AI作品4
ルミネが発動したのは、《闇の魔導書》の奥底に封印されていた最悪の禁呪――肉体と魂の輪郭を解体し、己の全存在を純粋な「殺戮の概念」へと昇華させる禁断の術式だった。
「ルミネ……ッ!? やめて、お願いだからやめてぇぇぇッ!!」
シアンの痛切な悲鳴が響き渡る中、ルミネの肉体が蠢き、激しい黒炎とともに変貌を遂げていく。
美しかった金髪は漆黒の影へと変わり、肌は神鉄をも超える禍々しい外殻に覆われていく。
人間としての美貌も、声も、鼓動すらも消え去り、そこにはただ「魔王を殺す」という意思だけを宿した巨躯の魔神――怪異の異形が顕現していた。
《強化再生》と《暴食》が極限まで暴走し、彼女の存在値は龍種すら脅かしかねない異常な次元へと爆ぜ跳ね上がる。
その異形から放たれる風圧だけで、闘技場の巨大な外壁が次々と粉砕されていった。
これほどまでに圧倒的な力を振るえる能力だが、1つだけ欠点があった。
それは一度使えば最後、元の姿に戻る手段がないこと。
仇を討てたとしても、その後は一生怪物として生き続けることになる。
『(元に戻れなくたって構わない……!!)』
異形の肉体の奥底、わずかに残ったルミネの魂の核が咆哮する。
『(どうせ、ハルトのいないこの世界で……人の身体になんて、最初から何の未練もない……!!)』
『(憎しみさえ忘れなければ……! あの魔王……リムル=テンペストさえ殺せれば……私自身のすべてが滅び去っても構わないっ!!)』
人の心を焼き尽くし、ただ仇を討つためだけの「不滅の化け物」と化したルミネ。
その漆黒の爪が空間の理すら歪めながら、一閃のもとにリムルの首元へと叩きつけられた。
――!!!!
闘技場全体が爆風に包まれ、大地が底なしの亀裂を刻む。
しかし――リムルは、逃げなかった。
刀を抜くことも攻撃を叩き返すこともせず、その凄まじい衝撃をそのまま全身で受け止めていた。
「ガハッ……ッ!!」
《闇の魔導書》の絶対防御無効化と、異形と化したルミネの絶大な威力がリムルの肉体を容赦なく破壊する。
胸を深く引き裂かれ、青銀の魔素が大量に噴出しながらも、リムルは倒れなかった。
「ル……ミネ……っ」
リムルは吐血しながら、血に染まった手をゆっくりと伸ばした。
その手は自分を殺そうとしている禍々しい異形の腕を、どこまでも優しく温かく包み込んだ。
「……ごめんな……」
痛みに耐えながら、リムルは掠れた声でつぶやいた。
「俺が……お前たちから愛する人を奪った。俺の罪だ。お前がどれだけ俺を憎んでも、どれだけ傷つけても……俺はお前を攻められない」
異形のルミネがピクリと硬直する。
攻撃の手を止めさせまいと憎悪を滾らせようとするが、リムルの瞳に宿る「絶対の罪悪感」と「溢れんばかりの悲しみ」が、怪物の胸の奥にあるルミネの魂を強く揺さぶった。
「だけどな……! お前が自分を化け物にしてまで、命を捨てて仇を討とうとするのを……俺は見過ごすわけにはいかないんだ!!」
リムルは血みどろになりながら、必死の眼差しで異形となったルミネの瞳を見つめ返した。
「戻れ、ルミネ……っ! シアンのもとへ……お前を待っている未来へ戻れ!!」
『(ふざけるな……ふざけるなっ……!!)』
異形の奥底で、ルミネの魂が憤怒の叫びを上げる。
『(ファルムス軍の兵士たちが……命乞いをした時、お前は耳を貸したか!? ハルトが、シアンのお父さんが必死に生きて帰ろうとした声を……お前は届かせたか!?)』
『(自分は誰の命乞いも聞かずに殺し尽くしたくせに……なぜ、私が今さらお前の言葉に耳を傾けなきゃいけないッ!!)』
「――『暴食』ッッ!!!!」
咆哮とともにルミネの異形の肉体から溢れ出た漆黒の顎がリムルの身体を噛み砕かんと喰らいついた。
世界の理を外れた《暴食》の権能がリムルの存在そのものを浸食し、その魂と魔素を削り取っていく。
「ぐっ……アァァぁぁっ!!」
リムルの胸元から凄まじい青銀の光が弾け飛ぶ。
だが、リムルは引き下がらない。
退くどころか異形のルミネを逃がさないようにその巨躯を強く抱きしめ返した。
『告。個体名「ルミネ」による捕食・浸食運動を確認。こちらも権能を行使し、抵抗および中和を開始します――《暴食之王》』
リムルの全身からもまた、底知れぬ虚無の漆黒が溢れ出した。
闘技場の中心で始まったのは、『喰らい合い』だった。
リムルの《暴食之王》とルミネの異界の《暴食》。
空間そのものを巻き込み、互いの魔素、魂、権能を喰らい、飲み込み、削り合う恐ろしい概念の衝突。
ルミネの《闇の魔導書》によってリムルの防御は完全に無効化されているため、リムルの肉体は文字通り削られ崩壊しながらも、ルミネの暴走した禁呪の魔素を力任せに喰らい返していく。
「あいつ……! 喰われながら……私を……喰い戻そうとしている……!?」
ルミネの意識が震える。
リムルはルミネを滅ぼすために喰らっているのではない。ルミネの肉体を侵食し、彼女を化け物へと変貌させている「禁呪の術式」と「暴走した権能」だけを切り離し、自分の体内に引き受けて飲み込もうとしているのだ。
「ルミネ……っ!!」
血を吐きながら、リムルが至近距離で叫ぶ。
「お前が言いたいことは……全部正しい!! 俺は命乞いを聞かなかった! 俺は自分の仲間のために、二万人を殺した悪魔だ……!! だから……俺を憎め! 殺したいくらい恨め!!」
捕食の渦の中でリムルは激しい痛みに耐えながら、ルミネの異形の頬に必死で手を伸ばした。
「だけど……そのために自分を捨てて化け物になるな……ッ!! 復讐の果てに何一つ残らない身体になるなんて……そんなの、恋人もお前も、救われないだろぉぉぉっ!!」
「……っ!?」
捕食の激突の最中、リムルの叫びとともに『ハルト』の名がルミネの魂に直接叩きつけられた。
(ハルト……)
喰らい合う漆黒の暗闇の中でルミネの視界が一瞬だけ揺らぐ。
自分が届かない言葉を突っぱねようとすればするほど、リムルの肉体を削る《闇の魔導書》の刃と逃げずにそのすべてを受け止めようとするリムルの「罪悪感と叫び」が、ルミネの固く閉ざされた心を力任せにこじ開けていくのだった。
『そんなことは……わかってるッ!!』
喰らい合う漆黒の暗闇、命と魂が削れ落ちていく絶望の渦中で、ルミネの魂が血を吐くように叫んだ。
『ハルトなら……私にこんなこと望んでない!! 私の幸せを一番に考えて、復讐なんてやめて笑って生きてくれって……あいつなら絶対にそう言う!! そんなこと、最初から痛いほど分かってる……分かってるのよッ!!』
異形の瞳から漆黒の魔素に混じって、透き通った血の涙がボロボロと溢れ出す。
『分かった上で……!! 私にはこれしか残されていなかったから、こうしてるのよッ!!』
恋人の温もりを失った世界。
彼が二度と戻らない現実。
正気でいれば、一秒ごとに胸が引き裂かれるような絶望に潰されてしまう。
だからこそ自分の心も肉体もすべてを化け物へと塗り潰し、「憎しみ」という狂気だけを命の糧にして立ち続けていたのだ。
復讐が虚しいことなど百も承知だった。
恋人が喜ばないことなど知り抜いていた。
それでも立ち止まれば死んでしまうから。
仇を討つという誓いだけが崩れそうなルミネを繋ぎ止める唯一の鎖だったから。
「ルミネ……っ」
リムルの眼差しに、痛烈な悲しみが溢れる。
自分の一手がどれほど深く、残酷にこの少女たちの人生を狂わせてしまったのか。
正論や慰めの言葉など何一つ彼女たちの救いになり得ないことをリムルは心底痛感していた。
『あいつがいない世界で……私にどうやって幸せになれっていうのよ……っ!!』
ルミネの《暴食》が激しさを増し、リムルの胸元をさらに深く削り取る。
『答えなさいよ、リムル=テンペスト!! 私からハルトを奪ったあなたが……私に生きろなんて言わないでよぁぁぁぁッ!!』
喰らい合う2つの漆黒の渦の中で少女の悲痛な叫びが、闘技場の大気をどこまでも激しく揺らし続けていた。
『告。対象の術式解析を完了。《闇の魔導書》の禁呪反応および異界権能の暴走を完全に遮断。過剰魔素の隔離・還元処理を実行します』
脳内に響くシエルの冷徹かつ完璧なアナウンスとともにリムルの全身から溢れ出た《暴食之王》の漆黒がルミネを包み込んでいた禁呪の魔素を根こそぎ喰らい尽くし、解体していった。
「――つぁっ……!?」
異形の外殻がガラスのように砕け散り、光の粒子となって霧散していく。
空中に投げ出された体は、激しい魔力の摩耗と肉体の激変に耐えかね、闘技場の瓦礫の上へと倒れ込んだ。
煙が晴れたあとに横たわっていたのは、異形の化け物などではなく――髪や服を乱し、肩を激しく上下させる一人の華奢な人間の少女、ルミネだった。
シエルの完璧な介入とリムルの喰らい返しにより、禁呪は完全に解呪され、彼女の肉体と魂は元の「人間の姿」へと引き戻されたのだ。
「ハぁ……ッ、ハぁ……ッ!!」
ルミネは血を吐くように息を荒げ、己の手を見つめた。
爪は丸く、肌は柔らかい。
肉体を苛んでいた莫大な暴風竜の因子も、異界の権能の暴走も、リムルの《暴食之王》によってあらかた吸い上げられ体内の魔力は完全に底をついていた。
指先一つ動かすことすら泥のように重い。
負けたのだ。
己の命も、心も、人間性すらもすべて捨てて挑んだというのに目の前の魔王を殺すことはおろか、元の無力な人間の姿へと押し戻されてしまった。
「ルミネッ……!!」
駆け寄ってきたシアンが、ルカを抱えながら膝をつき、ルミネの体を壊れ物を扱うように抱きしめる。
「よかった……よかった……っ! 元に戻った……ルミネ、よかった……っ!!」
シアンは涙を流しながらルミネの顔を撫でた。
だが、ルミネの反応は冷たかった。
ルミネはピクリとも動かない腕に力を込めようと震わせながら、倒れた姿勢のまま、ゆっくりと顔を上げた。
そこには肩と胸元を深々と引き裂かれ、大量の魔素を流出しながらも立ち続けているリムルの姿があった。
どんなに重傷を負おうとも捕食によってルミネの暴走を食い止め、彼女の「命」を守り切った魔王の姿が。
「……あ……っ……」
ルミネの瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出す。
しかしその瞳の奥に宿っていたのは、諦めでも、屈服でもなかった。
己の無力さに対する絶望と愛する人を奪った男への、決して消えることのない冷たく澄み切った憎悪だった。
これだけのことが起きて尚、ルミネの憎しみは消えてはいなかった。
「……なぜ……」
掠れた声が、血の混じった吐息とともに漏れ出る。
「なぜ……元に戻したの……? 殺せばよかったじゃない……っ! 化け物になった私を……かつてのファルムス軍と同じように、ゴミみたいに殺せばよかったのに……っ!!」
力が入らない手で地を這い、爪を立て、ルミネは倒れ伏したままリムルを睨みつけた。
「死んだって……身体が戻らなくたって……あいつ(ハルト)の元に行けたのに……! なんで邪魔するのよ……! なんで……私から死ぬことすら奪うのよ……リムル=テンペストッ……!!」
どれほど力を失おうと。
どれほど敗北を突きつけられようと。
ルミネの鋭い眼光はまっすぐにリムルという一人の魔王の存在を、その犯した罪を強く撃ち抜き続けていた。
「……早くとどめを刺した方がいいわよ」
地を這い、果てしない疲弊の中で身を起こすこともできないまま、ルミネは掠れた声で冷酷に吐き捨てた。
その瞳には敗北の色も、命乞いの色も微塵もない。
ただ凍てつくような冷たい憎悪の火だけが燃え続けていた。
「確かに今は……何の力も残っていない。……でも、少し時間をくれれば、また魔力は回復するわ。一度覚醒したこの肉体と《闇の魔導書》の理は、消えてなんていないんだから……」
ルミネは泥と己の血に汚れた手でゆっくりとリムルを指さした。
「私は……絶対に諦めない。一ヶ月後でも、十年後でも、百年後でも……あなたが隙を見せたその瞬間に、首を刈りにいく。だから……」
ルミネの唇が、歪んだ嗤いを刻む。
「……ここで私を殺しておかないと、絶対に後悔する。善人ぶって生かしたことを……死ぬほど後悔させてやる……ッ!」
その言葉は揺れることなく、純粋な殺意として静寂の闘技場に突き刺さった。
隣で弟を抱きしめるシアンは息を呑んでルミネを見つめていた。
シアン自身、弟のルカを取り戻し、狂気から正気へと引き戻された。
だがルミネが吐き出した「絶対に消えない憎しみ」と「殺しておかないと後悔する」という警告を止めることはできなかった。
なぜなら、それこそが自分たちがこの街で息を吸い、耐え抜き、生きてきた目的のすべてだったからだ。
カバルも、エレンも、ギドも、そしてフラメアも息を呑んで黙り込むしかなかった。
命を救われ、元の人間の姿に戻されたというのに一切の折伏を拒み、永遠の刺客となることを宣言するルミネ。
闘技場の中心で重傷を負い血を流し続けるリムル=テンペストは逃げ場のないその眼差しを――二人から突きつけられた重すぎる「報い」をただ黙って正面から受け止めていた。
ルミネの瞳からポロポロと絶え間なく涙が溢れ出していた。
恨み言を吐き捨てていた声が、ふっと消え入るような、ただの「恋人を愛していた一人の少女」の声へと戻っていく。
「……ねえ……どうして新人兵士だったあいつが……ファルムス軍の精鋭騎士に選ばれたか、わかる……?」
泥にまみれた指先でルミネは胸元の服をぎゅっと握りしめた。
そこにはもう何もない。
恋人がくれたペンダントも、約束も、すべてが過去の記憶の中にしか存在しなかった。
「毎日……毎日、死に物狂いで剣を振って、泥だらけになって努力していたのよ……。何度も『そんな無茶はやめて』って引き止めたわ。怪我だらけで帰ってくるあいつを見るのが、怖くてたまらなかったから……っ」
かすれる声が、静まり返った闘技場に重く響く。カバルたちも、エレンも、誰も言葉を発することができない。
そこにあるのは侵略者や兵士という記号ではなく、ただ懸命に生きようとしていた一人の青年の生きた証だった。
「でもね……あいつ、笑って言っていたの。『努力はいつか必ず報われる。強くなって、お前を絶対に幸せにするから』って……『だから待っていてくれ』って……」
ルミネの肩が激しく震える。
「……それなのに……っ! 『報われる』はずだったあいつの努力の結末が……あんな光に撃ち抜かれて、名前も残らず消されることだったなんて……冗談じゃない……っ!!」
あの日、メギドの光が空から降り注いだ瞬間。恋人が最後に抱いた感情は何だったのだろう。
ルミネのもとへ帰りたいという願いか、理不尽な死への恐怖か、あるいは叶わなかった未来への絶望か。
「あいつの命も、努力も、積み重ねてきた人生も……全部、全部……! あなたの魔王進化のための『経験値』で片付けられたのよ……っ!!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、ルミネは血を吐くように叫んだ。
「そんなの……認められるわけがないでしょう……!! 殺しなさいよ、リムル=テンペスト!! 私を殺さない限り、私はあいつの無念を証明するために、何度でもあなたを殺しにいくんだから……ッ!!」
冷たい風が吹き抜ける無人の闘技場で少女の悲痛な慟哭がどこまでも虚しく、そして痛烈に響き続けていた。
「俺はファルムス軍を決して許さなかった。だが、状況次第では許していたんだぜ?」
血を流しながら立ち尽くすリムルの口から漏れたのは、冷酷とも取れるあまりに静かな言葉だった。
その言葉を聞いた瞬間、ルミネの目が凍りついた。泥にまみれた顔で涙をぬぐいもせず、絶望と怒りが混ざり合った嘲笑を浮かべる。
「ウソね……」
ルミネの声は冷たく歪んでいた。
「だって貴方……あの日、命乞いをする兵士たちの声を誰一人として聞くことなく、全員殺したじゃない。一人残らず殺し尽くしたじゃない……! 何が『状況次第』よ……? どうすれば……どうすれば許したって言うの……!?」
ルミネの詰問にリムルは逃げなかった。
青銀の瞳を深く沈め、静かに、そして身も蓋もない現実をその口から提示した。
「簡単だ、殺した俺の国の住人を生き返らせることが出来たなら許したさ」
「――――」
闘技場の空気が完全に凍りついた。
言い訳も、免罪符もない。
リムルが口にしたのはどこまでも残酷で、けれど嘘偽りのない「魔王の天秤」だった。
「俺にとって一番大事だったのは、あの時殺された仲間の命だった。もしファルムス軍がシオンたちを元通りに生き返らせる手段を持っていたなら……俺は二万人を殺さずに済む道を選んだだろうさ。だが、彼らにはそんな術はなかった。……だから俺は、自分たちのために彼らを殺して魔王になった」
リムルは己の胸に手を当て、自責と覚悟の籠もった視線でルミネを見つめた。
「お前たちが俺を絶対に許せないのと、同じだ」
「……っ」
ルミネの息が止まった。
『殺された大切な者を取り戻すためなら、他者の命など知ったことではない』――あの日のリムルが二万人の生け贄を捧げてシオンたちを蘇生させた論理と、今日ルミネが世界を敵に回してでもリムルを殺そうとした論理は、まったく同じ不条理の根から生え出たものだったのだ。
自分が正義で相手が悪なのではない。
ただ互いに「譲れない最愛」のために奪い合い、取り返しのつかない血の螺旋に落ちていったのだと。
「俺はお前たちの家族を殺した。許されるなんて、最初から思っちゃいない」
リムルはゆっくりとルミネの前に歩み寄り、その視線の高さまで片膝をついた。
無防備に首元を晒すように。
「だから……生きろ、ルミネ。俺を殺すために命を繋ぐというなら、それでもいい。何度でも狙いに来い。俺はその責任から、死ぬまで逃げない」
無残に叩きつけられた圧倒的な「理」と、どこまでも自分たちの罪悪を受け止める魔王の覚悟を前にルミネは固く唇を噛み締め、血が滲むほど拳を握りしめることしかできなかった。
「それに···可能性は限りなく低いがお前の恋人、そしてシアンの父親……復活させる方法はあるんだぜ?」
「……え……?」
ルミネの拳が、ぴたりと止まった。
血の涙で滲んだ視界の中で、息を呑むシアンの顔が見えた。
弟を抱きしめたまま、シアンもまた硬直してリムルを見つめている。
カバルたち冒険者も、誰一人として息すらできないほどの静寂が闘技場を包み込んだ。
「……な……にを……言ってるの……?」
ルミネの声が狂暴さを完全に失って激しく震えた。
「死んだ人間が……返ってくるわけがないでしょう……っ! あなたが殺された住人を復活させたことは知ってる。でも、それは様々な条件が揃った奇跡だってことも! 私たちを惑わすために……そんな酷い嘘を……っ!!」
「嘘なんかじゃない」
リムルは真剣な眼差しを崩さず、真っ直ぐにルミネの瞳を見つめ返した。
「可能性は……限りなく低い。神に祈るような、奇跡みたいな確率だ。……だが、ゼロじゃない」
リムルは胸元に深く刻まれた傷を押さえながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「あの戦いの日……俺はただ命を奪ったんじゃない。魔王へと進化し、《暴食之王》を得た時、倒れた二万人のファルムス兵たちの『魂』と『情報体』のすべてを、俺の体内に保管・解析していたんだ」
「……っ!?」
シアンとルミネの全身に雷が落ちたような衝撃が走った。
「魂の器である肉体は……もうこの世界には存在しない。だから『生き返る』なんて簡単な話じゃない。だけどな……魂の情報そのものが俺の中に残っている以上、彼らの『存在の核』は完全に消滅したわけじゃないんだ」
リムルは血に濡れた己の手を見つめた。
「俺がこれから目指す世界の最果て……魂を再構成し、新たな器へと定着させる技術。あるいは、世界そのものの理を書き換えるほどの領域に到達できたなら……彼らをもう一度、この世界に呼び戻すことができるかもしれない」
「……あ……あぁ……っ……」
ルミネの口から、言葉にならない掠れた叫びが漏れ出た。
復讐のために投げ打った命。
捨て去った人の心。
化け物になってまで追い求めた「死」の先で、突きつけられたのは――絶望的なほど小さく、けれど確かに存在する『希望』の光だった。
「条件がある」
リムルは静かに、二人に告げた。
「お前たちが俺を殺せば、俺の体内に保管されている彼らの魂の情報も永遠に失われる。……彼らを本当の意味で消滅させたくないなら、お前たちは生きなきゃいけない。俺がその『奇跡』を叶えるその日まで……俺を殺さずに、監視し続けろ」
それは残酷なまでの縛り(呪い)であり、同時に二人に残された唯一の『救い』だった。
「……ズルいわ……っ」
ルミネは泥の中に崩れ落ち、両手で顔を覆った。
「そんなの……ズルすぎるじゃない……っ!! 殺すことも……死ぬことも……許さないなんて……っ!!」
叫びながらルミネの目から溢れ出したのは憎悪の涙ではなく、ただただ幼い少女のように溢れ出る痛切な涙だった。
シアンもまた、ルカを強く抱きしめたまま声を上げて泣き崩れた。
父が、恋人が、いつの日か帰ってくるかもしれないという微かな光。
それがある限り、彼女たちはもう復讐の魔鬼として死ぬことはできない。
「……約束する」
リムルは立ち上がり、血を流しながら二人に向かって深く頭を下げた。
「俺は、お前たちから奪ったものを……絶対に、諦めない」
無人の闘技場に冷たい風が吹き抜ける。
「一体······どれだけ待てばいいの? 1年? 10年? それとも100年? 私は、後······どれだけ、待つ、の······」
ルミネの瞳が希望と絶望で揺れる。
ルミネは恋人の死を聞かされてから今日まで、悲しみと絶望、そして憎悪の感情に苦しみ続けてきた。
それが今日、どんな形であれ終わるはずだった。
心を擦り減らし続けたルミネが今日まで正気でいられたのは、魔王リムルに対する憎悪のため。
恋人の仇を討つという想いだけで心を保ってきた。
その仇討ちする機会すら奪われ、いつ来るか、本当に来るかもわからない恋人が復活するその日まで、生き続けなければならない。
ルミネには、その日が来るまで待つ、そんな精神力など残ってはいなかった。
「············あ、······っ······」
ついに精神的に限界を迎えたルミネはその場に倒れ、意識を手放した。
異形の化け物に姿を変え、力を使い果たし、精神まで削られた少女はもうとっくに限界を超えていたのだ。
気を失ったルミネをリムルは優しく抱え上げた。
「心配するな、何年も待たせる気はない。出来るだけ早く、すぐにでも実現してやる」
リムルはそう宣言し、ルミネ、そしてシアンを見据えた。
悲劇と憎悪の連鎖の最果てで、少女たちの止まっていた時間が微かな希望とともに、再びゆっくりと動き始めようとしていた。




