゃもじゃな髭で……」
二人はコーリウスのことを知っているようだった。
「知っている方なのですか?」
どんな人物なのか、どんなことを専門にしているのか、興味があった。というよりも、目を光らせていると言ったほうが正しいのだけれど……
「私たちが学生の頃の先生よ。確か……歴史の先生なのだけど、それ以外にも精通されていたのよ」
懐かしさに目を細める母の横顔は、一瞬だけ学生時代に戻ったかのようだった。
「昔から一目置かれていたのだけれど、今では<王国の頭脳>なんて呼ばれているわよ。私の中では、いつも手帳に何か書いていた変な人ってイメージしかないのだけど、そこは変わらないみたいね」
「あなたは歴史が苦手で、いつも苦労していたわよね」
「うっ、いいのよ……過去を知らなくても何とかなっているのだから!」
勉強が得意だったと自信をもって言えない私は、セレナの気持ちをよく理解できた。
「<王国の頭脳>……」
ポツリと口に出してみると、背筋が寒くなった。
――なっ、な、何でそんな人がわざわざ!? お、落ち着いて……冷静に。
小さく静かに深呼吸する。
――ただの調査に、どうしてそんな人が……
汚染された土地は浄化の儀式を行うことで少しだけ元に戻すことが出来る。それが世界の常識。村の人々がお祭り騒ぎをするだけの理由は確かにあった。自然に浄化が広まるなど前代未聞の出来事で、そこに王国の頭脳と呼ばれる人物が派遣されるのは、ある意味当然なことだった。
――あれ? これ……だ、大丈夫……だよね? 歴史の授業の先生なら、歴史の専門家で……魔術は、詳しくないかも? あ、でも色々なことに精通してるって……<王国の頭脳>なんて呼ばれてる人が知らないなんて……ないよね。
頭の中がごちゃごちゃになる。春の陽気の下なのに、極寒の中にいるようでギュッと拳を握りしめた。
――ルナと一緒に待っていたほうが良かったかも……でも、それはそれで気になっちゃうし……
目的の場所に着くまで、母とセレナは楽しそうに会話していたけれど、私の耳には入ってこなかった。
「……ここが、儀式を行った場所です」
柵で囲われた六畳ほどの土地の前で父が足を止めた。
「…………」
誰も、すぐには返事をしなかった。遠くで鳥がのどかに鳴いていた。
目の前に広がるのは、どこまでも普通の農地だった。青々とした若葉が風に揺れている。土は黒く、よく耕されていた。用途不明の柵で囲まれた雑草の生える土地がある以外は、おそらくどこでも見かけることが出来そうな風景。
汚染された土地は、はるか遠くにあった。
コーリウスが手帳を開いたまま、止まった。
調査員の男性が目を細めて遠くを見る。女性の方は首を傾けて、それから隣の男性と顔を見合わせた。
「……ここが?」
司祭が、珍しく間の抜けた声を出した。
「はい、この柵で囲われた大地が教会の方々に浄化していただいた場所になります」
父が答える。その声は穏やかだったが、少し誇らしげだった。
実は、浄化された大地が農地として使われることになった日、儀式で浄化された場所だけは大切に保管しようという事になった。そのために用意されたのがこの貧相な柵だった。その場所も父やみんなの記憶を頼りにしたものなので曖昧なのだけれど、小屋の中の魔導具同様、村では大切にされている。トーマスはよく「成長する雑草の対応が大変だよ」と楽しそうに話していた。
「い、いや……どう見ても普通の……本当にここだったんですか?」
ニックが司祭を見る。司祭はその視線から逃げるようにカタリナを見た。
「え、えぇ……そう、ね。おそらく……」
視線がセレナへと流れ着いた。
「私!? ここ……なのよね?」
セレナに助けを求められた母は口元にいたずらっぽい笑みを浮かべ、小さく頷いた。
「エルデガルド男爵、三年ほど前まではこの辺りも汚染されていたという認識でよいかな?」
「はい」
父の真っ直ぐな言葉を聞いて、コーリウスの羽根ペンが、さらさらと動き始めた。
「信じられん……」
儀式の現場に立ち会い、汚染された大地を最もよく知る者の言葉だった。
しばらく、誰も動かなかった。
司祭は腕を組んだまま何度も遠くの汚染地域と目の前の農地を見比べている。カタリナは静かに目を閉じ、何かを確かめるように周囲の魔力を探っているようだった。ニックとミラは小声でしきりに何かを話し合い、セレナはただ口を半開きにしたまま農地を眺めていた。
「失礼、少しいいかな?」
沈黙を破ったのはギルバートだった。彼は柵の近くに歩み寄ってしゃがみ込み、土を握った。彼がゆっくりと拳を開くと指の隙間からホロホロと小さな塊となってこぼれ落ちた。
「おぉ!」
「ほぉ……」
ギルバートとそれを背後から見ていたコーリウスが何かを確信したような表情を浮かべた。
――土を握っただけだったよね? ……何が分かるんだろう。
「ねぇ、ニック。あれで何が分かるの?」
ミラが小声で聞いているのが聞こえた。
「土の良し悪しだよ」
「そうなのね」
――そうなんだ。
ミラにこっそり感謝しつつ、横目でトーマスを見ると腕を組んでウンウンと満足そうに頷いていた。
「ふむ……」
コーリウスが再び手を止め、柵の中に生えた雑草を凝視していた。
「中に入ってもよろしいかな?」
「え、はい。どうぞ」
父に許可を得たコーリウスが、柵を跨いで中に入る。柵と言っても三十センチ程度の低い物なので簡単に中に入ることができる。
コーリウスは静かに膝を突き、小さな白い花に手を伸ばしそっと触れた。
私達はその様子を静かに見守っていた。
「ニック君、これを見たことは?」
わずかに上ずったコーリウスの声が、静寂を震わせた。
「え!?」
一瞬、自分を呼ばれたことに気がつけなかったニックが慌ててコーリウスの横に駆け寄った。
「えっと……この形は、ステラリアか? いや、少し違うか……それに葉も……、そもそも白い色……白というよりも透けている?」
白い花を見たニックが、片手を顎に当てブツブツと言い始めた。
――ニックさんは、もしかして植物に詳しい人なのかな…… あれ? あの花……見たことがある気がする。どこでだろう……
細い指先を頬に当て、記憶を探る。
――昔に本で見た? ……ううん、違う。そんなに前の事じゃない。もっと最近だった気が……あっ!
思い出した。マルクから貰った星の形に開いた半透明の花と同じだった。
――あの時、マルクはトーマスさんからって言ってたけど、ここに咲いてた花だったのね。そういえば……ルナが気にしていたのよね。
それは、ルナと一緒に暮らし始めたまだ寒い季節のある日の出来事。ルナがじぃーっと机の上に飾っていたその花を見ていた。「どうしたの? 知っている花?」と聞いてみたことがあった。
――ルナは、『分からない』って答えてたけど……。あの花が何かあるのかな……、まさか、光の魔術で浄化を行った時に咲く花なんてこと……ない、よね?
「ルーメナ……」
コーリウスがポツリと呟いた。
「ルーメナ? ルーメナ、ルーメナ……」
ニックが自分の記憶を探すように、その言葉を何度も繰り返している。私も同じように頭の中で繰り返していた。聞き覚えのない言葉だった。
「それが、この花の名前なのですか? 先生」
ニックは降参を告げるように力なく眉尻を下げ、コーリウスに視線を向けた。ニックだけでなく皆がコーリウスを見ていた。
「……この地はルーメナの咲き誇る豊穣の地なり。星の形に開いた半透明の花弁は夜に淡く輝き、大地の恵みを人々にもたらす」
ゆっくりと紡がれるその言葉は、鳥たちのさえずりと調和し、あたかも完成された舞台劇の一幕を思わせた。
「名もない過去の文献に書かれている言葉です。ルーメナという花は図鑑には残っていません。故に、この花が本当にルーメナなのか、私には分かりませんが……似ていると思いませんか?」
手帳を閉じてコーリウスが立ち上がる。
「え、えぇ……確かに……」
「……豊穣の地? ……ルーメナ?」
皆の疑問を代表するかのように父の言葉がこぼれた。
コーリウスが振り返り、教卓に立つ先生のように一行を見渡した。
「皆さん知っての通り、ここレガリア聖王国は、他の国と比べても気候や大地の面で農業に適した土地が多いのです。その中でも特に最良の土地が存在していたという話があります。五百年以上前に存在していたその土地は<豊穣の地>と呼ばれていたそうです。……そして、その場所にだけ自生していたのがルーメナ。この白い花と同じ特徴を持つ花なのです」
「まさか……その土地というのが……」
皆の顔を一人ひとり確認するように見渡した後、コーリウスは父へ視線を据えて口を開いた。
「えぇ、ここノックス領なのですよ。エルデガルド男爵」
風に揺れる若葉のこすれ合う音でさえ、はっきりと聞き取れるほどの静寂が訪れた。
「迷信じゃなかったのか……」
ギルバートが言う。
「もちろんまだ確証はありません。私も<豊穣の地>については、たまたま目に入った程度の知識なので、ルーメナと思っている花も違う可能性もあります。ですが、仮に儀式が起因となり、この大地の何かと作用することで大地が浄化され始めた。そしてその結果、五百年前の種子が芽吹いたとしたら……実に興味深い」
コーリウスの目尻に、深いしわが刻まれている。まるで見えない財宝を見つけた子供のような顔をしていた。
「……さて、ミラ君、始めましょう」
コーリウスが手帳を開きペンを走らせる傍ら、ミラが背負っていた荷物を下ろし魔導具らしき金属の箱を取り出した。
「先生、私はここを」
「えぇ、お願いします」
ニックが父に許可を得て、雑草を採取し円筒形の金属のケースに丁寧に入れ始めた。二人の調査員の動きに迷いはなく自分たちが何をやるべきか分かっているようだった。
「ユミナちゃん……なんか、凄いことになってきたわね」
セレナが私の隣に来て、当事者であるはずなのに他人事のように小声で言った。
「……そうですね」
――豊穣の地、ルーメナ……ルナはあの花を見ていたけど、記憶の中に残っていたのかな。
毎晩こっそり続けてきた浄化が、五百年前の種を目覚めさせた。そう思うと、あの小さな白い花が少しだけ違って見えた。
――まだまだ汚染された大地はあるけれど……
私はもう一度だけルーメナに目を落とした。




