第8話 ロゼエルVSオーディン
王と王の話が終わった。
オーディンは、玉座の傍らに置かれていたグングニルへ手を伸ばした。
「言葉で分かることもある」
長い指が、槍の柄を握る。
「だが、言葉では分からぬこともある」
「手合わせか?」
「嫌か?」
「まさか」
即座に答えたロゼエルを、マキエルが見た。それから、槍を手に立ち上がったオーディンへ目を向ける。
「……仕方ないね」
彼女は小さく息を吐き、二人のあとを歩いた。
神殿の外には、雪を頂いた山々に囲まれた石造りの広場があった。冷たい風が、オーディンの長い白髪と髭を揺らしている。
片目を覆う黒い眼帯。深い緑の衣。その下には厚い胸と鍛えられた腕があり、二メートル近い長身に老いによる衰えは感じられなかった。
ロゼエルは右手を伸ばした。
目の前の空間が揺らぎ、その奥から長い柄が現れる。握って引くと、幅広く分厚い刀身が続いた。
オーディンが片目を細めた。
「随分と重そうな剣を使うのだな」
「重いぞ」
「あなたほどの者なら、もっと扱いやすい武器はいくらでもあるだろう」
「あるな」
「では、なぜそれを?」
ロゼエルは大剣を肩へ担ぎ、少し考えた。
「……このほうが、高揚する」
オーディンはしばらく彼を見ていたが、やがて口元を緩めた。
「分からなくもない」
「だろう?」
少し離れた場所で、マキエルが何か言いかけた。けれど、二人の顔を見て口を閉じた。
ロゼエルが大剣を肩から下ろす。オーディンもグングニルを構えた。
二人の表情から笑みが消えた。
「始めよう」
オーディンが踏み込んだ。
胸へ伸びたグングニルを、ロゼエルは大剣で外へ弾いた。
鋭い金属音が響く。
その音が広場へ広がる前に、大剣がオーディンへ振り下ろされていた。
オーディンは横へかわした。刃が衣の脇を抜ける。その間に槍を引き戻し、ロゼエルの肩へ突き出した。
ロゼエルは大剣を返して受ける。
衝撃が両腕へ走った。
重い。
だが、槍が引かれるより早く、ロゼエルは前へ出た。
長い槍を振りにくい距離へ入る。
そこで、柄の後端が顎へ跳ね上がってきた。
上体を反らしてかわす。すぐに大剣を横へ薙いだ。
オーディンは半歩退き、槍を斜めに立てた。刃を受け、滑らせる。そのまま穂先をロゼエルへ向け直した。
ロゼエルも剣を戻した。
突きと斬撃が交わる。
幅広い刀身が、短い動きで次の攻撃へ移っていく。ロゼエルの剣速は音速に迫っていたが、オーディンの槍も遅れてはいなかった。
一撃を返すたび、次が来る。
ロゼエルは槍を弾き、いったん距離を取った。
「その重さで、よくそこまで動かせる」
「長く振ってきたからな」
オーディンは彼の手元を見た。
それから再び踏み込み、槍を突き出した。
ロゼエルが穂先を外へ弾く。
その瞬間、オーディンの片手が槍から離れた。指先が宙をなぞり、淡く輝く文字が右側に残った。
ルーン。
文字から、光の矢が放たれた。
ロゼエルは大剣を返した。
刃が光を捉える。
矢は二つに裂け、その場で散った。
オーディンの片目が、わずかに細くなった。
ロゼエルは、その隙へ斬り込む。
オーディンは槍で受け、後ろへ退いた。
ルシファーへ炎を譲ってから、ロゼエルは炎による遠隔攻撃を使えなくなった。代わりに使えるようになったのが、異能切りだった。
魔術に詳しいラファエルは、最高神を世界の法則に縛られない特異点だと考えていた。その見立てでは、最高神の剣は、異能を成り立たせている法則そのものを断つらしい。
ロゼエル自身には、まだ全容が分からなかった。
ただ、魔術も剣で斬れる。
それは、確かだった。
オーディンが指を動かした。
今度は左右に一つずつ、ルーンが浮かぶ。
右から光の矢が飛ぶ。
ロゼエルは斬り落とした。返す刃で、左から来た矢も断つ。
二本の光が散るのと、グングニルが伸びてくるのは、ほとんど同時だった。
ロゼエルは大剣を斜めに戻し、槍を受けた。
鈍い衝撃が腕へ通る。
オーディンはすぐに槍を引いた。その間にも、新たなルーンが輝く。
光の矢が、ロゼエルの顔へ迫った。
斬る。
直後、槍が足元へ来た。
ロゼエルは足を引き、穂先をかわした。
踏み込み直そうとしたところへ、次の光が飛ぶ。
大剣がそれを断つ。
だが、その一振りの間に、オーディンはまた距離を取っていた。
まだ、届かない。
ロゼエルは柄を握り直した。
魔術を斬る速さはある。槍も見えている。
それでも、攻めに移れない。
オーディンは剣が動いた直後へ槍を重ね、槍を返されれば魔術を放っていた。こちらが防ぐたび、その次を用意している。
オーディンが踏み込んだ。
正面から槍。左から光の矢。
ロゼエルは矢を斬り、剣を戻して槍を外へ弾いた。
今度こそ前へ出る。
だが、オーディンも退かなかった。
槍の柄を短く持ち、ロゼエルの胸へ突き出す。
大剣で受け止めた。
重い音が響く。
その脇で、ルーンが輝いた。
ロゼエルは剣を傾け、飛んできた光を断った。だが、槍を押さえていた力が緩んだ。
グングニルの穂先が、肩へ向き直る。
身体をひねった。
穂先が上腕をかすめ、黒い袖が裂けた。
ロゼエルは大剣を横へ振り、オーディンを退かせた。
腕に、熱い痛みが残る。
「斬れるだけでは、足りぬようだな」
「ああ」
ロゼエルは傷へ一度だけ目を向け、それからオーディンを見た。
魔術を斬るために剣を動かせば、その動きを槍に狙われる。
相手は、こちらの速さを見たうえで攻撃を組み立てていた。
「いいな」
「何がだ?」
「一つ返しても、次がある」
「使えるものは、使う」
「そういう相手は好きだ」
オーディンの口元が、わずかに上がった。
ロゼエルは大剣を構え直した。
魔術を斬り、穂先を外し、その先へ踏み込む。
大きく振れば、また離される。
ロゼエルは肘を少し引き、刃を身体の近くへ収めた。
オーディンの背後に、三つのルーンが浮かんだ。
中央の文字が輝く。
ロゼエルは地面を蹴った。
最初の矢を、走りながら斬り落とす。
右から二本目。
大剣を返す。光が散る。
左から三本目。
刃を身体の近くで返した。光が裂け、その一片が頬をかすめた。
足は止めない。
光が背後へ散る頃には、グングニルの間合いへ入っていた。
「……まるで狼のようだな」
槍が胸へ伸びる。
ロゼエルは大剣を斜めに合わせた。
穂先が刀身を滑り、肩の外へ逸れる。
そのまま踏み込んだ。
オーディンの腕が動く。
槍を向け直させないよう、ロゼエルは刀身で柄を外側へ押さえた。
オーディンはすぐに槍を引いた。
ロゼエルは押し合わなかった。
柄が引かれるのに合わせ、剣を滑らせる。踏み込んだ足を軸に、腰をひねった。
大剣が、短い弧を描く。
オーディンの髭が、刃の起こした風に揺れた。
ロゼエルは止めた。
刃は、首筋の寸前にあった。
グングニルの穂先は、まだ彼へ向いていなかった。
二人の動きが止まった。
ロゼエルの肩が、呼吸に合わせて上下する。
冷たい風が、頬の傷へ触れた。
オーディンは刃を見て、それからロゼエルへ目を向けた。
「私の負けだ」
ロゼエルは大剣を下ろした。
柄を握っていた指を、少し緩める。
「いい手合わせだった」
「最後は、剣の返しが速かったな」
「大きく振れば、また離されるからな」
オーディンは彼の手元を見た。
「その剣を、よく知っている」
「長い付き合いだ」
オーディンが頷いた。
ロゼエルの視線が、グングニルへ移る。
「槍を投げなかったな」
「グングニルは、投げれば必ず相手を貫く。手合わせで使うものではない」
ロゼエルは穂先を見つめた。
必ず相手を貫く槍。
その力も、異能切りで断てるのか。
たとえ術を斬れても、飛んできた槍そのものは止めなければならない。
「なら、次までに対策を考えておく」
「では、私もその剣の内側へ入る方法を考えておこう」
「まだやるつもりだな」
「あなたもだろう?」
ロゼエルの口元が緩んだ。
少し離れた場所から、マキエルが歩いてきた。
「……二人とも、もう次の話なんだね」
オーディンが声を上げて笑った。
差し出された手を握ると、大きな手が握り返してきた。
「また来られよ、ロゼエル。次は酒でも飲もう」
「ああ。ぜひ」
◇
神殿を離れ、山々を望む道を進む途中で、マキエルが足を止めた。
「ロゼ、腕を見せて」
彼女の視線は、裂けた袖へ向いていた。
ロゼエルが袖をまくると、上腕に浅い傷が残っていた。
マキエルは傷のそばへ指を添えた。
淡い白の光が、その手からこぼれる。
冷たい風の中で、触れられた場所だけが温かかった。傷がゆっくりと塞がっていく。
マキエルは光が消えるまで手を離さず、それから彼の頬へ触れた。
「こっちも」
ロゼエルは黙って顔を近づけた。
指先が頬の傷をなぞり、ひりつく痛みが薄れていく。
「腕、痛くない?」
「傷はもう大丈夫だ」
「傷は?」
「槍を受けたところが、少し」
マキエルは彼の腕へ目を戻した。
「やっぱり」
掌を添えると、また淡い光が広がった。
ロゼエルは、彼女が手を離すまで待った。
「ありがとう」
「うん」
腕を動かす。先ほどより軽かった。
二人は再び歩き出した。
「楽しかった?」
「ああ」
「そうだと思った」
ロゼエルはしばらく歩いてから、遠ざかる神殿を振り返った。
「あの人は、かなり危険だ」
「オーディンが?」
「魔術を斬れると分かったら、斬った直後に槍を重ねてきた。俺が何をするか、一つずつ確かめながら戦っていた」
「苦戦した?」
「した」
マキエルが彼を見上げた。
「素直に認めるんだね」
「事実だからな」
最後は、剣の返しが間に合った。
だが、オーディンはもう、あの動きを見ている。次は槍を引く代わりに、別の手を使ってくるかもしれない。
ロゼエルは傷の塞がった腕を動かした。
槍の重さも、魔術を斬った直後へ来る突きも、まだ身体に残っていた。
「さすが、北欧神界の王だ」
その声には、静かな敬意があった。
◇
二人が神殿を離れたあと、広場の柱の陰から男が現れた。
道化師のような姿だった。男は砕けた石畳の上を、舞台に上がるような足取りで歩く。
「いやはや。オーディンが負けを認めるとは」
声には驚きよりも、面白い見世物を見つけた喜びが混じっていた。
男はロゼエルが去った方へ向き直り、芝居がかった仕草で小さく頭を下げた。
「さて、最高神様。次は何を見せてくれる?」
男の名は、ロキ。
二人が顔を合わせるのは、まだ先の話だった。




