第38話(最終話)神は天にいまし、世は全てこともなし
戦いから、いくばくかの時が過ぎた。
崩れた空間は修復され、天界の街には穏やかな光が差していた。
ロゼエルの机に、一通の手紙が置かれていた。白い封筒の差出人はヤハウェ。最高神の座を退いてから、どこにいるのか誰も知らない。それでも時々、手紙だけが届く。
封を切って読んだあと、ロゼエルはしばらく黙っていた。
「……挙式を、あげなさい」
隣のマキエルが顔を上げた。
「挙式?」
「俺たちに、結婚式をしろって」
瞳が静かに輝いた。
「いいね」
「気乗りしないな」
「ロゼ、嫌なの?」
「嫌というか……恥ずかしいだけだよ」
視線をそらすと、マキエルは小さく笑った。
「私は、うれしい」
その顔を見て、ロゼエルは息を吐いた。
「……小さな教会で、少ない人数なら」
「うん」
「それくらいなら、なんとか」
式は、雲の上に建つ小さな教会で行われた。白い石造りの壁と、簡素な祭壇。窓から明け方の空と、柔らかな光が見えていた。
これまで二人と関わってきた者たちが集まった。姿を見せた者も、遠くから祝福を届けた者もいた。
四大天使。イエス。高天原の三姉弟。弁財天、毘沙門天、吉祥天。オーディンとフレイヤ。
ロゼエルは祭壇の前で、何度も落ち着かない様子で周囲を見渡した。
マキエルが隣に立つ。白い衣に包まれた金色の髪が、朝の光を受けて輝いていた。
弁財天が祭壇の脇へ座り、琵琶に指を添えた。澄んだ旋律が教会へ広がった。
ロゼエルは隣を見た。マキエルは音に耳を傾け、穏やかに微笑んでいる。その顔を見て、肩から少しだけ力が抜けた。
演奏が終わると、教会の後方でギターが鳴った。イエスが、贈られたギターを抱えて弾き語りを始めた。
救世主の役目を終えた彼へ、これからは好きなことをしてほしいと贈ったものだった。その音が今、二人の門出を包んでいる。
ロゼエルは、少し照れたように目を伏せた。
歌が終わり、拍手が広がった。二人は誓いを交わした。
ガブリエルは微笑んで見守り、ウリエルは誰よりも大きな声で祝福した。ラファエルも安心したように二人を見ていた。
ルシファーは教会を見渡した。
「不思議なものだな」
「何がです?」
「戦った相手まで、祝福の場に集めてしまう。あれは、ロゼエル特有の力だ」
ガブリエルが微笑んだ。
「あなたも、その一人でしょう?」
「……俺は、自分の意思でここにいる」
「ええ。そういうことにしておきましょう」
「少し、口が悪くなったな」
「あなたと話していると、そうなるのかもしれません」
ルシファーは祭壇へ視線を戻した。
「祝うために来た。それだけだ」
「はい。私も、そう思っています」
オーディンは、ふと呟いた。
「結局、神々の世界はやっていけるのではないか」
「彼は特別なのよ」
フレイヤはロゼエルを見ていた。
「力が特別なのではないわ。人を変えるのではなく、周りの者が自分から変わりたくなるの。彼といるとね」
オーディンはしばらく黙っていた。
「私でも、羨ましいと思うほどにな」
式を締めくくる琵琶とギターの音が、教会の天井へ溶けていった。
外へ出ると、天界の光が二人を包んだ。集まった者たちが、それぞれの言葉で祝福を届ける。
「マキエルさん、きれいね」
「ありがとう、アマテラス様」
隣では、スサノオが杯を手に二人を眺めていた。
「日本神界にはいねえタイプだな。妻のクシナダヒメには負けるがな」
吉祥天が、呆れたように見た。
「こんな日にまで、奥様と比べなくてもよろしいでしょう」
「事実を言っただけだ」
少し離れたところで、ツクヨミが言った。
「月の光のように、美しい」
それだけ言うと、再び黙った。
毘沙門天は腕を組み、ロゼエルを見ていた。
「式も終わった。再戦を望む」
「今日、この場で言いますか?」
吉祥天が振り返った。
「武人として、当然だろう」
「今日は祝福の日です。戦いの話は、あとにしてください」
「……善処する」
「その返事は、しないという意味ですね」
ロゼエルが笑うと、マキエルはその表情を見た。
「楽しそうだね」
「ああ。思っていたより、ずっと」
彼女は嬉しそうに目を細めた。
ウリエルが肩を叩いた。
「おめでとう、ロゼエル!」
「ありがとう」
「これで少しは、無茶を控えてくれるといいんだけどね」
ラファエルが言った。
「努力はするよ」
「信用できないなあ」
ガブリエルが笑った。スサノオも杯を掲げる。
「まあ、悪くねえ式だったな」
「本当に、おめでとうございます」
アマテラスが頷いた。
ツクヨミは空を見上げた。
「月も、祝っている」
天界の空には、薄い月が残っていた。
やがて皆が帰り始めた。ロゼエルは、ようやく緊張が解けたように息を吐いた。
「……戦いより疲れたな」
隣で、マキエルが幸せそうに微笑んでいる。
「でも、マキが幸せそうだからよかった」
「ロゼも、幸せでしょう?」
「うん」
ゆっくりと色を変えていく空を見上げた。
「俺はもう、世界を書き換えたりはしないだろう」
マキエルは黙って、彼の手を握った。
人間界で知った言葉が、ふと口をついた。
「……神は天にいまし、世はすべてこともなし」
マキエルが彼を見上げた。
「なに、その言葉?」
「なんでもない」
ロゼエルはマキエルを抱きしめた。
マキエルは、そっと彼に口づけた。
◇
天界の外れの、静かな書庫。
ロキは一冊の本を手にしていた。
「あーあ。なんて、つまらない結末なんだろう」
借りていた本を棚へ戻した。
「世界を書き換え直すと思ったんだけどね」
ロキは閉じた本の背を、指先でなぞった。
「その気には、させられなかったか」
窓の外へ目を向ける。
「まあ、いいや。少しは楽しめた」
別の本を一冊取り出した。
「あれ。本を返しに来ただけなんだけどな」
手に取った本を開く。しばらく眺め、誰もいない書庫で小さく笑った。
「まあ、これも借りていこう」
本を、ぱたんと閉じた。




