第十七話 これも戦い
「どうしてこうなったのかしら……」
私は自室の椅子に座り、頭を抱えていた。
目の前には一人の女性がベッドに座っている。ゆったりとした紺のフード付きコート。深く被ったフードの影から、わずかに覗く銀色の前髪。碧眼がこちらをじっと見つめている。
「え、えっと……あの銀狼……さん、だよね?」
事の始まりは、三十分ほど前のことだった。
「ユミナ、 お客様よ……」
昼食を終えて、部屋で魔導具の本を読んでいると、母の慌てたような声が響いた。
誰だろう、と思いながら玄関に行くと、知らない女性が立っていた。
――……誰!?
旅人のように見えたけれど、コートの合わせ目から見えたのはボロボロの布だった。旅人というよりはまるで……
「ユミナ、知り合い……かしら?」
いつもは動じない母が、珍しく眉間にしわを寄せて考え込んでいた。
「ユミナの友だ」
女性は、まっすぐ私を見て言った。低く、澄んだ声。聞き覚えのある声……いや、聞き覚えというより、頭の中に直接響いてくるような、あの感覚。
私はそっと彼女の周りに目を凝らした。白銀の光が、静かに漂っている。
――あの子!?
でも、それを口に出すわけにはいかなかった。
「ユミナの友人? でも、どこから……」
母が不審そうに女性を見ている。彼女の姿はそれを体現していたので当然と言えば当然なのだけど。
私は心臓のドキドキを必死で抑え、冷静を装う。
――落ち着いて、落ち着いて……ど、どうしよう……何か言い訳を……友達? 友達、ともだち……
記憶の図書館を必死に走り回る。こういう時のため……ではないけれど、この手の展開が書かれた本は沢山読んだ。本棚から取り出し確認する……使えないっ!
――司書さん! 銀狼が人間の姿で突然家を訪ねてきた場合の対処法はどこですか!?
脳内の司書が困り顔で首を横に振った。
足元に本が散らばっていく。
「え、えっと……昨日、森で迷っていたところを助けて……お腹がすいていたようだったので、少し食べ物を……」
ひねり出したのは、嘘と真実を混ぜた無難な答えだった。
一瞬の静寂、いたたまれない時間。
「お、お礼はいらないって言っていたのですけど、わざわざ来てくれたのですね」
「そう、なのね……えっと、立ち話も何ですから奥へどうぞ。お腹が減っていたということでしたら、何か召し上がりますか?」
いつもの母に戻っていた。
「いや、もう大丈夫だ。十分に貰った」
「えっ?」
母の目が丸くなる。その隣で「ヒィィィ」っと、叫び声をあげる私。もちろん心の中で。
「お母様!私の部屋に案内してもいいでしょうか? お友達とゆっくり話したいのでっ!」
一刻も早く二人を引き離したい私は、半ば祈る気持ちで母にお願いする。
「……そうね。友達ならそのほうがいいわね」
意味ありげな笑みを浮かべた母と目が合った。
――お母様、ありがとう、ごめんなさい。
私は女性の手を取って、部屋へと案内した。父がこの場にいなかったことを神様に感謝しながら。
扉を閉めた瞬間、張り詰めていた息をゆっくりと吐いた。
改めて、目の前の女性を見る。銀色の前髪、碧の瞳。顔立ちは整っていて、一見すると普通の旅人だ。……服を除けば。
彼女の周りには、あの白銀の魔力がゆったりと漂っている。間違いない。
「え、えっと……あの銀狼……さん、だよね?」
驚きと、それから、なぜか少しだけ嬉しい気持ちが込み上げてくるのを感じながら、私が恐る恐る尋ねると、女性はコクリと頷いた。
「やっぱり……、でも、人の姿になれたのね」
「あぁ、戦う力は落ちるが、この姿でもそれなりに戦える」
無表情を変えないまま女性が続ける。
「知らない人の前に現れる時は、この方が良いと言われていたから、この姿で来た」
その事を教えてくれた人と、彼女の記憶に感謝したかった。銀狼の姿でここを訪れていたら……平穏が守られて本当に良かった。
「……ところで、その服は?」
「ユミナが着ていた物を真似てみた」
言われてみれば、紺のコートは確かに私が昨日着ていたものとよく似ていた。形も色も再現されている。
……問題は、その下だった。
コートの合わせ目から覗くのは、かつて服だったのかもしれない何か。布の形はしているけれど、色はくすんでいて、あちこちがほつれ、薄くなっている。
――この服装で村の中を歩いていたのよね……遠くから見るだけなら普通の旅人に見えた……よね?
「でも、よく私の家がわかったわね。魔力で探したの?」
銀狼は私の属性の変化に気が付いていた。そういう事を感知する力を持っていても不思議ではないと思えた。
「人に聞いた」
……違ったようだ。どうやら、「ユミナはどこ? マグナはどこ?」と見かけた人に聞いたようだ。この姿で。
「何人くらいの人に声をかけた?」
「三人だ」
「そう……」
窓の外の穏やかな村の風景を眺めながら、私はそっと目を閉じた。平穏よ、待っていて。必ず守ってみせるから。
「……あ、そうだ、名前は思い出せた?」
視線を戻すと、彼女は首を横に振った。
「そう……」
目を閉じて思いだす。月明かりに照らされた銀狼の幻想的な姿を。
「それなら……ルナ」
「ルナ?」
女性が不思議そうに聞き返す姿を見て、安直すぎたかなと少し後悔してしまう。
「どう、かな?」
「ルナ……」
彼女はその名前を何度か口にした。それから、小さく笑った気がした。
「……悪くない」
「よかった」
「それで、ルナはこれからどうするの?」
「ユミナを守る」
その答えに迷いは感じなかった。すがすがしい程に。
「えっと……」
ルナの瞳の奥に強い意志を感じる。
――鶴の恩返し、みたいなもの……かな? ……そういえば、この世界ではそういうお話はあるのかな?
現実逃避を始める思考を、パンパンと頬を叩き現実に連れ戻す。
――もしかして、魔物から守ってくれるってことかな、それは確かに嬉しい。でも……
「ちなみに……どうやって?」
一瞬、ルナが首を傾げた。そして、握った拳を前に出し、無表情で言い放つ。
「殴る」
――やめさせよう。
私は即座に決断した。一見普通の女性が、魔物を素手で殴り倒す。あまりにも目立ちすぎる。隠し事が苦手そうなルナには、なおさら危なっかしい行動だ。
「守ってもらうのは……多分、大丈夫。えぇっと、この辺りは魔物はそんなに見かけないの」
「……そうか」
無表情なルナの顔に、ほんの少し寂しさがよぎった気がした。
「でもっ、一緒にいてくれるのは嬉しいし、私も一緒に居たい」
その気持ちに嘘偽りはなかった。ただ、一緒にいる理由をどのように両親、そして村の皆に説明するかが大問題だった。一人の女性、それも明らかに年上。
――髪の毛の色が私と似ているみたいだから、親戚とか? ……お父様とお母様が納得するわけない。森で出会ったって、伝えちゃったから……、意気投合して一緒に暮らすことにしました~……さすがに無理がありすぎる感じが……
腕を組みうぅ~んと、唸る私。不思議な生き物を観察しているかのよう視線をルナから感じた。
「あっ、そうだ、ルナはほかの生き物になれるの?」
「無理だ。」
姿を変えられるなら……と考えたけれど駄目なようだった。
「できるのは大きさを変えるぐら……」
「それよっ!!」
私は椅子から立ち上がりルナに迫る。
「小さくなれる!?」
「あぁ」
「やってみて!」
少し目を丸くしたルナが頷く。彼女の体が光に包まれ、小さな銀狼が現れる。小型犬サイズのルナは可愛かった。
私はルナを抱き上げ頬をすり合わせた。
『ユミナ、くすぐったい』
「あ、ごめんなさい」
頭に響くルナの声を聞いて、そっとベッドにおろす。
『この大きさでは、ほとんど戦えないのだが……』
「ほら、私も少しは戦えるから。危なくなった時に助けてくれれば……それに、その方がかわい……絶対、いいのっ」
ベッドの上にちょこんと座っているルナを説得する。ルナは「このような姿、何の役に立つのだ」などと言っていたが、私の熱意に納得したのか受け入れてくれた。
* * *
しばらくして、きょろきょろと周囲を見回しながら父が帰宅した。
「ルナ、作戦会議よ。一緒に居るために」
真剣な顔で向かい合うと、ルナは首を傾げた。
「何事もなく受け入れてもらえればそれでいいのだけど、読んできた本が告げているわ。こういう時、一度は断られるものなの」
私は声を小さくして続ける。
「でも、ルナの可愛さをアピールすれば大丈夫、最初の印象が大事なのよ」
『何を言っているのだ?』
ルナの疑問を一旦放置して続ける。
「いい? まずは大人しくしていて」
無表情のルナが私を見つめている。
「それだけじゃ不十分かもしれないわ。お父様はね、心配性だから。安全だって感じてもらわないといけないの」
私は顎に手を当てながら、部屋の中を歩き回る。
「その為に言葉じゃなくて、態度で見せるの。近づいて足元にすり寄る。それから、上目遣いで見上げると効果的だと思うの」
ルナは考えているのかしばらく黙っていた。
『……それは戦いで言えば、どういう意味がある』
「戦いじゃないの! ……いえ、戦いね」
思わず声が大きくなってしまい、慌てて口を押さえる。
「信頼してもらうための戦いに勝利するための行動なの。ルナにとってはちょっと変に思えるかもしれないけど……やってみてくれる?」
『……わかった』
ルナは短く答えた。その顔はやはり無表情だったけれど、なんとなく腑に落ちていない様子が伝わってきた。
居間に向かう廊下を歩きながら、私はルナを抱いたまま小声で最終確認をした。
「いい? まずは大人しくしていて。お父様かお母様が近づいてきたら……」
『すり寄る。上目遣い』
「そう、完璧よ」
私は大きく息を吸い、居間の扉を開けた。「お父様、お母様、お願いがあります」
「あぁ、ユミナ。実は村に怪しい奴が訪ねてきたようでな……」
父に対応していたのか、引きつった笑みを浮かべていた母が、ルナを見て近づいてくる。
「あら、どうしたのこの子?」
手を伸ばしルナの胸元をそっと撫でると、母の表情が緩んでいく。
「実は……」
私は、訪ねてきた人が怪しい人ではなく、助けたお礼を言いに来ただけという事を、丁寧に、凄く丁寧に父に説明した。
そして、旅の途中で保護した小さな狼のような動物を、預かってほしいと言って旅立っていった……というシナリオを両親に伝えた。
「うぅ~む……」
床にちょこんと座るルナを、父が腕を組みながら見下ろしている。
「今は害はなさそうだが……、危険な魔物の子供だったとしたら……」
父の考えは当然だった。
――来た。想定通り。
私がルナにそっと視線を送ると、ルナはゆっくりと父の足元へ近づいていった。そして、その小さな頭を父の足にそっと押し当てた。
父の眉が、ぴくりと動いた。
「……」
さらにルナは顔を上げた。碧の瞳でまっすぐに父を見上げる。
私が思わず息を呑む。
――上手い……! ルナ、完璧よ……!
「……む」
父の腕が、ゆっくりとほどけた。
「……目が、綺麗な子だな」
「でしょう!」
「それに、この銀の毛並み……ユミナにそっくり」
母はルナの近くでしゃがみ込み、そっと手を差し出す。ルナはその手にすり寄る。
母の援護を得た私は、畳み掛けるように前に出た。
「大人しいでしょう? 賢いし、私のそばを離れないの。ね、お父様、お願いします!」
「うむ……まぁ……しっかり責任をもって面倒を見るのなら」
父もゆっくりとしゃがみ、恐る恐るルナの背中に手を伸ばす。ルナはされるがままに、静かにそこにいた。
――ルナ、えらい……!
心の中でガッツポーズをする私の耳に、ルナの声が届いた。
『ユミナ、これでよかったのか?』
相変わらず無表情な顔で私を見るルナに、満面の笑みを返した。




