第13話 地獄のいらない世界
巨大な翼が、赤黒い空を切った。
ルシファーが用意した黒い飛竜は、三人を乗せて地獄の上空を進んでいた。
眼下には、どこまでも赤黒い大地が続いている。岩山、溶岩の流れる谷、遠くで揺れる炎。そして、その間に築かれた街。
ロゼエルは飛竜の背から、その景色を黙って見下ろしていた。
「うまくまとめたんだな」
前に座るルシファーが答える。
「お前が変えた世界だ」
「そうなんだけど」
「俺は、その後始末をしているだけだ」
「後始末って言うなよ」
ルシファーは振り返らない。
「事実だ」
ロゼエルは苦笑した。
以前の地獄には、もっと無秩序な気配があった。サタンはもういない。悪魔たちが好き勝手に人間界へ干渉することもない。
今、この広大な地獄を管理しているのはルシファーだった。
飛竜が高度を下げた。向かった先は、地獄の街を一望できる巨大な岩山だった。
三人がその背から降りると、上空からでは分からなかったものまで見えてきた。道を行き交う悪魔、巨大な建物、炎の灯された街路。遠くには、無数の魂の気配もある。
地獄は消えていない。だが、確実に変わっていた。
ルシファーが高台の端に立った。黒い翼が、熱を含んだ風を受けて揺れる。
「ロゼエル」
「ん?」
「これから天界をどうするつもりだ」
ロゼエルの表情が少し変わった。
「戦争は終わった。サタンも消えた。お前が最高神となり、世界そのものが変わった」
ルシファーは眼下の街を見る。
「ならば、天界も以前のままではいられない」
「そうだね」
「地獄も同じだ」
ルシファーは続けた。
「俺はお前に任された以上、ここを管理する。それに異論はない」
少し間を置く。
「だが――いつまでだ?」
ロゼエルは黙った。
「千年か。一万年か。それとも永遠か」
「……分からない」
ルシファーが横を見る。
「最高神にも分からないことがあるのか」
「あるよ」
ロゼエルはあっさり答えた。
「むしろ、なってから増えた気がする」
「妙な話だな」
「上まで行けば全部分かると思ってたんだけどね」
ロゼエルは地獄の空を見上げた。
「上まで来たら、もっと先が見えた」
ルシファーは何も言わなかった。
少し離れた場所で、マキエルも静かに二人の話を聞いていた。
ロゼエルは高台の端まで歩いた。その先には、どこまでも地獄が続いている。炎、岩、街。そして、そこに存在する無数の魂。
長い沈黙のあと、ロゼエルが言った。
「俺は、地獄をいつかなくしたい」
ルシファーの目が細くなる。
「……地獄を?」
「ああ」
「なぜだ」
ロゼエルはしばらく考えた。
「誰かが永遠にここを管理しなきゃいけない世界って、完成してない気がする」
ルシファーは黙っている。
「罪を犯した魂を落とす場所。悪魔を封じる場所。そして、それを永遠に管理する者」
ロゼエルは首を振った。
「そんなものが必要ない世界のほうがいい」
「俺を解放したいと?」
「それだけじゃないよ」
ロゼエルはルシファーを見る。
「地獄そのものを、必要なくしたい」
「方法は?」
「分からない」
即答だった。ルシファーが僅かに笑う。
「またそれか」
「仕方ないだろ。本当に分からないんだから」
「世界を書き換えた男の言葉とは思えんな」
「だからって、何でも分かるわけじゃない」
ロゼエルは再び地獄へ目を向けた。
「光があれば、影ができる」
ルシファーの表情が変わった。
「天界が光なら、地獄はその影なのかもしれない」
「ならば、影だけを消すことはできない」
「たぶんね」
「天界を残したまま、地獄だけを消すつもりか?」
「それも分からない」
ロゼエルは静かに答えた。
「もしかしたら、天界と地獄に分けて考えてること自体が違うのかもしれない」
ルシファーが真正面からロゼエルを見る。
「……お前は、どこまで変えるつもりだ」
「さあ」
「最高神がそれでいいのか」
「分からないものは考えるしかないだろ」
ロゼエルは少し笑った。
「時間ならある」
「俺にもな」
「付き合わせて悪いね」
「今さらだ」
熱を帯びた風が、高台を抜けていった。マキエルの金色の髪が揺れる。
ロゼエルは眼下に広がる地獄を見つめた。
「でも、一つだけ決めてる」
「何だ」
「いつか俺が――」
声は静かだった。
「地獄なんて、いらない世界に変えてやる」
ルシファーは何も言わなかった。
長い沈黙のあと、ようやく口を開いた。
「……そうか」
それだけ答え、再び地獄へ目を向ける。黒い翼が、熱い風を受けて僅かに揺れた。
「なら、それまでは俺がここを守る」
ロゼエルが横を見る。
「頼める?」
「誰に聞いている」
ロゼエルは少し笑った。
「そうだったね」
それ以上、言葉はいらなかった。
二人は並んで地獄を見下ろした。炎の向こうには、悪魔たちの街が続いている。
いつか、この場所が必要なくなる日まで。
今はまだ、ここをルシファーに託す。




