【08】 迷わず唇を重ねて……
水面に力なく浮かぶ爽香を、由利と丹沢が丸太のように勢いよく回転させる。6秒ほど回し、最後に水中に押し沈める。
極限の疲労の中、その練習を何度も繰り返した、その時だった。
――沈めた爽香が、浮かんできた。
しかし、両腕はだらりと脱力し、顔をうつ伏せにしたままピクリとも動かない。
由利「……丹沢さん、なんか変だぞ」
丹沢「え? おい、爽香……?……嘘だろ、浮いてこない!?」
由利「引き揚げるぞ! 早く!!」
二人は必死の形相で爽香をプールサイドへ引き揚げた。顔色が蒼白だ。呼吸がない。
由利「胸骨圧迫やるぞ!」
由利が重ねた両手を爽香の胸中央に当て、力強く30回押し込む。
由利「丹沢さん、人工呼吸!」
丹沢「お、おう!」
丹沢は爽香の鼻をつまみ、気道を確保すると、迷わずその唇に自身の口を重ねて息を2回吹き込んだ。
再び由利が胸を押そうとしたその時、「カハッ!」と爽香が水を吐き出し、うっすらと目を開けた。
由利「爽香! 大丈夫か!?」
爽香「あ……れ……?」
声は掠れ、力がない。丹沢が焦って彼女の頬を優しく叩く。
丹沢「爽香! 分かるか!?」
爽香「う……うぅん……」
重い呻き声を残し、爽香は再びパタリと目を閉じた。
由利「しまっ――息は!? 呼吸はあるか!?」
丹沢「……スーッ、スーッ……」
由利「……ね、寝息だ」
丹沢「なんだ……寝たのか。特訓で体力が限界だったんだな」
二人は肩の力を抜き、その場にへたり込んだ。昨日からのプレッシャーと極度の疲労が、一気に押し寄せたのだろう。
丹沢「このまま寝かせてやりたいが……濡れた水着のままじゃ風邪をひくぞ」
由利「脱がせるしか……ないよな」
丹沢「……おい、それって倫理的にヤバいだろ。あとで通報されたらどうする!」
由利「でも身体が冷えたら命に関わる!……よし、部屋の電気を全部消そう。浴室のドアをミリ単位で開けて、最低限の明かりだけでやるんだ!」
丹沢「了解!!」
暗闇の中、男ふたりは必死だった。目を極力逸らしながら、手探りで濡れた水着を脱がせ、バスタオルで全身を丁寧に拭く。
由利「これ……完全に介護だな」
丹沢「介護以外の何物でもないよ!」
ベッドへ運んだ後、隙間風が入らないよう布団の端を爽香の身体の脇にしっかりと押し込んだ。爽香は何も知らず、安心しきった寝息を立てている。
丹沢「……ふぅ。ベッド、占領されちゃったな」
由利「俺たちは床で寝るか。……布団、どうする?」
丹沢「ないな。……あ、あの窓のカーテン、外せるんじゃないか?」
二人は暗闇の中で協力し、両開きの遮光カーテンを取り外した。身体にカーテンをグルグルと巻き付け、硬い床に横たわる。
暗闇の中、静かに響く爽香の寝息。
由利(暗闇って字は、どっちにも『音』が入るな……なるほど、音しか聞こえないから暗闇か……)
妙な感心の仕方をしながら、由利もまた深い眠りへと落ちていった。




