一章:第一話
☆
安全なはずの街道に、唸る獣の声が響き渡る。
「グルァァァ!」
「ごめんっ! 一匹討ち逃した!」
イーゼルの剣閃を潜り抜け、一匹の狂化した野犬が背後に走り抜ける。
しかし、頼りになる魔法使いの少年は、すでに炎を構えていた。
「問題ありません──火球《ファイアボルト》!」
構えていた三つの火の球を呪文と同時に一点に発射し、今にも飛びかかろうとしていた野犬を貫いた。
「ギュルアァァッ!?」
苦しそうな断末魔と共に、野犬は黒焦げになっていく。
「これで一旦片付きましたかね」
「そうだね、おつかれさま!」
「イーゼルさんもお疲れ様です」
今一度付近を警戒するが、周辺から魔獣の気配はしない。
先ほど倒した狂化した野犬の群れも、すでに亡骸が崩壊し始めていた。
「これだけ整備された街道沿いなら安全だろうって思ってたけど……」
「流石に接敵回数が多いですね」
二人は顔を見合わせた。
中央都市までは、あと距離半分といったところ。
綺麗に舗装された一本道で、魔物が嫌う常灯も設置されている。
それなのに、もう八回以上は接敵している。
日もだんだんと傾き始め、辺りの茂みや舗装された道は、夕日に照らされ始めていた。
本来なら、もう中央都市に着いている頃合い。
少し疲労の色が見えるイーゼルへ、アルシアは声をかける。
「少し休んで行きますか?」
「いや、出来れば暗くなる前に抜けちゃいたいかも。暗くなったらもっと強いのきそうだし……」
「同感です」
「ちょっとしんどいけど……急ごっか」
「はい」
体力は温存しつつ、少し駆け足で街道を進み始める。
「狂化してる魔獣、いつからこんなに増えたのかしら……」
イーゼルが独り言のように呟いたその言葉に、アルシアは疑問に思っていたことを聞いてみる。
「その……、僕はその《狂化》っていうのが良くわからないのですが、普通の魔物とは違うのですか? てっきりアンデット化した生物かと思っていたのですが……」
「う~ん。まぁ似たようなものだけど、魔物みたいに存在が邪悪なんじゃなくて、普通の獣が邪悪な存在に寄生されてる感じ……かな。根本が違うから、魔物を弾く常灯にもかからないのよね」
「なるほど」
「体が生きたまま腐敗してたり、傷口から瘴気の結晶が生えてたり、見た目はアンデットそのものだけどねっ」
「……っ!」
話しているうちに側面を取られていたらしい。
草陰から飛び出してきた野犬を、イーゼルは剣を抜くそのままの動きで切り裂いた。
「止まったら囲まれるかも!」
「このまま逃げ切りますか?」
「うん。追いついてきそうなやつだけ叩こう!」
「了解」
二人は迎撃を繰り返しながら、速度を上げて街道を走り抜けていった。
☆
中央都市リーベリア。
中心の大広場から放射状に広がる円形の街は、大陸随一の大都市といわれている。
祭りの前ということもあって、色鮮やかな電飾で飾り付けられた建物、行き交う観光客や馬車、そして多くの露店や一芸のステージが目を引く。
そして……
ゴーンゴーン……
夜を知らせる鐘の音が街中に響き渡る。
北部にはこの街のシンボルともいえる、立派な時計塔が聳え立っていた。
「なるほど、あれが時計塔ですか。街の外周からでもよく見えますね」
隣に立つアルシアは、興味深そうに呟いているが……
「はぁ……はぁ……」
「……大丈夫ですか?」
「さ、流石に休みなしで走ったらきついよ……」
「たしかに、疲れましたね」
「そんな飄々とした顔で言われても……」
残りの街道を走り抜けたせいで、イーゼルは肩で息をしていたが、アルシアはずいぶんと涼しそうな顔をしている。
「君って結構タフなんだね。これだけ走って息一つ乱さないなんて……」
「……?」
イーゼルの言葉に、アルシアは何故か驚いたような表情を見せる。
「なんでそんな、豆鉄砲喰らったみたいな顔してるの?」
「いや、言われてみればそうだなって。特別鍛えたりはしてないんですけど」
「い、嫌味……?」
「他意はないです」
「そう……、じゃあそういうことにしとく」
疲労のあまり考えることをやめたイーゼルは、なんとか呼吸を整えることに集中する。
「とりあえず今日はもう宿屋に向かいましょ。『月灯亭』だっけ。たしか場所は……」
「たしか大通り沿いにまっすぐ進んで、二番目の路地に看板が見えるって言ってましたね」
『月灯亭』の予約札を譲ってくれた双子の行商人が、別れ際に宿屋の場所を教えてくれていた。
二人は中央都市の南門をくぐり、そのまま中央都市の大通りに歩を進めた。
「まぶし……っ」
イーゼルは思わず目を細める。
街の中は夜とは思えないほど明るく、外周の薄暗さでより明るさが際立つ。
辺りからは楽しそうな話し声や、笛や太鼓などの楽器の音も聴こえてくる。
「ひとつ前の街もすごい人混みでしたが……」
「中央都市は一段と多いね! すごいや……」
二人は人の流れに身を任せて街の中心に向かう。
二つ目の路地にたどり着くと、辺りをぐるっと見回してみる。
「さて、看板は……、あっ、あれかな?」
イーゼルは路地に面している建物に近づいた。
窓に三日月の絵と、『月灯亭』の文字が書かれた木彫りの看板が掛かっている。
「そうみたいですね」
「入ってみよっか!」
まっすぐ看板の元に向かい、入り口の扉をそっと開ける。
カラン……
扉を開けると、そこはクレハ亭と同じく一階が酒場になっているようで、大勢の人がお酒を交わしながら語り合っていた。
外の華やかさとはまた違う、温かみのある賑わいがそこに広がっていた。
受け付けカウンターに向かい、中の様子を伺うと、カウンター裏に小さな赤髪の女の子が、絵本を読みながら座っていた。
するとイーゼルたちに気付いたのか、女の子が顔を上げる。
「おきゃくさん?」
「うん。泊まりに来たんだけど、受付の人って今いるかな?」
「う~ん」
女の子は椅子から降りて、カウンターの裏に椅子を動かして、その上に登るとニカッと笑った。
「まいどー!」
「だ、大丈夫? 高いとこ危ないよ?」
「だいじょうぶ!」
「本当かな……?」
「あのね! いそがしいから、あそぶ?」
「遊ぶ? なにするの?」
「うーん。わからん!」
「そっかぁ、わかんないか……」
「まぁ、ゆっくりしていってや~あっ!」
女の子は突如頭上から降ってきたチョップに頭を抱えた。
「こ~ら、お客さんになんて口きいてるの!」
「まむ! ごめんなさ~い!」
女の子の後ろには、良く似た長い赤髪の女性が立っていた。
女性は苦笑いしながら続けた。
「うちの子がごめんなさいね~!」
「いえいえ!」
「リラ? お客さんが来たらなんていうの?」
「へい! らっしゃーい!」
「いらっしゃいませ、でしょ~!」
「うあ~!」
今度は頭をぐりぐりされて、女の子はまた頭を抱えていたが、どこか楽しそうにニコニコしていた。
「つきあかりていへ、ようこそ!」
「まったく……改めまして、私はここの主人のファーラです。こっちは、娘のリラ。確か宿泊のお客様ですよね?」
「あっ、そうです! 私はイーゼルっていいます! こっちは旅仲間のアルシアです。」
「どうも」
イーゼルは予約札を手渡した。
「常連さんから連絡はもらってます。二階の一番奥の部屋を使ってくださいね」
札の代わりに部屋の鍵を受け取り、階段の方へ向かった。
「ごあんな~い!」
再び小さな店員さんが飛び出してくる。
「リラ? 粗相のないようにね?」
「はーい! おあしもとに、ごちゅうい! ください!」
小さなランプを持った女の子は、パタパタと足音を立てて階段を上がっていった。
それを追って、二人も部屋に向かった。
「いちばんおくのおへやはね~! いちばんいいおへやなんだよ~!」
「そうなの?」
「うん! てらすあるから、おおひろばのすてーじとか! まるみえ~!」
「なるほど、景色がいいのね」
「あと! おふとんがふかふか! いちばんいいやつなの!」
「寝心地よさそうだね~」
「えっへん! とうちゃ~く!」
女の子は一番奥の部屋の前で足を止めると、こちらを見てまたニカッと微笑んだ。
「小さな店員さん、案内ありがとうね」
「えへへ! ごゆっくりどうぞ~!」
優しく頭を撫でてあげると、満足そうに女の子は酒場に帰っていた。
「では早速……」
そう小声でつぶやきながら、部屋の鍵を開けたイーゼルは、ゆっくりと扉を押し開けた。
「お邪魔しまーす」
「これは……」
「わぁ、広い……!」
扉の向こうに広がる部屋は、普段泊る宿の部屋が、三つは入りそうな広さだった。
開放感どころか、二人で過ごすには余るほど広々とした部屋が出迎える。
そして一番良い部屋と推されただけあって、内装にも目が奪われる。
異国情緒あるカーテンや絨毯、ランプが置かれている。
ローテーブルはシンプルながら存在感のあるシックなデザインで高級感があり、ソファーは少し触れると、ふんわりと沈むくらい柔らかそうだ。
そんな光景をしばらく眺めて堪能した後、イーゼルはそっと呟いた。
「すごく広いくて素敵な部屋だけどあれだね」
「そうですね」
イーゼルの言いたいことを察したアルシアは同調する。
二人は苦笑いしながら顔を見合わせた。
「また相部屋になったね(なりましたね)」




