一章:第五話
☆
一瞬のうちに、辺りは氷の世界と化した。
体感温度は十度もないだろう、冬になったかと錯覚するほどだ。
アルシアの黒外套も、吹き付ける白い氷の粒で真っ白に覆われている。
「まったく……」
大通りは氷で覆われ、白く輝いていた。
そして正面の時計塔も、下半分が真っ白に凍り付いている。
「火属性付与《エンチャント》」
アルシアは杖で靴をコンコンと突く。
すると火の力を得た靴は、少しずつ踏んでいる地面の氷を溶かし始める。
「急いだ方が良さそうです」
幸か不幸か先程の冷気の壁は、そこら中を徘徊していた魔物もまとめて凍らせたらしく、雑に走っても一切接敵することはなかった。
あっという間に時計塔前の開けた場所に出たアルシアは、周囲を見回しながらゆっくりと前に進む。
周りを囲む広い庭園も、見事に真っ白になっている。
そして、時計塔へと向かう石畳の階段に、大量の雪像になった魔物の群れが目に入る。
アルシアは雪像の前まで進むと、群れが囲む中心を覗き込んだ。
「──随分と派手にやりましたね」
「ぁ……」
「無事……、ではなさそうですね……」
魔物の雪像の中心には、長い金髪の少女が凍えて小さくなっていた。
右腕からは無数の氷柱が、痛々しく突き出している。
恐らく無理やり魔法を使ったのだろう。
「アルシアくん……」
こちらを見上げる顔は真っ青だ。
先程の冷気で下がった気温のせいか。
いや、恐らく原因は……
「軽い魔力欠乏を起こしてますね。大丈夫ですか? イーゼルさん」
アルシアは問いかけながら、イーゼルを取り囲む魔物の雪像を横に押しのけた。
出来た隙間からイーゼルの元へと駆け寄る。
「大丈夫……、たぶん……」
「右手、借りますよ」
「うん」
アルシアはイーゼルの右腕に手をかざすと、炎の魔力を集中させる。
熱を帯びた魔力は、イーゼルの右腕から生えていた氷の塊をみるみる溶かしていく。
「腕はこれで大丈夫なはずです」
「うん。……大丈夫そう。ありがとね」
「えぇ」
アルシアは、自分の外套の留め具に手を掛けて外すと、そのままイーゼルの肩に羽織らせた。
「……?」
「本来なら魔力欠乏を起こしてる時は、余裕がある人に魔力を融通してもらうのが一時的な対処として有効なんですが……。僕は火属性の魔力しか扱えないので、イーゼルさんとは相性が悪く難しいです。なので、一旦はそれで我慢してください。体温だけでも戻した方がいいです」
「なるほど……、ありがと……」
黒外套に包まったイーゼルは、合流した直後よりは顔色が良くなっていた。
「イーゼルさん、動けそうですか?」
「一応……」
「無茶をした理由を聞きたいところですが、一旦安全な場所まで撤退しましょう」
今は周辺の魔物は凍結されていて、襲撃されるリスクはほぼ無いが、それも敵の増援が無かった場合の話。
万全の状態でない以上、できるだけ早く安全な場所まで移動するべきだ。
しかしイーゼルは一向に動こうとしない。
「イーゼルさん……? どうしました?」
「その……時計塔の中、確認したいって言ったら……怒る?」
「……怒ります」
「だよね……」
「ちなみに、理由は?」
「これ、見て……」
イーゼルはよろよろと立ち上がると、魔物の雪像の隙間を抜けて、雪像の裏側に回った。
アルシアも後を追う。
「これ。凍結してるせいで見にくいけど……」
イーゼルは凍りついた石畳を指差した。
表面は真っ白になっているが、微かに円形に書かれた魔法文字が見える。
「設置型のトラップの痕跡ですね。すでに効力は失っているようですが……」
「これは作動すると、魔物が召喚されるタイプみたいなの。この辺だけで十個ぐらいはある」
「そんなに……?」
アルシアは周囲の石畳を見渡すと、確かに同じようなトラップの形跡が他にも残っているのに気が付く。
「変だと思わなかった? 街の守りは完璧だったはずなのに、あまりにも魔物への対応が遅いの」
「あぁ……なるほど。これを街のいたるところに設置して、衛兵を撹乱しているのか」
「たぶんだけど、街中だけじゃなくて外にもたくさん設置してあると思う。じゃないとここまで遅れは取らないはず」
「衛兵の処理能力を低下させて、相対的に守りを切り崩したという事ですね」
「そう。それでね、魔物に知性があるってことは、何かしら狙いがあるはずでしょ? それなら一番あり得るのは……」
「時計塔ってことですか」
「うん」
「ふむ……」
状況を考えれば即撤退が望ましい。
そもそも襲撃の沈静化は衛兵の仕事だ。
しかし、本来の目的地であるはずの時計塔が破壊されるようなことがあれば……
アルシアはひとしきり悩んだ後、肩から掛けていたイーゼルの剣を下ろした。
「それは……」
「中の異常がないかだけ、確認しましょう。どちらにせよ、今の僕らに防衛するほどの持久力はないです。なので目的を果たしたら即撤退です。それでいいですか?」
「うん……! それでいい!」
アルシアは剣をイーゼルに手渡した。
「万が一があるので一応渡しておきますが、戦闘は極力避ける方向で」
「わかった。ありがとね。わがまま付き合ってくれて」
「いえ」
二人は時計塔の入り口に視線を向けた。
「行きましょうか」
「うん」
☆
時計塔の入り口をくぐり、短い通路を抜ける。
いつものように腰のブレードに手を掛けるが、普段よりも随分体が重く感じる。
(魔力欠乏ってこんな感じなんだ……。全身の感覚が鈍い感じがする。不意に《見る》力が発動した時とも違う。いつもみたいに戦うのは難しいかな……)
目の前には、時計塔内部を支える金属構造の柱。
内側の壁にはぼんやりと光る魔力回路が、幾何学模様を描きながら上へと伸びている。
数日前に訪れた時と同じ光景。
(あの時《見た》ものが否定できればいい……)
イーゼルは半ば祈りながら、時計塔の中を見渡した。
「ぱっと見は大丈夫そうですね。外部から入ってきた魔物は居なさそうです」
「うん。常灯みたいに魔物を除ける仕掛けがあるのかも」
「先程のような、設置型のトラップも無さそうですね」
少しの異変も見落とさないように、念入りに気配を探る。
しかし、これと言った異常は見つからなかった。
イーゼルとアルシアは顔を見合わせて、小さく安堵の息を吐いた。
「戻りましょう。異常がないなら長居は……」
アルシアの言葉は途中で止まる。
「どうかしたの?」
アルシアの視線は時計塔の奥に向いている。
イーゼルもその先を追うように、時計塔の奥を見ようとした。
しかし、それより先にアルシアが前に出る。
「耐火障壁《フレイムヴェイル》」
アルシアは慣れた手付きで杖を回し、噴き出る炎で前方に円を描く。
その軌跡に沿って炎の障壁が現れる。
障壁の展開と同時に、正面から斬撃のような光と衝撃が走る。
「誰かいる……」
「そのようです」
攻撃を相殺した衝撃で周辺に土埃が舞う。
イーゼルとアルシアは、臨戦体制で視界が晴れるのを待った。
「ふふ……」
土埃の向こうから笑い声が聞こえる。
「今回は……随分遅かったわね。会いに来てくれないのかと思っちゃったわ」
少し高い女性の声。
イーゼルにはどこか懐かしく聞こえていた。
そして、晴れた視界の先には──
「そんな──」
「……?」
「待っていたわ、イーゼル」
☆
初めて見る相手のはず……だが、どこかで会ったことがあるような気がする。
アルシアは、晴れた視界の先にいる少女に、既視感のようなものを感じていた。
「久しぶりね」
「イリス……、どうしてここに……?」
イリス、名前にも聞き覚えはない。
だが、イーゼルの反応で何となく察しはついた。
エルフ特有の尖った耳。
肩で切り揃えられた金髪。
そして何よりイーゼルとよく似た顔つき。
既視感の正体はこれだ。
「どうして? もちろんここに用があるから」
静かに告げる。
声もどことなくイーゼルと似ているが、少し怖いくらいの冷たさを感じる。
アルシアはイーゼルに小声で声を掛けた。
「イーゼルさん、どうしますか? 攻撃を仕掛けられましたが、相手はイーゼルさんの……」
「うん。私の双子の姉、イリス。でもなんで……体が弱くて外に出れないはずなのに」
イーゼルの言葉だけでは事情を理解することはできないが、確かにイリスと呼ばれた少女の体は、今にも折れそうなほど細身で、肌は病的に白く儚さすら感じる。
イーゼルは今まで見たことないような怯えた表情で、弱々しい声で、イリスに問いかける。
「私を待ってたってどういう意味……?」
「待ってた理由? そうね。あなたの魔力回路が必要だから」
「私の……?」
「えぇ。この時計塔を動かすには、私一人の力じゃ足りないの」
イリスは時計塔奥にある手すりを撫でる。
「私たちって双子でしょ? 本来一人で持つ力を、二人で分けて生まれた。私の力が足りないのはそのせいなの」
「っ……」
「だからあなたの魔力回路を貰いに来たの。ねぇ、イーゼル。私を助けるために、もちろん譲ってくれるわよね?」
「──待て」
アルシアはイーゼルとイリスの会話に割って入る。
「いかなる事情があるのか存じませんが、魔力回路は命と同等と言われるほど、生命のバランスを維持するのに大切な器官。それを抜いたらイーゼルさんがどうなるか、分かって言っているのか?」
自分でもわかるほど声が強張っていた。
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
イリスは命を差し出せと言っているのだ。
「もちろん。分かっていってるわ」
「そこまでして、時計塔で何をしようとしている?」
「そこまで答える義理はないわね……」
イリスが不敵に微笑む。
「申し訳ないけど、私には時間が無いの。もう少し早く来てくれたら良かったのだけど……。でもね、あなた達の返事が何であろうと、私のやることは変わらないわ」
「……っ!」
イリスは小さく手を動かすと、辺りに光の弾が出現する。
「閃光散弾《フォトンレイ》」
「耐火障壁《フレイムヴェイル》」
アルシアが展開した障壁に、激しく光の弾が撃ちつける。
イリスの攻撃を凌ぎ切ると、アルシアは空かさず詠唱を始める。
「あっ!」
「火球《ファイアボルト》」
「アルシアくん待って!」
イーゼルの声が響く。
しかしアルシアの魔法は、すでに土埃の影からイリスへ向かう。
完璧な死角からの攻撃、だが──
「反光障壁《ミラーヴェイル》」
光の障壁がイリスの前に展開する。
アルシアの放った魔法が勢いよくぶつかると、障壁が鏡面のように揺れる。
「なっ、……魔法反射っ!? 耐火障壁《フレイムヴェイル》!」
イリスの魔法反射の障壁に弾かれて、火の弾は勢いそのままに跳ね返ってくる。
アルシアは再度障壁で相殺する。
「大丈夫!?」
「大丈夫です」
「アルシアくん、イリスは《未来視》が使える。迂闊に攻撃すると、全部読まれて反撃されちゃうから気をつけて……」
「《未来視》……なるほど」
姉妹揃って特殊な力を扱うらしいが、今は深く考えている余裕がない。
イリスの方に視線を向けると、すでに次弾の準備を整えている。
「閃光散弾《フォトンレイ》」
さっきよりも弾数が増えている。
この数は障壁では防げない。
「イーゼルさん!」
「うんっ!」
二人は左右に飛び退き光の弾を躱す。
外れた弾は、床を砕いて土埃が二人を分断する。
その時、土埃の切れ間から、微かにイリスが魔法陣を構える姿が視界に入った。
アルシアとイリスは同時に声を上げる。
「イーゼルさん、追撃です!」
「光源肢体《フォトンリーパー》」
アルシアは助けに入ろうと、イーゼルの方へ向かおうとした。
しかし──
「っ!?」
真横から刃の斬撃が飛んできた。
アルシアは咄嗟に後ろへ飛び退き、間一髪でそれを避ける。
斬撃が放たれた方角、砂埃の奥からゴツゴツとした影が現れる。
金属の装甲を纏った、人の形をした何か。
「機甲人形ですか、また面倒なものを……」
「ふふっ……」
またイリスの不敵な笑い声が聞こえる。
「私、あなたには興味がないの。その子達と遊んでてね。出来損ないの吸血鬼さん?」
「なっ……!」
「うふふ、さぁ……、立ち止まってると串刺しになるわよ」
自分のことを、なぜ知っている?
だが、冷酷な少女に問いただす間もなく、傀儡の人形が道を阻む。
機甲人形がは、ゆっくりと手にした刃を振り上げた。
☆
光の弾を完璧にかわし安心したのも束の間、上がった土煙の向こうから、アルシアの追撃の知らせる声が聞こえた。
ほぼ同時に、イーゼルの四方に白く光る触手のようなものが現れる。
いつもなら切って躱す所だが、魔力欠乏で体の反応が鈍い。
イーゼルは飛び退く判断をするが……
「……っ!」
ほんの一瞬間に合わず右脚を掴まれる。
そのままバランスを崩して、イーゼルは床に転がった。
(間に合わなかった……)
「残念ね。逃げきれなくて」
イリスの声が近づいてくる。
「今回も、止められなかったわね」
「今回って……、さっきから何を言ってるの?」
「さぁ、何のことかしらね」
イーゼルの目の前で足を止める。
「私も大事な妹を苦しめるのは心が痛むの。でもこれもあなたのため。だから、一瞬で終わらせてあげる」
「やめて……」
わざとらしい声で語りかけながら、イリスはイーゼルの首に手をかけた。
優しく、それでいて氷のように冷たい声が、イーゼルの脳裏に恐怖を刻みつけていく。
逃げ出そうとするが、イリスの捕縛魔法に絡め取られ、体は思うように動かない。
「あぁ……」
「分離開始《セパレーション》」
「あっ……ぐっ、あぁぁぁ……!」
イーゼルの悲鳴は、激痛のあまり声にならない声に変わる。
全身の神経を直接引き抜かれるような感覚。
痛みに脳が焼かれ、頭の中は真っ白になった。
──しばらく意識を失っていたのか、イーゼルはぼんやりと天井を見上げていた。
ちらつく視界の中、無理やり視線を動かしてみる。
時計塔の奥、数段しかない階段の先に、真っ白な指先が床に転がっているのが見える。
(あれは……イリスの……?)
意識を失っている間に何が起こったのか、全く見当がつかなかった。
体に走る痛みのせいで思考もままならない。
再び意識が沈もうとしたその刹那、聞き覚えのある声が聞こえた。
「イーゼルさん」
視界の外でも、誰の声かはわかる。
「アルシアくん……、何が起こったの……?」
「……」
少年は答えなかった。
「イリスは、アルシアくんが倒したの……?」
「いえ、彼女は……、イーゼルさんの魔力回路を抜いた後、奥の壁の回路を使って、時計塔を起動させた……のだと思います」
「でも、あそこに倒れてるのは……」
「起動させた後、倒れました。彼女が目的を果たしたのかは不明です」
「そっか……」
よく見ると、時計塔の内部に張り巡らされていた幾何学模様の回路が消えている。
起動された証拠なのだろうか。
そんなことを考えていると、見上げていた天井から小さな小石のかけらが降ってきた。
カランカラン……
「ここ、崩れそうだね」
「えぇ。少し派手に戦闘し過ぎたかもしれません」
「アルシアくん。私、どのみち助からないと思うからさ。このまま……一人で逃げて……ほしいかな」
「……」
「アルシアくん……?」
アルシアは再び黙ってしまった。
イーゼルは、アルシアが居るはずの方向に視線を向ける。
「あっ……」
イーゼルは霞む視界の中、その姿を捉える。
アルシアは無言で立っていた。
しかしその姿は痛々しく、右肩と右太ももに銀色の金属の針が突き刺さり、大量の血があふれて服は真っ赤に濡れていた。
「申し訳ないですが……、それは無理そうですね……」
「どうして……! そんな……、君は自力で傷が治せるでしょ……? 早く針抜かないと!」
「無理です。銀は聖なる金属。銀製の武器で受けた傷は自力では治せない、吸血鬼の体質です。直接触れば触れた場所が焼けます。どうやら対策されてたみたいですね」
「そんな……」
「そんな顔しないでください。イーゼルさん。機甲人形相手に手こずった僕のミスです」
アルシアは横たわるイーゼルのそばに腰を下ろした。
「ついでにもう一つ、残念なお知らせしてもいいですか?」
「……あんまり……聞きたくないかも」
「……そうですか」
ガチャン……ピッ…ピッ…
アルシアが座る向こうに動く影が見える。
金属の擦れる音。
そして何かをカウントするかのような音が聞こえる。
アルシアが言っていた機甲人形だろうか。
「じゃあ……黙っておきます。もう、休んでいいですよ」
「そう……。……ねぇ」
「はい」
「もし……もし次があったら……、その時はお祭り……、一緒にまわろうね」
「……はい。必ず……」
「あり…が…と……」
私の意識はここで途絶えた。




