第302話 歓迎会
喉元に突き付けられたベルの鋭く分厚い爪に、思わずうめき声が漏れた。
ベルの動きが全く見えなかった……。
『もう一度よ。』
そう言うと後ろへ跳んで距離を置くと、また身構えた。
待っていても考えても同じことだ。俺は意を決してベルに向かって全力で踏み込んだ。
捉えた!
目の前のベルに向かって、握りしめた木の棒を横に振り抜いた。しかし振り抜いた後にベルの姿はなく、後ろから首筋に爪を立てられていた。
一筋の汗が首筋を伝ってきた。強いとは分かっていたが、ここまで圧倒的な力差があったとは。もしかするとオルデンブルクよりも強いかもしれない。
俺は一度息を吐きだすと、脱力して首を振った。
「目が追いつかないよ。」
『目じゃ無理よ。魔力の流れを感じるの。』
魔力の流れか。誰かにも言われた気がする。それは魔力探知のようなものだろうか?
考えるのは後にして、今は戦いながら言葉の意味を感じる方が良いだろう。
目にだけ意識を持っていくのではなく、魔力探知を意識しながら戦った。
すると言わんとすることは分かったが、それは戦いに活かせるかというと、それは全く違う難しさがあった。そもそも一定のペースで走っていても思い通りに魔力探知ができないのだ。こんな不規則な戦いの場でその力を活用するのは今の俺には難しいを越えて、できないことだ。
しかし、できないからやらない、ではない。ひたすら魔力を感じて、それに反射するという動きを文字通り体に叩き込んだ。
『もういいかしら?』
数え切れないほどに首元に爪を立てられた後にベルが切り出した。その表情を見ると、飽きてしまったようにも見える。それはそうだろう。初手を受け止めることすら、できていないんだから。
「はぁはぁ……。うん……もう十分。ありがとう。」
俺も魔力と集中力の使い過ぎでかなり疲れた。そして俺の身体からは白いオーラのような湯気が立ち上っていた。
『サブルとシュリを呼んできてもらえるかしら。』
「シュリ……?分かった。」と疲労でぼんやりとする頭で答えると、ベルはそのまま静かに森の奥へ消えていった。
最近は気が向くとシュリに毛皮を剥がしてもらって食べることがある。今日はそんな日のようだ。
俺は息を整えると、サブルとシュリを呼びに宿へ戻った。
――
「うわぁ~。また随分と大物を狩ってきたのね。」
シュリがベルが狩ってきた魔獣や獣の山を見て驚いていた。それはベルの体の大きさの何倍もあって食べるには多すぎるようにも見える。
『使える毛皮を好きに取って。』
「あっ!もしかして、アレンたちへ……?」
『別に。』とそっぽを向いた。
「そっか。ありがとう。」とベルの体を撫でると手にべっとりと返り血が付いた。
「……後でお風呂にも入ろうね。」
でも、このまま村人の前に出たらきっと驚かれてしまうだろう。歓迎会前には綺麗にしないとな。そんなことを思いながら、血のついた手を雪に擦り付けて綺麗にしながら、魔獣の山に目をやった。
あ……イエティが3頭もいる。あれだけ苦労したのに、数多く狩ってきた魔獣の1匹として積みあがっている。今の俺にこれだけの魔獣を、この短時間で狩ってこいと言われてもできない。
シュリはこの中でも大きくて毛が長いイエティを選んで解体を始めた。そしてサブルが口から涎を垂らしながらイエティの肉を嗅いでいる。サブルもクリソプレーズにいた頃は全然生肉を食べてなかったけど、体調を崩してから食べるようにしている。そしていつの間にか生肉の美味しさに目覚めていたようだ。
「何か手伝える?」
「じゃあ、毛皮が剥がせたらぬるま湯で洗って、それから塩を塗り込んでもらえる?」
「分かった。」と答えるとイエティの大きな毛皮を洗うための石桶を作った。
そしてシュリが剥ぎ終えた毛皮を受け取ると桶の中にそっと置いた。
「皮の裏に脂肪がついてるからできるだけ取ってもらえる?」
俺は分かったと答えると、お湯を注いだ。そして腕をまくると押し洗いしながらゴミを浮かせて外に流していった。これがアレンたちへの贈り物となるなら丁寧に作業をしないといけない。
力を入れず優しく何度も繰り返し押し洗いをした。
「あれ、まだやってた。次の毛皮も終わったからお願いね。」
シュリはそう言うとイエティの毛皮を雪の上に置いて、最後のイエティを解体し始めた。
でも毛皮はイエティだけではない。雪うさぎから、ホワイトファングベアだとか、色々なものがあるそれらをひたすらに洗っていると、村から人が集まってきた。
「ぎこちねぇな、兄ちゃん。」と言う男性は朝から酒を飲んでいた中の1人のようで足取りがぎこちない。
「おっ、これホワイトファングベアじゃねぇかよ。」
村人たちはシュリが剥ぎ取った毛皮を確認すると、ふらつきながら自宅へ取りに行った桶を使って手際良く洗ってくれた。
「湯を替えてくれ。」
「あっ、はい!」
俺は皆の手伝いの方に回って、言われたことをこなしていった。そんな中、ベルやサブルは皮を剥いで食べやすくなった肉を食い散らかしていた。
『これは今夜使って良いわよ。味付けしたら美味しいし。』
鼻先で突いたのは、雪うさぎやイエティだった。うさぎの肉ってそうなのか?それを村人たちに伝えると、何羽もいるうさぎを持ってアリーシャのいる食堂へ戻っていった。今夜のメニューに加えられるのかな。そしてシュリは走って空間収納袋を取りに行った。イエティはさすがに運びにくいからだ。
そしてベルやサブルの食べ残しなどを火魔術で焼き尽くすと、大量の骨を埋めると宿に戻った。そこでアレンの家でドアの取り付けをしていることを耳にした。
アレンの家では何人もの村人たちが手伝いながら急ごしらえの簡易的なドアの取り付けを行なっていた。そこは声をかける雰囲気でもなかったので、静かに宿に戻った。
すっきりしない曇り空の下で俺は宿の部屋でゴロゴロとしていた。外からはホビーとサブルの遊んでいる声が聞こえてくる。そしてリーサやティアの声も時折そこに混じって聞こえてきた。
『珍しいのね。』
「ちょっと働きすぎな気がするから。夜まで休ませて。」
『ふふふ。好きにすればいいじゃない。私もそうしてるし。』
「ベルは凄く強いから良いけどさ。俺は全然だもん。こんな状態で2人旅はできないよ。」
『あら、人間にしたら大したものよ。』
「慰めてくれてるの?」
『別にそんなつもりは無いわ。事実よ。私よりは弱いけど、多くの人間や魔獣よりは強いわ。』
んー、これは褒めてはくれているのかもしれないけど、あまり嬉しくない。ベルより強いと言うつもりは全くないけど、もう少し戦えるようにはなりたい。
そして目を閉じてまどろみ始めると、その先にベルの姿が浮かんできて対峙した。そのベルが動いた瞬間に体がビクッと反応し、それにベルがビクッと反応した。
『ちょっと……、どうしたのよ?』と怪訝な目を向けてきた。
「まどろんでる中でベルと戦ってたら反応しちゃって。」と体をベルに向けた。
『戦うのか休むのかどっちかにしなさいよ。』
「そうするよ。」
俺はもう一度上を向いた。しかしやらなければいけないことが色々と頭をかすめていく。それでも頑張って目を閉じていたが、途中で諦めた。
体を起こすと窓から雪化粧された景色を見つめた。畑は除雪されて根菜野菜の葉っぱが元気に育っている。そしてホビーとサブルは相変わらず走り回っているが、よく見ると鶏を追いかけまわしている。サブルに追われる鶏は必死だろうな。
窓から離れるとベルに寄り掛かって魔力増幅トレーニングを行った。ベルに経験やスピードで太刀打ちできるはずがない。多くの人に勝る魔力を活かす戦い方が手っ取り早いし俺に向いていると思う。
「おーい!コーヅくん、始まるよー。」
夕陽が窓から差し込んでいる。アレンとエミリアの歓迎会が始まるようだ。ドアを開けると、下からは準備を急いでいる物音が聞こえてくる。
「今行くよ。」
そう言うとベルを優しく揺すって起こすと一緒に部屋を出た。
既に新集会所は沢山の人で賑わっていた。しかし、まだ光は点けておらず、全体が薄暗い。しかし建物の中はエアコンのお陰で温かい。
「手伝って!」
ティアに呼ばれて、運ばれてきた食べ物をテーブルに並べていった。そのソースの香りに腹が鳴る。
冬の夕方は短い。辺りは夕闇に包まれており、料理の香ばしい匂いだけの、お預け状態に不満の声が上がり始めてきた。
「そろそろですね。」と言う村長にスポットライトが当たった。シュリとイザベラがその筒を持っていた。しかし初めての村人たちはどよめきと共に村長に注目した。
静まり返るまで村長はそのまま待っていた。そして頃合いを見計らって「ではこれからアレン君とエミリアさんの歓迎会を開催します。」と宣言して手を挙げた。
「うわぁ……!」「おお!」
突然、七色の綺羅びやかな光に包まれた村人たちや居合わせた商人たちは口を開けたまま辺りを見回していた。そこへ「私たちが腕によりをかけて作ったからね!しっかり食べておくれ!」というアリーシャの声が響いた。
しかしその声に誰も反応しなかった。
「ほらっ、食事だよ!お食べ!」とアリーシャは近くの子供の頭を押さえた。我に返った子供は、料理を目をやって「やった!」と声を上げた。
まずは子供たちがテーブルに駆け寄って、チキンサンドやオークカツサンドをアリーシャから受け取っていた。アレンのところではサラダや唐揚げ、そしてパン、エミリアのところではスープが配られていた。
一体誰の歓迎会かとも思うが、顔を覚えてもらうにはこのやり方も良いのかもしれない。村人と話をするなら途中で代われば良いし。
……と、主役はアレンたちと思っていたんだけど、気付いたら周りに沢山の村人に囲まれていた。そしていつもの乾杯だ。子供にもジュースとの乾杯を求められた。
それは俺がこの建物や大浴場を作ったということ、そしてどこからか武神という二つ名が漏れてしまったからのようだ。
完全に油断をしていた。そして酒の量だけがかさんでいく。このペースはヤバい。
「そろそろアレンと交代の時間なので。」
俺は約束もしてないことを言って、その輪から抜け出してアレンの元に逃げこんだ。
「代わって。」
「武神様も大変だな。俺も命の恩人の頼みは断われないよな。」と笑いながら代わってくれた。
「助かるよ……。」と苦笑で返した。
「武神様、唐揚げを貰っていいですか?」
視線を下に向けると子供が空っぽの皿を差し出していた。
「勿論だよ。」
何の唐揚げかは分かってないけど、3種類の唐揚げを皿に載せた。
その時、上空を何かが通り過ぎる魔力の気配に気付いた。
これはローちゃんだ。
そして確認のために上空を見上げると、ローちゃんらしき大きな鳥が旋回している。本当に光が好きなんだな。綺麗な照明を見つけるとどこにでも現れる。
「ギャアギャア!」
ローちゃんの大きな声に村人たちが一斉に上を見た。そこには村人たちが、これまで目にしたこともない程に大きなロックバードが旋回していた。
「うわぁぁぁ!」
一瞬で、この場がパニックに陥って、村人たちは右に左に逃げ惑った。村の警護者や商人の警護の冒険者が落ち着かせようとするが全く効果がない。
「大丈夫だ!」
「あのロックバードは私たちの仲間です!」
俺たちが声を張り上げるが、全く声が通らない程に村人たちは混乱して、手に持っていた食べ物や飲み物を落として逃げ惑った。子供は親とはぐれて泣き出し、その子供を探して親が声を張り上げる。
近くの人の肩を抱いて「あれは知り合いの魔獣ですから!」と言っても「だから何だ!」と叫びながら逃げていった。
そして、静かになったと思う頃には、ほとんどの村人たちがこの場からいなくなってしまっていた。




