第304話 コーヒー豆
「ねぇねぇ、これってどのくらい強いの?」
村の男の子が、父親の陰に隠れながらヒュージリザードの解体をしているシュリに話しかけた。
「これはねぇ、私の剣が跳ね返されるくらい強かったよ。ははは。」と答えるシュリの表情はどんよりと曇っていた。
「へぇ~、じゃあすごく強いトカゲなんだね。」
「そうだね。これをやっつけたコーヅくん、あー武神くんは領主様に褒められるくらいに強い魔獣だよ。」
「うわぁ……やっぱり武神様は凄いんだ。僕だって!」と言いながら男の子がヒュージリザードに向かってパンチを繰り出したが硬い革に手首を捻ってしまい、イテテテ……と涙目になっていた。
そこへ身なりの良い商人が「これは……私も見たこともない程に立派なリザードですね。」と言いながらヒュージリザードの周りを歩いていた。同じ宿の上の階に泊まる行商人だ。そんな領主に報告が必要になる魔獣の素材であれば商人にとっては垂涎ものだろう。しかし価格交渉などする様子もなく、そのまま2人の冒険者を引き連れてローちゃんの方へ歩いて行った。
ローちゃんの方もアリアが傍にいて安心できたのか大勢の人々が集まっていた。そこへローちゃんが「ギャギャ。」と声を上げながらしゃがむとみんながその羽毛に包まった。慌てて村人たちは羽毛を掻き分けて顔を外に出していた。しかしそれらの顔には柔らかで温かな羽毛に抱かれて恍惚の表情が浮かんでした。
その頃にはアリーシャの作った料理はほぼ売り切れて、残すは飲み物のみという状況になっていた。キンと冷えた外気にほろ酔いから先へは進むこともなく村人たち、そしてアレンと杯を重ねていった。
ふと大浴場が目に入った。すっかり忘れてたが、これも村へ引き渡さないといけないものだった。
「アリーシャさん、大浴場も作ったので後で皆さんにも入っていただきたいのですが。」
「かしこまりました。」
アリーシャの恭しい返事に、周囲の村人たちの会話がピタリと止んで俺たちの方を凝視してきた。
「まぁ武神様じゃ、そうもなるか。」
「いや、領主様にだって態度を変えなかったヤツだぞ?」
「確かに……。」
そんな会話が交わされて、また俺たちへ視線が注がれる。
「あ、アリーシャさん、そろそろアリアも帰るって。」とイザベラが駆け込んできた。
「かしこまりました、大……。ん、んん。では、そろそろ終わりにしましょう。本日は私たちに大きな助力をいただき、ありがとうございました。」と丁寧に頭を下げた。
「……何が起きてるんだ?」と村人たちは首を傾げながら顔を見合わせた。
そしてアリアとローちゃんが帰るというので、見送りに外壁の辺りに集まった。
「では、そろそろ私たちはお暇いたしますわ。」
アリアがローちゃんに歩み寄り、大きな足を撫でると首を下ろした。そこへ跨ると「一緒にアズライトに帰る方はいらっしゃいます?」と笑いながら聞いた。しかし皆が首を振るとローちゃんが羽を広げて飛び上がった。風が巻き上がり周囲のものをまき散らしながらローちゃんの大きな体が浮きあがった。そしてひと鳴きするともう一度大きく羽ばたいて体を持ち上げるとアズライトに向けて飛び去って行った。
きっと村人たちにとっては生涯忘れることのできない日になっただろう。
「今度こそは死んだ魔獣を手土産にして欲しいね……。」
「コーヅには良い実戦の場になってるじゃない。」
「でもローちゃんが連れてくる魔獣って、稽古とかのレベルじゃなくない?」
国王だ、領主だ、と退治するたびに合わねばいけない人が増えていくような魔獣だ。最初の蛇くらいにして欲しい。あれは肉も美味しかったし、訓練にだって十分な強さがある。いや、大抵の場合は周囲に一般の人がいるので、やはり死んだ魔獣にして欲しい。
ローちゃんの姿が夜空に消えると、アリーシャの仕切りで歓迎会はお開きとなったが、その時に大浴場の宣伝も忘れずにしてもらった。だから後片付けをして少し休んだら大浴場をオープンさせないといけない。それがこの村で残された最後で、そして2番目に大切な仕事だ。
最後まで残った人たちで片づけの為に食器やコップを食堂に持っていくと、アレンたちは新居へ、そして俺たちは大事な仕事の準備をするために階段を上がっていたが、女子たちは「タオルと石鹸を持ったらお風呂に行こうよ。」とすぐに行く気満々だ。風呂伝道師として俺も休んでいる場合ではない。
タオルや着替えを取りに部屋に戻ると、だるそうに寝そべる従魔たちを、部屋から追い出しながら大浴場へ向かった。風呂の周りには既に人集りができていていた。女湯は既にオープンしているようで、中から明かりが漏れていた。そして入ることを躊躇している女性には中から声をかけられて、そのまま奥へ消えていった。
「ちょっと待っててください。すぐに男湯は準備しますから。」
俺は人を掻き分けて男湯に向かうと、脱衣所に明かりを灯してエアコンに魔力を投入した。そして浴室では薄氷が張った水を消してお湯を張り直す、といった準備を進めた。そして招き入れる準備が整うと急いで入り口に戻って、外で待つ男性たちを引き入れた。
「ここで服を脱いでもらいます!」と一通りの使い方やマナーを声を張り上げながら説明すると、まず自分からと服を脱いで棚においた。そして先頭の村長が同じように服を脱ぎ始めると、周囲の男性たちもそれに倣った。ホビーに「ここは頼むぞ。」と頼むと「まかせて。」と誇らしげに小さな胸をトンと叩いた。
「ここに入ればいいんですね。」と湯に浸かろうとする村長を「その前に、体の汚れをシャワーで流してもらいます。」と止めた。そして手本を見せながら自分自身が頭からシャワーを浴びた。
はぁ……気持ち良い。
目を閉じたまま、しばらくシャワーを浴びていると「あの……?」と村長に声をかけられた。目を開けると浴室に大勢の人が入ってきていた。
「すみません。こうやって先に頭から汚れを流すのです。」と言いながら村長に場所を譲った。
そして「そこに魔力を流してください。」というと村長は、その場所を確認しながら魔力を流すと「ふぬうぅぅぅ!」という唸り声が浴室に響いた。普段の村長からは想像もつかない声に村人たちがざわついた。そんな村人たちをよそに「気持ちいいですか?」と聞くと「は、はい。とても心地が良いです。」と答えながらシャワーを止めた。
「こんな感じで汚れを流してください。では、入りましょう。」と村長を連れて浴槽に浸かった。
「ぬうおおぉぉぉぉ!」
シャワーに集まっていた村人たちが一斉にビクリと体を震わせて振り向いた。しかし恍惚な表情を浮かべて、湯に浸かっている村長を不思議そうに見ていた。
「お前いけよ。」
「俺は後でいいよ。」
そんな押し付け合いをして、最後は若い人が押し出されるようにシャワーを浴びた。
「はわぁぁぁ……。」と頭から降り注ぐお湯に声を漏らしていた。シャワーを終えた若者と「大丈夫なのか?」「すげぇ気持ち良かったっす。」という会話が交わされると、どんどんとシャワーを浴び始める人が増えてきた。
そして湯に浸かっては魂の叫び声が夜空に響き渡り、女風呂からは悲鳴が上がっていた。
のんびりと浸かりながら、後から入ってくる人に風呂のマナーを説明をしていたが、ホビーやサブルは人が多くて、遊びにくいので村の子供たちと先に上がった。そしてベルに至っては風呂にすら入ることすら止めていて、いつの間にか姿を消していた。
「あんな見事な魔獣を使役するなんて凄いお人なのですね。」と話しかけられた声の方を見ると、商人の男性だった。浅黒い肌の色なのですぐに分かった。
「たまたまですよ。親のベルには絶対に勝てませんし。」
「ご謙遜を。ところでどちらまで行かれるのですか?」
その商人はアレックスという名前で、国境を越えて南の方へ戻るそうだが、積荷については極秘で話せないそうだ。考えてみれば何が儲かるかはノウハウなので教えられる訳がない。
「それにしても、ここの料理は絶品ですね。色々な国の料理を食べてきましたが、この味を出せる店は多くないです。」
それから各国の料理の話になるのかと思ったが、すぐに香辛料の価格の方へ話はシフトした。どんな話題からでもすぐに商品の値段の話になる。
「我々が目指すローズマリーよりもずっと南の方でしか採れない実なのですが、元気になるのでこの雪山越えには必須なのです。」
「へぇ~、興味深いですね。」
身体強化やヒールで肉体的な疲労や苦労がほぼ無いので、あまりそういうものには目が向いていなかった。でもこれだけのハードな移動を続けている人には必須なのだろう。王都に向かうにも御者が一緒なら、少し貰っておくと良いのかもしれない。
「あとでお見せしましょう。」
同じ宿なのでそういう約束もしやすい。でもそれは売り物ではないから教えてくれるんだろう。
しばらく浸かった後、一緒に風呂を出た。息が白く浮かび上がる。身体強化が使えなさそうな商人のアレックスには身が締めつけられるような寒さの中、警護の冒険者たちと一緒に宿に戻った。
アレックスの部屋は3階になる。その一番奥にある部屋で、その前には分かりやすく見張りの冒険者たちが立っていた。
「変わったことは?」
「いえ、何も。」
きっと毎回同じやり取りだろうと思わせる短い言葉を交わすと、商人に部屋へ招き入れられた。部屋の中には、商品の一部が持ち込まれていて積み上げられていた。それらを避けながらソファに腰掛けた。
「すみません、狭くて。」
「いえ、大事なものなんですよね。」
「お茶を。」
後に控える冒険者に指示を出すと、冒険者は黙ってお茶の用意を始めた。そして商人はカバンから小袋を出すと赤い実を取り出した。
「この種が大きくて売り物にし辛いんですよ。」と言いながらひと粒を口に入れて、俺にも勧めてきた。
そして口から出した種を見せてきた。確かに大きい。そして、とても見覚えのある形をしている。
まさか、こんなところで!?
それはコーヒー豆とと思える形をしていた。しかし突然のことに頭がついていけない。
「どうされました?」
「……あっ、すみません。見覚えのある豆かもしれないと思ったもので。」
「本当ですか!?それはニホンでですか?」
「はい、そうです。」
そう答えながら、日本からの転移者という話をした記憶がなかったことに気付いた。そしてアレックスが使い方を聞き出そうと早口にまくし立てるが、一度に色々なことが起きたので頭の整理が追いつかない。
目の前で興奮気味の男は俺の何を知っているんだろうか。そして何を目的に近付いてきたんだろうか。もしかするとスパイでアレンたちを始末しに来たなんてことは?単純に異世界の話から儲け話になりそうなことを聞き出したいのなら、いくらでも協力するんだけど。それとも貴族へ取り入ろうとしているのだろうか?……いくつもの可能性が頭をかすめて意図が読めない。
「コーヅさん、どうなされました?」
「あ、いえ。」
相手の意図を特定することができず、仕方なく目の前のコーヒー豆らしきものを見つめた。
「豆の使い方をお教えいただければ、私もこの豆を半分お譲りいたします。どうでしょう?」
「俺の思っているものかまだ分からないので……。」
「ものは試しです。何を用意すればいいですか?」
俺の心の揺れなどお構いなくアレックスは話を進めようとしてくる。
アレックスの話だと、この豆はこの国では採れない。だから仮にコーヒー文化が他国で醸成されても問題ではないだろう。
「……必要なものは無いです。」
ここで唯一心配しなければいけないこと。それは、これが毒であっても耐えられるように、ヒールや身体強化を強めると、目の前の皿に置かれた赤い実を1粒摘むと小さく噛じった。
口に痺れはない。しばらく口に含んだ後、ゆっくりと飲み下した。
それは酸味がありながら爽やかな甘みを感じる。なかなか美味い。そして種だけにして口から出した。やっぱり似ている。今のところは体に異常は感じられないが、これ以上は食べたくなくて、まずは香りだけで確かめてみようと思った。
俺は石のボウルを作ると、そこにアレックスのものと2粒の豆を入れて火魔術で熱し始めた。そして一部だけ焼けないようにボウルを前後左右に揺らした。
次第に豆から水分が蒸気となって立ち上ってきた。そしてパチパチと弾ける音がし始めた。
もう少しだ。焼いたことは無いが、これまでコーヒー豆店で聞いてきた音や色の感覚はある。
やがて焼き色がつき、油でテカり始めた。
「できた。」
今度は熱を奪う火魔術で、その石を常温に戻した。そこには見た目も匂いも焼きたてのコーヒー豆そのものがある。これをすり潰すと、あのチョコレートのような芳醇で香ばしい匂いが発散され……るといいな。
俺は焙煎した豆を、石の皿を作ってそこへ置いた。そして上から石の皿を押しつけて豆を砕いていった。




