第30話 運命は誰が決めた
北欧神界から戻った翌日、ロゼエルはトレーニングを終え、自室の窓辺に立っていた。
机の上には、オーディンから届いた書状が残っている。
約束の酒を用意した。
その短い誘いに応じ、酒を飲み、話をした。だが、帰ってからも耳に残っている言葉があった。
――ロキに気をつけろ。
「昨日のこと?」
マキエルの声に、ロゼエルは振り返った。
「ああ。ロキのことを考えていた」
「何か気になった?」
「北欧の神話では、ロキは神々と敵対し、ラグナロクで戦うとされている」
「ラグナロクって、どんな戦いなの?」
「ラグナロクは、北欧神界の最終戦争だよ。オーディンたちは、それがいつか起こると考えている」
「ロキも、そのことを知ってるのかな」
「知っているかもしれない。ただ、実際に何が起きて、どう終わるのかは、俺にも分からない」
書庫で会ったロキは、本の結末について話していた。こちらの答えを待つ、あの笑みが気にかかった。
「あいつは、ラグナロクの運命を変えたいんじゃないか」
「だから、ロゼに会いに来たの?」
「俺が世界を書き換えたことと、関係があるのかもしれない」
「でも、何も頼まなかったよ」
「それが気になる」
ロゼエルは机の書状を見た。
「運命を変えたいなら、俺にできるか聞けばいい。だが、あいつが聞いたのは、物語の結末だった」
「直接は聞きたくなかったのかな」
「それとも、聞きたいことは別にあったか」
マキエルは、書庫での会話を思い返した。
「ロゼが、どんな結末を選ぶか?」
「ああ。俺に何ができるかじゃない。何をさせれば動くか」
言葉にしてから、ロゼエルは黙った。
ロキは、答えを聞いて笑っていた。
「……考えすぎかもしれない」
「でも、オーディンも気をつけろって」
「あいつは命令しない。選ばせると言っていたな」
マキエルの視線が、机の書状へ落ちた。
「もし、もう何か始めていたら?」
「分からない。ただ、運命を変えるつもりなら、小さな細工じゃ済まないだろう」
マキエルは近くの椅子へ座った。
ロゼエルは、机の書状へ目を向けた。
――我々の運命には触れていない。
オーディンも、ラグナロクに備えている。知識を集め、魔術を学び、槍を磨いていた。
その備えが、来るべき戦いを変えるのか。それとも、備えることさえ運命の一部なのだろうか。
ロゼエルは、アカシックレコードで見たものを思い返した。
魂が生まれる。
誰かと出会い、過ちを犯し、その生を終える。
やがて、別の名で生まれ直す。
何度生きれば、他人の痛みを理解するのか。どこまで変わり、最後まで何を変えられないのか。
その果てまで、記されていた。
「前に、魂の行く末を見ただろう」
「うん」
「どこまで成長するかも、何を選ぶかも、決まった道として見えた」
「人間だけじゃないのかな」
「分からない。だが、北欧の神々にも運命がある」
ロゼエルは書状を指先で押さえた。
「俺は悪魔が人間へ干渉する道を閉じた。オーディンたちの運命には、触れていない」
世界を書き換える前から、ラグナロクは語られていた。
「なら、誰が決めたんだろう」
ロゼエルは、窓の外へ目を向けた。
記録を見たとき、その始まりも探した。
だが、最初に記した者の名は、どこにもなかった。
「ヤハウェ様にも、聞いてないの?」
「聞いていない。あの頃は、戦いを終わらせることで頭がいっぱいだった」
マキエルは窓の外を見た。
「天界も、いつかなくなるのかな」
「分からない」
白い塔を結ぶ橋を、天使たちが渡っている。誰かが足を止め、後ろから来た者を待っていた。
「私は、ここが続いてほしい」
「ああ。俺もだ」
ロゼエルは椅子を引き、マキエルの向かいへ座った。
「人間に生まれ変わって、魂の片割れを見つける。それが、俺が最高神になるための条件だった」
「世界を書き換えるにも、また条件があるの?」
「たぶんな。北欧の神々の運命まで変えるなら、前より厳しい条件や、大きな代償を求められる可能性が高い」
ロゼエルは少し黙った。
「……もう一度、世界を書き換えるのは難しそうだ」
「最高神でも?」
「ああ。最高神だから、何でもできるわけじゃない」
ロゼエルは、オーディンの書状へ目を落とした。
「今の俺には、ラグナロクの運命を変える方法が分からない」
マキエルは何も言わなかった。
ロゼエルは書状を手に取った。
戦いに備える神が、自分と酒を飲むために寄越した手紙だった。
その約束を交わしたとき、少なくとも自分は、また会いたいと思った。
それさえ、どこかに記されていたのだろうか。
運命を変える方法は分からない。
それでも、どこから来たのかは知りたかった。
「俺たちが何かを選ぶことまで、誰かが決めたのか」
橋の上で待っていた天使が、誰かと並んで歩き出した。
ロゼエルはしばらく二人を見てから、書状を机へ戻した。
「……まずは、ベルゼバブの行方をつかまないとな」
マキエルが彼を見た。
「そっちは、何とかできる?」
「ああ。放っておくわけにはいかない。ルシファーたちの話も聞いてくる」
ロキの狙いも、運命の始まりも、まだ分からない。だが、今、外へ出た悪魔には対処しなければならなかった。




