一章:第七話
☆
手負いの山犬達が通ってきたであろう道のりを、イーゼルとアルシアは駆け抜けていく。
辺りは不気味なほどに静まり返っていた。
「なんだろう、すごく嫌な予感がするんだけど……」
「奇遇ですね。僕もです」
遡っていけばすぐにでも接敵するかと思われたが、今のところ山犬の残党もそれ以外の敵の気配もない。
しかし、それがかえって嫌な予感を掻き立てていた。
「流石に静かすぎるよね」
「そうですね」
イーゼルは経験則を辿る。
こういう時は大抵、周辺に格上の魔物が居たりする。
小動物なんかは怖がって姿を見せなくなるし、一般の魔物も同じく逃げ出すか、もしくは格上の魔物に喰われていたりする。
「イーゼルさん、開けた場所に出ます」
アルシアの声ではっとする。
前方に少し明るくなっている場所が見える。
「このまま行くよ」
「了解です」
ブレードの柄に手を掛け、いつでも抜刀できる体勢で前へ踏み込んだ。
同時に開けた場所に飛び出した二人だったが、そこに広がる光景を見た瞬間、イーゼルは嫌な予感が当たったと思った。
「うわ……」
「これは……、魔物とはいえなかなか惨いですね」
そこら中に刻まれた山犬の死体が転がっている。
中には潰れて原型を留めていないものや、引きずられたような跡もある。
そして──
「なにこれ、スケルトンの残骸?」
「そのようですね」
さらにその周辺に、多数の骨の残骸が落ちていた。
「スケルトンは短剣とか槍とかよく使うから、さっき逃げてきた山犬達は、このスケルトンに襲われたのかな」
「それが妥当な見立てだとは思いますが、襲った側のスケルトンも死んでいるというのは……」
「まぁ、明らかにやばい奴がいそう。この潰れ方とか、もっと大きな鈍器とかの跡だし」
「どう……しますか? ……大物、探しに行きますか?」
「いや、深追いは良くないよ。今回の依頼は山犬の討伐だけだし。戻ったら報告だけしよう」
「わかりました。──その前に、もう一仕事ありそうですが」
「そうだね」
ガシャン…ガシャン……
カタカタ……
スケルトン独特の骨が擦れ合う音。
まだ一部が残っていたらしい。
「五……、十……もうちょっと居ますかね」
ゆっくりと木の影からスケルトンが顔を出す。
それぞれ短剣や槍、盾を構えてこちらを威嚇してくる。
「囲まれないように速攻でやろう!」
「そうですね。僕が数を削ります」
「うん! まかせた!」
後ろでアルシアが魔法を構える音が聞こえる。
「華炎散弾《スカーレットレイン》」
魔法の発動と同時に、イーゼルはスケルトン達の側面に回る。
雨のように降り注ぐ大量の火の弾が、スケルトンの体を貫いていく。
しかし、数体の盾持ちスケルトンが、アルシアの攻撃を凌ぐ。
「残りは私が相手だよっ!」
イーゼルは低い体勢から地面を蹴ると、その勢いのまま抜刀する。
剣閃が走り、盾を持っているスケルトンの横腹をまとめて砕く。
さらにブレードの向きを変え、重心を移動させて反対方向に振り抜く。
(残り三匹……!)
一番奥のスケルトンを見据えながら前進する。
横目でアルシアの方を見ると、ファイアボルトで援護の構えをしている。
安心して前の敵に集中しようとした時、一瞬背後に光る物を認識する。
「アルシアくん、後ろっ!」
「後ろ……!?」
イーゼルの声でアルシアは瞬時に横に飛び退き、すんでのところで飛びかかろうとしていた影を躱す。
同時に援護用に展開していたファイアボルトを、後ろへ誘導して撃ちだす。
吹き飛んだのは先ほどの山犬の残骸。
「これは一体……」
「狂化してるよ! 気を付けて!」
「それはちょっとズルじゃないですかね……」
奇襲してきたのは、死んでいたはずの山犬。
崩壊した身体に、瘴気を溜め込んだ結晶があちこちから生えている。
イーゼルは残りのスケルトンを一掃して、すぐにアルシアの方へ向かう。
「身体はもう死んでるから、結晶だけ狙って!」
「了解です。火球《ファイアボルト》!」
次々と起き上がる山犬の残骸たち。
その体を蘇らせる黒い結晶に向かって、アルシアの放った火の弾が炸裂する。
しかし魔法を撃ち切ったその最中、視界の端から割り込んでくる影に、アルシアは目を見開いた。
「あっ……!」
死角の草陰から、撃ち漏らした一匹が飛び出してくる。
アルシアはすぐに詠唱を始めるが、距離はもうほとんどない。
だが────
「やらせないっ! はぁっ!」
間一髪のところで、狂化した山犬が真っ二つになって床に転がる。
しかしまだ山犬は動こうとする。
イーゼルは、ブレードの先で露出した結晶を砕き、ようやく動きが止まるのを確認する。
「助かりました、イーゼルさん」
「大丈夫だった?」
「おかげさまで」
「ふぅ……」
イーゼルは一息入れると、ブレードを鞘に収めた。
「死体になってても動くんですね」
「うん、そうなんだよね。狂化するのは流石に予想外だったね~」
「でも、狂化って瘴気が濃い場所に居ると起きるのでは……? ここは瘴気を感じませんけど」
「うーん。狂化の仕方にもいろいろある」
「いろいろ……ですか?」
「うん。一番一般的なのは、今アルシアくんが言った通りなんだけど、例えば狂化した敵に倒された場合でも、瘴気の影響を受けてなる事はあるよ」
「それはつまり……」
「大物がもっとやばいかもってことだね」
「……絡まれる前に撤退ですかね」
「うん、今のうちに戻ろ!」
☆
イーゼル達が去った少し後。
一人の少女の姿がそこにはあった。
黒い瘴気を纏い、少女はただ静かにそこに佇む。
(誤差が大きくなっている。今まで無かった変化が起ころうとしている。でも、あの子の願いが成就するにはまだほど遠い……)
少女は混沌とした辺りの惨状に目を向ける。
足元には砕かれた骨の欠片が散乱し、狂化した獣たちはすでに身体が崩壊しは始めていた。
本来ならこの子達は、《時空祭》の撹乱用に使われるはずだった。
(獣の方はもうダメね。スケルトンは……まだ使えるかしら)
少女は静かに指を鳴らすと、空中に手乗りサイズの黒い結晶が現れる。
それを手に取り、砕けたスケルトンの上で粉々に砕く。
すると、どす黒い瘴気と共に、結晶の破片がスケルトンの残骸と混ざっていく。
カタ…カタカタ……
砕けた頭蓋骨の隙間から、瘴気の結晶が生えてくると同時に、あちこちにヒビが入った骨が歪に動き始める。
「これでいいわ」
少女は再び指を鳴らす。
今度は空中に黒い鏡を呼び出す。
「繋いで」
ザザッ……
ノイズ音が響く。
すると森を映す鏡面が渦を描き始める。
映るのはここではなく暗い部屋。
「……あら、……そっちから連絡してくるなんて、珍しいこともあるものね」
「誤差が大きくなってるわ。このままだと計画に支障が出る」
「それをどうにかするのが貴方でしょ? そういう約束だったはずだけど」
「それにも限度があるということ、もう時間はないわ」
「ふぅん」
依頼人であり、同僚でもある彼女は、随分と不満そうな態度をとる。
「大丈夫よ、安心して。もう数回あれば最低限は足りるわ」
「そう……」
「ふふ……、鏡の妖精さんは心配性なのね」
「あなたが呑気なだけよ。イリス」
「まぁ、警告としては受け取っておくわ。でもきっと私の《見る》力には敵わない、必ず完遂してみせるわ」
「……期待しています。連絡は以上」
伝える事は伝えた。
少女が右手を鏡の前でスライドさせると、動きに合わせて鏡は霧散する。
「さて……、動くなら早いほうがいい」
不足の事態が想定されるときは、さらに先回りして布石を打っておけばいいだけのこと。
まだ時間稼ぎの余地はある。
少女は再度指を鳴らすと、鏡と同じようにその体を霧散させた。
☆
ガチャッ
寝室の扉が開く音がして、アルシアは読んでいた本から視線を上げる。
開いた扉の前には、先に休んだはずのイーゼルが立っていた。
「眠れないのですか?」
「うん……」
アルシアが声を掛けると、イーゼルは控えめに笑う。
が、その表情にどことなく陰りを感じる。
「疲れてるからすぐ寝れるかなぁって思ったけど、なんだか寝付けなくて……」
「今日行った山の麓の村が心配……とか?」
「ん~、どうかな。ちゃんと村と衛兵の人に報告して、数日中には対応してくれるって言ってたから、そこまで心配はしてないかなぁ……」
山奥の森での戦闘の後、二人はすぐに下山して依頼元の村へ向かった。
別の魔物に山犬が追われていた事が原因で、人里に降りてきていたことを説明して、さらに格上の魔物が存在している可能性に関しても報告して、あとは衛兵の人に任せる運びとなっていた。
「では、別に心配事があるとかですかね」
「うーん。あれ……かなぁ」
「……? 心当たりがあるみたいですね」
イーゼルは静かに頷く。
「アルシアくんってさ、悪夢見たりする?」
「悪夢ですか……。幼い頃はよく見てたような気がしますね」
「じゃあさ、そういう時ってどうしてる?」
「どうする? ……何をですか?」
「何をって……、悪夢……怖くないの?」
あぁ……そういうことかとアルシアは理解する。
「怖いと感じるのはその時だけです。目が覚めれば悪夢もただの夢。現実に起こる事ではないです。でも……」
アルシアはそう言いながら、先程まで読んでいた本を机に伏せると、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「でも……?」
「そういう事なら、いい物があります。そこ、座って待っててください」
イーゼルは不思議そうな顔をしていたが、目の前のソファーへ促すと、そのままソファーに腰掛けた。
アルシアは窓際に置いていたポーチを手に取った。
このポーチは、物を小さくして収納できる魔法鞄になっている。
ポーチの蓋を開けると、金属製のマグカップと半透明の瓶を取り出す。
ポーチを元の場所に戻して、カップと瓶をイーゼルが座るソファーの前の机に静かに置き、アルシアは対面のソファーに腰掛けた。
「これは……何? ただのカップと瓶?」
イーゼルが不思議そうに見つめる中、アルシアは瓶の蓋を開けて、中身の液体をマグカップに注ぐ。
「中身は普通の砂糖の入ったミルクです」
「なるほど……?」
「まぁ……、見ててください」
アルシアは空になった瓶を横に置くと、左手でマグカップを持ち上げた。
パチンッ
空いた右手で指を鳴らす。
「わぁ……!」
マグカップから湯気が上がる。
それを見たイーゼルは途端に目を輝かせる。
「すごい……! これも魔法?」
「そうですよ。どうぞ、飲んでみてください」
マグカップをイーゼルの目の前に静かに置く。
カップを手に取ったイーゼルは、いろんな角度からカップを眺めた後、ゆっくりと口をつけた。
「ちゃんとホットミルクだ……。しかも熱すぎない完璧な温度。こんな便利な魔法あるんだね」
「僕が唯一、自分で研究してたもので、実用段階まで持って行けた魔法です」
「自分で作った魔法なんだ!」
「まぁ、実際仕掛けがあるのはマグカップの方ですが」
イーゼルは再びカップを眺める。
光の角度で幾何学模様の線が、薄らと存在感を表す。
「魔術彫刻を施したカップに魔力を伝わせる事で、中身を指定した温度に温める……って仕組みです。温度は僕の好みに合わせてるので……。まぁ、口に合ったようで良かったです」
「うん、すごく甘くておいしい! でも、どうしてホットミルク……?」
イーゼルの問いに一瞬返事に詰まる。
本当は幼い頃、自分がそうしてもらったからなのだが、素直に言うのは少し気恥ずかしい感じがして、アルシアは少し言い淀んだ。
「えっと……、あれです。落ち着かない時は、温かい物を摂るといい……と、昔教わったからですね。」
「そうなんだ。でも確かに、ちょっと落ち着いた感じする。ホッとするっていうか……、そんな感じ!」
寝室から戻ってきた時は、強張っていたイーゼルの表情も、少し柔らかくなったように感じて、アルシアは心の中で安堵していた。
「ところで、どんな悪夢見たんですか?」
「あぁ……、えっとね」
イーゼルは、今朝見たという悪夢の話を聞かせてくれた。
魔物に追われる夢。
見た事のない金属の人型人形。
そして最後は時計塔に追い詰められる……、という内容だったらしい。
「確かに、幸先が不安になる内容ではありますね」
「でしょ! 見た事ない敵とか不穏すぎるよ……! それに、これから行こうと思ってる時計塔が舞台なのも、嫌な予感がしてならないっていうか……」
「ふむ」
アルシアは少し思考を巡らせた。
イーゼルの言う金属の人形には、微かに思い当たるものがあった。
「その金属の人形ですけど、もしかしたら、機甲人形ってやつかもしれないですね」
「機甲人形?」
「魔法で作られた攻撃用の人形兵器の事です。古い技術が使われていて、遺跡や洞窟の中に、トラップとして仕掛けられていたりするんですよ」
「へぇ……、実際に存在するんだ」
「人型は見たこと無いですけど、虫っぽい形のは実際に見た事があります」
「虫っぽいのは嫌だな……、見た目から装甲硬そうだし……」
イーゼルは見た目を想像したのか、眉間に皺を寄せていた。
「そうでもないですよ」
「そうなの?」
「機甲人形には、体を動かすためのコアが目立つ場所に必ずあります。コアを破壊できれば、倒すのにそう苦労する事はないです」
「あれ? それって、もしかしてゴーレムと一緒ってこと?」
アルシアは静かに頷く。
「ゴーレムも古い技術の産物でしたね。確かに攻撃型のゴーレムと、仕様は似ているかもしれません」
「ゴーレムなら私戦ったことあるよ。それと一緒なら、そんなに怖くない……かも」
「えぇ。でも、侮ってはいけません。人形とはいえ防衛本能はあるので、簡単に破壊させてくれるかというと、それはまた別の話になってきます」
「それはそうだろうね……」
すっかり空になったマグカップを、イーゼルは静かに机に置いて、何かを考えているのかしばらく無言の時間が流れる。
「……どうですか?」
「うん?」
「次は勝てそうですか?」
アルシアの質問の意図を掴めなかったのか、返事はなかなか返ってこない。
「有効な戦い方さえ知っていれば、もう夢の中で苦戦はしないでしょう」
「あぁ……」
「勝てそうですか?」
イーゼルの表情は本当に豊かだ。
質問を理解した途端、その表情は明るい微笑みに変わる。
「うん! もう大丈夫、次は負けないよ」
「それなら良かったです」
「アルシアくん、ありがとね」
やはり彼女には不安そうな顔より、笑顔の方がよく似合う。
無意識にそう考えているのに気付いたアルシアは、照れ隠しでもするように、少しだけ視線をそらす。
「いえ、感謝されるようなことは……」
「謙遜しないで! おかげで今度こそちゃんと寝れそうだから!」
そういうとイーゼルは勢いよく立ち上がった。
「じゃあちょっと倒して来るね! おやすみ!」
「えっ、倒して来るって……」
ガチャン!
最後まで言い終わる前に、イーゼルは寝室へと飛び込んでいった。
アルシアは呆然としたまま、ぱちぱちと瞬きを繰り返し、しばらく扉を見つめるのだった。




