第36話 武神の戦い
星々の光が渦巻く空間で、マキエルは離れた場所へ下がった。
両手を胸の前に掲げると、白い光が溢れ、ロゼエルの翼へ流れ込んだ。祈りとともに送られた彼女自身の力が、戦う者を支えていた。
向かい側で、アマツミカボシが顔を上げた。無数の星の力を取り込んだ姿には、かつての威厳が戻りつつある。
ロゼエルが口を開いた。
「ベルゼバブを逃がしたことは、もう許している」
アマツミカボシの目が細くなった。
「お前に、恨みも憎しみもない。ただ、俺はお前の力を見た」
ロゼエルは一歩、前へ出た。
「一人の武を司る神として、お前と向き合いたい」
返事はなかった。
アマツミカボシが空を見上げると、一つの星が軌道を外れた。続いて二つ、三つ。無数の星々が夜空から切り離され、落下してくる。
ロゼエルの右手に光が集まった。裂けた空間から大剣が現れる。刀身の縁には、紫と金の光が走っていた。
アスランの柄を握り、走った。
一つ目を両断し、二つ目を身をひねってかわす。三つ目が背後で爆発し、空間を揺らした。
砕けた光が、地面へ落ちた。
それを踏む前に、ロゼエルは翼を打った。身体が浮く。降り注ぐ光の間を抜けようと、右へ傾けた。
流星が曲がる。
さっきまで地を狙っていた光が、空中のロゼエルへ向き直った。
上へ逃げても、雨は追ってくる。
アスランを振る。流星の一つが砕けた。その破片の向こうで、次の光が膨らむ。
翼を畳み、落ちた。
頭上を流星が過ぎる。すぐに翼を開き、落下を止める。まだ使い慣れない翼は、身体を止めるためにも力を要した。
足が地へ触れても、落下の勢いで身体が前へ流れた。
ロゼエルは膝を曲げ、勢いを逃がす。立ち直るより早く、地面が光った。
足元まで来ている。
大剣を盾にし、前へ踏み出した。背後で爆発が起こる。その風が背中を押し、ロゼエルは止まらず走った。
立ち止まっても、流星は降り続ける。攻める隙は、自分で作るしかない。
遠くでは、アマツミカボシの腕がゆっくり下りている。指先が動くたび、一つの光が軌道を変えた。
ロゼエルは刃を低くした。
正面から来る光だけを斬る。残りは避ける。すべてを砕いていたら、あの神へ届く前に力を使い切る。
爆発の明るさの中で、次に進む場所を探した。
マキエルの白い光が、翼の付け根へ届く。
ロゼエルは一度だけ後ろを見た。離れた岩の上に、彼女がいる。
流星の狙いは自分だった。だが、破片も風も、自分のところだけで止まるとは限らない。
進む向きを変えた。
彼女のいる場所から遠ざかるように、斜め前へ。その先で、星の神が待っていた。
煙の向こうから、アマツミカボシが現れた。その手が刃の形へ変わる。
一閃。
受け止めると、金属音に似た衝撃が星の海へ響いた。
右、左、斜め。手刀が空間を切り裂く。その間にも、流星がロゼエルだけを狙って降り注いだ。近くでは斬撃、遠くからは流星。途切れずに重なってくる。
アスランの刃を返す。
手刀が外へ逸れた。相手の胸元が見える。ロゼエルはそこへ刃を送ろうとした。
流星が、二人の間へ落ちた。
アマツミカボシは避けなかった。光が身体へ触れる直前にほどけ、その背後へ流れていく。
ロゼエルだけが退くことになった。
受け流したはずの手刀が、もう戻っている。
頭上からの一撃を大剣で外し、横へ踏み込む。相手の腕の外へ出れば、斬り返せる。
足元へ光が落ちた。
アスランを下げて防ぐ。その間に、アマツミカボシが向き直った。
近づくために剣を使い、近づけば流星を防ぐために剣を使わされる。
ロゼエルは、浅く息を吸った。
剣を戻す速さは、以前より上がっている。毘沙門天と戦ったときなら、すでに槍が首元へ来ていたかもしれない。
だが、戻せるだけでは足りなかった。
戻した先に、また攻撃がある。
アマツミカボシが右手を引く。その肩の上で、星が一つ明滅した。
手刀と流星が、同じ瞬間に来る。
ロゼエルは手刀を受けるのをやめ、身体ごと横へずれた。流星も向きを変える。
流星が向きを変える一瞬を狙い、アスランを振った。
刃の先が衣へ届く。
黒い布が裂け、内側から星の光が漏れた。アマツミカボシの目が、初めて剣先を追った。
ロゼエルは止まらない。さらに踏み込んだ。
踏み込んだ先へ、二つ目の流星が落ちてきた。
剣を戻す。間に合った。だが、衝撃が刀身を叩き、腕を上へ押した。
開いた脇へ、手刀が走る。
ロゼエルは刃を引き下ろそうとした。
手刀が左肩を深くかすめた。黒い衣が裂け、紫の光と血が散った。
それでも退かなかった。アスランを振り抜いて手刀を弾き、一歩踏み込んで斬り返す。アマツミカボシは身体をひねってかわした。
刃がぶつかり、流星が降る。二人の間を、砕けた星の光が流れていった。
左手の握りが緩んだ。
持ち直す。その動きだけで、肩の奥へ痛みが走る。両手で振るえば刃は重くなる。だが、振り戻すたび、傷が開く。
ロゼエルは柄を右へ寄せた。
次の手刀を大きく受けず、刃の縁で滑らせる。肩を動かす幅を小さくし、身体の向きを足で変えた。
痛みは消えない。それでも、剣は戻る。
流星を一つ斬り、空いた場所へ飛び込んだ。
アマツミカボシの掌が開く。
胸元へ、星の光が集まった。薄い光の層が刃へ触れ、アスランを横へ押す。
ロゼエルは力で押し返しかけ、やめた。
オーディンも、毘沙門天も、こちらが力を込めると、それを利用して体勢を崩してきた。この神は、星の力でそれをしている。
刃を引く。
光の層が膨らむ前に半歩下がり、今度はその縁を斬った。剥がれた光の下に、黒紫色の輝きが見える。
一瞬だけだった。
アマツミカボシの手刀が落ち、二人の間を塞いだ。
ロゼエルは刃で外したが、腕が重い。足も、最初ほど自由には動かなかった。翼を使えば間を取れる。けれど、離れればまた流星が降る。
相手にも、変化はあった。
裂けた衣の下で、星の光が脈打つ。流星を放つ瞬間だけ、胸元の光が強くなり、その後で薄れる。
天の気を取り込み、それを攻撃へ回している。
攻撃する瞬間、胸を守る光も強くなる。
力を放った直後なら、その守りを抜けるかもしれない。
ロゼエルは左手を握り直した。痛みに息が詰まる。マキエルの光が届き、呼吸が少し戻った。
遠くで、彼女が膝をついた。
それでも白い光は途切れていない。
このまま、待ち続けることはできなかった。
◇
やがて、アマツミカボシが大きく腕を引いた。空間の星が背後へ集まる。放たれた手刀は、それまでとは比べものにならないほど巨大だった。
ロゼエルは両手で柄を握り直した。左肩から血が流れている。それでも翼を広げ、刀身へアストラルパワーを集めた。
真正面から受け止める。
轟音とともに空間が歪んだ。
両足が地へ沈む。大剣が押し戻されれば、巨大な斬撃がそのまま身体へ届く。
ロゼエルは退かなかった。
足から身体、腕、柄へ。力をつなぎ、刃が触れた場所へ送り込む。
刃勁。
槍の柄を折ったときより、はるかに大きな力が必要だった。星の斬撃は、砕いてもその背後から力が流れ込んでくる。
さらに押し込んだ。
衝撃が斬撃の内側を走る。明るい光の中へ、細い裂け目が生まれた。そこから、星の刃が割れていく。
同時に、両腕へ別の音が伝わった。
アスランの刀身が鳴っている。
送り込んだ力を、刀身が支えきれない。ロゼエルは柄を握り、流れを絞ろうとした。だが、ここで止めれば、相手の斬撃を押し返せない。
あと、少し。
大剣を通した衝撃が、星の刃の奥へ届いた。
その瞬間、刀身に無数の亀裂が走った。
アスランが砕け散った。
欠片が星の海へ消え、手には柄だけが残った。力が途切れる。マキエルの光も、流星の爆発に押し消されていった。
アマツミカボシが、再び手刀を構えた。
柄にはめ込まれていた紫色の魔法石が、淡く輝いた。
鍛冶師の声がよみがえる。
――ロゼエル様の力を引き出せる魔法石を、柄に入れときました。
「……鍛冶屋のやつ。こういうことか」
石から光が溢れた。マキエルの白い力が流れ込むと、ロゼエルのアストラルパワーも膨れ上がる。
白と紫の光が、砕けた欠片を包んだ。
刀身は元の姿には戻らなかった。柄の先に、凄まじいエネルギーの刃が生まれる。大剣の形を保ちながら、刃そのものが光で構成されていた。
ロゼエルはすぐには振らなかった。
刃の重さが違う。
これまでと同じ力では、軽い光の刃が狙いを越えてしまう。柄を引きつけ、まず短く動かした。
アマツミカボシの手刀が来る。
光の刃を合わせた。白と紫が薄く散ったが、刃は消えない。柄の石へ力を送ると、削れた縁がもう一度伸びた。
石が、力を作っているのではなかった。
ロゼエルとマキエルの力を受け、大剣の形へ通している。
持ちこたえるだけなら、まだできる。だが、刃を削られるたび、そこへ二人の力を使うことになる。
長くは続けられない。
ロゼエルは、迫る手刀を横へ外した。光の刃が流れすぎる前に手元へ戻す。
戻った。
重い剣で繰り返した動きが、ここでも身体を支えた。速く振るだけではない。次の攻撃を受けられる位置で、剣を止める。
アマツミカボシの腕が引かれる。
ロゼエルは足を前へ出した。
握り直すと、左肩にも白い光が届いた。傷の表面が少しずつ塞がり、出血が収まる。深い痛みは残っていたが、もう一度、腕へ力を込められた。
マキエルは治癒と同時に、彼を支える力を送り続けていた。
「……マキ」
マキエルは膝をついたまま、顔を上げた。
白い翼が地面へ垂れる。両手から流れる光が、一瞬だけ細くなった。
呼吸を整える。
吸って、吐く。
人間だった頃、何度もこうして息が落ち着くのを待った。
心臓が弱く、少し歩いただけで休まなければならない日もあった。まだ何かをしたくても、すぐには身体が動かなかった。
焦れば、余計に苦しくなる。
そのことを、何度も経験した。
マキエルは送り出す力を細く保った。呼吸が戻るのを待ち、少しずつ流れを強める。
苦しさの中でも、今できることを探す。そのための忍耐は、人間だった頃から彼女の中にあった。
ロゼエルが剣を握り直す。
マキエルはその動きに合わせて、魔法石へ力を送った。
白い光が紫の力と重なり、刃の輪郭が鮮明になる。
走れなかった自分が、今、彼の一歩を支えている。
両手は震えていた。
それでも、光の行く先を見失わなかった。
ロゼエルの白い翼に紫と金の光が重なり、二つの力が石の中で共鳴する。
アマツミカボシが最後の流星を浮かべた。手刀にも星の力が集まる。
「来い」
流星が落ち、手刀が振り下ろされた。
最初の流星を、光の刃で斬り裂いた。
爆発が翼を押す。その勢いに逆らわず、前へ踏み込む。
手刀が来る。
正面から受ければ、また足を止められる。ロゼエルは刃を斜めに添え、足とともに身体を開いた。
星の刃が、脇を通る。
すぐにアスランを戻した。次の流星へ、刃の先だけを合わせる。砕けた光が顔を打った。
一歩。
アマツミカボシの左手が上がった。その向こうで、胸元の光が薄くなる。
流星と手刀に力を放った直後で、胸を守る光が薄れていた。
ロゼエルは低く沈み、手刀の下へ入った。左肩が痛む。柄を握る指が滑る。
握り直した。
光の大剣が震える。押し寄せる星の力に、両腕が軋んだ。
ロゼエルの喉から、低い唸り声が漏れた。
離れた場所で、マキエルが震える両手を掲げる。
「どうか――届きますように」
声は、爆音にかき消された。
それでも、祈りとともに送り出した白い光は、ロゼエルの手元へ届いた。光の大剣の輪郭が、ひときわ強く輝く。
もう一歩。
星の神の懐へ届いた。
胸の中心に、黒紫色の核が浮かんでいた。星々のエネルギーを集め、蓄えている核だった。
ロゼエルは地を踏みしめ、両手で柄を押し出した。
「おおおおッ!」
戦いの間、冷静さを崩さなかった彼の叫びが、星の海へ響いた。
光の大剣が、核を貫く。
弾かれそうになる柄を握り締め、さらに深く押し込んだ。紫と金の光が爆ぜ、マキエルの白い光がその刃へ重なる。
二人の力が、核の内部へ流れ込んでいった。
内側から、亀裂が走った。
アマツミカボシは最後まで何も言わなかった。その瞳に恨みはない。武を司る神として、敗北を受け入れる静けさがあった。
核が砕けた。
星の力が一点へ潰れ、黒い球体が生まれた。光さえも吸い込む、極小のブラックホール。空間が歪み、砕けた星々が飲み込まれていく。
ロゼエルは翼を広げ、最後の力を刃へ集めた。マキエルの光が背中を満たしている。
吸い込まれる風の中で、柄を握る手が引かれた。
星の力は、まだ渦の中心へ流れ込んでいる。砕けた核が、行き場を失った力を集めていた。
ロゼエルは刃を向けた。
黒い球体そのものを斬るのではない。その周囲から注ぎ込む光へ、剣を通す。
一本の流れが切れた。
渦が揺れ、すぐに別の光を引き寄せる。ロゼエルは翼で身体を支え、もう一度刃を動かした。
離れた場所で、マキエルの光が細くなる。
次が最後だった。
ロゼエルは、残る力を柄へ送った。
マキエルの白い光が重なり、紫と金の刃が大きく伸びる。
光の大剣が、渦へつながる星の流れを薙ぎ払った。
黒い球体の縁が、わずかにほどけた。
そこから、呑み込まれた光が漏れ始める。
一人で振るう刃。けれど、その力は一人のものではなかった。
「眠れ、アマツミカボシ」
黒い渦の中心で、星の神の姿が静かに崩れ落ちた。




