第33話 ルシファーVSベルゼバブ
最後の印は、崩れた柱の前で途切れていた。
ルシファーは足を止め、ガブリエルたちへ現在地を伝えた。
『封印はまだ塞げない。動くなら、続けて知らせて』
「ああ」
返事をした直後、足元の印が光った。
追ってきた青白い目印から、鋭い結晶が突き出した。
ルシファーは後ろへ跳んだ。
その着地を狙い、柱の陰からベルゼバブが飛び出した。
レーヴァテインが胸へ迫る。
ルシファーは剣を立て、受け止めた。
杖は止まった。
だが、先端から噴き出した青白い力は、剣を越えて左肩を打ち抜いた。
骨が折れる音がした。
身体が吹き飛び、背中から石壁へ叩きつけられる。
息ができない。
左腕が垂れた。動かそうとすると、肩の奥に激痛が走った。
顔を上げたときには、次の杖が迫っていた。
横へ転がる。
頭のあった場所で、石床が砕けた。
起き上がる前に、杖の柄が脇腹を打つ。ルシファーは右手の剣を床へ突き、身体を支えた。
「俺がここにいると、伝えたか」
「ああ」
「助けが来るまで持つといいな」
ベルゼバブが杖を振り上げる。
ルシファーは床から剣を抜き、その刃から炎を放った。
ベルゼバブの姿が炎に隠れる。
その一瞬で立ち上がり、距離を取った。
だが、炎の向こうから杖が突き出された。
剣で横へ払い、かろうじてかわす。青白い力が背後の壁を砕いた。
ベルゼバブは炎を割り、歩いてきた。
「それだけか」
ルシファーは剣を構えた。
左腕は使えない。炎も、正面からでは押し切れない。
ベルゼバブが踏み込む。
ルシファーは迫る杖を剣で横へ逸らした。まともに受ければ、またあの力が身体を貫く。
杖の先端が肩をかすめ、壁へ突き刺さった。
反撃しようとする。
だが、身体をひねった瞬間、左肩に痛みが走った。
剣が遅れる。
ベルゼバブは杖を引き抜き、すぐに振り返った。
ルシファーは斬るのをやめ、後ろへ跳んだ。
◇
着地した足元で、印が光った。
結晶が伸び、左の翼を柱へ縫い止める。
身体が引き戻された。
肩の痛みに、息が漏れる。
「道しるべだけじゃなかったか」
「光るだけにしておくと思ったか」
ベルゼバブが杖を構えた。
アマツミカボシから与えられた力は、結晶に望んだ性質を持たせられる。
光らせて道を示し、近づいた相手へ刃を伸ばす。同じ青白い結晶に、ベルゼバブは二つの役目を与えていた。
杖の先端が、ルシファーへ向く。
逃げられない。
ルシファーは右手の剣を投げた。
刃がベルゼバブの肩を裂く。相手がひるんだ隙に、翼へ炎を走らせた。
結晶が砕ける。
床へ降り、剣へ手を伸ばした。
その目前で、ベルゼバブの石突が剣を弾き飛ばした。
「剣を落としたな」
剣は数歩先に転がっていた。
拾いに行けば、背中を打たれる。
稽古のときも、同じだった。
「稽古でも落とした」
ルシファーは右手を開いた。
炎が床を走り、剣の柄へ巻きつく。
ベルゼバブが杖を突き出した。
身をひねってかわす。同時に炎を引いた。
ミカエルから受け継いだ剣が、手の中へ戻る。
そのまま刃を振り、ベルゼバブを退かせた。
「二度目は拾えた」
剣を握り直す。
ベルゼバブは肩の傷へ一度目を落とし、杖を構えた。
◇
『ルシファー。返事をして』
ガブリエルの声が頭の奥へ届いた。
『交戦中だ。左肩をやられた』
『封印はまだ手を離せない』
『分かっている。持ち場を守れ』
『決着を急がないで』
ベルゼバブの杖が振り下ろされた。
ルシファーは横へかわした。
『約束は守っている』
足を置こうとした場所に、青白い印があった。
剣先から炎を流す。
印が焼けた。結晶は伸びてこない。
ルシファーはそこへ足を移した。
ベルゼバブが追ってくる。
また一つ、印を焼く。
後ろへ下がりながら、足を置ける場所を作っていく。
「いつまで逃げる」
杖の銀細工に、青白い光が走った。
ルシファーはその先端を見た。
あの光が集まった直後に、強い一撃が来る。
ベルゼバブが突いた。
剣で横へ逸らす。杖が脇を通った瞬間、銀細工へ炎を当てた。
光が乱れた。
ベルゼバブが慌てて杖を引く。
ルシファーは追わなかった。
右手の剣へ、炎を集める。
刃の縁が赤く輝いた。
◇
ベルゼバブが杖を床へ突いた。
周囲の印が一斉に光る。
ルシファーは正面へ炎を流した。
目の前の印が焼け落ちる。左右と背後から結晶が伸びたが、前だけは開いていた。
そこへベルゼバブが来る。
胸を狙って、杖が突き出された。
ルシファーは踏み込んだ。
剣で先端を横へ払い、身体を杖の内側へ入れる。
ベルゼバブの目が見開かれた。
燃える刃を、銀細工へ叩き込む。
銀に亀裂が入った。
まだ折れない。
ベルゼバブが柄を引き戻そうとする。
ルシファーは離れなかった。
もう一度、同じ場所へ剣を振った。
炎をまとった刃が銀細工を断ち、レーヴァテインの先端を切り落とした。
青白い力が噴き出す。
二人は同時に退いた。
折れた先端が床を転がる。周囲の結晶が光を失い、崩れていった。
ルシファーは肩で息をした。
剣だけでは届かなかった。
炎だけでは押し返された。
だが、二つを合わせた刃は、杖を断った。
ベルゼバブが折れた柄を見下ろす。
それを、床へ投げ捨てた。
「まだ終わっていない」
背中から黒い影が膨らんだ。
人の輪郭が崩れ、巨大な翅が開く。
黒い甲殻に、青白い結晶が浮かび上がった。
一匹の巨大な蠅が、ルシファーを見下ろしていた。
◇
羽音が広間を震わせた。
ベルゼバブが舞い上がる。
甲殻の結晶が鋭く尖り、次々に放たれた。
ルシファーは剣を振り、炎で焼き払った。
焼き損ねた一本が足元へ突き刺さり、石床を割る。
その炎の向こうから、黒い巨体が突っ込んできた。
横へ跳ぶ。
ベルゼバブが背後の柱を砕いた。
瓦礫が降る。ルシファーは頭をかばい、広間の中央へ逃れた。
振り向く。
もう、そこにはいない。
背後で羽音が膨らんだ。
身を伏せると、黒い巨体が頭上を抜けた。風圧で身体が倒れ、左肩が床へ触れる。
激痛が走った。
起き上がれない。
羽音が遠ざかり、再び近づいてくる。
ルシファーは剣を振った。
炎が床を走り、自分の周囲に立ち上がる。
ベルゼバブはその火を突き抜けた。
だが、巨体に火の粉が残った。
赤い尾が、飛んでいく先を示す。
ルシファーは右の翼で身体を起こした。
ベルゼバブが壁の手前で向きを変える。
戻ってくる。
また、左側から。
傷ついた肩を狙っていた。
ルシファーは右手の剣を低く構えた。
速さに合わせて追うことはできない。
来る場所が分かるなら、そこで待つ。
ベルゼバブが上昇する。
天井近くで向きを変え、左肩めがけて急降下した。
ルシファーは動かなかった。
周囲の炎を、刀身へ集める。
赤い火が細く絞られ、刃の縁が白く輝いた。その周囲に、夜明け前の空に似た紫がにじむ。
黒い巨体が迫る。
羽音が耳を埋めた。
あと一歩。
右足で床を蹴り、身体を右へずらす。
甲殻が左肩のすぐそばを抜けた。
「――黎明」
右手の剣を振り上げた。
燃える刃が、翅の付け根を断つ。
斬撃に沿って紫を帯びた炎が噴き上がり、暗い広間を夜明けのように照らした。
ベルゼバブの巨体が傾く。
石床へ激突した音が、広間に響き渡った。
暗い広間に、紫を帯びた炎が残っていた。
炎のエレメントを司る天使になってから編み出した、ルシファーの新たな技だった。
俺の自信作だ。紫以外は……。
どうしても、あいつを思い出す。
ルシファーは小さく息を吐き、剣を握り直した。
◇
甲殻が崩れ、結晶が砕ける。
その中から、人の姿が戻った。
ベルゼバブが片手をつく。
立ち上がろうとした首元へ、剣が突きつけられた。
「……殺せ」
「それで済ませる気はない」
ルシファーは息を整えた。
左腕は垂れたままだった。右手も震えている。
それでも、剣先は動かなかった。
ベルゼバブは、首元の剣からルシファーへ目を上げた。
「おまえだけ天使に戻って、今度は地獄の管理者か。それが許されると思っているのか」
「思っていない」
ルシファーは剣を下げなかった。
「天使に戻っても、したことは消えない。背負うべき十字架なら、背負う」
「なら、俺を裁ける立場か」
「俺に罪があるからといって、おまえの罪が消えるわけじゃない」
ベルゼバブは黙った。
「俺も償う。おまえにも償ってもらう」
刀身に残っていた炎が、静かに消えた。
ルシファーはガブリエルへ知らせた。
『ベルゼバブを止めた。生きている』
『あなたは?』
『動ける。左腕はしばらく使えそうにない』
向こうで、息をつくのが分かった。
『そこから動かさないで。封印を塞いだら、すぐに行くわ』
『ああ。ここで待つ』
「助けを待つのか」
「おまえを逃がさないためだ」
ルシファーは剣を構えたまま、崩れた柱に背を預けた。
ベルゼバブも、それ以上は動かなかった。
二人の間に、折れたレーヴァテインが転がっていた。
銀細工から青白い光が一度だけ漏れ、消えた。




