第19話 ロゼエルVS毘沙門天
湖から、弦を弾く一音が聞こえた。ロゼエルはその音が消えるのを待ち、毘沙門天の前に立った。
手に大剣を呼び出すと、毘沙門天は槍の穂先を低く構えた。
「先に言っておく。演奏会には間に合わせる」
「それは俺も同じだ」
「なら、見せてみろ」
毘沙門天が踏み込んだ。
穂先が喉元へ迫る。ロゼエルは大剣で外し、そのまま斬り返した。
毘沙門天は槍の柄を斜めに置いた。刃を受け、横へ流そうとしたが、重さに押されて足が滑った。
すぐに柄を引き、身をかわす。
その胸元へ、次の斬撃が来た。
毘沙門天は槍を立てて防いだ。金属音が響き、両腕へ衝撃が走った。
大剣が離れる。
突き返すより早く、ロゼエルの刃が下から迫った。
毘沙門天は一歩退いた。剣先が、顎のすぐ下を通り過ぎる。
「その大剣で、俺の槍についてくるか」
驚きを含んだ声だった。
ロゼエルは答えず、間を詰めた。
横薙ぎを受けた毘沙門天が、槍の石突を足元へ送る。ロゼエルは足を引き、短く剣を返した。
槍の柄が、それを防いだ。
打ち合うたび、毘沙門天の足が下がった。正面で受け続ければ押し切られる。だが、刃を流そうとしても、ロゼエルはすぐに次の軌道へ切り替えた。
毘沙門天は槍を大きく払った。大剣を外へ押し、ようやく二人の間に距離ができる。
「流石は、戦いの天使と呼ばれていただけある」
「悪魔は群れで来るからな。速さは、嫌でも鍛えられた」
「なるほどな」
毘沙門天は握る位置を変えた。
今度は、自分から攻めた。
◇
喉元への突きに、ロゼエルが大剣を合わせる。
穂先が沈み、腹へ向かった。
ロゼエルは身をひねってかわし、斬り返した。毘沙門天は槍の柄で受けたが、また足が下がった。
それでも、突き返す。
大剣が槍を払う。間を空けずに、石突が手元へ来た。
ロゼエルは柄を引き、両手を狙った一撃をかわした。
受けた直後に攻めてくる。押されても、簡単には崩れない。
ロゼエルは踏み込み、肩口へ刃を送った。毘沙門天が身を沈める。頭上を大剣が通り過ぎた瞬間、槍先が胸元へ迫った。
刀身を戻して防ぐ。
今度は毘沙門天が槍を引き、足を入れ替えた。
二人は石畳の上で位置を変えながら、何度も打ち合った。
ロゼエルの剣が、毘沙門天の袖を裂いた。槍の石突が大剣の柄を打ち、ロゼエルの握りを揺らした。
どちらも退かなかった。
少し離れた場所で、マキエルは心配そうにロゼエルを見ていた。吉祥天は二人の動きを見つめている。
ロゼエルは大剣を横へ構えた。
刃の先を、毘沙門天の前足へ送る。
足が引かれ、槍が突き出された。
ロゼエルは穂先を外へ押し、懐へ踏み込んだ。毘沙門天が槍を短く持ち替える。
石突が迫った。
手元を引いてかわし、ロゼエルは大剣を持ち上げた。間を空けずに振り下ろす。
横にした槍の柄が、それを受けた。
毘沙門天の膝が沈んだ。
「重いな」
「受け続けるのは、勧めない」
毘沙門天が槍を引こうとする。
その前に、ロゼエルは足を踏み替えた。大剣を返し、もう一度、同じ場所へ振り下ろす。
一度目と同じ剣撃に見えた。
刃が柄に触れる、その瞬間までは。
足から腰、背中、腕へと力をつなぎ、気を大剣の刃先へ集めた。
ルシファーへ掌を当て、身体の内側へ衝撃を通した技。
今度は、それを剣で使う。
刃勁。
刃が触れた一点から、槍の柄の内側へ衝撃を送り込む。
毘沙門天が受け流すより早く、柄に亀裂が走った。
槍は二つに折れた。
毘沙門天は、手に残った柄を見下ろした。
「……信じられない威力だ」
ロゼエルは大剣を引き、間合いを取った。息が少し荒くなっていた。
重い刀身の先まで気を通し、触れる瞬間に放つ。わずかでもずれれば、ただの剣撃になる。身体への負担も大きく、一日に使えるのは数回だった。
折れた穂先が石畳を転がった。
「あなたの槍が壊れたの、初めてね」
吉祥天が歩み出た。その手には、もう一本の槍があった。
「持ってきていたのか」
「相手がロゼエルなら、要ると思った」
毘沙門天は折れた柄を置き、槍を受け取った。
握りを確かめてから、ロゼエルへ目を向ける。その視線が、大剣の刃から足元へ移った。
吉祥天は二人の間から下がった。
◇
ロゼエルが踏み込んだ。
毘沙門天は、今度は大剣を正面で受けなかった。斜めに置いた槍の柄を刀身へ添え、刃を外へ流す。
ロゼエルはすぐに斬り返した。
毘沙門天が身をかわす。
刃が胸元を通り、赤い布の端が宙を舞った。
間合いを測られている。
ロゼエルは切り返す角度を変え、もう一度攻めた。毘沙門天は深く退かず、半歩だけ横へ動いた。槍の柄が大剣の横を押し、刃が肩のすぐ脇を抜ける。
何度も打ち合ううちに、受け方が変わっていた。
それでも、余裕があるわけではない。ロゼエルが一歩深く入れば、毘沙門天も大きく身を引かなければならなかった。
その足が着く前に、大剣を振る。
毘沙門天は低く構えた槍を突き出した。
ロゼエルは剣の軌道を変え、穂先へ合わせた。間に合うはずだった。
だが、突きが途中で急加速した。
穂先が刀身の横を抜ける。ロゼエルは肩を引いたが、右の上腕をかすめられた。
黒い袖が裂け、血が滲む。
すぐに斬り返した。
その刃が届く前に、槍は素早く引き戻されていた。続けざまに、次の突きが来る。
ロゼエルは剣で払い、身体の向きを変えた。
槍の長さは変わっていない。突く動きも、引く動きも、途中で急に速くなるのだ。
「速くする瞬間を、選べるのか」
「気づいたか」
毘沙門天は穂先を低くした。
ロゼエルがそれに合わせて剣を下げると、狙いが胸へ変わった。刃を戻して受ける。今度は加速しなかった。
次の横薙ぎは、途中で速さが変わった。
ロゼエルは大剣で受け止め、押し返した。毘沙門天はその力に逆らわず、槍を引いた。その動きが急に速まり、二人の武器が離れる。
ロゼエルも剣を戻した。
遅れてはいない。次の突きにも、刃を合わせられた。
だが、毘沙門天はぶつかる直前に穂先をずらした。大剣の縁を抜け、胴へ迫る。
ロゼエルは身をかわし、短く斬り返した。
槍の柄が刀身の横へ添えられる。押し切ろうとすると、柄はすでに引かれ、斬撃の向きだけが外へ変えられていた。
「面倒な槍だな」
「折られたからな」
「もう一本、折るつもりだったんだが」
「触れさせる気はない」
毘沙門天が踏み込んだ。
喉元への突き。ロゼエルが受けに動くと、穂先が沈み、腹へ向かった。
途中で狙いを変えた。
ロゼエルは足を引き、大剣を斜めに払った。槍を外し、今度は逃がさずに斬り上げる。
毘沙門天は柄で刃の横を押し、半身になってかわした。
防御の直後に、突きが来た。
正確だった。ロゼエルが剣を戻す途中、その腕と刀身の間を狙っている。
ロゼエルは大剣を立て、厚い刀身で防いだ。
槍先が弾かれる。
毘沙門天はすぐには引かなかった。押し返そうとするロゼエルの力を感じ取ってから、槍を引き戻す。
支えを失った大剣が、わずかに前へ出た。
その一瞬に、次の突きが急加速した。
ロゼエルは身体をずらしてかわした。靴底が石畳を擦った。
速さだけではない。
加速する前の動きで誘い、こちらが動けば狙いを変える。打ち合う力では勝てても、力を乗せられる場所へ槍を置いてくれない。
攻めも、守りも、次へつながっていた。
どこから崩せばいい。
◇
ロゼエルは槍先を追うのをやめ、毘沙門天の重心の移り方を見た。
槍は急加速する。だが、踏み込む直前には、身体の重さが前足へ移る。
その瞬間を狙う。
次の突きに合わせ、ロゼエルは前へ出た。槍が加速する前に、大剣で軌道を外す。
毘沙門天が踏み込んだ足へ体重を乗せきる前に、間を詰めた。
「速い……」
マキエルが呟いた。吉祥天は答えず、二人の足元を見ていた。
ロゼエルは槍の内側へ踏み込んだ。
毘沙門天が短く持ち替え、石突で手元を狙う。
ロゼエルは手首を返してかわし、大剣を左手に残した。空いた右の掌を、胸元へ打ち込む。
毘沙門天は前腕を合わせた。
衝撃に、足が半歩下がった。それでも姿勢は崩れない。受けた腕を引きながら身体を回し、ロゼエルの右肩へ自分の肩をぶつけた。
傷のある上腕に痛みが走った。
ロゼエルは一歩退いた。
その一歩を待っていたように、槍が来る。
大剣で払い、両手で握り直す。ロゼエルは強く踏み込み、大きく斬り返した。
この速さなら、横へ逃げる前に届く。
刃勁を放つため、刀身へ気を通した。受ければ、もう一本の槍にも衝撃を通せる。
毘沙門天は、槍を立てる動きを見せた。
ロゼエルの刃が、そこへ向かう。
だが、触れる直前に槍が引かれた。
受ける構えそのものが、誘いだった。
大剣が空を斬る。毘沙門天は刃の外へ踏み出し、短く持った槍の石突をロゼエルの膝裏へ入れた。
姿勢が崩れた。
ロゼエルは右手を地につき、倒れるのをこらえた。左手には大剣を残している。
槍の穂先が、首元で止まった。
「ロゼ」
マキエルの声が聞こえた。
ロゼエルは毘沙門天を見上げた。
まだ動けた。けれど、今から剣を振れば、その前に槍が届く。
「ここまでだ」
短く息を吐いた。
「……俺の負けだ」
◇
槍が引かれると、マキエルが駆け寄った。
「怪我は?」
「腕だけだ。大したことはない」
彼女は裂けた右袖を見た。上腕に滲んだ血が、肘のほうへ流れていた。
ロゼエルは立ち上がり、膝についた砂を払った。
毘沙門天は折れた柄を拾った。
「妻がいなければ、あそこで勝負は終わっていたな」
「槍を折っただけだ」
「俺の得物を一本、使えなくした。それも勝ち方の一つだ。次は、一本で最後まで戦おう」
「今の受け方をするなら、そう簡単には折れないな」
「君も、同じ攻め方はしないだろう」
ロゼエルはかすかに笑った。
剣速も、力も通じた。槍を折ることもできた。
それでも、最後に崩されたのは自分だった。
首元で槍が止まった感覚は、まだ消えなかった。




