一章:第三話
☆
初夏の夜風。
夕日が沈み、空は赤紫から夜の闇に染まっていく。
遠くから楽しそうな喧騒が聞こえるが、今のイーゼルにとっては、ただのノイズのように感じる。
(まだ頭痛いな……)
ここは時計塔の外にある庭園。
初夏の鮮やかな花々の間に、二人掛けの休憩用ベンチが置かれていた。
どうやら時計塔の中で、意識が混濁して動けなくなったイーゼルを、アルシアがここまで運んでくれたらしい。
(まさかこんな所で《見える》なんて……)
イーゼルがぼんやりと考え事をしていると、すぐ隣から足音がした。
「少し落ち着きましたか?」
「うん……。だいぶ……よくなったかな」
イーゼルは控えめに笑いながら、声の主を見上げる。
黒外套に身を包む少年アルシアは、あまり良くなったように見えないイーゼルの様子に、心配そうな表情をフードの奥からのぞかせる。
「まだ顔色は良くないですね。近くで飲み物買ってきたので、もう少し休んでから宿に向かいましょう」
「うん。ありがとね」
隣に座ったアルシアは、冷たい瓶を差し出してきた。
受け取って蓋を開けると、ほのかにフルーツの香りが鼻に届く。
「その……イーゼルさん」
「ん?」
イーゼルは、何かを言いかけたアルシアの方を見る。
アルシアは少し言葉を選ぶような感じで、やや間をあけてイーゼルに訊ねてきた。
「前の街では聞かなかったんですけど、イーゼルさんは特殊な魔法が使えるんですか? さっきのも……そうですよね?」
どうやらアルシアは、さっきの出来事の原因に察しがついているようだ。
「すごいね……、わかるんだ」
「まぁ、僕も魔法に携わる者なので」
「じゃあ、話しておいた方がいいかな。迷惑かけちゃったしね」
「話したくなければ、別に伏せていただいても構いませんよ」
「ん~。いや、聞いてほしいかな……。アルシアくんなら話しても大丈夫そうだし」
アルシアはちらりとイーゼルの方へ視線を向ける。
返事はなく、ただイーゼルが話し出すのを待っているようだった。
イーゼルは手元の冷たい瓶を見つめ、結露した水滴を拭いながら、何から話そうかと考える。
「んーとね、魔法……かどうか分からないけど、私は生まれつき、物に宿る過去の記憶が《見える》の」
「物に宿る過去の記憶……」
「うん。でも何でも見える訳じゃなくて、基本は自分に関係のあるものしか見えないの」
「ほう……」
「でも例外として、強い想いのこもった物なら、自分ではない他人の記憶も見えることがあるわ」
「なるほど、懐中時計の時はそれを使ったんですね」
「そ、大事にされてたから想いがこもってた。それから、持ち主がいた場所・状況を真似ることで、見たい範囲を絞って探し当てたって感じ」
「それはすごいですね」
少し驚いた様子で感心するアルシアに、イーゼルは苦笑いを見せる。
「でもね、いいことばかりじゃなくて、問題もあるんだよ」
「問題……ですか。もしかして、それがさっきの?」
イーゼルは静かに頷く。
アルシアの言う通り、この問題こそがさっき時計塔で起きた出来事だった。
「物に宿る想いが強ければ強いほど、不可抗力で勝手に《見える》ことがあるの」
「見たいと意識しなくても見えてしまうってことですか?」
「うん。稀ではあるけどね。そういう時は見たい範囲を絞れないから、一気に見えすぎてしまって、頭が痛くなったり、気分が悪くなったりすることがあって……」
「なるほど、そういうことだったんですね」
大まかな経緯を話し終えたイーゼルは、冷えた瓶を傾け一口だけ口に含む。
柑橘系のフルーツジュースの甘さが、少しだけ気持ちを落ち着かせてくれる。
「強い想い……となると、見えたのは時計塔ができた頃の記憶とかですかね……?」
「えーっと……、うん。たぶんそんな感じかな。一気に見えると、内容も大雑把になるから、あんまり詳しくは分からなかったけど……」
「なるほど。体に負荷が掛かるのは良くないですが、過去の遺物を調べたりするのには、かなり重宝しそうな魔法ですね」
「うん……! 結構役立つこともあるよ。まぁ、絶対見えるわけでもないから、あんまり期待はできないけどね~」
自然と瓶を握る自分の手に、力が入っているのがわかった。
(嘘だ……。本当ははっきり見えてた)
イーゼルは瓶を握る手を、反対の手でゆっくりさすった。
(でも分からない。どうして、あの人の顔が見えたのか)
イーゼルは目を閉じて、ゆっくりと見えたものを思い出した。
場所は時計塔の中。
自分とよく似た顔に翡翠の目。
微笑んでいたのは、他でもないイーゼルの双子の姉。
イリスの姿だった。
さらにまるでイリスが従えているように動く、狂化された魔獣の群れ。
そして、傷ついた同行者の少年の姿。
(私はここに来るのが初めてだし、他の誰かの記憶にしても、お姉様は体が弱くて外を出歩けないはず。ここで見えるわけがない。来れるわけがない……)
ならどうしてそんな映像が流れ込んできたのか、頭の中でぐるぐると回る思考に、イーゼルは首を振る。
そして、アルシアの方へと視線を向けた。
「ねぇ」
「どうしました?」
「アルシアくんって、時計塔に来るの初めてだよね?」
「はい。そうですけど……」
「だよね」
「……?」
「あ~ううん、気にしないで! なんでもないから……!」
(私の力はお姉様のような《未来視》じゃない。アルシアくんがここに来たことがないなら、この記憶は過去に存在しないはず)
不安を振り払うように、深く深呼吸する。
大丈夫と体に言い聞かせて、イーゼルは瓶の中身を飲み干した。
「だいぶ良くなってきたし、そろそろ宿に戻らない?」
「本当に大丈夫ですか?」
「うん! ごめんね。心配かけちゃって」
「いえ」
「ジュース代の分、どっかで埋め合わせするね」
「別に気にしなくていいですよ」
「だめです。返すって決めたので!」
「じゃあ期待しないで待ってます」
「なんですかそれ~!」
イーゼルはまだ微かに不安が残っていたが、それを上書きするように、自分を奮い立たせていた。
☆
翌朝
相変わらず寝覚めは悪く、起きてしばらくは頭がぼんやりとする。
布団と一体化したくなる気持ちに抗うべく、アルシアは無理やり体を起こして寝室の扉を開けた。
「あっ、おはよう!」
「お、おはようございます……」
イーゼル明るい声に、やや押されそうになりつつも少し安心する。
昨日、本人は大丈夫と言っていたが、どことなく元気が無さそうだったのが気がかりだったからだ。
「具合はどうですか?」
「うん! もうすっかりだよ。しっかり寝たら元気になっちゃった!」
「なら良かったです」
「ねぇ、それより見て!」
「ん?」
イーゼルはその場で一回転して見せる。
後ろで束ねた長い髪と、スカートが空気を含んでふわっと舞う。
よく見ると普段着のワンピースの上から、エプロンを付けているようだった。
「どう? 似合ってるかな?」
「似合ってると思いますけど、どうしたんですか、その格好……」
「実は時空祭まではまだ三日はあるから、ここに泊まってる間、一階のお店でお手伝いすることにしたの! 次の宿代、今のうちに稼いどかないとね」
「なるほど……、僕も金策はしたほうが良さそうですね。あまり多くの人とは関わりたくないので、どこかで討伐依頼とか受けられるといいんですが……」
「確かに、後でファーラさんに聞いてみよっか」
「そうですね」
「じゃ、私は先に降りてるね。なんかあったら声かけてね~」
「はい。がんばってください」
「ありがと!」
ぱたぱたと部屋を出ていくイーゼルの姿は、元気そのものだった。
心配するのも杞憂だったかもしれない。
「物に宿る過去の記憶を見る力……ですか」
昨日のイーゼルの話によると、条件付きではあるが、物に触れることで、その物に宿る過去を見ることができるらしい。
しかしながら、稀に意図せず見えることもあり、昨日はそのせいで不調になったらしい。
イーゼルにはどんなものが見えていたのだろうか。
(そういえば……、変な質問をされたな)
たしか、時計塔に来るのは初めてか、と。
質問というよりは確認するようだったが……。
(もしかして、僕に関する何かもあったのだろうか……)
いろいろと推測しようと、頭をフル回転させようとしたが、そこでアルシアは小さく首を振った。
(仮にあったとしても、伝えなかったということは、それは取るに足らない内容だったはず。ならそれを変に推測する必要はないだろう)
アルシアは思考を中断すると、部屋の洗面台の方に向かった。
「とりあえず、支度しますか」
☆
「おにーちゃん、おはよ~! あっ!」
「こ~ら、お客さんにはおはようございますでしょ!」
「そうともいってみたり?」
一階ではリラとファーラが、相変わらずの寸劇を繰り広げていた。
「ごめんなさいね。言葉遣いに気をつけなさいっていつも言っているんですけど……」
「いえ、気にしないでください」
「おにーちゃんの、おっけーもらいました!」
「調子に乗らないの~!」
「うへ~!」
ファーラに両手でほっぺたを挟まれたリラは、されるがままになる。
特に抵抗するでもなく、どこか楽しそうだ。
どうやらこの二人にとっては、これが大事なコミュニケーションらしい。
「あ、そうそうアルシアさん」
ふと、ファーラは何かを思い出したように、アルシアを呼び止める。
「なんでしょうか?」
「イーゼルちゃんから聞いたんだけど、魔獣の討伐依頼とか探してる?」
「あぁ、そうです。どこかでそういう依頼を受けれそうな場所とかありますかね?」
「それならそこの掲示板使うといいわよ」
ファーラは入り口のすぐ横を指差した。
木製の掲示板に、複数の紙が貼られている。
「この店は大通りに近いから、情報が集まりやすい上に、宿屋だから腕利きの旅人さんもよく来るのよ。それを利用して、困ってる人に依頼を出してもらって、その依頼を旅人さんに共有してるの。まぁギルド掲示板みたいなものね」
「なるほど」
アルシアは掲示板の方へ向かうと、紙に書かれた依頼に目を通していく。
内容は接客や広場の清掃員、調合の素材集めから犬の散歩までさまざま。
その中でも依頼の半分以上を占めるのが、魔物や魔獣の討伐依頼だった。
「意外と討伐依頼、多いですね」
「この時期は増えるのよ~」
「そうなんですか? てっきり街の衛兵とかが、その辺りは片付けてるのかと思ってました。周辺の町も、祭りの期間はしっかり警備が敷かれているようでしたし」
「中央都市近辺はそうなんだけどねぇ……。そこに手を割くあまり、少しはずれにある町とかは結構手薄になるわ。だからこの時期は、魔物や魔獣が人目につく場所に出てきちゃうのよね」
「そういうことですか」
「確か昨日もやられたって話を聞いたわ。山の麓にある村が、魔獣の群れに襲われてそれは酷い被害がでたそうよ。凶暴になってることもあるから、アルシアさんも街の外に出る時は気をつけてね」
「はい。そうします」
「受ける依頼が決まったら私に声かけて。報酬の受け渡しもここが窓口だからね」
「うちのやど! すごいのだー!」
「そうですね」
「がんばってこいよ~! だんなぁ~! あっ!」
「こ~ら、ちょっと油断したらすーぐ調子乗るんだから……」
今度は髪をぐしゃぐしゃされたリラは、そのままカウンターの裏に逃げていった。
ファーラもリラを追って、カウンター裏へ入っていくのを見送った。
「どう? よさそうな依頼は見つかった?」
後ろからの聞き慣れた声で振り返ると、トレイに食器やグラスを乗せて運ぶイーゼルの姿があった。
どうやら、店内の片付けをしていたらしい。
「いえ、まだ決まってないです。その……話通しておいてくれて、ありがとうございます」
「どういたしまして! アルシアくんなら大丈夫だと思うけど、戦闘する時は油断しないようにね」
「はい。中央都市に来る時も、散々追いかけられましたからね……。いつもより用心するようにします」
「うんうん。そうしなね~」
☆
それから二人は『時空祭』までの数日を、お互い仕事をこなしつつ過ごすことになった。
幸いにも、あれから《見る》力が勝手に発動することなく、平穏な時間が流れ、イーゼル自身も時計塔で見たことをすっかり忘れ始めていた。
外では前夜祭の催しが行われている。
部屋のテラスから大通りを眺めると、行商の馬車が減った代わりに、さらに観光客が増えたように感じる。
広場の方では、大型ステージを囲むように人集りができている。
「どこからこんなに人が集まるんですかね……」
「大陸内外から集まってくるからね~」
「外からも……、それなら納得ですね」
アルシアは窓際のテーブルで、冷たいグリンティーを飲んでいた。
イーゼルは開けていたテラスの扉を閉めて、対面の席に座る。
「ねぇ、明日は予定空いてる?」
「今のところは。討伐依頼もひと段落したので」
アルシアの言葉に、イーゼルはさっき見た一階の掲示板を思い出す。
確か数日前は、掲示板いっぱいに依頼が貼り出されていたはずだが、討伐依頼がごっそりとなくなり、閑散とした掲示板にファーラさんも驚いていた。
「聞いたよそれ……。一人で貼り出してた依頼の半分ぐらいこなしたんでしょ」
「数は多かったのですが、魔獣の出現地域が被ってるものも多くて、まとめて受けていけばそんなに大変ではありませんでした」
「またまた……、すごいんだから~!」
「それほどではないかと……」
「まぁ、空いてるならなんでもいいの。明日私も酒場のお手伝い無いからさ、一緒に露店巡りしない?」
とりあえず勢いのまま誘ってみたイーゼルだったが、人混みを嫌うアルシアは果たして乗ってくれるだろうかと、今更ながら少し不安になっていた。
しかし──
「露店巡りですか……、いいですね」
意外にも、アルシアからすんなりいい返事が返ってきたことに、イーゼルはやや前のめりの姿勢になる。
「えっ……! ほんとっ!?」
「えぇ、行きましょう。でも……、朝からは起きれる自信がないので……」
「回るのは昼過ぎか夕方からで大丈夫!」
「助かります」
「じゃあ、午前中はリラちゃんと回ってこようかなぁ~」
「今日すごくアピールされてましたね」
「うんうん。ファーラさんは忙しいから行けないし、とはいえリラちゃんは、まだ小さいから一人で行くのは危ないしね」
夕食で一階の酒場に降りた時、リラは随分とご機嫌斜めだった。
祭り当日、酒場自体は休みの予定だが、それ以外の仕事でファーラが忙しく、お祭りを一緒に回れないと分かったリラは、機嫌を損ねてしまったらしい。
そのせいか一階にいた間は、ずっとイーゼルの隣に引っ付いていたのだった。
「いいと思いますよ。喜ぶんじゃないですか?」
「だよね。じゃあ後でファーラさんに許可もらってこよ!」
「それがいいと思います」
イーゼルはここ最近で一番わくわくしていた。
「アルシアくん」
「なんでしょうか?」
「明日は楽しもうね」
「そうですね」




