第3話 最高神、高天原へ行く
高天原には、太陽を司るアマテラス、海と嵐を司るスサノオ、月を司るツクヨミの三柱がいた。姉弟でありながら、その性格は驚くほど違っていた。
穏やかな陽の差す縁側で、アマテラスは茶を淹れた。
「どうぞ」
スサノオの前へ湯呑みを置いた。
「いらねえ」
「そうですか」
アマテラスは自分の茶を飲んだ。しばらくして、スサノオも無言で湯呑みを手に取った。姉は気づいていたが、何も言わなかった。向かいでは、白い髪のツクヨミが昼の空を眺めていた。
「何を見てる」
スサノオが尋ねた。
「月」
「見えねえぞ」
「見えないだけで、あるよ」
スサノオは茶を飲んだ。そのとき、アマテラスが空を見上げた。ツクヨミも、ほぼ同時に顔を上げた。
「なんだ」
「お客様です。天界から」
「誰だ」
「最高神ロゼエル。そして、マキエル」
スサノオの目が細くなった。
「最高神……強いのか?」
「お会いすれば分かるのでは?」
彼の視線が、傍らに置いた剣へ向かった。
「スサノオ」
「まだ何もしてねえだろ」
「ですから、今のうちに言っているのです」
ツクヨミが立ち上がった。
「どうしました?」
「あれが、よく分からない」
「お客様のことですか?」
彼は答えず、赤い瞳で空を見つめていた。
やがて風が止まり、雲が静かに割れた。紫色の髪に黒い衣装の青年と、金色の髪を揺らす天使が降り立った。
マキエルは白い翼を背にたたみ、周囲を見渡した。石畳の向こうに、三柱が暮らす壮麗な御殿があった。広い庭には木々が茂り、その間を抜けてきた風が、二人の髪を揺らした。
「天界とは、ずいぶん違うね」
「ああ」
「ロゼは、こういう場所に来たことある?」
「人間だった頃なら。ここまで立派じゃなかったけど」
彼女は御殿を見上げた。
「なんだか、落ち着く」
「まだ着いたばかりだろ」
「着いたばかりでも、そう思うことはあるよ」
ロゼエルが頷くと、縁側からアマテラスが歩み寄ってきた。
「ようこそ、高天原へ。お待ちしていました、ロゼエル様。マキエル様も」
「様はいらない」
「では、ロゼエルさん」
「それでいい」
マキエルも頭を下げた。
「私も、マキエルで大丈夫です」
「では、マキエルさんと呼ばせていただきますね」
アマテラスは微笑み、二人を縁側へ案内した。
腰を下ろしたマキエルは、湯呑みを両手で受け取った。白い翼を少し動かすと、隣のロゼエルの肩に羽先が触れた。
「あ、ごめん」
「大丈夫だ」
ロゼエルが少し横へずれる。
「狭くありませんか?」
アマテラスが尋ねた。
「大丈夫です。ありがとうございます」
マキエルが答える間も、ロゼエルはスサノオの立ち姿に目を向けていた。足の置き方にも、重心にも隙がない。腕を組んでいるが、傍らの剣はいつでも抜ける位置にあった。
「お前がロゼエルか」
「ああ」
「最高神?」
「一応な」
「一応ってなんだ」
「肩書きを名乗りに来たわけじゃない」
スサノオの口元が上がった。
「気に入った」
「スサノオ」
姉に名を呼ばれ、彼は顔を向けた。
「まだ何もしてねえだろ」
「これからする顔をしています」
「姉上は俺を何だと思ってるんだ」
「弟です」
「そうじゃねえ」
マキエルが小さく笑った。アマテラスは、少し離れたところにいる青年を紹介した。
「弟のツクヨミです」
白と黒の簡素な和服を着た彼に、ロゼエルは軽く頭を下げた。
「ロゼエルだ」
「知っている」
それだけ言い、ツクヨミは彼を見つめた。
「君は、不思議だ」
「何が?」
「まだ分からない。だから、見ている」
ロゼエルはそれ以上尋ねず、差し出された茶を飲んだ。
「今日は、こちらの様子を見に?」
アマテラスが尋ねた。
「最高神になってから、他の神々にも会ってみたくなった」
「それで、高天原へ?」
「ああ。どんな神がいるのか、直接会って話してみたかった」
「私も、一緒に来たいって言ったんです」
マキエルが言うと、アマテラスは微笑んだ。
「では、今日はゆっくりしていってください」
庭の向こうから、何人かの神々が歩いてきた。アマテラスに会釈し、二人にも頭を下げて通り過ぎていく。ロゼエルは軽く頷き、その姿を見送った。
「ここには、他にも神がいるんだな」
「ええ。それぞれ仕事を持っています。今日は出かけている者も多いですけれど」
「あなたたち三人だけで、治めているわけじゃないのか」
「私たちだけでは、とても」
アマテラスは隣の弟たちを見た。
「頼りになる弟たちですが、得意なことは違いますから」
「俺は何でもやるぞ」
スサノオが言った。
「では、あとでお客様をご案内してくれますか?」
「姉上のほうが向いてるだろ」
「何でもなさるのでは?」
スサノオは茶を飲んだ。
マキエルは笑いを堪えながら、庭へ目を向けた。縁側の前には小さな池があり、水面に木々が映っていた。
「あの庭も、歩いていいんですか?」
「もちろん。あとでご案内しますね」
マキエルは嬉しそうにロゼエルを見た。
「一緒に行こう」
「ああ」
その返事を聞いてから、彼女はまた茶を飲んだ。急いで次の場所へ向かう必要はなかった。ロゼエルも湯呑みを手に、庭を眺めた。
スサノオは二人の話を聞きながら、空になった湯呑みを置いた。
「俺にも聞きたいことがある」
「何だ?」
「なあ、ロゼエル。お前、戦えるんだろ?」
アマテラスが彼を見た。
「スサノオ」
「手合わせだよ」
「まだ来たばかりですよ」
「挨拶代わりだ」
「普通はお茶を出します」
「姉上がもう出しただろ」
ロゼエルは湯呑みを卓へ戻し、立ち上がった。
「少しだけなら」
「ロゼ」
マキエルに呼ばれ、彼は振り返った。
「無茶しないでね」
「大丈夫だ」
「このあと、一緒に庭を歩く約束だからね」
「ああ」
「それと」
アマテラスが二人を見た。
「建物は、壊さないでくださいね?」
二人は黙って顔を見合わせた。
「場所を変えるぞ」
「そうだな」
スサノオは剣を手に取った。
「そういや、お前、昔はミカエルって名前だったらしいな」
「ああ」
「その頃のお前と、今のお前。どっちが強い?」
「今だ」
ロゼエルの答えに迷いはなかった。スサノオは笑った。
「そんじゃ、ひと勝負といこうぜ」




