序章:第四話
☆
(どうしてこうなったんだ……?)
アルシアは心の中で頭を抱えていた。
ベッドの横に備え付けられた、膝ぐらいの高さしか無い小さな棚にそっと手荷物を置き、このベッドエリアを区切る衝立をぼんやりと視界に映す。
艶のある木製の枠に、くすんだ緑の生地を張り合わせたようなデザインの衝立。
その向こう側から、自分のものでは無い物音が聞こえていた。
事の発端は数時間前に遡る。
アルシアは市場の茶屋の店主に勧められた通り、宿屋を探すことにしたのだが、時空祭を控えた宿場町で部屋をおさえるのは予想以上に困難を極めた。
夕方まで歩き回った結果、ようやく『クレハ亭』なる宿屋兼酒場で空き部屋に巡り合ったのだが、そこで今朝別れたばかりのエルフの少女、イーゼルと再会することになった。
しかし部屋の空きは一部屋分しかなく、後から来た彼女はそのまま立ち去ろうとしていた。
とはいえ辺りはもう夜の帳が下り始め、これから宿を見つけるのは厳しいだろうと思ったアルシアは、彼女に部屋を譲ろうと考えた。
宿場町を一緒に目指していた時、数回魔獣との戦闘をしたのを見ていると、荒削りの剣術ではあるが、かなり腕は立つようなので、野宿になっても自分の身の安全を守るぐらいは可能だろうと思ったが、それでも年頃の女性を夜闇に放り出すのは気が引けたのだ。
しかし、彼女もこちらの身を案じて部屋を譲り受けるのを遠慮し、なんだかんだとやりとりをしていると、宿屋の受付嬢が突拍子も無い提案をしてきた。
『あの~、二人とも~お知り合いなら~、いっしょに泊まっちゃえばいいと思うの~!』
(いいわけないだろっ……!!!)
という心の叫びが出たのは、目の前のエルフの少女が、この提案を名案だと評した後だった。
良いわけがない。間違いなく迷案だ。
これが長らく共に戦場を駆け回った戦友のような関係ならともかく、僕らは出会ってからまだ一日も経っていないのだ。
アルシアは彼女の警戒心の無さを心配して、なんとか踏みとどまるように申し出たものの、その説得も虚しく同室に泊まることになってしまった。
そしてそれとは別に、アルシアには心配事があった。
「アルシアくん!」
「は、はい?」
唐突に名前を呼ばれ、驚きで声が裏返りそうになったのを必死で抑えて返事を返す。
衝立の陰から出てみると、旅の服から燻んだ白の質素なデザインのワンピースに着替えた同居人が立っていた。
後ろで長い金髪を束ねながら、こちらの様子を伺っているようだった。
「あれ? まだ荷物下ろしてなかったの?」
イーゼルはきょとんとした表情でこちらを見る。
すでに部屋に入って十五分は経っていたが、アルシアは旅の服もそのままに、腰に付けたベルト鞄も外していなかった。
「あぁ……その、ちょっと疲れたのでぼーっとしてました」
「そうだよね~、私も宿探すのに一日中歩き回ることになるとは思ってなかったから、流石に疲れたよ~」
確かに身体的な疲労も無いわけではないが、どちらかといえば心労の方が堪えていた。
一方、髪を束ね終えたイーゼルは、スッキリした装いでずいぶん上機嫌そうだった。
「そうそう、着替え終わったら夕食は下の酒場に行かない?」
「酒場ですか?」
「うん。ここ兼業宿屋だからね。クレハさんが美味しい料理、振舞ってくれるって言ってたよ!」
「そうですか……」
アルシアは、自然と自分の視線が泳いでいることに気付いて、イーゼルの方へと視線を戻す。
そのイーゼルはというと、にこやかな表情でこちらの様子を伺っていた。
(言うなら今しかないか……)
アルシアが心配していたこと、それは自分の種族を明かしていないことだった。
もちろんお茶を濁すこともできるだろうが、不可抗力とはいえ同室になった以上、何らかのトラブルに彼女を巻き込んでしまう可能性もある。
リスクは先に排除しておくべきだ。
そう考えたアルシアは、フード付きの黒外套の赤い留め具にそっと手を当てた。
「あの……、一つ言っておきたいことがあります」
「うん?」
「僕の、種族のことです。」
そういうとアルシアは、手を掛けていた留め具を外して、今まで目深に被っていたフードを脱いだ。
部屋の中央に置かれた魔導灯の光が、直接目に入り眩しく感じながらも、まっすぐと前に視線を向けた。
少女は少し驚いた表情をしたが、すぐに何かを察したように観察するような目つきになると、ボソボソと小声でつぶやき始めた。
「耳……尖ってる。ハーフエルフ? でも同郷の匂いはしなかったな……」
アルシアの耳は人間の耳と大きさに大差は無いが、特徴的な尖りがあった。
エルフであるイーゼルにとって、尖りのある短耳で思い当たるのはハーフエルフだったようだが、残念ながら混ざっているのはエルフの血ではない。
「ハーフ、までは合ってますね。僕は半分人間です。そして……、もう半分は吸血鬼の血が流れています」
吸血鬼。
人や生き物から血を吸う事で、不老不死の力を得るといわれる魔族で、その戦闘能力の高さから恐れられている。
実際は細かい種族より魔族であることが問題で、人によっては気づいた途端に襲いかかってきたり、恐怖や敵意の視線を向けて来ることがある。
魔族はそれ以外の種族から見ると、そこら辺の魔獣や魔物と同じに見えるらしい。
故にアルシアは慎重に、イーゼルの反応を見守っていた。
(さて、どう出るか……)
拒絶されることは想定内、少しでも嫌がる素振りを見せたら静かに出ていこうと心に決めていた。
しかしそんなアルシアの意に反して、イーゼルは一瞬の沈黙の後、目を輝かせながら詰め寄ってきた。
「ねぇ!」
「は、はい?」
「きゅ、吸血鬼ってさ! あのおとぎ話に出てくる吸血鬼?」
「……へ?」
「あれだよあれ! 小さい頃読んだ本に出てきたの! 病気の人間の女の子に、吸血鬼が恋する話! 最後がすごく切なくてよく覚えてるの!」
「それは存じ上げないけど……、吸血鬼です……」
「あれ……? 結構マイナーなお話なのかな? いや、そんなことより吸血鬼って、おとぎ話にしか出てこないと思ってたから、実際に会えると思わなかった!」
勢いに押されて一瞬思考が止まりかけたが、アルシアは一呼吸入れると表情を引き締め直した。
「その、僕は魔族なんですけど……」
「うん」
「えっと……」
「どうかしたの?」
「どうかって、魔族と関わるのは……」
アルシアの声はだんだん小さくなっていた。
言い淀んだ姿を見て、イーゼルは何かを察したのか、先程とは違って落ち着いた様子で話し始めた。
「魔族だからって、その人が悪い人とは限らないでしょ?」
「それは……」
「君は今、私の事を気遣って忠告してくれてる。自分といる事で迷惑がかかるかもって」
「……」
言い返す手札を失ったアルシアは、黙ったままイーゼルの言葉の続きを待つ。
「ねぇ。その黒外套、認識阻害ついてるでしょ」
アルシアは静かに頷いた。
「やっぱり……。私、割と勘は鋭い方だけど、君が自分から正体明かすまで全然魔族ってわかんなかった。黙っててもよかったのに、リスクを犯してまでちゃんと話してくれて、その時点でまず君は信用に足る人物だよ」
「っ……!」
「それにね、辺境の村とかだと、まだ魔族に嫌悪感抱く人も少なくないけど、今は異種間の交流も盛んだから、大きな都市とかに行くと魔族もそんなに珍しくないよ。そもそも人型の魔族を魔族だって見抜けるのは、強い魔法使いや異能力者くらいだし、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「そう……なんですか?」
「うんうん。まぁ……、万が一トラブルになったとしても、自分の身は守れるぐらいには私強いし」
イーゼルは艶のある金髪を耳に掛けながら、小さく微笑んだ。
「ふふっ、だから私は一緒に居ても平気!」
「平気……」
「えっへん!」
清々しい笑顔と共に、謎の得意げな態度をとられ、アルシアはどうしたものかと困惑していた。
しかし、彼女の言葉は決して魔族を一括りにするものではなく、アルシアの張り詰めた心の内はすこし緩み始めていた。
「アルシアくん」
「はい……」
「これも何かの縁だと思うし、君ともっと仲良くなってみたいな! 旅は道連れっていうしね!」
「道連れって……、まぁでも」
「でも?」
「──悪くないかもしれないですね。」
アルシアが少し照れくさそうに視線をそらすと、イーゼルは何も言わずにほほ笑んだ。
ほんの少し互いの距離が縮まったような、そんな気がした。




