外伝1 双生の剣士
月の明るい夜、古い街道を二人の剣士が歩いていた。
男剣士は背が高く、鍛えられた身体に黒を基調とした旅装をまとっている。髪は暗い紫。夜の中では黒にも見えるが、月の光を受けると、その色が静かに浮かび上がった。
腰には一振りの刀。鋭い目つきに、無愛想な顔。黙って歩いているだけなのに、どこか近寄りがたい。
隣を歩く女剣士は、対照的だった。男より頭ひとつほど小さい。まっすぐな金色の髪は肩を越え、胸元あたりまで流れている。
白を基調に、淡い桃色を重ねた旅装。穏やかな目元と柔らかな雰囲気だけを見れば、剣を振るう者には見えない。だが、その腰にも刀があり、歩き方にはほとんど隙がなかった。
男の剣は、速く、重い。正面から敵を断つ。
女の剣は軽やかで、正確だった。必要なだけ動き、必要な場所だけを斬る。
まるで違う二人だった。それなのに、剣を抜けば不思議なほど呼吸が合った。
*
「……いますね」
女剣士が足を止めた。
「四体」
男剣士は前を向いたまま答えた。女剣士が暗い林を見る。
「私は三体だと思いました」
「後ろにもう一体いる」
しばらくして、ぱきり、と枝の折れる音がした。
「……本当ですね」
「今気づいただろ」
「三体までは分かっていました」
「十分だ」
林の奥に、赤い目が浮かんだ。一体、二体、三体。そして、少し離れたところに四体目。いずれも鬼だった。
女剣士の柔らかな表情が消える。男剣士の口元が、わずかに上がった。
「嬉しそうですね」
「そう見えるか?」
「見えます」
二人は刀を抜いた。最初の鬼が飛び出した。長い爪が男剣士の喉を狙う。
男は避けず、一歩、前へ出た。銀色の刃が走り、鬼の腕が宙を舞う。返す刃で首を断つと、その死角から二体目が飛び込んだ。
男剣士は振り返らない。その必要がなかった。すでに女剣士が動いていた。
金色の髪が夜を切る。一閃。二体目が崩れ落ちる。
同時に、三体目が女剣士の背後から迫った。彼女も振り返らない。男剣士の刃がそのすぐ脇を抜け、鬼を斬り伏せた。
四体目が跳んだ。二人も動く。
合図はなく、視線すら交わさなかった。男剣士が鬼の爪を弾いた瞬間には、女剣士の刃が首元へ届いていた。
鬼が倒れた。静寂が戻る。
二人にとっては、それが当たり前だった。女剣士は刀についた血を払った。
「四体でしたね」
「だから言っただろ」
「次は私が先に見つけます」
「張り合うところか?」
「負けたままは嫌なので」
男剣士が少しだけ笑った。
そのときだった。
「見事だ」
低い声が落ちてきて、二人の表情が変わった。街道脇の古い社。その屋根に、一体の鬼が座っていた。
先ほどまでの鬼とは違う。人間に近い姿に白い肌。額から二本の角が伸び、その目には明らかな知性があった。
「五体目ですね」
女剣士が呟く。
「いや」
男剣士が刀を構えた。
「こいつは別だ」
鬼が笑った。次の瞬間、その姿が消えた。
轟音。
男剣士の刀が、かろうじて鬼の爪を受け止めていた。衝撃に押され、身体が宙を飛ぶ。社の太い柱へ叩きつけられると、柱に亀裂が走った。
女剣士が駆ける。鬼の首へ刀を走らせた。
だが、刃が止まった。鬼は二本の指で刀を挟んでいた。
女剣士の目が見開く。鬼が腕を振る。女剣士の身体が地面を転がった。
二人はすぐに立ち上がった。だが、その表情から余裕は消えていた。力も速さも、反応さえも、すべてがこちらより上だった。
鬼が消える。二人が同時に頭上を見た直後、鬼が落ちてきた。
拳が石畳へ突き刺さる。地面が弾けた。砕けた石が夜空へ舞う。
男剣士の頬を破片が切った。女剣士の呼吸も乱れていた。
鬼はゆっくりと立ち上がる。
「終わりか?」
答えの代わりに、男剣士が踏み込んだ。鬼が爪で受け、刀を弾く。だが、そのときには女剣士が背後へ回っていた。
鬼が身を捻り、女剣士の刃をかわした。そこへ男剣士の二撃目が来る。鬼が後ろへ跳ぶと、二人が追った。
言葉はない。男剣士が斬れば、その先に女剣士がいる。女剣士が追えば、その逃げ道を男剣士が塞いでいる。
どちらが合わせているのか、本人たちにも分からない。考えるより先に、身体が動いていた。
鬼の頬に初めて傷が走った。鬼が止まった。指先で血を拭う。二人を交互に見る。
「……双子のようだな」
女剣士が答えた。
「違います」
「そうか」
鬼の目が細くなった。
*
そこから、鬼の動きが変わった。速さが、さらに上がる。
男剣士が斬る。かわされる。女剣士が続くが、その刃も届かなかった。
鬼の爪が男剣士の肩を裂いた。女剣士が脇腹を狙うと、鬼は振り向きもせずに肘を打ち込んだ。女剣士の身体が吹き飛ぶ。
男剣士が前へ出て、鬼の拳を刀で受けた。腕が痺れる。一撃ごとに踏ん張った足が石畳を削り、後ろへ押されていく。
力では勝てない。速さでも届かない。
一人では。
鬼が再び踏み込んだ。男剣士も正面から向かう。刀と爪がぶつかった。衝撃で足元の石が割れる。
鬼がもう一方の腕を振り上げた。男剣士は逃げず、刀を傾けてその爪も受けた。鬼は両手の爪を刀身へ食い込ませ、力任せに押し下げてくる。男剣士は柄を引きつけ、その力を正面で支えた。
「力比べか?」
鬼が笑った。男剣士の腕が震える。
一歩、押される。さらに一歩。肩の傷から血が落ちた。男剣士はそこで足を踏ん張った。鬼がさらに力を込める。
「無駄だ」
男剣士は答えず、ただ耐えた。刀が軋み、膝が沈む。それでも鬼を、その場に留め続けた。
やがて、鬼の笑みが消えた。男剣士は自分を斬ろうとしていない。力で勝とうともしていない。ただ、ここに留めようとしている。
鬼が気づいた。頭上に、月を背負った影がある。金色の髪を宙に広げた女剣士だった。
男剣士は一度も彼女を見ていなかった。声もかけていない。それなのに、彼女はもう、そこにいた。
鬼が爪を引き抜こうとする。その一瞬、男剣士が刀ごと前へ押した。踏ん張っていた鬼の足がずれ、体勢が崩れる。頭上へ腕を戻すには、もう遅かった。
「貴様……!」
男剣士が笑った。
女剣士が落ちてくる。両手で握った刀に、月光が走った。男剣士は最後まで鬼を離さない。
一閃。
鬼の首が落ちた。
静寂が戻った。女剣士が地面へ着地すると、男剣士は鬼の爪から刀を引き抜き、その場に片膝をついた。女剣士が駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「……重かった」
「無茶しすぎです」
「仕留めただろ」
女剣士は一瞬黙った。それから、素直に頷いた。
「はい」
*
しばらく休んでから、女剣士は男の肩に布を巻いた。
「痛いですか?」
「別に」
「嘘ですね」
「なんで分かる」
「分かります」
男剣士は何も言わなかった。手当てを終えると、二人は再び街道へ戻った。頭上では、藤の花が夜風に揺れている。
「双子のようだって言われましたね」
女剣士が言った。
「似てないだろ」
「全然」
「なら忘れろ」
「でも」
女剣士は少し考えた。
「息が合うってことでしょう?」
「たぶんな」
「嬉しくないんですか?」
「別に」
「私は嬉しいです」
男剣士は答えなかった。
そのとき、風が吹いた。雲の間から月が現れ、白い光が男剣士の髪に落ちる。暗く見えていた髪に、紫が浮かんだ。
女剣士の足が止まった。見慣れたはずの横顔から、なぜか目を離せない。今よりずっと前にも、同じ光景を見たような気がした。胸の奥が、わずかに揺れる。
「……綺麗」
男剣士が振り返った。
「何が?」
「あ……」
女剣士は、はっとした。
「髪です。月の光が当たって……その、藤の花みたいに見えたから」
少し慌てて、頭上の藤を指さす。
「ほら。似てませんか?」
男剣士は藤を見上げた。それから、月明かりを受けてきらめく彼女の金色の髪を見る。
「じゃあ、俺が藤なら」
「はい?」
「月の光があるから、俺は綺麗に見えるんだろ」
女剣士は一瞬、きょとんとした。やがて、その意味に気づいたように笑った。
「……そうかもしれませんね」
「なら、お互い様だ」
二人はまた歩き始めた。
「次はどこへ行くんですか?」
「北」
「寒そうですね」
「嫌なら来なくていい」
女剣士は首を振った。
「行きます」
「なんで」
「一緒に行きたいからです」
あまりにも素直な答えだった。男剣士は何も言わなかった。
ただ、歩く速さを少しだけ落とした。女剣士も、その隣を歩く。
二人の名前を知る者は、もうどこにもいない。この夜のことも、二人が何を話したのかも、長い時の中でやがて消えていく。
それでも、月明かりの下、二つの影だけは、ずっと前からそうしていたように、同じ速さで並んでいた。




