一章:第二話
☆
翌日
「ん……」
アルシアはゆっくりベッドから体を起こした。
どうも寝起きはぼんやりして仕方ないと、ベッドに腰掛けたまま衝立の方を見た。
前の宿は部屋の端にベッドが置かれていたが、今回の宿は部屋の奥に寝室があり、ベッドがサイドテーブルを挟んで隣同士に置かれていた。
流石にそのままは気まずいので、衝立を置いてもらうことにしたのだ。
しかし、衝立の向こうに人の気配は感じない。
(先に出かけたのか……?)
アルシアはふらふらと立ち上がると、寝室の扉を開けて隣の部屋を覗いた。
「いた……」
同居人は先に起きていたらしいが、寝癖の頭に寝巻きもそのままで、隣の部屋の机に突っ伏していた。
「何してるんですか?」
「あぁ……おはよ~。二度寝……したいなぁって……」
「二度寝するならベッドに戻った方が……、椅子は体を痛めるので」
「めんどくさいもん……」
「起きたら時計塔に行くんじゃなかったんですか?」
「う~~ん!」
「はぁ……」
アルシアは少し考えた後、寝室から薄い膝掛けを持ってきて、突っ伏したままのイーゼルの肩に掛けた。
「あ……」
「まぁイーゼルさんが急がなくていいなら、ゆっくり過ごしていいんじゃないですかね」
「そうしよ……。布団ありがと……すぅ……」
「はやい……」
脅威の速さで眠りに付いたイーゼルを、アルシアは少し呆れたように眺めていた。
☆
???某所
数日ぶりに足元に重さを感じる。
体を支えるのはこんな感覚だったな……と。
薄暗く生活感の無い部屋には、天蓋付きのベッドと小さなドレッサー、そして自分の背丈と同じ高さの姿見だけが置かれている。
重い足を引きずりながら、姿見の前に立つ。
「……」
鏡に映るのは少女の姿。
肩の高さで切りそろえられた美しい金髪に長い耳。
そして翡翠色の瞳が光る。
少女は自身の頬を指でなぞる。
病的に白い肌は青白い光に照らされて、より一層血色が悪く感じる。
だが……
「私の《眼》は知っているわ……たとえ記憶が無くても。やるべき事は《見える》の」
微かに鏡面が揺れる。
「そうでしょう? 鏡の妖精さん?」
静かな部屋に響き渡る。返事はない。
「連れないのね」
頬を撫でた指先は首まで到達する。
鎖骨に触れたあたりで、真っ白な肌に異質な輝きが現れ、幾何学模様を描いていく。
「もう少し……、すぐに届くわ」
首元から広がった幾何学模様は、腕を伝って指先まで這っていく。
私の《これまで》の結晶。
鏡面に映る表情は満足そうだ。
「ふふふ……、待っていてね。私の可愛い妹。すぐに会いにいくわ────」
病的な肌とは対照的に、翡翠色の眼光は鋭く自信に満ち溢れていた。
☆
「ふぅ……」
紅茶の香りが鼻を通り抜けていく。
食後のこの時間は何物にも替え難い、とイーゼルは思う。
月灯亭の一階部分は、朝から昼過ぎまではカフェとして、夜は酒場として経営しているらしい。
「こうちゃ! おいし?」
赤髪の小さな少女が、イーゼルをのぞき込むように問いかける。
「うん! おいしいよ~!」
イーゼルがにっこりとほほ笑んで返事をすると、少女も嬉しそうに笑って、今度はアルシアにも同じように問いかける。
「おにいちゃんは? おいし~?」
「お、おいしい……です」
「やたぁ! えへへっ!」
アルシアもややぎこちない笑顔で答えると、少女は嬉しそうに満面の笑みを見せる。
その様子を見て、アルシアは少し照れくさそうに目線をそらした。
「照れた……!」
「照れてない」
光の速さで反論したアルシアだったが、イーゼルと赤髪の少女ことリラは、一緒ににっこりしながら、物言いたげなアルシアを見つめる。
たまらずアルシアはそっぽを向いた。
「そんな怒んないで! 二度寝して出遅れたおかげで、美味しいご飯もゆったり食べれたしさ……! 甘いおやつも頼んじゃう?」
「たのんじゃう?」
「怒ってないし頼まないです」
「え~、そっかぁ……」
「おやつ、ちゃれんじ、しっぱ~い!」
「自分が食べたいだけじゃないですか……」
今度はアルシアが呆れた顔で見返してくる。
「ところで、そろそろ向かいませんか? 時計塔。早く行かないと、明日以降は時空祭の準備とかで出入りできなくなるそうですよ」
「えっ、そうなの!?」
「そだよ~、ごりよーはけいかくてきに~!」
リラが今度はアルシアの方に行き、こちらに向かってにっこりしてくる。
「そ、そういうことは早く……!」
「寝てたじゃないですか……」
「それはそうなんだけどっ!」
イーゼルは残りの紅茶を飲み干して、カップを置くと同時に席を立った。
「そうと決まれば、いざ目的地へ!」
「れっつごー! どっこいしょー!」
「行きましょうか……」
おだやかな昼下がり。
勢いでついてきそうなリラに食事の代金を預け、イーゼルとアルシアは街の北部にある時計塔へと向かった。
☆
今日で時計塔を見るのは二度目。
一度目の時は街の外周からだったが、間近に見るとより一層存在感を感じる。
アルシアは前方に聳える時計塔を見上げながら、そんなことを考えていると、隣で同じように時計塔を見上げるイーゼルが時計塔について語り始めた。
「あの時計塔はその昔、人族の大魔法使い達が、何百年も時間をかけて魔法で作ったんだって」
「なるほど。不思議な魔力を感じるのは、そういうことですか」
「うん。時計塔そのものが古代魔術遺物らしいよ」
「すごいですね。これ程の大きさのアーティファクトは初めて見ました」
「アーティファクトの建築物なんて珍しいもんね。私もここまで近づいて見るのは初めてなんだよね~」
「そうなんですか?」
「うん、だからちょっと楽しみ! 早速中に入ってみよっか」
アルシアは小さく頷いて同意を示す。
時計塔の周辺は、季節の花が植えられた庭園になっていて、初夏を彩る色鮮やかな花々が咲いている。
そんな景色を横目に楽しみながら、石畳の階段を登り、時計塔の真下へと二人は移動する。
「外装は魔法で鍛えた金属ですかね」
離れていると詳しく見えなかったが、建物の壁は鈍色の光沢を放っていて、見る角度によって微かに鮮やかな色が見える。
「多分そうだと思う。普通の材質では無さそうだよね」
「えぇ、そうですね。扉も……、ただの石扉ではないみたいです。魔法の力を帯びた石板に近いように見えますね」
「うんうん。扉の細かい装飾も、昔使われてた魔法文字なのかな?」
「確かに、絵というよりは文字っぽいですね」
辺りを見回しながら玄関をくぐり、内部へと続く短い通路を通り抜ける。
「わぁ……!」
「……!」
広間に出るとまず目に入るのは、中央の時計塔の主軸と思われる金属構造。
大量の歯車や複雑に組み合わさった部品が、遥か天井まで届く大きな柱を形作っており、心臓の鼓動のように一定感覚で動き続けている。
さらに……
「壁に魔術回路が埋め込まれてますね。これは体に入れる魔術刻印に近いものか……」
「魔術刻印の原型になったものだよ。たしか魔術彫刻って言って、当時は石や金属に入れるものだったらしいわ」
「なるほど、そうでしたか」
外周の壁には幾何学模様を描く光が、まるで脈を打つように天井に向かって流れている。
そんな様子を眺めながら、イーゼルはぼそっと呟く。
「でも、こんなに大きなアーティファクトで、昔の人は何をやろうとしてたのかなぁ……」
「……そうですね。あえて時計にした、というところに何か意味がありそうですね」
「たしかに」
「ぱっと思いつくところでいくと、時間を巻き戻すとか……ですかね」
「ありそうだけど、時間を巻き戻すってなると、流石にこのサイズでも足りなそうだけど……」
「それはそうですね。僕もそう思います。いくら古代の技術が奇跡じみた物でも、ほぼ不可能だと思いますよ」
「だよね~。ん……? あそこに何か書いてあるみたい」
イーゼルが壁際の案内板に、貼り紙がされているのに気づいたようで、そちらの方に近づいていく。
「なになに……時計塔本館は時空祭準備のため、明日より休館となります。また、地下図書館につきましては、現在改修中に付き時空祭終了まで休館……」
「確かイーゼルさんが行きたいのは、その地下図書館の方ですよね?」
「そう! 図書館……、あいてないんですか……!」
「そのようですね」
「そんなぁ~!」
残念そうにそういうイーゼルを横目に、アルシアも張り紙を覗き込む。
「図書館の方の改修は、数か月前からやっていたみたいですね。終了時期が時空祭終わりなのは、逆に運が良かったかもしれませんよ」
「確かに言われてみればそうね。時空祭が終わるまではこの街に留まるつもりだし、お祭りが終わったらまた来ようかな」
アルシアは静かに頷くと、イーゼルはすっかり気持ちを切り替えたのか、にこにこしながら時計塔内の展示に目を向ける。
「気を取り直して、今日は時計塔観光ってことで!」
「はい。ここの展示だけでも、興味深いもの結構見られそうですしね」
「うんうん!」
再び時計塔の中を見回す。
入り口付近には建造中の資料や、構造の解説、時計塔に関する展示がいくつも並ぶ。
改めて壁面に視線を向ければ、薄暗い中に脈打つ魔力回路の青い輝きが、不気味とも言えるような雰囲気を作っている。
そして天井高く聳える中央の金属構造には、奥へ回り込むように階段があり、その周りは明るくライトアップされていた。
「この奥は何があるのかな?」
階段を登った先。
ちょうど金属構造の柱の裏側に、また少し広いスペースがあるようだ。
「行きますか?」
「うん。なんだか気になるし、行ってみよっか」
十段も無い階段を登ると、奥の壁に他の魔術回路とは色の違う、白色の回路が描かれていた。
円から放射状に広がり、次第に他の青い回路と一体化しているようだ。
「明らかに何かありそうな……」
「まぁあるとしたら、この時計塔を操作するための回路か、その動力源とかではないでしょうか」
「そんなの触れる位置にあっていいの?」
「触れても簡単に動かないようにはなっていると思いますよ。流石に……」
アルシアは壁に描かれた円の中心に、そっと触れてみる。
もちろん何も起こらない。
「やはり触れるだけで動く構造ではないようです」
「そうだよね……!」
アルシアは壁から手を離し、一歩下がってその前を空ける。
イーゼルは、壁の表面を見上げるように視線を動かしながら、そっと右手を上げる。
アルシアも、同じように壁を見上げようとイーゼルから視線をはずす。
しかし──
(……っ!)
アルシアは息をのんだ。
空間の揺らぎ。魔力の乱れ。
まさかそんなはずは……と思いつつも、慌ててイーゼルが触れたであろう壁に視線を向けるが、壁に異変はない。
(まさか……)
イーゼルの方へ視線を向ける。
彼女は目を見開いたまま、壁に触れたままの形で微動だにしない。
「イーゼル…さん……?」
感じたことのある魔力の動き。
だが、以前感じた時よりも乱れが大きい。
なによりどう見てもイーゼルの様子がおかしい。
「…………ぁ……」
「イーゼルさん!」
アルシアが手を伸ばすのと同時に、イーゼルは床に吸い寄せられるように膝から崩れ落ちた。




